1・お茶会へのお誘い
私がベルクヴェイク王国に召喚されてから、いつの間にか一年半が経っていた。
聖水の売上は好調で、一年先まで予約が埋まっている状態。
そろそろ、本数をMAXまで増やそうかと考えているところ。
エルツの件も順調らしく、試作に試作を重ね、グラナート侯爵は毎日忙しそうにしている。
ああ、そうそう。グラナート侯爵に異世界のことを話すっていうお仕事だけど、それだけでお給料を貰うのは申し訳ないって思っちゃって、自主的に研究所の雑用をするようになったの。
だから、今は事務員みたいなことを研究所でやっている。
聖女が事務仕事なんて、とジルからお小言を言われたけれど、研究所にいる人達はそんなことは気にしない。
彼らは私を聖女としては見ていないし、平民としても見ていない。
単純に、他人に興味がないだけだと思うんだけど、私としては気は楽だ。
この日も、私は研究所へと向かい、書類作業をしていた。
種類別に分けるだけの仕事だけど、書いたら書いたまま、そこら辺に置いている書類なので、内容がバラバラで意外と大変。
種類別の書類入れケースをいくつか作って、そこに日付は考慮せずに振り分けていく。
分け終わったら、今度は種類ごとに優先度順に並べ替える。分からない書類は他の人に聞いて教えてもらう。
覚え書きみたいなのもあるし、文字が潰れていて読めないものがあったりするから、中々終わらない。
最初はグラナート侯爵の部屋で彼の書類作業をしていたはずだったのに、噂を聞いた他の研究員が自分のも、と持ってきたことでどんどん書類が増えていったのだ。
お蔭で、仕事をしている! という満足感は得られている。
給料分、働いているかどうかと聞かれると、首を振るしかできないんだけど。
「終わったぁ!」
ようやく終わった書類作業に私は開放感でいっぱいだった。
綺麗に種類別に分けられた書類の山を見て、私は満足している。
「お疲れ様」
集中していたから気付かなかったが、グラナート侯爵も同じ部屋にいたらしい。
慌てて頭を下げると、彼はニコニコと笑いながら私の前にお茶の入ったカップを置いた。
「まさかグラナート侯爵が淹れて下さったのですか?」
「ああ。自慢じゃないが妻によく褒められるほどの腕前だから、安心して飲みなさい」
「自慢じゃないと前置きしつつ、ちゃっかり自慢してるじゃないですか」
「世間話なんてこんなものだ」
しれっとした様子のグラナート侯爵。
相変わらずだなぁと思いつつ、私は侯爵が淹れてくれたお茶を飲んだ。
「美味しいです。ありがとうございます」
「それは、結構。ところで、君は来月、暇か?」
「来月、ですか?」
「暇なら、うちの屋敷に招待したいのだが」
「グラナート侯爵のお屋敷にですか?」
グラナート侯爵が頷いた。
お屋敷に行っても大丈夫だとは思うけど、ここで安易に返事をしたら、またテュルキス侯爵かフィニアス殿下に怒られちゃうよね。
「妻が屋敷でお茶会をするので、君にも来て欲しいらしい。招待状はすでにアイゼン公爵邸に送っている。俺は妻から、フィニアス殿下が握りつぶす可能性があるから、聖女殿にもきっちり話しておくようにと言付かっているだけだ」
「いえ、さすがにフィニアス殿下は握りつぶさないと思いますが」
「あくまでも可能性の話だ。まあ、考えておいてくれ」
用事はそれだけだったのか、グラナート侯爵は部屋から出て行った。
仕事が済んでいたこともあり、お茶を飲み干した後で私も研究所を後にする。
アイゼン公爵邸へ戻ると、私が帰ってくるのを待っていたのか、フィニアス殿下が玄関で待っていた。
「おかえりなさい、ルネ。ちょっと話があるのですが、構いませんか?」
「はい」
もしかしたら、グラナート侯爵家からの招待状の件かもしれない。
あのグラナート侯爵の奥様がどんな方なのか興味があるし、ちょっと行ってみたいと思ってたんだよね。
ワクワクしながら、私はフィニアス殿下の言葉を待った。
「やけに目が輝いているように見えるのですが」
「気のせいです。さ、話を続けて下さい」
不思議そうな表情を浮かべたフィニアス殿下は、では、と言って話し始めた。
「ディアマント侯爵家から、お茶会の招待状が届きましたが、行きますか?」
「可能なら行きた……え? ディアマント侯爵家? グラナート侯爵家ではないのですか?」
てっきりグラナート侯爵家からの招待状だと思っていたから驚いた。
「グラナート侯爵家から? ヘルマン、届いていますか?」
側に控えていたヘルマンさんは、いいえと口にしている。
まだ届いてないのかな?
「グラナート侯爵家から招待状が届いたら、お知らせします。それで、ディアマント侯爵家からの招待ですが、どうしますか?」
どうしますかと聞かれている時点で、断れない相手なんだろうなという察しはついてしまう。
だって、これまでは私に了解なんて求めてこなかったもの。フィニアス殿下が全て断っていた。
なのに、今回聞いてきたってことは、つまり出席した方がいいってことだよね。
「あの、ディアマント侯爵はどのような方なのでしょうか?」
さすがに人となりを知らないのに、行くとは言えない。フィニアス殿下が聞いてくるってことは悪い人ではないのだろうし。
「ディアマント侯爵は国王派の貴族でした。忠誠心の厚い方ですね。悪い噂を聞いたことがありません。実直な方だと私は思っています。侯爵夫人も国王派の伯爵家の出身ですが、割と物をハッキリと仰る方で、人によって好き嫌いが分かれるという感じですね」
何で侯爵夫人のことまで? と思ったけど、貴族のお茶会って基本的に女性の社交の場だよね? あんまり貴族の知識ないけど、日本で漫画とか小説とか見てると、そうだったし。
だから、ディアマント侯爵の人となりよりも夫人の人となりを知っておいた方がいいとフィニアス殿下は口にしたのだろう。
でも、割と物をハッキリと言うタイプか。テキパキしている人なんだろうな。
招待状を送ってきたのだから、私に悪い印象を持ってはいないと思うし。
「出席した方が良いでしょうか?」
「できれば、お願いしたいです。私としてはどこにも出したくはないのですが、聖水とクレアーレ様の件でルネと会いたいという貴族が増えていまして。断るにも限界がきているのが正直なところなのです。ディアマント侯爵家のお茶会にはクリスやエレオノーラ嬢も招待されているようですので、孤立する、もしくは他の出席者から嫌味を言われることはないと思います」
クリス様とエレン様もいらっしゃるんだ!
一人だったら、誰とどういう話をすればいいんだと思ってたけど、お二人が一緒なら一人でポツンとはならないよね。
「でしたら、出席致します」
そう言うと、フィニアス殿下は安心したように微笑んだ。
「助かります。クリスとエレオノーラ嬢には、できるだけルネの側にいてもらうようお願いしますから安心して下さい」
「あれ? フィニアス殿下はいらっしゃらないのですか?」
「女性だけのお茶会ですから、私は招待はされていないのです。不安なら断りますが」
「いえ、クリス様とエレン様がいらっしゃるので不安はありません」
大丈夫ですよ、とフィニアス殿下を安心させたかったのだが、彼はなぜだか複雑そうな表情を浮かべていた。
「お茶会は来月ですので、お茶会用のドレスを作らせますね」
「え? 手持ちのドレスで良いのでは?」
「いえ、作らせます」
えぇ!? まだ袖も通していないドレスがあるよ? 勿体ないよ、考え直してフィニアス殿下!
しばらく私とフィニアス殿下は押し問答をしていたが、フィニアス殿下はまったく引く様子を見せない。
私の意見を尊重してくれるいつもの姿はそこにはなかった。
「……どうして、そこまでドレスを作ろうとするのですか? お金が勿体ないですよ」
「堅実なのはルネの良いところではありますが、時と場合によりますね。理由は簡単です。私がルネに贈りたいのです」
フィニアス殿下の言葉に私の顔が熱くなる。
そりゃ、フィニアス殿下からプレゼントをされたら嬉しいよ。でも、限度ってもんがあるでしょ。
贈る、必要ないと言葉を交わしていると、見かねたのかヘルマンさんが声をかけてきた。
「フィニアス殿下、落ち着いて下さいませ。ルネ様もです。時間も時間ですので、ひとまずこのお話は終わりに致しましょう」
「ですが」
「フィニアス殿下、時間はまだございますので、明日でもよろしいのではないでしょうか?」
「……ええ、そうですね」
冷静になったらしいフィニアス殿下はヘルマンさんの提案をのんだ。
そこで、私はフィニアス殿下と別れて自室へと戻ると、しばらくしてヘルマンさんが部屋へとやってきたのである。
「どうかしましたか?」
「ルネ様、ドレスのお話ですが、どうか頷いては頂けないでしょうか?」
「え?」
中立の立場だと思っていたヘルマンさんに言われ、私は目を見開いた。
驚いている私にヘルマンさんは理由を教えてくれたのである。
「フィニアス殿下は聖女様であるルネ様を保護していらっしゃいます。ルネ様に何不自由ない生活をさせる義務があるのです。手持ちのドレスでお茶会に出席するのは無駄遣いをなさらないルネ様の美徳でもありますが、この場合ですと少々問題がございまして」
「問題ですか?」
「ええ。貴族というのは、お金をかけることが何よりも大事なのです。家の財力を誇示するのに最適なのが夜会やお茶会といった催しになります。大抵の貴族は社交の場に出席する場合、お召し物を新しく作らせます。屋敷に仕立屋の人間が出入りするので、新しく仕立てたのは他の貴族にすぐに分かってしまうのです。今回、ルネ様が手持ちのドレスをお召しになってお茶会に行かれたとします。そうしますと、他の貴族はルネ様のドレスが新しく仕立てられたものではないことに気付くわけです」
でも、一度も見せていないドレスなのだから、馬鹿にされることはないと思うんだけど。
首を傾げていると、ヘルマンさんは更に言葉を続ける。
「これは、フィニアス殿下がルネ様にお金をかけていないと知らせることになりますし、お金をかける価値もない、と主催している貴族を軽んじていると思われてしまうのです。もしくはアイゼン公爵家の家計には余裕がない、領地経営が上手くいっていないと思われてしまいます。つまり、他の貴族からフィニアス殿下が侮られることになるのです」
…………貴族って本当に面倒臭い。
話を聞いた私が最初に思った感想がこれだ。
いいじゃん。ドレスを新調しなくったって、まだ袖を通したことのないドレスなんだからさ。
って、思ったけど、私だってフィニアス殿下に恥をかかせたいわけじゃない。
そういう理由なら、頷くしかないじゃない。
「フィニアス殿下にドレスを新しく仕立ててもらいます」
私の言葉にヘルマンさんは満足そうに微笑んだ。
後日、パステルイエローのドレスと靴、それとダイヤモンドのネックレスがフィニアス殿下から贈られてきたのである。
「無駄遣い感、半端ない。これ総額いくらになるのよ」
「おそらく」
「あ、待って! 聞きたくない! 言わないで」
値段を言おうとしたジルを止めて、咄嗟に手で耳を塞いだ。
聞いたが最後、絶対に着たときに値段のことを考えてぎこちない動きになるに決まっているもの。
ああ、でも、このドレスを着て、お茶会に行くのか。
王妃様とのお茶会は経験があるけれど、正式な貴族のお茶会って初めてなんだよね。
大丈夫なのかな? と不安になりながら、私はお茶会の日を迎えた。