番外編・クリスティーネの怒り
お祖父様がフィニアス殿下とルネの仲を歓迎していないことに気付いたのは、クレアーレ神殿に来てから少し経ったころだったわ。
毎日のように届くルネの様子を問うフィニアス殿下からのお手紙に、何事もなく平和に過ごしていると適当なお返事をしていたから、すぐに分かったの。
そして、どうしてお祖父様がそのようなことをなさったのか、考えるまでもなく私は気付き、同時に苛立った。
惹かれ合う二人の邪魔をする権利はお祖父様にはないというのに!
おまけに、ルネは今、神殿で何者かに命を狙われているというじゃない!
いくらキールやテュルキス侯爵家の密偵が陰から守っていたとしても、命を狙われているのよ? 怖いに決まっているわ。
側にはジルしか味方がいないだろうし。
ああ、どうして私も一緒についていかなかったのかしら。無理をしても侍女としてついていくべきだったわね。
あんなに優しい子の命を狙うなんて、犯人は地獄に落ちるべきよ。
巫女長に文句を言って、ルネを強引にこちらに保護しなければいけないのに!
どうせ、相手がボロを出すのを待つとかいって、ルネを囮にしているのだわ。
自分達で犯人を見つけることができないからって、ふざけないでちょうだい!
考えれば考えるほどにイライラしてきた私は、お祖父様が帰ってきたという報告を受けてすぐにお祖父様の部屋へと向かったの。
引き留めようとする侍女に耳を貸さずに、私はお祖父様の部屋にノックもせずに足を踏み入れた。
「……騒がしいぞ。身内でも礼儀はちゃんと」
「フィニアス殿下にルネの現状を報告すべきです」
お祖父様の言葉に被せるように私は鼻息荒く告げた。
呆れたようにため息を吐いたお祖父様は、冷めた視線を私へと向ける。
「陛下には報告しておる。フィニアス殿下の仕事の邪魔をすることはできん。あの娘が危険と分かれば、無理をしてこちらに来てしまう。それをされては困るのだ」
「王家がルネを守ると契約を交わしているのでしょう? これは契約違反なのでは?」
「陛下からあの娘を守るよう命じられて、周囲に密偵を忍ばせておるではないか。よって、ちゃんと王家があの娘を守っておる」
うぅ。確かに、陛下も王家の方だわ。フィニアス殿下がルネを守るだったら、なんとかなったのに。
「だとしても、フィニアス殿下が保護しているのですから、フィニアス殿下にルネの状況を報告する義務があります」
「犯人の目的がフィニアス殿下かあの娘か分からん以上、報告はできん。そんなことをすれば、フィニアス殿下は仕事を放ってこちらに向かう。それでは犯人の思う壺だ。全てを報告するのが主のためになるかというとそうではない。それにあの二人は、距離を置いて頭を冷やしてもらわねば」
「……お祖父様は、そんなにルネとフィニアス殿下が恋仲になるのが嫌なのですか? ルネがお祖母様と同じ平民だから?」
お祖父様を見据えて口にすると、ハッと息を飲んだのが分かった。
やはり、私の考えは当たっていたようね。過去に囚われているなんて、お祖父様らしくないわ。
続けて、喋ろうとしていると、背もたれに体を預けたお祖父様がゆっくりと口を開いた。
「この国の貴族は、自分達こそが尊い存在であると思い込んでおる。だから、平民を下に見て馬鹿にする。あの娘を貴族に準じるといっても、元々は平民。あの娘が王弟妃になっても、貴族は敬うことなどせん。陰口を叩き、あの娘に嫌がらせをし、社交界から排除する」
「……お祖母様にしたように?」
不愉快そうに眉を寄せたお祖父様は、小さな声で「そうだ」と口にした。
当時のことを思い出したのか苛立っているようにも見えるわ。
お祖父様の奥様、つまり私のお祖母様は平民だった。
結婚当初から貴族達に嫌がらせをされ、社交界から排除され居場所を奪われたのよ。
お祖母様はそうしたことから徐々に心が弱っていって、寝込むことが多くなり、病で亡くなったのだと聞かされた。
お父様は、そういう経緯を御存じだから昔から貴族が嫌いで、同じように貴族を嫌うお母様と結婚し、跡継ぎとして私を産んだ後に二人で国を出て行った。
ああ、これはまったくの蛇足だったわね。
ともかく、元は明るく体を動かすことが大好きで、慈愛に満ちたお祖母様から笑顔と命を奪ったことをお祖父様は後悔している。
そういえば、ルネはどことなく雰囲気がお祖母様に似ているって、あの子を見た家の侍女が口にしていたわね。
……まさかね。いくらなんでも、あのお祖父様がルネとお祖母様を重ねてみているなんてことないわよね。
と思いつつ、私はその疑問をお祖父様にぶつけてしまった。
「ルネはお祖母様ではありませんよ?」
途端に目を見開き、言葉を失うお祖父様。
まさかの予想が当たってしまい、私も驚いてしまったわ。
「呆れた。そのような理由で二人の邪魔をなさっていたのですか?」
「そのようなとはなんだ! お主は貴族の汚さを知らんのだ」
「いいえ、よ~く存じておりますわ。私はこの性格のせいで、陰口悪口言われ放題でしたからね。まともな貴族の方が少ないことを存じております」
「だったら、そのような世界から遠ざけるのが大人の仕事だ」
結果、どうなったのかを御存じだからこそ、危険から遠ざけたいのね。
つまり、お祖父様はルネを嫌ってはいないということでしょう? 守ってあげたいと思っているから、そういう考えになるのよね。
できれば味方になってもらいたいわ。ルネを守る装備が多ければ多いほど良いもの。
「ルネとお祖母様とでは状況がまるで違います。お祖母様にはお祖父様くらいしか味方がおりませんでしたから、なおさら追い詰められてしまったのです。ですが、ルネにはフィニアス殿下がおります。王妃殿下もいらっしゃいますし私もおります。ジルヴィアが、キールが、アイゼン公爵邸の使用人がおります。あの子にはこれだけ味方がおりますのよ? どこの馬鹿な貴族が口を出してきても守りきれます。守りきってみせます」
力強く言ってのけると、お祖父様はグッと唇を噛みしめている。
あと、もう少し。あともう少しでお祖父様が味方になってくれる。
「大体、ルネが大人しく言われっぱなしになるとお思いなのですか? 騎士に言い返すような子ですよ? 助けがくるのを待つような子じゃないでしょう? 振り下ろされる剣に向かっていった子ですよ? 何かをしでかすのがルネです。巻き込まれるのが私達です。あの子は規格外なのです。こちらの予想をはるかに超えることをやってのける子です。お祖母様と同じ結果にはなりえません。きっと真っ向から貴族に向かっていくに決まっています。だから、お祖父様」
一度、話すのを止めて、私は大きく深呼吸をする。
「私達と一緒にルネを止めるのを手伝って下さい」
……あ、間違えたわ! 一緒に守ってって申し上げようとしていたのに、私ったら!
ああ、でも、似たようなものよね。意味は通じたと思うからいいわよね。
で、お祖父様はどうかしら? 落ちてくれたかしら?
私が様子を窺うと、お祖父様はしばらく呆けた後で困ったような微笑みを浮かべた。
これは力を貸してくれるということよね! と私も満面の笑みを浮かべる。
「お主ら子供達に任せておいたら、暴走して大変なことになるのは目に見えておる。軌道修正する役を負う大人が必要だな」
「つまり?」
「ルネを止めよう。ついでに馬鹿な貴族から守ってやろうではないか」
「ありがとうございます、お祖父様!」
駆け寄った私は、お祖父様に飛びついた。
もう結構な年のはずなのに、相変わらず私が飛びついたくらいではびくともしないのね。
「十七にもなって、はしたない。もう少し落ち着きを持ちなさい。お主は次期テュルキス女侯爵となる身なのだから」
「今だけです。あと何回、お祖父様に抱きつけるか分からないのですから、大目に見て下さいな」
「さり気なく失礼なことを申すでない。フィニアス殿下のお子を見るまでは死なんわ」
冗談っぽく仰っているけれど、お祖父様ならその通りになりそうね。
「ちなみにフィニアス殿下のお相手は?」
「ふんっ。言わずとも分かっておろう。まったく、貴族の習慣や礼儀作法など教えることは山のようにあるわ。それに、色々と諦めてもらわねばならんこともあるし、そう簡単にはいくまい。よって、フィニアス殿下には相当頑張っていただかねばな」
やったわ! お祖父様がフィニアス殿下とルネの仲を認めて下さった。
色々と諦めてもらうことが気になったけれど、今はお祖父様を味方にできたことが何よりも嬉しい。
「じゃあ、フィニアス殿下にルネの現状を報告」
「それはならん」
「どうしてですか!」
「二人だけで気持ちが盛り上がっているだけという可能性もあるから、少し距離を置いてもらわねば。それでも好きだと仰るのなら、一過性の気持ちではないということ。後々、気持ちが冷めて不仲になってしまわれては困るのでな。それに、フィニアス殿下のことだ。死にものぐるいで仕事をこなしておられるだろう。予定よりも早くこちらにいらっしゃるに違いないだろうから、そのときに報告すればよい」
そういうものなのかしら?
まあ、でも、折角お祖父様が味方になって下さったのだし、多くを望んではいけないわね。
さ、フィニアス殿下。早く仕事を終わらせてクレアーレ神殿までいらして下さいな。