23・打ち上げ
あれから噂が噂を呼び、ついにエルノワ帝国を初めとする諸外国からも注文がくるようになってしまった。
さすがに他国に売ることはまだできないので、断ってもらっているが、ここまで反響があるなんて予想以上である。
国内だけの販売だったが、それだけでも売上は半端なく売上の半分が国に入るということもあり、陛下は物凄く上機嫌だったという。
一部がシュタール侯爵家にも入るらしく、エレオノーラ様は、お金が定期的に入ってくるのです! と目を輝かせていた。
私の貯金も順調に貯まっているので、すごく嬉しい。
ということで、聖水の好調な売り上げを記念して、フィニアス殿下のお屋敷で食事会が開催されることとなった。
テュルキス侯爵、シュタール侯爵を初めとする聖水製作に携わった方々を招待して、和気藹々といった雰囲気である。
食事が終わり、大人組は別室で酒を飲みながら話をするということで、子供達はその場に残りお茶とデザートを食べていたところ、クリスティーネ様から声をかけられた。
「ルネは、あちらに混ざらなくて良かったの? 私達は未成年でお酒が飲めないから残っただけよ?」
「主役はルネさんなのですから。貴女とお話ししたい方もいらっしゃるのではないかしら?」
「食事の際にお話ししたので大丈夫だと思います。私はクリスティーネ様やエレオノーラ様とお話ししたかったので」
この世界じゃ、もう成人していてお酒も飲めるらしいけど、やっぱり二十歳になるまではと思ってしまう。
それに、クリスティーネ様やエレオノーラ様と話をしたいっていうのは嘘じゃないもの。
私が二人を交互に見ていると、クリスティーネ様は顔を真っ赤にさせ、エレオノーラ様はうふふ、と優雅に微笑んだ。
「エレン」
「へ?」
「でしたら、私のことはエレンと呼んで下さいな」
優雅に微笑んだまま言われた台詞に、私は一瞬何を言われたのか理解できなかった。
「それとも、私のことは愛称で呼びたくないと仰るの?」
「とんでもございません! ありがたいことだと思っております。光栄です!」
「じゃあ、私のことは、これからエレンと呼んで下さいね。さ、呼んでみて下さい」
こちらの反論を聞くつもりはないのか、エレオノーラ様は急かしてくる。
呼んで下さいと言われると、恥ずかしくなるのは何でだろう、と思いつつ、楽しそうに呼ばれるのを待っている彼女を見て、私は口を開く。
「エレン様」
エレン様は、それそれは綺麗な笑みを浮かべていた。
私の勘違いでなければ、とても嬉しそうに微笑んでいる。
エヘへと笑った私とエレン様が見つめ合っていると、クリスティーネ様が身を乗り出してきた。
「ちょ、ちょっと! エレオノーラ様ばかりずるいです! ルネ! 私のこともクリスと呼ぶのよ! 良い?」
「えぇ!?」
何の対抗意識なんですか!
「エレオノーラ様を愛称で呼ぶのであれば、エレオノーラ様よりも付き合いの長い私のこともクリスと愛称で呼ぶべきだわ。そうでしょ、ジル」
「その通りです。ついでに私のことはジルとお呼び下さい」
「ちょっと、ジル! 何どさくさに紛れて自分を愛称で呼んでもらおうとしているのよ!」
「流れに身を任せてみた結果よ」
しれっとジルヴィア様が口にすると、クリスティーネ様は悔しそうに歯ぎしりしている。
その様子を見たエレン様は楽しそうに目を細めて笑っているし。
なんか、私を取り合って争っているように見えてしまっていたたまれないんだけど、私の考えすぎ?
ああ、でも、二人を止めないと。
「分かりました。分かりましたから。クリス様のこともジルさんのことも愛称で呼ばせていただきますから」
クリス様と愛称で呼んだ瞬間、彼女が満面の笑みを浮かべる。
対して、ジルさんはむぅと口を尖らせていた。
「ルネ様。私のことはジル、と呼び捨てでお願い致します。使用人だということをお忘れではありませんか?」
「貴女もたまに使用人だってことを忘れているじゃない」
「クリスは黙ってて」
「ほら、それよ、それ」
また、始まってしまった。
本気で言い合ってないって分かっているけど、心臓に悪い会話だ。
エレン様も驚いているに違いないと思い、見てみると、彼女がボソリと「羨ましい」と呟いた。
今のは、どういう意味なんだろうか。
問いかけようとしていると、ジルさんから呼ばれてしまう。
「何?」
「ですから、私のことは呼び捨てにして下さい、と申し上げました」
「……慣れるまで時間がかかると思うけど、頑張るよ」
答えると、ジルさん、じゃなかった、ジルが嬉しそうに微笑んだ。
その綺麗な笑みに私は一瞬ドキリとしてしまう。
美少女の笑顔は心臓に悪いよ。ホント。
私が一人で狼狽えていると、部屋にシャウラがやってきて、部屋の準備ができましたと声をかけてきた。
遅い時間なのかと思い、時計を見てみると、日付が変わりそうな時刻になっていた。
これは早く寝ないと、明日寝坊してしまう。
今日は、クリス様もエレン様も屋敷に宿泊することになっているので、使用人に連れられていく二人を私は見送って、ジルを連れて自室へと向かった。
「……ルネ?」
聞き慣れた声に私は振り返ると、予想通りフィニアス殿下が立っていた。
「どうかなさいましたか?」
フィニアス殿下は大分酒に酔っているのか、いつもよりも目尻が下がっているし、少しばかり体が左右に揺れている。
どうしてお付きの人が誰もいないのか不思議だと思っていると、ジルが気を利かせたのかそっとその場を離れて行った。
「ああ、ルネ……」
近寄って来たフィニアス殿下は、私の頬を両手で包み込む。
やけに酒くさい。ものすごくお酒くさい。これは相当酔っている。
「フィ、フィニアス殿下?」
ここまで近づかれるのは滅多になかったので、フィニアス殿下を至近距離で見ることになり、私は狼狽えてしまう。
でも、彼は私の反応を気にしていないのか、上機嫌である。
「聖水が、うまくいってよかったですね。これで、国内の貴族が、貴女を侮ることはなくなりました。聖女として、名が知れたということです。貴女が、この国で過ごしやすくなったことが、わたしはなによりもうれしい」
「私もお役に立てることができて嬉しいです」
フィニアス殿下は微笑みながら、私の頬を優しく撫でている。
酔っていて表情が色っぽいこともあり、私はまともにフィニアス殿下の顔を見ることができない。
多分、今の私は顔が真っ赤だと思う。
「ああ、いいゆめですね」
ん?
「ゆめでも、ルネに会えるなんて」
相当酔ってると思ってたけど、泥酔レベルじゃないですか!?
殿下って泥酔するとこうなるの? なんて心臓に悪い酔い方をするのよ!
私がワタワタとしていると、フィニアス殿下の顔が近づいてきていることに気が付いた。
「フィ」
声を出そうとしたけれど、真剣な彼の表情を見て、思わず私は黙ってしまった。
そのまま、フィニアス殿下の顔が徐々に近づいてきて、恥ずかしくて私はギュッと目を瞑る。
少しして、こめかみの辺りに柔らかい感触があり、同時に軽いリップ音が聞こえた。
え? と思い、私が目を開けると、満足そうに微笑むフィニアス殿下と目が合う。
ゆっくりと顔を離した彼は、大事なものを扱うかのように優しく私の頬を撫でた。
「フィニアス殿下」
フィニアス殿下の背後からテオバルトさんの声が聞こえ、驚いた私は体を震わせる。
「ルネもいたのか」
フィニアス殿下の陰に隠れていた私に気が付いたテオバルトさんは、意外そうな声を上げた。
だけど、さっきの衝撃で私はまともに返事をすることができない。
「フィニアス殿下、フラフラではありませんか。部屋に戻りましょう」
私の様子がおかしいことに気が付いていたはずなのに、テオバルトさんは泥酔したフィニアス殿下の方が気になるらしく、彼の背中を押して部屋まで連れて行こうとしている。
「ルネも早く部屋に戻りなさい」
最後にお小言を忘れず、テオバルトさんとフィニアス殿下は立ち去って行った。
私は呆然と床を見ていたけれど、先ほどのこめかみへのキスを思い出し、一気に顔が熱くなる。
両手で顔を覆いながら、私はその場にしゃがみ込んだ。
「なにあれ、なにあれ、なにあれ!」
誰かに聞かれるかも、ということは考えられずに私は大声を出した。
あんなの反則だ。ずるい。
明日からどう接すればいいのよ!
「うぅ……。恥ずかしいけど嬉しいとか、末期じゃん」
どうしようもないなぁ、と私が顔を上げると、冷めた目でこちらを見ているテュルキス侯爵と目が合い、一気に血の気が引いた。
「ちがっ! 違うんですよ! 今のは誤解です! 何もありませんでした!」
立ち上がり、言い訳を口にしてみるけれど、テュルキス侯爵の表情は変わらない。
ちょっと待って、どこから見られてたの!?
「まるで浮気を見られたときの反応ではないか。まあ、こめかみに口付けされたのだから、あのように混乱するのも致し方あるまい」
「ぎゃ~!」
そこを見られてたの!?
テュルキス侯爵は、混乱している私を見て呆れたようにため息を吐いた。
「心配せずとも、責めん。あれはフィニアス殿下が悪い。一目瞭然だ」
「あれ? 前に身分を考えろとか仰ってませんでしたっけ?」
「申したな。だが、人の考えなど時間が経てば変わる。それに今のは、お主に非はない。あるとすれば、たまたまここを通ってしまったことだけだ」
「はあ」
てっきり怒られるとばかり思っていたから、拍子抜けしてしまう。
「フィニアス殿下にも困ったものよ。泥酔するとああなるのだ。翌日は記憶をなくすのだから、どうしようもない。普段はあそこまで酔わないように自制しておったのだが、自宅ということで破目を外してしまったのだろう」
「……覚えてない」
「左様。覚えてはおらん。よって、明日は普通に接してくるだろうが、お主も狼狽えたりせずに普通に接することだ。余計なことを申して火傷したくはなかろう」
「……はい」
いや、まあ、明日からどう接したらとか思ってたから覚えてないんなら助かるんだけど、少しだけ残念だとも思ってしまう。
…………何で残念だとか思うのよ! なかったことにできるんだから良かったじゃない!
うん。いいのよ、これで良かったのよ。
ガッカリなんてしてないから!
「コロコロと表情が変わる娘だな」
「それは言わないで下さい」
「まあ、良い。夜も遅いから、早く寝なさい」
そういえば、日付が変わりそうだからって部屋に戻ろうとしていたんだった。
すっかり日付は変わってしまっている。自覚したら瞼が重くなってきた。
テュルキス侯爵に挨拶をして、私はタイミング良く戻ってきたジルと共に部屋へと戻った。
着替えてベッドに入ったけど、さっきのことを何度も思い出してしまい、中々寝付くことができない。
「……どうしよう。もう戻れないかもしれない」
これ以上好きにならないようにと思っていたのに、台無しだ。
召喚された当初は、早く帰りたくて仕方がなかった。
お父さんとお母さんに会いたいという気持ちが勝っていた。
だけど、今は半々。どちらかというとフィニアス殿下の方に傾いている。
なんて親不孝な娘なんだろう。
でも、今も帰りたいと思う気持ちはある。
ただ、帰れるよ、という状況になったら、悩んでしまうようになっただけ。
帰りたい、帰りたくない、親に会いたい、フィニアス殿下の側にいたい、というようなことを考えていたら、気付いたら私は眠ってしまっていた。
翌日、フィニアス殿下は本当に昨日のことを覚えてはいなかった。
いつもと同じように接してきたので、安心したけれど、やっぱりどこかでガッカリもしていた。