22・聖水の効果と商品化
31日まで毎日更新して2章は終わりです。
6月3日から週一更新に戻ります。
こうして一ヶ月の間、私は屋敷と王城を行き来していたんだけど、グラナート侯爵はエルツと魔術式とグリュー織りを何とか組み合わせようと他の研究者達と忙しそうにしている。
暇だったので、彼に許可を取って私は部屋の掃除や簡単に書類をまとめたりなど事務作業をしながら過ごしていた。
同時に屋敷で聖水を飲んでくれた人達の様子も見ていたら、飲むのを止めた人が聖水に依存することもなく、普通に仕事をしているようだった。
これで安全だということが分かり、販売に向けた話し合いを王城で行うことになったの。
ようやく前進したことに私は期待に胸を膨らませながら、話し合いをする場所へと向かった。
「我が家でも依存性は見られなかったわ。お祖父様は渋い顔をしていたけれど、了承して下さったから、このまま商品化できるわよ」
思わず、私がテュルキス侯爵を見ると、彼は眉を寄せて不機嫌そうにしていたが、こちらに文句を言ってくる気配はなかった。
「これで、反対する方もいなくなりましたし、ようやく商品の話ができますね」
上機嫌のエレオノーラ様は、近くにいた身なりの良い男性に命じてテーブルの上に色々な物を置き始める。
「こちらはマッセル商会に頼んで持ってきてもらいましたの。フリッツ」
テーブルに色々な物を置いていた男性が手を止めて立ち上がる。
どうやら、彼がフリッツさんのようだ。
「彼はマッセル商会の幹部で、うちの執事の親族なのです。ですから、色々とお願いを聞いて下さるの」
ホホホとエレオノーラ様は笑っているが、フリッツさんは困ったような笑みを浮かべていた。
「マッセル商会のフリッツと申します。どうぞお見知りおきを」
「瑠音・堂島と申します。王都までご足労いただきありがとうございます。馬車でお越しになったのですよね? 私も数日馬車で移動をしたことがありますが、ずっと振動がくるのでお尻が痛くなるし大変でした。フリッツさんは大丈夫でしたか?」
「お気遣いの言葉、痛み入ります。ですが、馬車の移動には慣れておりますので」
フリッツさんはそう言っているが、なぜだか笑いを堪えている。
「どうかなさいましたか?」
「いえ、エレオノーラ様から伺った以上の方だと思いまして。あ、悪口ではございませんよ? ただ、貴女の持つ空気にあてられて、ついつい本音を漏らしてしまうのだと」
「本音を……。え~と、自覚はないのですが、できれば喉元で留めて置いて下さい。秘密の話を伺ってしまったら大変なので」
私の言葉にフリッツさんは耐えられなくなったらしく、大声で笑い始めてしまった。
どこがツボに入ったのだろうかと思っていると、エレオノーラ様が彼に声をかける。
「フリッツ。ルネさんに対して失礼ですよ」
「……申し訳ございません」
何度か咳払いをしたフリッツさんが、私に頭を下げてきたので、慌てて気にしていないと首を横に振った。
「馬鹿にされて笑われたわけではないと存じておりますから、気にしておりません。大丈夫です」
「聖女様の優しさに感謝致します」
「え~と……。そうだ! この瓶はとても綺麗ですね。手にとってみてもよろしいですか?」
話題を変えようとして、私は目についたガラス瓶を指差した。
フリッツさんに了承をもらい、テーブルに置かれたガラス瓶を手に取る。
丸みをおびたガラス瓶。金属で装飾されており、まるで香水の瓶のよう。
「……綺麗ですね」
「さすが聖女様。お目が高いですね。そちらは、シュタール侯爵領の職人が作ったものです。彼はシュタール侯爵領で一番の腕でして、国内外問わず高値で取引されております」
「そんなにすごいのですか!?」
割れたら怖い! と思い、私はゆっくりと手に持っていたガラス瓶をテーブルに置いた。
そんな私の姿を見て、エレオノーラ様がクスクスと楽しげに笑っている。
「そちらの瓶がお気に召したのであれば、そちらに聖水を詰めて販売致しますか?」
「簡単にお決めになってよろしいのですか?」
「提案されたのはルネさんですもの。最終決定権は貴女にございます。私共は選択肢を与えるのみ」
うっ。急に胃が痛くなってきた。責任重大だよ。
「……ありえないものを選んでしまうかもしれませんよ?」
「あら、ご心配には及びません。私がその様な物を持ち込むはずがありませんもの。どの組み合わせにしたとしても、商品として売り出せる組み合わせになるように選んでおりますから」
うふふふふ、とそれは楽しそうにエレオノーラ様が笑っている。
そうですよね。エレオノーラ様が持ってきた物にセンスのない物なんてありませんよね。
なんだか、ちょっとだけ気が楽になった。と、同時に先ほど手にとって瓶をジッと見てみる。
割と派手なデザインで女性は好きそうなのだが、男性はどうだろうか。
こちらの男性と私のいた世界の男性が好むものに差がないのであれば、ああいう凝ったデザインのものは敬遠されてしまうかもしれない。
「私が気に入ったのは、この瓶ですが、少々女性向けのデザイン……じゃなかった、模様ですよね。性別問わずに売るのでしたら、もう少し質素なものの方が良いのではないかと思うのですが」
「ああ、そうですね。確かにルネさんの仰る通り、男性にはあまり好まれないかもしれません。すっかり男性の顧客がいるということを失念しておりました。フリッツ、他に瓶を持ってきてはいないのかしら?」
「少々お待ち下さい」
一旦部屋を出て行ったフリッツさんが、箱を持って帰ってきた。
「これと……これなんかいかがでしょうか?」
テーブルに並べられたガラス瓶を一目見て、私は菱形のものに目が釘付けとなった。
「……その菱形のガラス瓶にします」
「こちらですね。承りました」
「ああ、フリッツ。陛下から許可を得ておりますから、王家の紋章をいれて頂戴ね。瓶の底と蓋の部分に入れるように。さて、入れ物が決まったところで、どう売り出すかという話になるのですが、ルネさんは何か案がございますか?」
顎に手を当てて私は考え込む。
ターゲットは二十代以上の貴族全員。偏見だけど、お金持ちは財布の紐が堅いイメージがあるから、そう簡単に買ってはくれないだろう。特に何百年と歴史のある家って保守的だと思うから、新しい物にお金を出そうとするとは思えない。
大体、聖女が分解した水と謳ったところで、見てもらえるかどうかも怪しい。
知名度はあると思うけど、聖女に対する信頼はそこまでないということを考えると、私の名前を出すよりは、王家のお墨付きという面を表に出した方がいいと思う。
あと、効果を宣伝してくれる人が必要だよね。漠然と精神を安定させる効果があるとかじゃなくて具体例をあげた方が食いつきはいいよね。
「奥様の癇癪にお困りの旦那様や、すぐにカッなる旦那様をお持ちの奥様に対して、気持ちを穏やかにしてくれる効果があるからと無償で提供してみて、効果を実感してもらってはどうでしょうか? そこで効果があると分かれば、継続して購入頂けるでしょうし、口コミで広まると思うのですよ」
最初からお金を払うのは抵抗があると思うけど、お試しで渡されたらダメ元で使ってみようと思うよね。
王家のお墨付きでテュルキス侯爵とシュタール侯爵が協力しているってなったら、変なものではないと安心してくれるだろうし。
とにかく、飲んでくれないと話にならないなら、一回目は無償で提供した方がいい。
「ということですが、テュルキス侯爵、お父様、いかがでしょうか?」
静かに私達の会話を聞いていた二人は渋い顔をしていた。
はぁ、と息を吐いたテュルキス侯爵が口を開く。
「案としては悪くない。怒りっぽい奥方にお困りの貴族やすぐにカッとなる貴族に数名心当たりがある。男性については声をかけることはできるが、奥方に関しては儂から声をかけることはできん。シュタール侯爵はいかがかな?」
「テュルキス侯爵と同じく、ですな。妻に頼むことができれば一番なのですが、今は病気療養中でして」
「でしたら、まずは男性に声をかけて試してもらいましょう。二、三人ほどお願いします。人数が揃ったらお渡しする形に致しますので」
そう言って、エレオノーラ様が話を締めようとしていると、シュタール侯爵が手をあげた。
「聖女殿は、聖水をどのくらい生産し販売しようと思っておられる」
「まずは二十本限定で販売しようと思っています。最大でも週に七十本。ですからこれまでと変わらないですね」
「少なくはないか?」
「いいえ。人間というのは限定という言葉に弱いのです。大量生産しても買って下さらなかったら大量の在庫を抱えることになるので。それに最初は無償で提供する形ですから、あまりお金はかけない方がよろしいかと。あとはクレアーレ神殿の水が涸れてしまうのも困るので」
「なるほど」
「おまけに、飲むことによって効果が持続するとなれば、お試しで渡した方が常連になって下さる可能性が高いのです。ですので、まずは二十本。常連が増えてきて新規のお客様が手に入らないという状態になったら本数を増やしていこうと思っております。どうでしょうか?」
この案を了承してくれるだろうかと不安に思いながら、私はシュタール侯爵に尋ねる。
彼は顎を触りながら、ふむ、と言いつつ考え込んでいた。
「失礼だが、聖女殿は商いというものをよく御存じのようだ。その案でいくことにしよう」
了承を得られ、私はホッと胸を撫で下ろした。
まあ、全部テレビの受け売りなんですけどね。人生、何が役に立つのか分かんないよね。
なんてことは言えるはずもなく、値段の話やどうやって販売するかという話をして、中間報告は終わった。
そうして、テュルキス侯爵やシュタール侯爵が声をかけてくれた貴族の皆様に試供品を提供してみたところ、長年続いていた奥様のヒステリーが治まったり、軽減したりと効果があったらしい。
長年のヒステリーにほとほと参っていたある貴族の人が、聖水は本当に効果があると宣伝してくれたお蔭でありがたいことに申し込みが殺到している。
しばらくは二十本でいくという話だったが、お客様の多さに急遽五十本に増やすことになった。
「じゃあ、これでお願いしますね」
「いつもありがとうございます」
「いえ、皆さんもお仕事、頑張って下さいね」
失礼します、と声をかけ、私は護衛を連れて聖水製作所を後にした。
「これは聖女様。お帰りですか?」
途中で私は貴族に呼び止められる。
ええ、と答えながら、この人も聖水の話をするのだろうなと予想した。
実は聖水を販売してからというもの、こうして私に声をかけてきてくれる貴族が増えたのである。
聖女が不純物を分解したクレアーレ神殿の水だと最初から言ってあったお蔭で、私の評判も上がっているのだ。
貴族から好意的に見られるのは嬉しいけれど、聖女として認知されていることがむず痒い。
聖女らしいことをしなければいいと思っていたけど、こんなことで聖女としての知名度を上げてしまうなんて、と思いながら、私は貴族との会話を終わらせた。