21・王城にて打ち合わせ
グラナート侯爵にフィニアス殿下も一緒に研究所に伺いますよ、と手紙で伝えた二日後。
次の分の聖水を作るのとクリスティーネ様やエレオノーラ様から報告を聞くため、そしてエルツ研究所でお話するために私は護衛騎士を連れてフィニアス殿下と共に王城へと向かった。
フィニアス殿下と一緒のためか、会った人が頭を下げてくる中、エルツ研究所のグラナート侯爵の部屋に到着する。
部屋を開けた私の目に、色んな書類やら研究で使われている機材が床やソファに無造作に置かれている状況が飛び込んできた。
ちょっとは片付けましょうよという気持ちが、なるべく表情に出ないよう気を付けながら、私は部屋に足を踏み入れる。
「グラナート侯爵。瑠音です」
声をかけると、グラナート侯爵が面倒臭そうに顔を上げた。
「来たのか。そこに座ってくれ……と、フィニアス殿下もご一緒でしたか」
「一応、お知らせはしたと思うのですが」
「見ていなかったのでしょうな」
まったく悪びれる様子もないグラナート侯爵の台詞にフィニアス殿下と私は苦笑いでソファに腰掛ける。
その様子を気にする素振りも見せず、彼はソファに腰を下ろすと私と目を合わせた。
「さて、ではお話を聞かせてもらえるかな」
「お話と仰っても、何からお話しすればよいのか」
「では、こっちの質問に答えてもらおうか」
「承知致しました」
グラナート侯爵が何を聞きたいのか分からないし、質問に答える形にしたほうがいいよね。
何を聞かれるのか待っていると、少し考え込んでいたグラナート侯爵が口を開いた。
「聖女様の世界には魔法というものはあったか?」
「ありません。それと聖女様というのは、できれば止めて頂きたいのですが」
「では、ルネと呼ばせてもらう。次の質問だが、魔法がないのにどうやって生活をしていたんだ。火を熾すのにも苦労するのでは?」
「昔は火打ち石を使ったりして火を熾していましたけど、今はガス……火が引火する道具を使っていたり、火ではなく電気を使って熱することができるので」
「がす、でんき……。知らない言葉だな」
そっか。魔法で火をつけるのは初級中の初級らしいし、わざわざ他の方法で火を熾そうとは思わないか。
「えっとですね。火を熾す道具が私の世界にはあるんです。色んな部品を組み合わせて作られているんですよ。他にも冷たい風や温かい風が出る道具、馬がいらない乗り物とか、色々あります」
「なるほど、非常に興味深い。魔法がない分、それを補うために、そういう知識が発達しているということか」
「それはあると思います。より便利になるようにと、どんどん発達していきましたから」
逆に、それいるの? っていう機能がついている家電とかもあるけどね。
グラナート侯爵は私の話を興奮しながら聞いている。
知らないことを知りたいと思うのはどこの世界の研究者も変わらないらしい。
「実に興味深い話だ。特に馬のいらない乗り物に興味を引かれるな。こちらでも作ることは可能だろうか?」
「私の世界では車と呼ばれていましたが、車を動かすための燃料と動力源がまず必要になります。どういう仕組みで動いているのかは私も詳しくはないので存じ上げないのですが」
「詳しく知らないのか……。では、そのくるまと呼ばれるものは無限に走ることができる乗り物か? 限界があるとしたら、どれくらいの距離を走ることができる?」
「燃料さえあれば、壊れない限りはほぼ無限に走れるはずです」
グラナート侯爵とフィニアス殿下は同時に驚きの声を上げた。
「ああ、何とかして、そのくるまというものを作れないものか……」
「移動が楽になりますからね」
お二人が車に想いをはせているのを見た私は、テュルキス侯爵の言葉を思い出してハッとする。
これって世間話の範疇だよね、と思い、私は話題を変えようと口を開く。
「今のお話ですが、何か参考になりましたでしょうか?」
「参考というか、色んな部品を組み合わせるというのは、なるほどと思ったな。今はひとつの魔術式のみを組み合わせているが、複数の魔術式を組み合わせてみても面白いかもしれない」
ああでもないこうでもない、とグラナート侯爵がブツブツ呟き始めた。
どうやら研究者モードに入ってしまったらしい。
こうなったら、こっちの話は聞こえないかもしれない。
それにしても、複数の魔術式を組み合わせるか……いっそグリュー織りと組み合わせてみるのはどうだろう? と思っていると、隣に座っていたフィニアス殿下から声をかけられた。
「ルネは何か案が浮かびましたか?」
「案、というか、ちょっと思い浮かんだことはあるのですが、テュルキス侯爵から提案をするなと言い付けられているので」
「あの人らしい台詞ですね。ですが、もしかしたら面白い案かもしれませんし、言うだけ言ってみてはどうです? 採用するかしないかはグラナート侯爵や他の研究者が決めることですし」
確かに、言うのはタダって言葉もあるし。
そんなに大事にはならないはずだよね、と思い、私は思い浮かんだことを伝えた。
「エルツと魔術式とグリュー織りの糸を組み合わせる、ですか」
「さっきグラナート侯爵が複数の魔術式を組み合わせると仰っていたので。グリュー織りは魔力を通す糸で織られているんですよね?」
「まあ、そうですね」
「ですから、組み合わせ次第で相乗効果で上手くいかないかと思いまして」
「なるほど……。議論する価値はありそうだな」
ふむ、と言いながらグラナート侯爵が考え込んでいる。
さっきまで自分の世界に入っていたから聞いているとは思わなかった。
「いや、ルネは異世界の人間だけあって、面白い意見を持っているな」
「ありがとうございます」
「すぐに、今の話を他の研究者達に伝えてこよう。と、いうことで、今日はこれで終わりにしようと思うが、良いか?」
「それは、構いませんが。あの、あまり大事になるのは」
「大事になるかならないかは、これからの話し合い次第だ。では、失礼致します」
「期待していますよ」
グラナート侯爵は、こちらに頭を下げると足早に部屋を出て行った。
研究のことになると、彼は行動が早くなるみたい。
まだお昼には早いけど、この後はどうしようかな、とフィニアス殿下を見ると、彼もどうしようかと思っていたのか困ったような表情を浮かべていた。
けれど、私が見ていることに気付いた彼は、すぐに笑みを浮かべる。
「こうなってしまったら仕方がありませんね。少し早いですが、昼食にしましょうか」
「……そうですね」
「庭園に用意するよう命じているので、準備は終わっているでしょう。行きましょうか」
「え? 庭園で昼食を頂くのですか?」
あそこは通路が近くにあるから、二人で食べているとかなり目立つと思うんだけど。
寵愛されているとかいう噂もあるし、あまり私と一緒にいるところを見られるのは良く無いんじゃ。
「どうせなら、綺麗な景色を見ながら食べたいじゃありませんか。さあ、行きましょう」
やや強引な感じで、私はフィニアス殿下に連れられ庭園へと向かった。
護衛の騎士が一緒にいるのに、すれ違う貴族や使用人達がこちらを見てヒソヒソと何かを話していた。
「程度の低い人間を相手にすることはありません」
なんというか、フィニアス殿下ってたま~に毒舌になるよね。
お蔭で、この人は優しいだけの人じゃないって再確認させられて、我が儘を言わないようにしなくちゃって気になるから助かるんだけど。
「ルネがどれだけ素晴らしい女性かを知っている人は沢山いますからね。私は、あのようにヒソヒソと話をする奴らが可哀想でなりません」
「どうして可哀想だなんて」
「ルネが人に誇れるような女性だと彼らは知らないのですから。可哀想だと言いたくもなります。狭い視野に拘るなんて愚かなことですからね」
そう言って、フィニアス殿下がヒソヒソと話をしていた貴族達に向かって笑顔を見せる。
うわぁ、目が笑ってない。
貴族達も同じように感じたようで、蜘蛛の子を散らすように立ち去って行った。
「庇って下さってありがとうございます。ですが、あのようなことは慣れていますから、大丈夫ですよ」
「王家と国の恩人に対する態度ではないと教えているだけです。さあ、あちらですよ」
話を切り上げたフィニアス殿下が指し示した場所。
周囲には綺麗な花が咲いており、近くに噴水もある場所にテーブルがセッティングされていた。
あそこでご飯を食べるのは、ちょっとしたピクニック気分を味わえそうでワクワクする。
椅子に座り、運ばれてくる料理を食べながら、私はフィニアス殿下とお喋りに興じていた。
途中で、通りがかった貴族や城の使用人達から、物凄い目で見られていたけれどね。
でも、今の私とフィニアス殿下の会話は色気も何もない。
「午後からは聖水の報告でしたね。うちの屋敷でも上手く行ったのですから、他の家でも上手く行っているはずです。これで製品化できますね」
「ですが、いきなり聖水を飲むのを止めた人にどのような影響があるか分かりませんので、それも調べた上で売り出さないと。それに子供への影響とかもございますし」
「確かに、謝って飲んでしまうこともありますからね。まあ、元はクレアーレ神殿の水ですから。ちょっと効果のある普通の水には変わりありませんので、影響はないかと思いますよ」
「けれど、やはり気になります。安全だとハッキリさせた上で売り出さないと、回収騒ぎになったら大変ですし」
というように、仕事の話が大半だったのよね。
後は、庭園に咲いている花の説明とかで終わったけど。
だから、妙な噂は立たないと思っていたのに、聖水の報告をする前に会ったクリスティーネ様から、フィニアス殿下が私を寵愛しているのは確実だという話になっていると聞かせられたのである。
話を聞いた私は、嘘でしょう! とその場で頭を抱えた。
異世界から召喚されて面倒を見てもらっているだけなんです! と私は大声で叫びたかったよ。
召喚されたなんて限られた人しか知らないから、そんな説明をすることもできず、私はひたすら、なんで? と呟き続けた。
お昼の出来事のショックが抜けないまま、私は王城の聖水製作所でクリスティーネ様とエレオノーラ様と中間報告を行っていた。
部屋にはシュタール侯爵とテュルキス侯爵もおり、話し合いを心配そうに眺めていた。
「ということは、飲んだ人全員に効果があったのですね?」
私の問いに、お二人は同時に頷いた。
「効果の程度に差はありましたけれど」
「うちなんて、会う度にケンカしていた使用人同士が聖水を飲み始めてから衝突しなくなったのよ? 驚いたなんてものじゃなかったわ」
ここまでの効果があると思っていなかったのか、クリスティーネ様はやや興奮気味だ。
「なるほど……。私が分解した聖水には飲んだ人全員に精神を安定させる効果があったのですね」
「そういうことになりますわね。試しに赤子や子供にも飲ませて見たそうですが、問題はなかったと報告を受けております。それと、飲むのを止めた人に反動がきたという話も伺っておりませんので、安全なものだと確認できました」
なんと! すでにそこまで調べていたのですね。
「年齢や性別、体の大きさなど関係なく効果があったということですね。クレアーレ神殿の水には精神を安定させる効果があるのは存じておりましたが、人によるとも伺っておりましたので、どうして今回、飲んだ人全員に効果があったのか分からないのですが」
不純物を分解した程度で、全員に効果が出るようになるとは思えないんだけど。
私が首を傾げていると、答えを知っているのかクリスティーネ様がニコニコと微笑みながら話し始めた。
「不純物を取り除いたことで効果が出やすくなったのではないかとお祖父様が仰っていたわ。だから、飲んだ人全員に効果があったのではないかしら」
「そんなもので、効果が出やすくなるのですか?」
意外だ、と私が驚き声を上げると、エレオノーラ様が、ふぅと息を吐きながら口を開く。
「もしかしたら、効果を阻害する物質が含まれていたのかもしれませんね。調べる術はありませんので、全て仮定の話になってしまいますが」
「ですよね」
この世界には分析できる機械がない。
だから、どうしてそうなったのかと調べることができないのだ。
ハッキリと分かれば、全員に効果のある安全なお水ですと胸を張って言えるのに。
「ですが、ひとまず全員に効果があったのですから、商品にはできますよね?」
「いえ、一応一ヶ月は様子を見ましょう。それで効果に間違いなければ商品化、ということで」
クリスティーネ様はなんで? と言っているけれど、念には念をいれた方がいい。
この聖水に欠陥があったら、許可してくれた全ての人に迷惑がかかるもの。
「百%効果があると分かれば、こちらも安心して売り出せますから。焦らずに参りましょう。それに他の準備もありますし」
チラリとエレオノーラ様を見ると彼女も同じ考えだったのか、同意してくれた。
「ちょうど、ルネさんがクレアーレ様に気に入られたという話が出回り始めたところです。話が浸透すれば、信用度も上がりますし、今よりも好条件で売れるはずです。まずは予定していた期間まで待ちましょう」
「……分かりました」
私とエレオノーラ様に言われ、渋々といったようにクリスティーネ様は納得してくれた。
効果はあると分かったのだから、後は副作用とかの問題ね。