20・忠誠
あれからすぐに集まりは解散となり、私はフィニアス殿下の屋敷に戻っていた。
ツィンク伯爵やあの場で捕まった人達は取り調べを受けた後で処分が言い渡されるらしい。
罪状が罪状なので、厳しいものになるとフィニアス殿下は言っていた。
今回の件の真犯人が捕まったことや、元々悪いことをしていた人達が捕まってくれてホッとした。
でも、物凄く疲れた。
半日しか王城にいなかったというのに、精神的な疲労が半端ない。
それに、帰る途中で色々な貴族達から神殿でのことや、クレアーレ様のことを尋ねられたのだ。
答えられる範囲のことは答えられたと思う。
でも、聖水のことまで聞かれるなんて……。どこから話が漏れたのか、と思ったけれど、王城内で作っているのだから、誰でも耳に入るよね。
「まだ製品化できるかどうかも分からないから、迂闊に喋れないし。フィニアス殿下が話を切り上げてくれて助かったわ」
どう答えれば良いのか狼狽えていたところにフィニアス殿下が来てくれて助け船を出してくれたの。
おかげで私はこうして屋敷に戻ってこられたってわけ。
「……ご飯も食べたし、明日から聖水とエルツ研究所のことに専念することになるし、今日は早めに寝よう」
その前に、ジルヴィアさんとシャウラにおやすみを言わなくちゃ。
夕飯後に一人にして欲しいと頼み、応接間にいた私が立ち上がると同時に部屋の扉をノックする音が響く。
「どうぞ」
声をかけると扉が開き、ジルヴィアさんが部屋に入ってきた。
「考え事をなさっていたところ、申し訳ございません。フィニアス殿下がお呼びです」
「フィニアス殿下が?」
「はい。執務室までいらして下さい、とのことです」
「……分かりました。行きます」
何の用だろう? また、無茶をしてって怒られるのかな?
でも、あれはクレアーレ様が強引に私の体に入ってきたんだもん。不可抗力だよ。
もしも、そのことを責められたら、ちゃんと言い訳しようと思い、私はジルヴィアさんに連れられてフィニアス殿下の執務室へと向かう。
中へ入ると、机に肘をついて椅子に座るフィニアス殿下。それと、彼の傍らにキールが立っていた。
珍しい組み合わせだなと思っていると、案内だけだったのかジルヴィアさんが挨拶をして部屋を出て行ってしまう。
誰も何も話さず、どうしたものかと立ち尽くしていると、フィニアス殿下の傍らにいたキールがこちらに歩いてきた。
とても真剣な表情だったので何事なのかと私が身構えていると、真正面まで来た彼は、その場に片膝をついて頭を下げた。
行動が読めなくて私が戸惑っていると、ゆっくりと顔を上げた彼が、こちらをジッと見つめてくる。
「聖女ルネ・ドージマ。俺の命をあんたに預ける」
「……………………はい?」
予想もしていなかったことを言われ、私は素っ頓狂な声を出してしまった。
今、キールは何て言った? 命を預ける? 私に? どうして?
「聖女様への忠誠をここに誓う。俺の命が尽きるまで、聖女様を守り続けることを約束する」
「ちょ、ちょっと待って! どういうこと? え? フィニアス殿下! どういうことですか!?」
フィニアス殿下の方を見ると、彼は私がそういう反応をするのを分かっていたのか、非常に落ち着いていて穏やかな笑みを浮かべていた。
「キールが正式にルネの護衛となる、ということですよ。貴女の内面を知り、主として素晴らしい人格者だと思ったのでしょう。元々、あの夜会の後からそう思っていたようですが、彼の性格上、認めることができなかったのです。ね?」
と、フィニアス殿下が首を傾げているが、話を振られたキールは鋭い目で彼を睨み付けている。
フィニアス殿下もフィニアス殿下で、睨まれたことなど気にしていないようで笑ったままだった。
ケンカが始まりそうな雰囲気に私は冷やっとしてしまうが、二人は特に動くこともなく見つめ合ったままである。
「あの、フィニアス殿下もキールも落ち着いて下さい。キールはフィニアス殿下を睨むのを止めて。相手は王子様なんだから」
王族に対する態度じゃないよ、と伝えると、キールは軽く舌打ちした後で、分かったと口にした。
舌打ちした時点で分かってないと思うが、下手に突っ込みをいれたら余計に事態がややこしくなりそうだったので、なんとか口にするのを耐えた。
「えっと、つまりフィニアス殿下が仰った通りなの?」
「……ああ」
気まずそうに口にしたキール。
実感は湧かないけれど、どうやら私はキールに認められるようなことをしていたらしい。
でも、今までだって守ってもらっていたわけだし、改めて忠誠を、だなんてやらなくてもいいのに。
「あの、キールの態度から察するに、あまり自分から言いたくなかったというように受け取れたんだけど。今までと変わらないんだったら別に口にしなくても大丈夫だったのに」
「いや、これは俺の決意表明だ。雇い主だから聖女様を守っているんじゃなく、忠誠を誓っているから命をかけて守っているんだと知っていてもらいたかった。そうすれば、無茶はしないだろう?」
「いや、あの。私は別にキールを信用してないから無茶をしているというわけでは」
「はぁ!?」
「え!?」
二人はほぼ同時に口にすると、それはないだろうという表情を私に向けてくる。
……その反応は物凄く心外なんですけど!
そりゃ、多少無茶をしたことがあるのは認めますけど、今回はちゃんと人の意見を聞いていたじゃないですか。
「普通、病を吸収するとかいう考えにはならねぇし、自分のお金で侍女を雇うという発想にもならねぇんだがな。あと毒を盛られていると知っていて進んで食べることもしねぇよ」
「いや、それは」
「大人しく守らせてくれないじゃないですか。アデーレに対してあんな啖呵を切っておいて……」
「あ、あれは、あの人があんまりな言い方をしたからですよ!」
ジトッとした目で二人から見られ、また言われたことが事実だったため、私はしどろもどろになってしまう。
そらみたことか、という雰囲気になり、勝ち目はないと悟った私は二人から視線を逸らして「以後、気を付けます」と蚊の泣くような声で呟いた。
「これほど信用のならない言葉があるでしょうか」
「だから聖女様は放っておけねぇんだよ。知らない内に何かしでかしてるから」
「全くです」
うんうんと頷き合っているフィニアス殿下とキール。
仲がいいのか悪いのかハッキリしてもらいたい、と思いながらも、内容が自分のことなので余計なことは言えない。
「あ~とにかくだ。俺が仕事で聖女様を守っているんじゃねぇってことは理解してくれ」
「うん。それは理解したよ。大丈夫」
「信用も信頼も難しいとは思うが、少なくとも聖女様を死なせねぇように動いていることも理解してくれ」
「大丈夫。私はちゃんとキールを信用しているから。今回だって私を助けてくれたしね。だからねキール」
私が何を言うのか分からないらしく、彼は顔を強張らせて唾を飲み込んだ。
その表情を見ながら、私は口を開く。
「死んだら許さないから」
私の言葉は予想外だったようで、キールは呆気にとられている。
「さっき、自分の命をかけてって言ってたけど、もし、それでキールが死んだら私は泣くよ。自分のせいで死なせてしまったと悔やんで悔やんで、自分を許せなくなると思う。後悔して自分を責めて立ち直れなくなる。だから、私に忠誠を誓うと言うのなら、私にそんな思いをさせないで」
キールは何かに耐えるように唇をギュッと噛みしめた。
「勿論、私は無茶をしないようにする。一人で行動したりしないし、ちゃんと人に意見を聞くことを約束するよ。あ、でも、無茶しそうになったら止めてね」
おちゃらけたように私が言うと、キールはいつものようにニッと笑った。
「それも俺の仕事の内だからな」
「じゃあ、これからもよろしくお願いします」
その場で頭を下げると、なぜかやけに楽しそうなフィニアス殿下の笑い声が聞こえてくる。
「ね? ルネは最高でしょう?」
「んなことは、とっくに知ってんだよ」
また険悪な雰囲気になってるの? と私が顔を上げるが、予想外に二人は笑顔であった。
「……俺の話は以上だ。後は王子様から話があるらしいから、俺は出てく」
こちらの返事を聞かぬまま、キールはさっさと部屋を出て行ってしまった。
キールが去った後も扉を見つめていたけれど、フィニアス殿下から声をかけられ、私は視線を彼の方へと向ける。
「どうぞ座って下さい。聖水の報告をしてくれると助かります」
勧められるまま私はソファに座った。
実のところ、聖水を飲んでもらった直後から、シャウラやキールを含めた全員に何かしらの効果が現れていた。
そのどれもが、安心するだとかホッとする、落ち着くといったもの。
精神安定の効果が飲んだ人全員に出たのである。
話を聞いた他の使用人も興味が出たのか飲んでみたいと申し出てくれたこともあり、飲んでもらったのだが、その全員にも同じ効果があった。
一応、クリスティーネ様やエレオノーラ様にも話を伺わないといけないけれど、これは上手くいったのではないか、と私は期待しているんだよね。
ということをフィニアス殿下に報告した。
「なので、明後日に王城に向かい、テュルキス侯爵家とシュタール侯爵家から聖水を飲んだ人達に効果があったのかどうかを伺う予定です。午前中にエルツ研究所に顔を出すので、午後からになりますが」
「……なるほど、午前中にエルツ研究所に顔を出すのですね。では、私もエルツ研究所に伺いましょう。その後で私と一緒に王城で昼食を食べませんか? ちょうど、昼から人と会う予定があるのですが、それまで時間があるので」
「え?」
フィニアス殿下と昼食を? それは物凄く嬉しい。
でも、良いのかな? 仕事は忙しくないの?
「お時間は大丈夫なのでしょうか? お忙しいようなら、無理はせず」
「大丈夫です。私もエルツ研究所を一度見ておきたいと思っていたのです。それにルネの仕事ぶりも見てみたいですしね」
「仕事ぶりと言っても、気付いたことをお話しするだけですよ?」
「構いません。それとも、私と一緒に食事をとるのはお嫌ですか?」
まさか、そんなわけないと私は首を勢いよく横に振ると、フィニアス殿下は安心したように笑みを零す。
「明後日が楽しみになりましたね」
「ですが、今だって朝食や夕食も一緒に食べていますよね? あまり変わらないと思いますが」
「もちろん、今も貴女と食事をするのは嬉しいのですが、王城で、というところが良いのですよ」
「……そういうものでしょうか?」
「そういうものです」
なんとなく腑に落ちなかったけれど、笑顔のフィニアス殿下に押し切られてしまった。
でも、フィニアス殿下と一緒に昼食を食べられるのは私も嬉しいし、いっか。
ニコニコと笑みを浮かべるフィニアス殿下に向かって、私も笑顔を向けた。