11・報告(キール視点)
護衛中に突然、姿を消した聖女様が無事に戻ってきたことを確認した俺は、夜中に彼女の部屋へと忍び込む。
俺が来るのを待っていたのか、起きていた彼女はこちらの姿を確認するとすぐに信じられないことを言ってきやがった。
「はぁ!? 女神様に会ってきた!?」
「うん。それでね。クレアーレ様がキールが神殿内にいるのは構わないけど、最奥部まで近づくのは許さないって言ってたから、行かないようにしてね」
未だに信じられずにいる俺に、至極真面目な顔をして聖女様は言ってのける。
確かに、聖女様は常人とは違うことをやってのける人間だが、いくらなんでも限度ってもんがあんだろ!
マジかよ……と思って、聖女様を見ていると、彼女はまだ言うことがあるのか口を開いた。
「それから、テュルキス侯爵の密偵は女性にして欲しいって。男の人がうろつくのは嫌だってクレアーレ様が言ってた」
「……俺はいいのかよ」
「私の護衛だから目を瞑ってくれるみたい。あと、神殿の巫女か巫女見習いか分からないけれど、好きな人に唆されて今回の件を実行しているから、その人の前にクレアーレ様はもう姿を見せないようになったんだって。それだけしか教えてくれなかったから、標的が私かフィニアス殿下かまでは分からなかったんだけど……」
聖女様に危害を加えようとしている犯人の情報に、俺は一気に表情を引き締めた。
ということは、複数犯。計画したのは外部の人間ってことか。
目的が分からない状態なのは変わりないが、聖女様は俺に重要な情報を与えてくれた。
「分かった。それもテュルキス侯爵に伝える。あと、なんか女神様から言われたことはあるか?」
そう口にすると、聖女様は表情を変えて視線を彷徨わせた。
ってことは、何か他にも言われたっぽいな。しかも、言いにくいことを。
「……な、何も言われなかったよ。それだけだった。じゃあ、よろしくね!」
一方的に会話を終わらせた聖女様は、ぎこちない笑みを浮かべて手を振っている。
明らかに聞かれたくないという態度に、俺は言う気がないなら、無理に言わせることもないか、と態度の変化に気付いていない振りをして、すぐに部屋を出た。
外にいたテュルキス侯爵の密偵に後を頼み、詳細を報告すべく、俺は、あの爺さんの屋敷へと足を向ける。
窓からスルリと部屋に入ると、平然としたテュルキス侯爵と目が合った。
どうやら俺が来ることは予測済みだったらしい。
この人もくえない人である。
「突っ立ってないで、座ったらどうだ?」
「いや、すぐに戻るから、ここでいい。それにどうせ報告するだけだからな」
「そうか。なら報告を聞こう。何か変わったことはあったか?」
「聖女様がクレアーレ様と会ったそうだ」
俺の報告に、テュルキス侯爵の時が止まる。
その気持ちは良く分かる。
あと、その反応からすると、どうやら密偵からはまだ報告が来ていなかったらしい。
俺の言葉に驚いていたテュルキス侯爵だったが、さすがに年の功もあり、すぐに表情を元に戻した。
「その話は本当なのだな」
「ああ。影から聖女様を見ていたが、突然前触れもなく姿を消した。あれは人にできるものじゃねぇ。それに聖女様本人がそう言っていた」
「……そうか。それにしても、まさかクレアーレ様に気に入られるとは……。あの娘は本当に規格外だな」
「否定はできねぇな」
こちらができないだろうと思うことをあの聖女様はやってのけるからな。
「で、クレアーレ様はなんと?」
「五十年放って置かれたことは怒ってない、だとよ」
「そうか」
安堵の息を吐くテュルキス侯爵。
女神から見放されたら、この国は終わるからな。
「それから、あんたの密偵は全て女にしろとさ。男が神殿にいるのは嫌だそうだ」
「……そこは気付いておらなんだな。クレアーレ様には申し訳ないことをしてしまった。すぐに変えよう」
あっさりと決断する辺り、テュルキス侯爵はかなり信心深いようだ。
「で、他には?」
「ああ、聖女様についている巫女と巫女見習いだが、ありゃ両方なんらかの命令を受けていると見ていいと思うぜ」
「両方? シャウラはともかく、ヒルデが毒を入れているのではなかったのか?」
「毒を入れているのはヒルデ。シャウラはそれを知っていた。聖女様は見ていなかったが、何も起こらなかったのを見て、ホッとしていやがった」
少なくとも、シャウラの方は罪悪感を持っていると見ていい。
「あと、書物庫で聖女様が書架の下敷きになりそうになった。怪我はしなかったがな」
「それは事故か?」
「故意だ。ヒルデが書架を倒すのを見た」
あのとき、書架を倒したのはヒルデ。
咄嗟に聖女様の腕を引いて潰されるのを防いだが、肝が冷えた。
「あまり時間がないようだな。あちらは長引かせるつもりはないのやもしれん。早く犯人を見つけなければ」
「犯人は明らかにあの巫女長しかありえないとは思うけどな。あいつは聖女様が神殿で過ごすことを強要していたし。さっさと捕まえておいたほうがいい」
「怪しいというだけで捕まえることはできん。現に彼女の部屋から怪しいものは何も見つからなかっただろう?」
俺は、ああ、と言って頷いた。
初日に毒を入れられたと聞いて、すぐ巫女長の部屋に忍び込んでくまなく部屋を捜索したが、怪しい手紙も書き置きも見つからなかった。
あったのは、絵だけが描かれた手紙ぐらいだ。
「王都にいる者から、牢に入っている前ベルンシュタイン伯爵に変わった様子は見られなかったと報告を受けた。手紙を受け取った形跡も出した形跡もないらしい」
「じゃあ、誰が」
「分からん。一応、あの娘に神殿へ向かうよう進言した貴族達を調べてもらっているが、結果が出るのはまだ先だ。念のため、前伯爵のこちらでの様子をテオバルトに調べさせてはいるが、王都での報告を聞く限り、空振りになるやもしれん」
「厄介だな」
俺の言葉に、テュルキス侯爵は「全くだ」と呟いた。
すると部屋にノックの音が響き、テオバルトが入ってくる。
「テュルキス侯爵。前伯爵の件を調べて参りました」
「どうだった?」
「前伯爵は月に何度か神殿に行っていたようです。名目上は祈りを捧げるというものだったみたいですが」
「それだけじゃなかったってことか?」
俺の問いにテオバルトは、しっかりと頷いた。
「祈りを捧げていたのは事実のようです。ただ、祈り終わった後に神殿内の部屋で巫女長や巫女、巫女見習いと二人っきりになっていたことがあると。時間はまちまちで、五分程度で終わることもあれば、一時間のときもあったようです」
その説明に俺は、顔を歪ませる。
あ~こりゃ巫女に手を出していやがったな。
テュルキス侯爵は俺と同じ考えに至ったようで、眉間の皺が深くなっている。
あの人も潔癖というか、理性的な人だからなぁ。
神聖な巫女に手を出した前伯爵を軽蔑したんだろうよ。
まあ、俺もだが。
「……巫女長との面会時間はどうだった」
「長くても十分程度だったようです」
「短いな」
「つーことは、巫女長と前伯爵は恋仲ではなかったと?」
「神殿内の出来事だけで言えばそうですが、付近の村で巫女長と思われる人物が男と会っていたのを村人が目撃していました」
話を聞いたテュルキス侯爵は、重要そうな情報に身を乗り出した。
「その男が誰か調べはついているのか?」
「顔を隠していたので分からなかったということでした。ただ、身なりはさほど綺麗ではなかったようです」
「……前伯爵が変装していた可能性もあるな。ちなみに前伯爵が長時間会っていた人物は調べているか?」
「そちらも調べております。聞いた話では巫女が数人。ただ、回数までは覚えていないようで詳しくは聞けませんでした」
ってことは、そいつらも怪しいってことだが、その情報だけじゃ分かんねぇよな。
情報は出てくるのに、決定的な証拠がないことに、俺は苛立つ。
怒りに任せて近くのソファを蹴ると、テオバルトがこちらに一瞬だけ視線を向けた。
奴は音の出所を確認したかっただけなのか、特に何かを言う素振りは見せず、それと、と話を続けた。
「他にも神殿に訪れていた貴族が複数。その中にツィンク伯爵の名前がありました。彼は他の貴族と違って頻繁に訪れていたようですが、前伯爵の屋敷にいることが多かったみたいで、神殿へはあまり通っていなかったとか」
「ツィンク伯爵は前伯爵と親しくしていたようだから、神殿にという名目で前伯爵に会いに来ていたとしても不思議はあるまい。あの男は中立派でありながら、どちらの派閥の貴族とも親しくしていたみたいだからな。どちらの派閥が勝っても自分が生き残れるように良い顔をしていたのだろう」
テュルキス侯爵が嫌そうに吐き捨てたところを見ると、ツィンク伯爵を毛嫌いしていると見える。
どっちつかずの八方美人はどこでも嫌われるもんだ。
「それと、前伯爵は自分の屋敷に巫女長補佐を呼びつけることがあったようですね」
「巫女長補佐を? 巫女長じゃなくか?」
「ええ。どうやら巫女長は文字の読み書きや計算ができないようで、それで文字の読み書きや計算ができる巫女を補佐として側に置いていたとか。代理で署名もしていたようですので、恐らく、巫女長補佐は何か急ぎの署名が必要なときに呼ばれていたのかもしれませんね」
「……怪しいな」
ポツリと呟くテュルキス侯爵の言葉に俺も頷く。
わざわざ呼びつけなくとも、使者を神殿に向かわせればすむ話だ。
それにしても。
「文字の読み書きや計算ができねぇ奴が、よく巫女長になれたな」
「巫女長はクレアーレ様が指名なさるからだ。教養のありなしは関係ない」
「選ばれた方はたまったもんじゃねぇな」
「そんなことはない。神殿の巫女にとっては、クレアーレ様に選ばれ巫女長になることが喜びなのだ。一番寵愛を受けているという証拠だからな」
そういうもんかねぇ、と俺は首を捻るが、テオバルトは他にも報告があるのか、こちらの様子を気にする素振りもなく別の話をし始めた。
「それから、少々気になることが。こちらをご覧下さい」
テオバルトは静かに二枚の紙をテュルキス侯爵へと差し出した。
「これは、貴族からの寄付金の明細か。一枚は陛下へ報告されている分だな」
「はい。もう一枚は神殿内で保管していた明細です。見比べてみて下さい」
どこでそんなもんを見つけてくるんだよ、と自分のことは棚に上げて心の中で突っ込みを入れる。
すると、見比べていたテュルキス侯爵は、ある部分に差しかかったところで目を瞠った。
「なんかおかしいことでもあったのかよ」
紙が見えない俺は何がおかしいのか分からず声に出すと、テュルキス侯爵はハッキリと口にする。
「神殿で保管されていた明細に書かれている額の方が少ない」
「転記間違いじゃねぇのか?」
「一カ所だけなら、そうであろうな。だが、全ての額が少なく書かれておる。わざとでなければ起こり得ないことだ。陛下へ報告されているのが正しい額とすれば、寄付金を管理していた前伯爵が嘘の申告をしておったということだ。横領の証拠にはなるが、今回の件の証拠にはならんな」
苦々しい顔で口にしたテュルキス侯爵は紙をテオバルトへと戻し、息を吐いた。
「さて、これからどうするか」
顎を触りながら、テュルキス侯爵は思案している。
怪しいと思われる人物はいても、証拠がない。
証拠がない以上、こちらから動くことは難しい。
「クレアーレ様に協力していただきたいが、時間がない。あの娘にクレアーレ様に会って話をしてもらいたいが、クレアーレ様がお話し下さるかどうかも分からんしな。となれば、こちらで何とかするしかないのだが」
協力という言葉を聞いた俺は、まだ言ってなかったことがあったと思い出した。
「そういえば、聖女様から聞いたんだが、女神様は神殿の巫女か巫女見習いか分からないが、好きな奴に唆されて今回の件を実行している、とかって言ってたな」
「クレアーレ様が?」
「ということは、ルネの命を狙っているのは、その男ということになりますね」
「あと、そいつの前に姿を見せないようになった、とも言っていたから、クレアーレ様に気に入られていて、最近、女神様の姿を見ていない奴が怪しいんじゃねぇか?」
「では、自分はそちらを調べて」
「いや」
制止するテュルキス侯爵に俺とテオバルトは同時に声を出した。
「テュルキス侯爵。なぜ止めるのです。ルネの命が狙われているのですよ」
「さっさと犯人を見つけねぇと危険だろうが」
「だからこそだ。初日に毒を入れてくるような奴だ。悠長に調べている暇はない。あの娘を屋敷に匿うのが一番だと分かっているが、犯人の妨害に遭うのは分かりきっている」
「なら!」
大声を出した俺をテュルキス侯爵は手で止めた。
俺は苛立ちを押さえることができずに舌打ちをする。
さすがに今回は見逃せなかったのか、テオバルトから注意された。
「よい。そやつなりにあの娘を心配しておるのだろう。キール。心配せずとも数日中に決着をつける」
「……どうやって見つけるんだよ」
何か考えがあるのか、テュルキス侯爵はジッと俺の目を見てくる。
「あの娘がクレアーレ様に気に入られ、お会いした件は、恐らくヒルデかアデーレの口からすでに唆されている者の耳に入っているやもしれん。ならば、それを利用させてもらう。だが、まだ唆されている者の耳に入っていない可能性もあるから、すぐに神殿内にあの娘がクレアーレ様とお会いしたという噂を流す」
「どういうことですか?」
テュルキス侯爵の意図が分からないのか、テオバルトの表情は暗い。
俺も意図がさっぱり分からん。
「あの娘が、すでにクレアーレ様とお会いしたとなれば、あの娘がクレアーレ様から誰が計画し実行しているのか聞かされているやもしれんと向こうは考えるだろう。相手が焦ってボロを出すのを待つのだ」
「ちょっと待て」
それって聖女様を囮にするってことじゃねぇか!
「聖女様が危険だろ。何考えてんだ!」
「魔力が尽きない限り、あの娘が死ぬことはない。なんせ無意識で自分を害するものを分解してしまうのだから」
「だからって、怖い思いをさせるのかよ!」
詰め寄る俺を見て、テュルキス侯爵は笑みを零す。
「随分と、あの娘に肩入れしておるみたいだな」
ゆっくりと噛みしめるように言われた言葉に、俺は口を噤む。
「まあ、この場で追求するつもりはないがな。それに、危険だというならお主が守ればよい」
「……言われなくてもそうする」
テュルキス侯爵を睨み付けるが、この爺さんは全く顔色を変えない。
それが尚更憎たらしい。
睨み付けていると、テオバルトが俺を見て静かに頷いた。
「テュルキス侯爵。それを実行したら後でフィニアス殿下から怒られますよ」
「覚悟しておる。悠長に調べている暇がないのだ。フィニアス殿下を呼び寄せて殺そうとしている可能性も否定できん。儂は臣下としてあの娘よりも王族の方を優先せねばならん。それに時間をかけてあの娘に何度も怖い思いをさせるなら、一回で済ませたほうが良いだろう」
フゥと息を吐いたテュルキス侯爵を見て、俺は唇を噛みしめる。
できればすぐにでも、この状況を王子様に知らせたいが聖女様の側を離れるわけにもいかない。
せめて、もう一人護衛がいれば、と悔しくなる。
「テオバルトは引き続き、巫女達の調査を。キールは」
「聖女様の護衛だろ。分かってる。話がそれだけなら、俺はもう行く。じゃあな」
返事は聞かずに、俺は入ってきたときと同じく窓から外へと出て神殿へと向かう。
噂のせいで聖女様が危険な目に遭うかもしれないことから、俺は戻ってすぐにテュルキス侯爵との話を聖女様に教えた。
囮になると知った聖女様は気丈に振る舞っていたが、怖いに決まってる。
あれからテュルキス侯爵がすぐに噂を流したようで、翌朝には聖女様がクレアーレ様に会ったという話がそこかしこから聞こえるようになった。
さすが聖女様、という声があった一方で、苦虫を噛みつぶしたような顔をしている巫女も複数いた。
テュルキス侯爵の考えの通り、俺は近いうちに聖女様を亡き者にしようと動く奴がでるんじゃねぇかと思っている。
だから、王子様がいない以上は何としても俺が聖女様を守らないといけない。