10・女神様と対面
中に入った私は周囲を見回すが、真っ暗で様子が分からない。
私よりも先に入ったはずの鹿の姿もない。
私の足音が聞こえるだけで他の音は聞こえない。
「誰か、いますか?」
声をかけるけれど、返事はなかった。
私は開けた扉から差し込む明かりを頼りに、少しだけ奥へと入ってみる。
扉が閉まらないか後ろを気にしていると、壁にかけてあった蝋燭に明かりが灯る。
「ビックリした……!」
いきなり点いたことに驚いていると、奥に向かって蝋燭が次々に点いていく。
やっと蝋燭が点くのが止まったが、見えるのは明かりのある部分だけで、全体は分からなかった。
明かりの間隔からいって、廊下ではなく部屋なのかもしれない。
「失礼、します」
誰もいないかもしれないけれど、一応、私は断りを入れて奥へと歩いて行く。
コツンコツンという私の足音が部屋に響く。
周囲を伺ってみるが、人の気配が感じられない。
そうこうしている内に、私は壁に突き当たってしまう。
壁伝いに歩いてみても、特に扉はなかった。
「……出口はないのね。あとあの鹿はどこに行ったんだろう? 扉がないならこの部屋の中にいると思うんだけど」
見知った場所に出られるかも、という淡い期待は消えてしまった。
すると、どこからともなく妙に楽しげな女性の笑い声が聞こえてきた。
「誰かいるの!?」
慌てて周囲を見回してみるけれど、誰もいない。
でも、笑い声は今も聞こえている。
姿の見えない女性がどこかにいるのは確か。
この部屋はさほど広くもないから、誰かいればすぐに分かるはずなのに。
「やはりそうか」
いきなり背後から聞こえた声に、私は驚いて振り返った。
「貴女は」
そこにいたのは、とても綺麗な女性。
眩い金色の髪は腰まであり、澄んだ青い目は細められている。
若干透き通った白い布のドレスを身にまとった彼女は、口元に手を当てて、クスクスとそれは楽しそうに笑っていた。
どこか神々しさを感じさせる雰囲気に、私は固まってしまう。
この人は誰なんだろう? どこからあらわれたの?
疑問に思ったけれど、同時にもしかしたらという考えが思い浮かぶ。
私の考えが合っているならば、知らないうちに他の人と離された理由にも納得がいく。
確かめてみようと、私は口を開いた。
「……貴女は、創造の女神・クレアーレ様、ですか?」
私の問いに、彼女は満足げに微笑む。
「いかにも。妾が、この神殿の主であるクレアーレじゃ」
やっぱり!!
いきなりの女神様の登場に、私は血の気が引き、慌てて膝をついて頭を下げた。
「そのように畏まらずともよい。面を上げよ。人間の娘」
「……はい」
許しを得たことで私は顔を上げると、クレアーレ様の傍らには、ここまで案内してくれた鹿がいた。
「その鹿は」
「これは妾の聖獣じゃ。名をオルトゥスと申す」
「聖獣……」
「左様。神というのは孤独でのう。気に入った人の子がいても、いずれは皆、自分を置いてゆく。それに耐えられぬ神が、ずっと側にいる存在を望んだのじゃ。それで聖獣と呼ばれるこやつらを妾が創った」
ああ、創造の女神様だものね、と私が納得していると、クレアーレ様は目を細めてこちらを見ていた。
「それにしても、数奇なものじゃのう。己の意志とは関係なく、異世界に飛ばされるとは……。じゃが、こうしてお主に会うことができて、妾は満足じゃ」
「……クレアーレ様は、私が異世界から召喚されたことを御存じなのですか?」
「当たり前じゃ。宝玉は元々、妾の物。離れていても使用すれば分かる。誰を呼び出し、誰を送ったのかも知っておる。無論、国で、世界で何が起こっているのかも妾には見えておるがな」
神様だから、見えているってことなのかな?
お天道様は見てるって、実際にあるんだ。
でも、国や世界で何が起こっているか見えているってことは、この間までの騒動をクレアーレ様は知っていた?
「あの、見えていたということは、イヴォンの企みとか知っていたということですか?」
「無論、見えておった」
「なら、どうして助けてくれなかったんですか?」
「何故、妾がそこまで手助けせねばならぬ」
笑みを浮かべていたクレアーレ様の口から予想外の台詞が出てきて、私は言葉に詰まる。
「仮に国が滅びても、それがこの国の寿命。運命じゃ。妾は、人の子がどう考えて、どう行動し、結果どうなるのかを見るのが好きなのじゃ。故に妾は人の子を導くような真似はせぬ。妾が口を出せば、人の子は考えることを止め、妾の意見に頼り切りになるからのう。それでは、つまらぬ」
言い方はあれだけど、クレアーレ様の言い分にも納得できる部分はある。
「じゃが、ここ五十年ほど王族は神殿を無視しておった。そろそろ宝玉を返してもらい、国を見限ってやろうかと思うておったが……」
「あの! あと少しで王族の方がいらっしゃいますから! 見限るのはお待ち下さい」
慌てて私が口にすると、クレアーレ様はポカンとした後で、盛大に笑い声を上げた。
おかしなことは何も言ってないはずなのに、笑うなんて……。神様の考えることは分からない。
「心配せずとも、お主が祈ったことで首の皮一枚繋がったようなものじゃ」
「私が、ですか? 私は王族ではありませんよ? ただの異世界から召喚された平民です」
「そんなものはどうでもよい」
冷たい物言いでクレアーレ様は私の言葉を一蹴した。
「お主が王族であろうがなかろうが、妾にとってはどうでもよい。重要なのは、妾がお主を気に入った、という点のみじゃ」
「へ?」
「お主からは、妾の好きな匂いがする。それは懐かしく、妾の心を揺さぶる匂いじゃ。よもや、あの男と同じ分解と吸収を持った者に再会できるとは思わなんだ」
「あの男……」
どこの誰のことを言っているか分からないけれど、その人と同じ半能力半魔法属性を持っているお蔭で、私はクレアーレ様に気に入ってもらえたってこと?
クレアーレ様と会っているということは、ここは神殿の最奥部に違いない。
本来ならフィニアス殿下がクレアーレ様と会う予定だったのよね。
でも、こうして私が会うことができたのなら、クレアーレ様に日本へ帰る方法があるか聞いてみよう。
「あの、クレアーレ様。少し伺いたいことがあるのですが」
「構わぬ。何でも申してみよ」
「ありがとうございます。では、クレアーレ様は、私を元の世界に戻すことはできますか?」
「できる」
即答された言葉に私は、そんな簡単にできるものなのかと疑問に思った。
「なんじゃ、その顔は。妾の言葉を疑っておるのか? 失礼じゃのう。転送と召喚の宝玉は元は妾のもの。人の子は条件をつけてでしか転送も召喚もできぬが、妾は違う。ちゃんと、どこの世界かを選ぶことができる」
日本に帰れると知り、私の心臓が早鐘を打つ。
クレアーレ様は、そんな私の様子を見て、ニンマリと笑みを浮かべた。
「と、いうことは、お主は帰りたい、と思うておるのかのう?」
「はい」
「そうか、そうか。ならば返してやろう」
「本当ですか!?」
良かった!
けれど、クレアーレ様は笑みを浮かべたまま「ただし」と話し始める。
「お主を元の世界に返した場合、妾はこの世界を滅ぼす」
クレアーレ様が何を言ったのか、私は理解できなかった。
黙っていた私に向かって、クレアーレ様は再度同じ言葉を口にして、ようやく理解する。
理解した瞬間、私はどうして! と大声を出した。
「どうしても何も、これは対価じゃ。妾はお主を手放す代わりに、お主も相応の犠牲を払わねば平等ではなかろう?」
「そんな……! 対価の方が大きすぎます!」
「おかしなことを申すな。妾にとっては、気に入った人の子を手放すことは、この世界を滅ぼすくらい嫌なことなのじゃ。妾は考えを変えることはせぬ」
人の姿だから、考え方も人間的だと勘違いしていたと私は思い知らされた。
この方は、何でも意のままにできる神様なのだ。
「さて、人の子よ。それでも帰りたいと願うかえ?」
先ほどと同じ笑みなのに、私は恐怖を感じた。
この方はやる。本気で滅ぼすつもりだ、と私は本能で察した。
召喚された当初にこの条件を提示されていたら、物凄く悩んだ結果、もしかしたら頷いたかもしれない。
だけど、フィニアス殿下やアルフォンス殿下、私を助けてくれた人達と仲良くなった今、簡単に頷くことはできない。
あの人達が死ぬことになるのに、一人だけ元の世界に帰るなんて……。
でも……。
クレアーレ様は悩んでいる私に近づいてきて、両手で私の頬を包み込み、笑みを浮かべたまま顔を近づけてきた。
「ふふっ。悩んでおるのう。良いぞ、良いぞ。それでこそ人の子じゃ。妾は、その果てにどういう答えを出すのか楽しみにしておる。何、今すぐ答えずともよい。ジックリと考えて、考え抜いて、妾に教えておくれ」
そっと私の頬から手を離したクレアーレ様は、楽しそうに笑いながら後ろに下がった。
「久方ぶりに楽しい時間を過ごせたのう。すっかり話し込んでしもうた。お主の侍女や護衛が心配しておろう。そろそろ、戻るがよい」
「……はい」
「それと、護衛の男に、あまり最奥部に近寄るなと申しておけ。あの者の血が流れておらぬ男が神殿内をうろつくのは不愉快なのじゃが、お主のためじゃからな。うろつくのは目を瞑ってやろうではないか」
「キールのことも御存じで」
「当たり前であろう。ここは妾の神殿じゃ。誰がどこで何をしておるのか、いつも見ておる。そうそう、テュルキスの坊にも密偵を忍ばせるなら女子にしろと申しておけ。お主の護衛だけなら我慢できるが、坊のまでは許さぬ」
なんと、テュルキス侯爵も密偵を神殿内に潜ませていたようだ。
これは下手な行動はできないな、と私は考えていたけれど、見ていたのなら私の命を狙っていた人もクレアーレ様は知っているのでは?
「あの、クレアーレ様」
「妾は人の子の争いに口は挟まぬ」
私が何を言おうとしたのか分かっているようで、クレアーレ様はハッキリと口にした。
「そこを何とか」
「くどい」
ジロリと私はクレアーレ様に睨まれてしまった。
妙な威圧に汗が噴き出る。睨まれただけなのに、恐怖で足が竦んでしまう。
あの様子では、どうお願いしてもこの方は教えてはくれないだろう。
どうしたものか、と私はため息を吐いたら、クレアーレ様があらぬ方向を見つめながら、喋り始めた。
「……前に妾が気に入った娘が愚かな男に夢中になり、人の道を外れた。妾は失望し、その娘の前に姿を見せぬようになった。男は、自分の望みを叶えるために娘にある願いをして、娘もそれを受け入れた」
私に聞かせるというよりも、ただの独り言のような呟きに首を傾げる。
「それは、どういうことでしょうか?」
「はて? 何のことじゃ?」
先ほどの言葉など無かったようなクレアーレ様の態度。
詳しく聞かせてくれる気はないらしい。
でも、多分、その人が私の命を狙っているということだろう。
しかも、彼女は誰かと手を組んでいる。
私には調べる術がないから、これはテュルキス侯爵達に任せよう。
あと、キールにも最奥部に行かないようにと伝えなければならない。それからテュルキス侯爵にも。
クレアーレ様が教えてくれない以上は、自分達で何とかするしかない。
それにちょっとしたヒントも教えてもらえたし、犯人を絞り込めるはず。
前向きに考えた私は、ジルヴィアさんが心配しているだろうから早く帰ろうと思い、クレアーレ様と視線を合わせた。
彼女は、穏やかな表情を浮かべてこちらを見ていて、先ほどのような威圧は感じない。
「今日は、ありがとうございました」
「何、妾が勝手にお主を連れてきただけじゃ。近いうちにまた、顔を見せておくれ。妾はいつでも、ここで待っておるからのう。それと、王家のことに関してじゃが、妾はもう怒っておらぬ故、安心せよと伝えておいてくれ」
「……必ず伝えますから」
「それから、お主の答えを楽しみにしておるからのう」
答え……そうだ、元の世界に戻るかどうかをクレアーレ様に言わなければならないんだった。
憂鬱な気分になった私は、彼女からそっと視線を外す。
クスクスと笑っているクレアーレ様に向かって頭を下げると、私は早くこの場から立ち去りたいと部屋の扉を開けて外へと出た。
てっきり部屋に入る前の廊下に出るものだと思っていたのに、廊下の様子が来たときと違っている。
右か左か、どっちに進めばいいのか分からず立ち止まっていると、先ほどと同じく聖獣・オルトゥス、様? があらわれ、右に進んでいく。
「てことは、こっちなのね」
オルトゥス様を追いかけて、私は右へと進んだ。
しばらく歩いて行くと、シャウラから、ここから先は立ち入り禁止です、と教えてくれた場所にでる。
見知った場所に出てホッとしていると、いつの間にかオルトゥス様の姿は消えていた。
一人になった途端に、私はクレアーレ様が最後に言っていたことを思い出し、その場にしゃがみ込んだ。
「元の世界に確実に戻れるって話だけど……」
クレアーレ様に頼めば、百%確実に元の世界に戻れるけれど、その場合はこの世界が滅ぶ。
この世界の人を犠牲にしてまで、とも思うが、元の世界に戻りたい気持ちもある。一瞬だけでも、クレアーレ様の手を取りそうな自分がいたことも事実だ。
「どうすれば」
元の世界に帰れて、この世界が滅ばない方法なんて思い浮かばない。
クレアーレ様に頼んだところで、あの方が願いを聞いてくれるとは思えないし。
……ああ、どうしよう。無性にフィニアス殿下に会いたくなってきた。
話を聞いてもらって、一言声をかけてもらいたい。今の私の不安を消して欲しい。
「フィニアス殿下……」
呼んでも来ないことは分かっていたが、それでも彼の名前を呼ばずにはいられなかった。
そのまま、しばらくその場にジッとしていると、私は通りがかった巫女に見つけられ、ご無事で良かったですと声をかけられた。
その巫女が案内してくれたお蔭で、私は部屋へと無事に戻ることができたのである。
「ルネ様!」
部屋に入った途端に、ジルヴィアさんが走り寄ってくる。
ようやくよく知る人と再開できて、私はホッとした。
「いきなりいなくなるので、驚きました。ずっと探していたんですよ?」
「心配をかけてごめんなさい。ちょっと、クレアーレ様と会ってました」
「クレアーレ様と!?」
まったく予想していなかったようで、ジルヴィアさんは目を丸くした。
「どうやら、クレアーレ様に気に入ってもらえたようです」
まさか、という表情を浮かべたジルヴィアさんは、ちょっとだけ呆然としていたが、私が嘘を言っていないと判断したのか、呆れたような笑みを浮かべる。
「……ルネ様は、本当にこちらの予想を良い意味で裏切ってくれますね」
ジルヴィアさんの言葉に、私は曖昧な笑みを返した。
私が神殿に来た目的を考えれば、この状況は喜ばしいことだと思うけれど、クレアーレ様に言われた元の世界に帰す条件を思い出して、気分が落ち込む。
いずれ答えを出さなければならないっぽいし、どうしたものか。
……ひとまず、今日はもう寝よう。
あとキールとテュルキス侯爵にもクレアーレ様に言われたことを伝えないと。
色んなことがありすぎて疲れた私は、シャウラやヒルデの心配する声に大丈夫だと返事をして、早々にベッドへと入った。