5・国王の執務室にて(ユリウス視点)
国王の執務室にて、俺は貴族達のどうでもよい話を聞き流しながら仕事をしていた。
この貴族達は、最初は領地の件で話があると言っていたはずだったのに、いざ来たら俺が召喚した娘の件について口々に文句を言い始めたので、あ、これはどうでもよい話だと判断したのだ。
というか、仕事の話でないのなら、面会の約束を取り付けるな。こちらの迷惑も考えよ。
「陛下! 聞いていらっしゃるのですか!」
さすがに書類に目を通しながら聞いていれば、そう言われても仕方あるまい。
文句を言いに来た貴族達の一人、ツィンク伯爵の言葉に俺は相手に気付かれぬように息を吐いた。
先程から主体となって話しているのは、このツィンク伯。ということは、文句を言っている貴族達をまとめているのもこの男か。
特に悪い噂を耳にしたことはないが、良い噂も聞いたことがない。
目的など分かりきっているが、それでもいい加減に返事をせぬと面倒なことになりそうだ。
さて、ツィンク伯から話を聞いているのかと言われたが、このようなどうでも良い話を聞いているはずがなかろう。
大体、この間の夜会で社交シーズンは終わり、貴族達は各々の領地へと戻っているはず。
国の立て直しは王族がやるが、領地のことは領地を治めている貴族に行ってもらわねばならぬ。
なのに、どうして此奴らはまだこの場にいるのか。
夜会で申した私の言葉を理解しておらぬではないか。仕事を放棄してまで、あの娘のことを忠告しに来るとは、正気とは思えぬ。
目の前の貴族達は俺が心の中でそのようなことを考えているとは露程も思っていないのか、未だに鼻息が荒い。
その情熱をもっと別のことに向けてもらいたい。切実に。
「あの聖女がフィニアス殿下の寵愛を受けていると噂になっているのは御存じなのですか!」
「いくら、貴族に準じると仰っても、あの娘の出自はどう足掻いても平民。よもや平民を王弟妃になさろうと思っているわけではないでしょうな」
「陛下は聡明な方だと存じております。そのような間違いを犯すはずがございません。ですので、きちんと我々に説明していただきたいのです」
口々に不満と心配を口にする貴族達。だが、此奴らがそう思うのには理由がある。
以前からフィニアスがあの娘を寵愛しているという噂は出回っていた。だが、半信半疑であった者が大半であった。
噂が決定的となったのは、聖女お披露目の夜会である。
あのとき、フィニアスは己の目の色と同じ色のドレスをあの娘に着せていた。フィニアスの視線、態度などを見れば、あの娘を寵愛しているのは一目瞭然であった。
おまけに、さり気なくアクセサリーもフィニアスの衣装とお揃いになるようにしていたしな。
立場を良く分かっているはずのあの娘が自ら選ぶとも思えぬし、明らかにフィニアスが選び贈ったのだろう。
しかも、あの娘はお揃いだとは気付いていない様子だった。我が弟ながら、抜け目がないというか。これまで他者に対してあのような執着を見せたことがなかったので、なおさら俺は驚いた。
おまけに、本当に顔を見せるだけ見せてさっさと帰ったのだから、寵愛していないなんて誰が信じるのか。
着飾らせるだけ着飾らせて、他人の目には触れさせたくないとは……。
俺は若干、フィニアスのこれからが心配になったぞ。
で、だ。
俺の目の前にいるフィニアスがあの娘を寵愛していると言ってきた貴族達には、確か適齢期の令嬢がいたはず。
狙いがバレバレすぎてまともに相手をする気にもならぬ。
事情を知っている貴族ならともかく、フィニアスを馬鹿な王子だと本気で思って、これまでいない王子として扱っていたのに、己の娘をフィニアスに嫁がそうなど虫が良すぎるが、彼らが欲する言葉を俺が言わない限りは帰ることはないだろう。
「あ~、心配せずとも、平民が王族の妃になることはない。絶対に、ない」
手を横に振りながら、適当に言い放つと、貴族達は嬉しそうな表情を浮かべていた。
望み通りの答えをくれてやったのだから、さっさと帰ってくれ。
俺は忙しいのだ。エルノワ帝国との件もまだ終わってないのだから。
「陛下、そのお言葉に嘘はございませんね」
「ない」
「本当に平民が妃となることはないと」
「くどい」
軽く貴族達を睨み付けると、彼らは一瞬体を震わせる。
ここまで来た勇気はあるのに、睨まれただけで怯えるな。
とは思っても、きちんと理由を話さねば、此奴らも納得はせぬか。
面倒だが、説明するしかあるまい。
「……今は国を立て直す方を優先するべきだと私は思っているし、フィニアスの婚約はアルフォンスの魔力が安定する頃くらいを目安に考えている」
「そんなに先なのですか!?」
「王太子をまだ決めておらぬからな。アルフォンスの魔力が安定すればアルフォンスが王太子となる。この状況でフィニアスが結婚して、王子が生まれてしまうと余計な争いの種を蒔くことになる。アルフォンスの魔力の安定がいつになるか分からぬ以上、適齢期の女性を何年も待たせることになってしまうから、婚約自体も今は考えておらぬ。よって、アルフォンス次第なのだ。分かってくれ」
文句を言っていた貴族達は、俺の説明に納得したのか、ようやく全員口を閉じてくれた。
「さて、話は終わったか? 悪いが、目を通さねばならぬ書類が山のようにあってな。そろそろ、集中したいのだが」
「……承知、致しました。アルフォンス殿下が王太子となられる日を心待ちにしております」
「我々貴族が何を求めているのか、陛下には知っておいてもらいたかったのです」
「分かっている。故に、こうして機会を作ったのだ。其方らの気持ちは痛いほど分かった。安心せよ」
おお、ありがたい、と口にした貴族達は、自分達の願いが叶ったと思ったらしく満足げだった。
だが、まだ何か言い足りないのか、退室する素振りすら見せない。
早く帰れ。
「ですが、やはりフィニアス殿下の近くに、平民の娘がいるのは我慢できません」
「あの娘は国の、王家の恩人だ。無下にはできぬ」
「ええ。分かっております。ですので、聖女様には聖女としての仕事をして頂くというのがよろしいかと」
「聖女の仕事?」
何を言い出すのだ?
面倒なのはごめんなのだが。
という俺の気持ちなど知らぬ貴族達は、気色の悪い笑みを浮かべていた。
「旧ベルンシュタイン伯爵領に創造の女神・クレアーレ様の神殿がございます。聖女様にはそこにお祈りに行ってもらうのはいかがでしょうか? 建国当時より神殿は王家が管理しておりましたが、先々代国王陛下から続く王国内の揉め事や、先代国王陛下が神殿を含む領地を前ベルンシュタイン伯爵に与えたこともあって、五十年ほど王族の方は赴いておりませんし、クレアーレ様がお怒りかもしれません。なので聖女様に王家とクレアーレ様の橋渡しをして頂くのがよろしいのではないかと」
クレアーレ神殿か……。
いずれ、王族の誰かに行ってもらわねばならぬと思っていたが、まさかそれを出してくるとはな。
この貴族達は、さすがに中立派にずっといただけあって知恵は回るようだ。
というのも、神々は気に入った者の前にしか姿を見せぬ。目の前の貴族達は、あの娘がクレアーレ様に気に入られるとは微塵も思ってないからこその提案だ。
聖女と呼ばれる者がクレアーレ様に気に入られずに会えぬ結果となれば、あの娘は笑い者になってしまう。
此奴らはよほど、あの娘の評価を下げたいらしい。
どうすべきかと悩んだが、この場ではね除けてしまうと余計な亀裂が生じるのは確実。
答えは決まっていたが、明言は避けておこうと考えた俺は口を開いた。
「……考慮しておこう」
「よろしくお願い致します」
やっと用件は済んだのか、貴族達はこちらに一礼をして執務室から出て行った。
ようやく静かになり、俺は背もたれに体を預けた。
「……平民が王族の妃になることはない、ですか」
「何だ? 含みのある言い方だな」
それまで黙って貴族達との会話を聞いていただけの補佐官のギルベルト・モーンシュタインが横目で俺を見ながら、そう呟いた。
長らく国王派の貴族であったモーンシュタイン伯爵の嫡男とあって、俺に良く仕えてくれているが、ただ俺の言葉に頷くだけの人間ではない。
俺が間違っているときは間違っていると忠告してくれるありがたい存在でもあるので、何か思うところでもあるのかと声をかけたのだ。
ギルベルトはコホンと咳払いをした後で話し始める。
「いえ、平民を貴族にする方法など山のようにあるというのに、ツィンク伯爵達は随分あっさりと引き下がったものだと思いまして」
「平民は妃になれぬという俺の言葉を欲していただけだろう。彼奴らは勝手に俺が聖女とフィニアスの結婚はないと申したと脳内変換しただけだ。おめでたいな」
「陛下の真意は違うと?」
「……別にどちらでも構わぬ」
俺が何の感情も乗せずに呟くと、ギルベルトは意外そうな表情でこちらを見ていた。
平民と王族との結婚を許可するようなことを申すなど、王の答えとしては、まずかろう。
曖昧な笑みをギルベルトへ向けると、奴は眉を寄せて息を吐いた。
「昔から思っておりましたが、陛下はフィニアス殿下に対して割と甘いですよね」
「そうか?」
「ええ。国の今後を考えたら、フィニアス殿下には然るべき家の令嬢と結婚して頂くのが最善でしょう。ですが、陛下は聖女様とのことについて何も仰らない」
国内の有力貴族の娘と結婚することが国にとって最善であるのは俺だって分かっている。
だが、俺にも家族の情はある。
「フィニアスは、昔から我慢をさせられてばかりだった。欲しい物を欲しいと口にせぬよう教育されてきたのだ。だから、俺は結婚くらいはあいつの希望をできる範囲で叶えてやりたいのだ」
国のために犠牲になってきた弟の結婚くらい自由にさせてやりたいという俺の考えに嘘偽りはない。
それに、と俺は言葉を続けた。
「大体、あのフィニアスが初めて他人に執着を持ったのだ。他人と深く関わろうともせず、上辺だけの付き合いを続けていたのに。いくら身寄りのない可哀想な娘という同情心があったとしても、さらわれたと知り人目も憚らずに俺に直談判しに来るくらい、フィニアスはあの娘に執着している。ならば、可愛い弟のために下地作りの時間くらいくれてやろうと思うのは当然ではないか」
俺の言っていることが理解できなかったのか、ギルベルトは時間? と言って首を傾げている。
「陛下は、フィニアス殿下と聖女様との仲を認めていらっしゃるのでは?」
「黙認しているだけだ。現時点で王としては認めるわけにはいかぬ。それに今の状況であの娘をフィニアスの妃にしたら、貴族達が黙っておらぬ。特に適齢期の娘がいる貴族はな。だから時間をくれてやったのだ。アルフォンスの魔力が安定するまでの間に、あの娘がベルクヴェイク王国になくてはならぬ存在となっていれば問題はない。そのときは、いくらでも手を貸そうじゃないか」
「要は、他の貴族に認めさせろ、ということでございますか?」
「……どちらかというと、黙らせろ、という方が正しいな。どうしたって文句を申す貴族は出てくるのだ。テュルキス侯の奥方のときだってそうだっただろう」
そう俺が口にすると、詳細を知っているギルベルトは沈痛な面持ちとなる。
まあ、気持ちは分かる。あれは、気分の良い話ではないからな。
少し考え込んでいたギルベルトは、ゆっくりと口を開いた。
「だから聖女の肩書きを与えられたのですか?」
「あれは、アルフォンスのためだが、その意図も多少はある。こちらの事情に巻き込んだという負い目は俺だって持っている。それを生かすか殺すかは、あの娘次第だ」
「左様でございますか。では、クレアーレ神殿の件はいかが致しましょう?」
俺の言葉に納得したのか、ギルベルトはあっさりと次の話題を口にした。
そうだな。クレアーレ神殿の件だが、先ほどは考慮すると言ったが、俺は九割方あの娘に任せるつもりでいる。
理由は、フィニアスとあの娘を一度引き剥がして距離を置かせるため。
召喚した側とされた側でお互いに気持ちが盛り上がっているだけという可能性もあるし、距離を置くことで冷静になり、やはりこれは恋ではないとなるかもしれぬ。
だからこそ、これはそれを確認する良い機会。
ツィンク伯達が何か企んでいる可能性もあるが、どちらにせよクレアーレ神殿には行かねばならぬのだ。
まだ国の立て直しは始まったばかり。ここでツィンク伯達の言葉を切り捨てた場合、また裏で何かを画策されてしまう。
大体、クレアーレ様に会うには神殿の最奥部まで行かねばならぬ。あそこはクレアーレ様に気に入られた者しか入ることは許されぬ場所。
後でフィニアスに迎えに行かせた際に、奴にこっそり最奥部まで行かせて、これまで王族が訪れなかったことを謝罪してもらおう。
初代国王陛下を愛し、気に入っていたクレアーレ様は、昔から血縁者である王家の人間を気に入る傾向がある。
対外的には、あの娘がクレアーレ様に気に入られ、王家との橋渡しをしてくれた、と見せれば何も問題はない。
だから、あの娘には神殿を訪れたという事実があれば良いだけ。
「あの娘に行かせる。人選はフィニアスに任せよう。だが、あやつは一月ほど領地に行かせ、仕事を終わらせてから合流させよ。それと巫女長にクレアーレ神殿に聖女一行が行くことを伝えておけ。よいな」
「かしこまりました」
静かに執務室から出て行くギルベルトの後ろ姿を見送った俺は、止まっていた手を再び動かした。