4・決意
はぁ、と私は何度目かも分からないため息を吐く。
夜会の日から数日が経過していたが、夜会でダンスを踊っていたエレオノーラ様とフィニアス殿下の姿が未だに私の目に焼き付いていた。
すごくお似合いだった。
見ている人が思わず見惚れてしまうくらいにお似合いだった。
私みたいに化粧で誤魔化したまやかしの外見なんか足下にも及ばない。
……って、何で私はエレオノーラ様と同じ立場として考えてるのよ!
侯爵令嬢であるエレオノーラ様と平民、しかも異世界の人間である私が同じ立場なわけがない。
身分の違いというものを夜会で嫌というほど思い知ったはずだ。
なのに、フィニアス殿下は変わらず、いつもと同じように私に接してくれる。
諦めなければいけないという思いとは裏腹に、そんなフィニアス殿下の行動を嬉しいと思ってしまう浅ましい自分がいる。
しばらく悩んで唸っていたけれど、部屋に閉じこもっていても答えは出ないと思い、私は庭に行くことにした。
ジルヴィアさんと護衛を連れて、私は無言で庭を散策していた。
王弟殿下の屋敷の庭ということで、庭だけでもかなり広い。
色鮮やかな花を眺めながら歩き、私が噴水のところにまで来ると、テュルキス侯爵が一人噴水の前で佇んでいた。
まさかテュルキス侯爵がいるとは思わず、私は目を見開いた。
足音で誰か来たのかが分かったようで、テュルキス侯爵がこちらへ視線を向けてきたので、私は慌てて頭を下げる。
「お久しぶりです、テュルキス侯爵。こちらにいらっしゃるとは、珍しいですね」
「ああ、聖女殿か。なに、エルツの研究を儂から国に譲渡するのに、フィニアス殿下にご相談したいことがあって参ったのだ」
「国に譲渡するんですか?」
「一人の研究ではいずれ行き詰まる。それにエルツはこの国のこれからを支える大事なもの。独占してよいものではない。儂個人の富よりも人々の暮らしのために役立ててもらいたいのだ」
テュルキス侯爵の顔は晴れ晴れとしていて、国のために表立って動けることができて嬉しいという感情が溢れている。
エルツの研究が上手くいくといいなぁ、と私が考えていると、テュルキス侯爵が「ところで」と言いながらこちらを向いた。
先ほどまでの晴れ晴れとした表情はいつもの無表情へと戻っている。
彼はジルヴィアさんや護衛に大事な話があるからと離れるように命じ、その場に私達二人だけが残された。
何を言われるのかと私が身構えていると、テュルキス侯爵がゆっくりと口を開く。
「……お主はフィニアス殿下のことをどう思っておる」
「へ?」
「どう思っておるのだ」
「…………お、お優しい方だと思っています。私のような人間にも気を使ってあれこれして下さいますし、感謝しております」
突拍子もないことを聞かれ驚いたけれど、さすがにフィニアス殿下のことを好きだとは言えず、私は当たり障りのないことを口にした。
けれどテュルキス侯爵は納得していない様子で、疑うような眼差しを私に向けている。
「お主のフィニアス殿下への態度は、おおよそ感謝しているというだけとは思えんがな」
「それは……!」
「だが、それはフィニアス殿下も悪い。あの方は過去に召喚して右も左も分からぬまま不幸になった人間を可哀想だと思うくらいにお優しい方だからな。必要以上にお主に優しくして、お主に惚れておると勘違いさせたとしても仕方あるまい」
さすがにフィニアス殿下から優しくされただけで、この人は私のことが好きなのかも、とかは思わないよ。
というかフィニアス殿下が私のことを好きだとは思えない。
契約上そうしなければならないということもあると思うが、召喚された可哀想な子だという意識もあるのではないだろうか。
「あの、フィニアス殿下が私を好きだとか、勘違いしておりません。フィニアス殿下は元々お優しい方だというのは存じ上げておりますし、特に召喚した負い目を感じていらっしゃいましたので、なおさら私に対して優しくして下さっただけです」
「まあ、お主がそう申すのであれば、そうなのだろう」
なげやりな態度で、ため息を吐いたテュルキス侯爵は額に手を当てた。
私は何もおかしなことは言ってないはずなのに、テュルキス侯爵はなんだか疲れているように見える。
額から手を離したテュルキス侯爵は、すぐに表情を元に戻して私と視線を合わせた。
「で、聖女殿。先ほども申したが、お主の態度は感謝しているだけとは思えぬ。フィニアス殿下に対してそれ以上の感情を持っておるのではないか?」
「……」
「お主のその想いも、また勘違いだ」
「そんなこと」
ない、と言いたかったけれど、やはりな、というテュルキス侯爵の言葉を聞いて、私は口に手を当てる。
あっさりとテュルキス侯爵に乗せられ、自分の気持ちを自白してしまった。
「別に責めておるわけではない。責任の大半はフィニアス殿下にある。殿下が適切な距離を保っていれば良かっただけのことだ」
「それは、ちがいます」
「違う、とは?」
テュルキス侯爵は私の言葉に眉をピクリと動かした。
「私は、フィニアス殿下に優しくされたから、あの方を好きになったわけじゃありません。私は」
言葉を続けようとした私に被せるようにして、テュルキス侯爵が口を開いた。
「頼れる者が誰もおらん状況で、フィニアス殿下がただ一人の味方だった。恐怖の中で信用できるのがフィニアス殿下だけ。お主はそれを恋だと勘違いしておるだけではないのか?」
テュルキス侯爵に遮られる形で言われた言葉に、私は咄嗟に何も返せなかった。
フィニアス殿下を好きだという気持ちに嘘偽りはないけれど、そういう部分もあったのかもしれないと思ったら、この想いは絶対に勘違いではないと、自信を持って私は言えなかった。
「そのような気持ちを抱いていて、仮に元の世界に戻れることになった場合、フィニアス殿下を諦めてすっぱりと戻ることができるのか? 躊躇してしまうのではないか? やはり離れがたいと、こちらに残ったとしても、フィニアス殿下はいずれこの国の貴族の令嬢と結婚される身。お主が間に入れる隙間などどこにもない」
現実を叩きつけられ、黙り込んでしまった私を一瞥したテュルキス侯爵の目はとても冷たかった。
「己の身の振り方をよく考えることだ」
そう言うと、テュルキス侯爵は庭から去って行き、話が終わったことでジルヴィアさんと護衛が戻ってくる。
私は、地面を見ながら手を握りしめていた。
ルネ様、という私を心配するジルヴィアさんの声が聞こえるけど、大丈夫だと微笑む余裕は今の私にはない。
勘違い、なんかじゃないよ……。
そう思って私はフィニアス殿下のことを思い浮かべた。
私を呼ぶ優しい声を思い出すと、胸の奥がきゅうっと締め付けられるような感じがした。
勘違いじゃないと思っている一方で、テュルキス侯爵の言葉も否定できない。
でも、テュルキス侯爵に言われて、分かったことがひとつだけある。
……このままフィニアス殿下の側にいて、彼を今以上に好きになったら、きっと私は元の世界に戻るのを躊躇してしまうだろうってこと。
今ですら、フィニアス殿下が婚約するかもって聞いて、ショックを受けるぐらいだもの。
これ以上、彼を好きになったら、自分がどうなるのか分からない。
今ならまだ間に合う。今ならまだ、元の世界に戻れる。戻って日常に慣れれば、フィニアス殿下とのことを思い出にできる。素敵な人に恋をしたことがあるんだ、と言える日が来る。
だから、私は元の世界に戻るためにも、フィニアス殿下と距離を取ろう、と心に決めた。
そのためには、まずは自立だ。
後日、私は屋敷の執務室にいたフィニアス殿下に会いに行った。
「ということで、フィニアス殿下。私に仕事を下さい」
「いきなり部屋に来て、貴女は何を言い出すんですか?」
驚いているフィニアス殿下に構わず、私は彼に近寄る。
「私、働くのが好きなのです」
「貴女は王国の客人であり、聖女なのですから、働く必要などありません。それで良いじゃありませんか」
「そういう訳にはいきません。働いてお金を稼ぐ。それは生きていく上で当たり前のことです。自分の食い扶持は自分で稼ぐものです。誰かに与えてもらうものじゃありません」
「それは、とても立派な考えだと思います。ですが」
中々首を縦に振ってくれないフィニアス殿下の様子に私はさらに近寄り、勢いよく机に手を置いた。
突然、私がそんな行動に出たものだから、フィニアス殿下は目を瞠っている。
「甘やかされて、聖女という立場に胡坐をかきたくないんです!」
お願いします! と私が頭を下げると、フィニアス殿下はしばらく黙った後で息を吐いた。
「分かりました。陛下に相談してみます」
「ありがとうございます!」
「……それにしても、仕事がしたいだなんてルネは物好きですね。もしかして、何か欲しい物でもあるのですか?」
欲しい物ならある、と私は頷いた。
「家を買おうと思っています」
「家!?」
「はい。お金を稼いで家を買って自立するんです。いつまでも甘えていてはダメですからね」
フィニアス殿下と物理的に距離を置くなら、この屋敷から出て自立するのが一番だ。
だから仕事が欲しいと思っているのに、フィニアス殿下は口をポカンと開けて呆然としている。
「…………却下です」
フィニアス殿下は、絞り出すような声で呟いた。
「却下? 何でですか!」
「家を買うなんてとんでもない。貴女は聖女なのですよ? 私達が保護しなければならないのに、庇護下から出て行くことは許されません」
「そ、それは、そうかもしれませんけど」
とにかくフィニアス殿下と距離を取らなければという思いが先に立って、そっちの事情をすっかり忘れていた。
かといって、王城でお世話になるわけにもいかない。ここ以上に気が休まらないと思うから。
「そのような理由だとしたら、許可を出すわけにはいきませんね」
それは困る!
どうしよう。どうしよう……。
…………あ、仕事を詰め込んで屋敷にいる時間を減らせばいいんじゃない?
そうすれば、フィニアス殿下と会う時間も減るだろうし、ちょうどいい。
「家を買うのは諦めますので、働かせて下さい。お願いします」
「本当ですね?」
「本当です。誓います」
私の言葉を聞いたフィニアス殿下は、明らかにホッとしているようだった。
保護しなくちゃいけない人が出て行ったら大変だよね。
自分のことしか考えていなかったことを反省しないといけない。
だけど、ちゃんと仕事を与えてくれそうで、そこは良かったと思う。
体と頭を動かさないと、暇で余計なことばかり考えてしまうから。
それに、お金を稼いで貯金をしておけば、日本に帰るときにフィニアス殿下に、これまでのお礼ですって渡せるしね。
中庭でテュルキス侯爵から言われてから、考えてたんだ。
仮にフィニアス殿下がどこかのご令嬢と結婚することになったとして、私はどうするのか。
祝福はできると思う。笑っておめでとうございますって言えると思う。
だけど、その先は分からない。
この世界にいる限り、フィニアス殿下の情報は嫌でも私の耳に入る。
いずれ子供が生まれることもあるだろう。夜会などで夫婦が仲良くしている姿を見かけるかもしれない。
それを考えただけで胸が張り裂けそうなくらい辛かった。
想像だけでこれなんだから、現実になったら、どうなるのか分からない。
だから、本当に我慢ができなくてどうしようもなくなったら、王妃様に頼んで帝国の持っている転送の宝玉を使ってもらおうと考えている。
他の国に行くことも考えたが、半能力半魔法属性を複数持っている私を、この国が手放すとは思えない。
なので、元の世界に戻ると言って頷いてもらうのだ。
元の世界に戻れるかは分からないし、どこまで細かい条件を付けられるのか分からないけど。
なので、奥の手、最終手段で転送の宝玉を使ってもらう、と決めたんだ。
今の時点ではお願いする可能性が高いんだけど。
まあ、なんにせよ、ここに残ることになっても、元の世界に戻ることになっても、お金は稼ぎたい。
フィニアス殿下が結婚したら、このお屋敷でお世話になり続けるわけにもいかないし、王城に行くか、貴族街の隅っこに小さな家を建てて暮らした方がいい。
そのための資金を貯金しておきたいしね。
元の世界に戻る場合、フィニアス殿下には、あんな子がいたなレベルでもいいから覚えていて欲しい。……本音を言えば、好印象を残して、ずっと覚えていてもらいたいけど。
私の我儘だけど、そう思うんだ。
だから、お金を稼いで国に渡すことで、貢献することで私の良い印象を残したい。
地道に稼ぐのもいいけど、一攫千金も狙いたいと思っている。
折角、聖女という肩書きをもらったのだから、何かいかせる方法はないものか、と私は頭を悩ませた。