3・やるべきことの説明と契約書
思い立って深く考えずに契約しましょうと言っておいてなんだけど、私は自分がやるべきことを詳しく聞いていないことに気付いた。
「あの、今更なんですけど、私は何をすればいいんでしょうか? あまり難しいのは」
「大丈夫です。難しいことは何もありません。ルネにお願いするのは私の甥であるアルフォンス殿下のお世話です」
王子様のお世話!?
自分で言うのもなんだが、得体の知れない人間を王族のお世話係に任命するなんて危険すぎやしないだろうか。
という、私の心の声を察したようで、フィニアス殿下は詳しい説明をしてくれた。
それによると、アルフォンス殿下はユリウス陛下のお子様で六歳の男の子だそうだ。
アルフォンス殿下の魔力は多いそうなのだが、子供は魔力の制御が難しく、年々増えている魔力を一年前に暴走させてしまい、その場に居合わせた王妃様の侍女が亡くなってしまったらしい。
それ以来、彼を怖がった王妃様は王城を出て、テュルキス侯爵領で静養しているのだという。
魔力を暴走させたこと、それにより犠牲者が出たことで、国王陛下はアルフォンス殿下を王城内の人があまり寄りつかない部屋へと追いやってしまった。
ただ、そんな事情なのでアルフォンス殿下の侍女は怖がってしまい長続きせず、これまで沢山の人が辞めていったのだとフィニアス殿下から聞かされた。
ついでに、これまでアルフォンス殿下付きの侍女は一人しかおらず、当然、私にも一人でアルフォンス殿下のお世話をすることが求められる。
ということは。
「ちょっと待って下さい。それって魔力が暴走したら、私も危険じゃないんですか?」
「その心配はいりません。実はアルフォンス殿下の魔力を利用してルネを召喚しているので、現在、アルフォンス殿下の魔力はほぼ空になっています。普段は魔力制御の装飾品を身につけていますから、そう簡単に暴走はしないはずです。……殿下の魔力に耐えきれずに壊れてしまいますが……」
ちょっと! 最後! 不穏なこと言わないで!
大丈夫だとフィニアス殿下は話しているけど、私の不安は増すばかりだよ!
「仮に、アルフォンス殿下の魔力が暴走したとしても、いきなり広範囲に被害が及ぶ訳ではありません。危険だと判断したらすぐにその場から逃げれば大丈夫です。その猶予はあります。それに、ルネは分解、もしくは吸収属性なので、怪我をするという結果にはならないと思います」
迷いなくフィニアス殿下は話しているが、そもそも私は魔法が使えるということも疑問に思っている。
使ったことがないから当たり前なんだけどね、と私が考えていると、フィニアス殿下は驚くべきことを口にした。
「それと、世話をするのも大切ですが、一番にやって欲しいのは、アルフォンス殿下の食事に盛られている毒を分解もしくは吸収することです」
毒!?
食事に毒を盛られるって……とんでもなくやばい状況なんじゃないの?
アルフォンス殿下大丈夫なの?
驚いている私を気にする様子もなく、フィニアス殿下は話を続ける。
「やり方は簡単です。食器に触れれば良いだけです。分解の属性を持っているのであれば、毒は分解され、吸収の属性を持っているのであれば、器の方に毒が吸収されます」
「ま、待って! 待って下さい! そんなこと私にはできません! 人の命を私が握ってるなんて……! それに魔法が使えるかどうかも分かりませんし」
「では、試してみましょうか」
フィニアス殿下は机に置いてある呼び鈴を鳴らし、ヘルマンさんを呼ぶと水が入ったボウルを持ってこさせた。
それを私の目の前に置く。
「縁の部分に手を添えて下さい」
言われるまま、私はボウルの縁に手を添える。
「心を静かに、余計なことは考えずに、中に入っている水を動かすことだけを考えて」
水を動かす? と思いながらも私は水をジッと見つめ、動け~動け~と念じ始めた。
すると水がちょっとだけ波立ち、おっ! と私が思った瞬間に波は消えて静かになる。
自分が揺らして動かしたような水の動きだったことから、私は手を動かさないように気をつけながら再び動けと念じ始める。
何度かそんなことを繰り返し、私は水を動かすことを諦めかけていた。
大体、動かすっていうのが抽象的なんだよね。水だったら、あれ、鳴門みたいな感じかな。
あれだったら、動いてるって見ても分かるよね。
波が立つだけだったら、もしかしたら自分で動かしたかもって思うけど、渦をまいてたら一目瞭然だもん。
私が水が渦をまいている様を頭に思い浮かべていると、血液が手のひらに向かって流れているようなむず痒い感覚がし始め、次にボウルに入った水がまるで連動しているかのように渦をまき始めた。
「え?」
驚いて集中力が途切れてしまい、次第に渦の動きがゆっくりになっていく。
私がやったのかと信じられずにいたら、フィニアス殿下から「できましたね」という言葉を貰った。
どうやら、本当に私がやったらしい。
不思議な気持ちになり、私は自分の腕を眺めていた。
今の感覚はなんだったんだろう。もしかして、あれが魔力の流れとかいうやつ?
気持ち悪いような妙な感覚だった。
「これで貴女に魔力があるということが分かりましたね」
「……信じられませんけど、そうみたいです」
本当に魔法が使えるんだ~と私は他人事のように感じていた。
現実離れし過ぎていて実感が湧かない。
「でも、水を操ったっていうことは、私は水属性の魔法も使えたりするんですか?」
「いえ、今のは魔力で水を動かしただけです。……では、契約の話に戻りましょうか」
自分から持ちかけた大事な話を再開すると聞き、私は背筋を伸ばした。
せめて自分の不利にならないような条件にしなければならない。
「こちらの要求は、アルフォンス殿下の世話と食事の解毒。それのみです」
「え? それだけですか?」
「はい。というのも、テュルキス侯爵はアルフォンス殿下を殺害の後、王妃をベルクヴェイク王国の人間によって殺害するという計画を立てているそうです」
「そこまで分かってるなら、どうしてテュルキス侯爵を捕まえないんですか?」
計画がフィニアス殿下にばれていて、危険だと分かっているなら、どうして野放しにしておくんだろう? と私は疑問を持つが、フィニアス殿下は首を横に振った。
「一切、証拠がないんですよ。彼を捕まえる余罪もありません。警戒して監視するしかないんです。それに我が国は、貴族の方が力を持ちすぎて、王の権力はかなり低い。圧倒的に国王派は不利な状況です。そんな状況で疑わしいというだけで侯爵を捕まえたりしたら、都合の悪い人間は無実の罪を着せられて侯爵と同じように投獄されると考えて、中立派の貴族はこぞってテュルキス侯爵側に付いてしまいます。そうなれば、この国はお終いです」
フィニアス殿下は絶望感を漂わせているが、いくら権力が低いといっても貴族が王族の言うことを無視するとは思えないんだけど。
「あの、テュルキス侯爵を止めることはできないのでしょうか? 過去のことを謝罪するとかしてわだかまりをなくすとかできないんですか? 王族の方が出ればなんとかなるんじゃないんですか?」
途端に彼は表情を強張らせる。
何か悪いことを聞いてしまったのかと、私は慌ててしまう。
「謝罪で解決できることではないのです。それに、私にテュルキス侯爵を説得するだけの力はありません。私の評価は頭が足りず何も考えていない利用価値のない王弟、いてもいなくてもどうでもいい、と思われていますから。それなりの敬意はあるかもしれませんが、説得はできないでしょうね」
「でも、フィニアス殿下は色々と考えているし、私からはそんな風に見えませんよ」
「それは私が普段、愚鈍な王子を演じているだけです。陛下と私の派閥ができて、国が二つに分かれるのを恐れた母から、何も分からないふりをしろと教育されてきたもので。お蔭でこうして、目立たずに動けているわけですから、良かったと思っています」
フィニアス殿下は笑っているが、他の人から侮られて軽んじられて、傷ついていない訳がない。
優しいだけの人ではないと私は思っていたが、この人はきっと色んな痛みを知っている。
それを乗り越えて、この人は笑っている。
見た目からは想像がつかなかったが、フィニアス殿下は私が思っている以上に強い人だ。
「私の話はいいんです。問題はこの国の人間が王妃を殺害することです。これはエルノワ帝国に戦争を起こさせる理由になります。我が国とエルノワ帝国が戦争になっても、万にひとつも我が国が勝てる要素はありません」
「だから、戦争を回避したいんですか?」
「その通りです。正直、エルノワ帝国と通じている証拠を掴むまであと一歩というところなんです。その証拠を掴むまでは、何とか王妃殿下にもアルフォンス殿下にも生きていてもらわないといけないんです」
なんとしても二人に生きていてもらわなければならないのは分かった。
でも。
「アルフォンス殿下を助けることが王妃様を助けることに繋がるんですか?」
「繋がる、というよりも、実行時期を延ばせると言った方が正しいですね。今はお互いに出方を窺っている状態なんです。一触即発の状態で、アルフォンス殿下が殺されたとなれば、事は一気に動いてしまいます。こちらは、まだ準備が整ってはいないので、時期が早まるのだけは避けたいんです」
アルフォンス殿下の殺害がトリガーになるということだと私はなんとなく理解した。
実行時期を延ばすと言っているけど、具体的にはどのくらい延ばせばいいのだろうか。
「それでは、いつまで私はアルフォンス殿下のお世話をすればいいんですか?」
先が見えていれば、少なくともここまでは頑張ろうという気になれる。
そう思って私はフィニアス殿下に尋ねたのだが、彼は少し口ごもり言いにくそうに「四ヶ月」と声に出した。
四ヶ月……長いようで短い期間である。
フィニアス殿下は大したことではないと言っていたが、私の働きによって、この国の寿命が延びるかどうかが決まるようなものだ。
責任が私の肩にのしかかる。
「四ヶ月後に陛下の即位十周年の記念式典があります。事を起こすのは、式典後の夜会の可能性が高い。会場内で王妃殿下と至近距離で言葉を交わせますから。式典には帝国の皇子殿下も招待される予定ですので、そこで王妃殿下を殺害すれば、こちらは言い訳が全くできません」
「それまで私はアルフォンス殿下が殺されないようにしなければならないんですね」
「そういうことになります」
とりあえず四ヶ月の間、私は頑張らなければならないようだ。
できるかな? と私は考えて、そういえば部屋にはアルフォンス殿下と私しかいないということに気が付く。
だとしたら、敵は侵入し放題だし、アルフォンス殿下の命を狙うのは簡単なのでは?
「質問なんですけど、そこには私とアルフォンス殿下しかいないんですよね? だったら敵はどうして毒殺しようとするんですか? 最初から建物に侵入すれば話は早いんじゃ」
「済みません、説明が漏れてました。部屋の外と建物の周りに国王派の騎士がいるんです。諸事情により、同じ部屋に騎士を置くことはできないのですが。それでも、これまでアルフォンス殿下の命を狙った賊が侵入したときは、部屋に入る前に騎士によって対処されています。だからこそ、毒殺をあちらは狙っているんです」
ちゃんと守ってくれる人が側にいるのであれば安全だ。
私がホッとしていると、フィニアス殿下は難しい顔をしたまま口を開いた。
「それと気を付けてもらいたいのですが、殿下は、というか、十歳になるまでの子供は魔力の制御が上手くできないんです。通常の子供の魔力はたかが知れているので、問題は無いのですが、アルフォンス殿下の魔力はかなり多いので、感情が高ぶったりすると、魔力が出てしまい、相手を攻撃してしまう場合があります。ですので、あまりアルフォンス殿下を興奮させないようにして下さい」
どうなるのか簡単に想像はできなかったが、私は自分の安全のためにも絶対に興奮させてなるものかと無言で何度も頷いた。
「アルフォンス殿下は心の優しい子ですから、滅多なことでは興奮などしません。安心して下さい。……ですが、周囲から腫れ物に触るように扱われて傷ついています。私の前では弱音を吐かないので、大丈夫なのかと心配で堪らないんです」
フィニアス殿下は、本当に辛そうにアルフォンス殿下のことを話している。
「どうか……どうかあの子を、アルフォンス殿下を頼みます。この国の行く末なんて関係のない貴女に頼むことではないと分かっているんです。それでも……! 私は、この国と、あの子を……助けたいんです」
フィニアス殿下の必死の訴えに私の心は揺り動かされていた。
信じられないけど、私に魔力があるということは、さっきのことで分かった。
話を聞いて、できることなら私はアルフォンス殿下を助けたいと思ってる。
国王派が正しいのかはハッキリしないけど、私はどうしてもフィニアス殿下が悪い人だとは思えない。
彼は本当にこの国を救いたいと思っている。それこそ、異世界人の私に頼もうと思うくらいには。
私を頼みの綱だと彼が思っているのかは分からないけど、話を聞いて手を貸そうと思ったのも事実。
どっちにしても、私は一人では生きていけない。
目の前のこの人に頼るしかないのだ。
ならば、答えはもう決まっている。
「アルフォンス殿下のお世話係をやります」
「……ありがとうございます」
安心したように彼は笑い、私の手を取って両手で包み込んだ。
なんだか、王族っぽくない態度に私は思わず笑ってしまう。
「それと、私の要求はひとつ。元の世界に帰るために一緒に協力して調べて下さい。これだけです」
「分かりました。王家の名に誓い、貴女が元の世界へ戻れるように協力します」
「よろしくお願いします」
固く握手を交わした私達……だったが、フィニアス殿下が契約書を書いて見せてくれた瞬間に私は膝から崩れ落ちた。
どうしよう、この世界の文字が読めない……!
言葉が通じていたから、てっきり文字も読めるものだと思っていたのに。
こんなところで躓くなんて……。
崩れ落ちた私を見たフィニアス殿下は、どうかしたのかとオロオロとしているので、私は文字が読めないということを正直に伝えた。
すると、彼は一言、「大丈夫ですよ」と優しく私に言ってくれる。
「こちらの紙は主に外交で使われている魔法紙でして、紙に触れながら書かれている文章とは違うことを言うと、燃えて消えてしまうんです」
「……え?」
燃えて消える?
唖然としている私を尻目に、フィニアス殿下はもう一枚紙を取り出して何やら字を書き始め、書き終えた紙と契約内容が書かれた紙を私に見せた。
「両方の紙に書かれている文字が同じかどうかを確認して下さい。確認後に書かれている文章とは違うことを私が言うので、どうなるのかをご自分の目で見て確かめて下さい」
ああ、実演してくれるのか、と理解した私は、差し出された紙を受け取り、椅子に座って一文字一文字確認していく。
さすがに読めなくても文字の形の違いくらいは分かる。
私は時間をかけて、両方の紙に書かれている文章が同じであることを確かめた。
「確かに同じでした」
紙をフィニアス殿下に渡すと、彼は最初に書いた方を机に置き、後に書いた方を私に見せるように持ち、口を開く。
「私、フィニアス・ベルクヴェイク=アイゼンは、ルネ・ドージマが元の世界に戻る手伝いをしない」
言い終わるとすぐに紙の真ん中が焦げていき、燃え始める。
フィニアス殿下の指が火傷する!? と思った瞬間、彼は手を離し、紙は跡形もなく消えてしまった。
そう、消えたのだ。灰もない。
「これで、信用していただけましたか?」
「……は、はい」
さすがに目の前で見せられて、信じないわけにはいかない。
「では、本番とまいりましょう」
最初に書いた方の紙を手にとってフィニアス殿下は、「私、フィニアス・ベルクヴェイク=アイゼンは、ルネ・ドージマが元の世界へ戻れるよう協力します」
言い終わるが、今度は何も起こらない。
ということは、紙に書かれていることは本当ということだ。
「信じていただけましたか? それと、他のことも口に出して読み上げましょうか?」
「他のこと、ですか?」
「ええ。ルネがアルフォンス殿下のお世話をするということと、ルネの生活に不自由がないようにするということ、それと王家がルネを守るということです」
私に有利なことが書かれているみたいだけど、紙は燃えてないし、本当なのだろう。
他にも書かれていることがあるかもしれないけど、王家が私を守ってくれるっていうなら、そう悪いことは書かれていないのかも、と考え、私はフィニアス殿下から渡されたペンで契約書に署名をした。
こうして、私の異世界生活は始まったのである。