番外編・テュルキス侯爵から見た五十年(テュルキス侯爵視点)
『恨むなら、家族よりも国を選んだ俺を恨んでくれ』
それが、父と交わした最後の言葉。
あの日、敵軍が迫ってきて危険だからと儂は母と共に領地を離れ、父は囮として敵に向かって行き、戦死した。
生き残った者は、それは立派な最期でした、と教えてくれたが、まだ子供だった儂は、どうして父は国のためにそこまで、としか思えなかった。
戦争が終わり、テュルキス辺境伯を継いだ儂が陛下に謁見した際、あの方は玉座から下りて儂の側までおいでになり、手を痛いほどに強く握ってこられた。
『……よくぞ……よくぞ無事であった……』
涙を流しながら、陛下はそう仰ったのである。
『私が不甲斐ないばかりに、其方から父を奪ってしまった。すまぬ……すまぬ……!』
父からは、とても立派な方だと伺っておったが、初めてお目にかかった陛下を拝見し、父と同年代のはずなのに随分と印象が違っている、と儂は驚いたものだ。
ただ、なんとなくではあるが、父が家族よりも国を選んだ理由を少しだけ理解したのである。
その後、陛下から侯爵位を頂き、他の面でも色々と便宜を図って頂いた。
領地の件であったり、儂や母が不便な暮らしをしてないか、他の貴族から何かされてないか、といったことを頻繁に手紙に書いて送って下さったり、物資を送って下さったりと、こちらが申し訳なく思うくらいに気にかけて頂いたのである。
ありがたいことだと、儂は思っておった。
こうした陛下からの手紙や贈り物は申し訳ないという気持ちもあり、大っぴらにして欲しくないという儂や母の願いで極秘で行われてきたこと。
これらを知らん他の貴族達は、陛下が儂らに対して何もしなかったと勘違いをし、あろうことか儂が陛下並びに王家の皆様を恨んでいると勘違いをし始めた。
成人前ということもあり、夜会に出席することもできず、儂自ら反論して回れなかったが、儂は陛下に対しても王家の皆様に対しても恨みの感情など持っておらん。
あの誠実な対応を見ていたら、恨むなどとんでもないこと。
微力ながらお助けしようとすら考えていたのだから。
だから、ある貴族の不正の証拠を掴んだときに、これで恩返しができると喜び勇んで陛下にご報告したのだが……。
『これは、其方一人しか知らぬ証拠か?』
『はい。本人から直接伺っておりますし、証拠もきちんと揃えております』
『ならば、これを私が受け取るわけにはいかぬ』
そう仰った陛下は、提出した書類を儂に戻してきた。
陛下の役に立ちたいという思いだけで来た儂は、思わぬ行動に固まってしまう。
『其方一人しか知らぬということは、この証拠を持って私がその貴族を処分したら、其奴の家族や不正に関わった者の恨みが全て其方に向かうということだ。ゆえに、今は使えぬ』
『そのようなこと! それに私の命など……!』
『ヨアヒム。其方は、これからのベルクヴェイク王国にとって、なくてはならぬ人物になるだろう。それに、其方には私の子や孫を支えて欲しいとも思っているのだ。だからこそ、ここで其方を失うわけにはいかぬ。分かってくれ』
『…………承知、致しました』
心の中では納得などしておらんかった。
けれど、陛下から評価されていることが嬉しかったのも事実。
陛下は私一人しか知らぬことを証拠として出したので、返してきたのだ。
ならば、と、儂は不正を行っておった貴族に近づき、彼をおだてて、色々な場所でポロポロと証拠を零すように働きかけた。
結果として、その貴族の行ったことは他の者も知ることとなり、相応の処分が下されることになったのだが、他の貴族達は、親しくしていた貴族を儂から奪い、孤立させようと陛下がしておると噂するようになってしまった。
過去の罪を思い起こさせる儂を遠ざけたい陛下と、父を見捨てた陛下を恨む儂、という図ができでしまったのである。
反論しようと思ったが、それよりも先に王家を嫌う馬鹿な貴族が儂を取り込もうと近寄ってきた。
色々と後ろ暗いことをしている者達らしく、彼らに仲間だと思われたのは心外であったが、ふと、本当にふと、これは好機なのではないか、陛下に楯突く貴族を一掃できるのではなかろうかと儂は思ったのである。
こうして、儂は噂を訂正することもなく、馬鹿な貴族を相手にすることを選んだ。
以降、何人もの馬鹿な貴族は処分を受けることになる。
陛下のお役に立てていることに、儂はただただ喜びを感じておったのだ。
それから数十年後。
合間に最愛の妻を亡くしたり、一人息子がとんでもなく馬鹿でとてもじゃないが跡を継がせられないと分かったりと色々とあった。
そして、長年王位に就いておられた陛下がご病気で亡くなり、一人息子であったエーリヒ王太子殿下が王となられたのである。
エーリヒ陛下は、生まれつき病弱で、気が弱くとてもお優しい方だったが、決して無能であったわけではない。
先代の陛下が有能すぎて、重圧に耐え切れなかったのだろう。
何かを決めるときは、いつも自信がなさそうで、色んな貴族に意見を求めておった。
最初の頃は、それで問題なく回っておったのだ。
けれど、次第に権力に溺れた貴族達が暴走し始める。
上手いことを申して、王家の領地を頂き、自分の都合の良いように書類を書き替えたりとし始めたのだ。
彼らは、儂が権力を独占しないようにと、陛下からの命令だと、フィニアス殿下の教育係になるように仕向けてきた。
目立たんようにするにはちょうど良いと思い、儂はフィニアス殿下の教育係となり、密かに好き勝手している貴族を調べることにしたのである。
さて、フィニアス殿下だが、あの方は王妃殿下から何も分からない振りをしろと教育されておったので、非常に大人しい方であった。
教えていく内に気付いたが、フィニアス殿下は本当に知らない振りをしておるだけで、普通に優秀な方で物覚えも良い。
兄であるユリウス殿下も優秀な方なので、今の国の状況から考えると簡単に二つの派閥に分かれて継承争いが始まるな、と思った。
王妃殿下の判断は正解だったということだが、分かっておるのに知らん振りをするのは大変だろう。
おまけに、他の貴族から馬鹿にされるのだから、心労もあるだろうに、フィニアス殿下はそのような顔をお見せにならない。
健気な方である。
優しく慈愛に満ち、執着心がなく自分の意見がないフィニアス殿下は、気が弱くお優しいエーリヒ陛下に良く似ていると言われておったが、儂から見たら全然違う。
自分の意見がないように見えるのは、そう教育されておるからだ。
執着心がないのは、色々と諦めておる部分があるのだろう。
幼くとも、ご自分の立ち位置を理解していらっしゃる。だから、フィニアス殿下は優秀なのだと儂は思っておる。
きっとユリウス殿下を支えて下さるはず、ベルクヴェイク王国の次代は心配ない。
などと考えながら、しばらくは問題なく働いておったのだが、ある日、儂の耳に、ベルンシュタイン侯爵がクレアーレ神殿がある領地を頂いた、という情報が入ってきた。
王家が管理している神殿の領地を頂くとは、さすがに見過ごすことができず、儂はベルンシュタイン侯爵に文句を言いに向かった。
『ベルンシュタイン侯爵。クレアーレ神殿は王家が管理しておる。一貴族が独占するものではない』
『そうは仰いましても……。私は陛下から直々に神殿の管理を任されたのですよ? 文句でしたら陛下に仰って下さい』
『ベルンシュタイン侯爵!』
全く意に介さないベルンシュタイン侯爵が、嫌な笑みを浮かべながら立ち去って行く。
陛下は何を考えていらっしゃるのか! あのような者に神殿の管理を任せるなど!
儂は王城内だというのに苛立ちを隠さぬまま、ベルンシュタイン侯爵の後ろ姿を睨み付ける。
『ヨアヒム』
聞こえてきた子供の声に、儂は即座に振り向き、頭を下げる。
『これはユリウス殿下。お見苦しい物をお見せしました』
『よい。其方の気遣いに感謝する。が、其方が申しても聞かぬとなれば、ベルンシュタイン侯爵を説得するのは無理であろうな』
ユリウス殿下は、こめかみに手を当てて、ため息を吐かれた。
まだ十二歳だというのに、随分と物事をよく見ていらっしゃる。
『ヨアヒム。父上は弱い方なのだ。自信がないのだ』
『存じております』
『決して国のことを考えていないわけではない。父上なりに考えていらっしゃるのだ。ただ、他の貴族達を信じすぎている』
『ええ。災害があればいち早く支援を行ったり、密輸に関して厳しく取り締まる法を作られたり、ある領地が食糧難のときは王城内の食糧庫から支援していらっしゃったのは存じております。もっと優秀な者が陛下のお側におれば、と悔しく思います』
『ヨアヒムでは、ダメなのか?』
ユリウス殿下の言葉に、儂は力なく首を振る。
先代の陛下が亡くなった後も、儂は王家を恨んでいるものと見なされておった。
その儂がエーリヒ陛下に近寄れるわけがないし、そもそも掃除はまだ終わっておらんのだ。
『儂は無理でしょうな。噂を訂正するつもりはございませんし、フィニアス殿下の教育係をしておる以上、動くことも難しいでしょう』
『そう、か』
悲しげな表情になったユリウス殿下は、視線を床に落としてしまわれた。
一体どうなさったのか、と儂が口を開こうとすると、顔を勢いよく上げたユリウス殿下がしっかりとした眼差しをこちらに向け、口を開く。
『どうか、王家を見限らないで欲しい』
『何を仰って』
『父上の行いによって、王家は他の貴族から軽んじられている。王家の権力はほぼ地に落ちているといっても過言ではない。ヨアヒムのやってきたことを無に帰す行為だ。王家に対して呆れられても文句は言えぬ。だが、私には其方の力が必要なのだ。国を立て直すには其方がおらねばならぬ。どうか、まだ力を貸して欲しい』
切々と訴えるユリウス殿下は、王太子という立場もあるだろうが十二歳とは思えぬほど、ご立派であった。
王家を恨んでおるという噂を訂正しなかったのは、全て儂が考え、実行してきたこと。
全て自分の責任。
だからこそ、ユリウス殿下がそのように仰る必要はない。
と、儂は申し上げたかったが、それよりも胸に湧き上がる感情を抑えることに必死であった。
子供である自分には何もできないと歯痒さを感じ、それでも国のために動きたいと思っていらっしゃるこの方に、心の底からお仕えしたい。
父が、どうして家族よりも国を選んだのか、このとき儂は正しく理解することができた。
そして、それから数年後。
ユリウス殿下の成人と同時にエーリヒ陛下は退位なさる予定だったのだが、病弱であった陛下はユリウス殿下が成人する一年前に病によって亡くなってしまわれた。
急死であったため、ユリウス殿下とフィニアス殿下のどちらが王位に就くのかで国が荒れるかと思われたが、エルノワ帝国の皇女殿下との婚約が決まったユリウス殿下があっさりと王位に就くことが決まる。
王となったユリウス陛下の最初の仕事は儂が集めた、好き勝手していた貴族達の不正の証拠を使い、彼らを処分したこと。
ほどなくして、儂はフィニアス殿下の教育係を辞した。
が、表面上は教育係のまま。利用価値のなくなったフィニアス殿下の教育係を辞したと他の者に思わせるために、ユリウス陛下と王太后様と話し合って決めたこと。
これまで通り、儂は王家と距離を置いたと思われねばならん。
儂は、自分の部屋で酒を飲みながら、そんな昔のことを思い返しておった。
この五十年、大変なことばかりではあったが、それももうじき終わる。
あの男。イヴォンに勝利さえすれば……と考えたところで、儂は初めてイヴォンとあったときのことを思い出す。
『エルノワ帝国に力を貸して下さるというのであれば、貴方の恨みを晴らす手伝いをして差し上げましょう。陛下はこの国の領土を望んでおりますから、貴方の利害は一致しております』
そう口にしたローブ姿のあの男。
ギーと名乗っておったが、恐らくあれがイヴォンだったのだろう。
敵の懐に入ったほうが早いと思い、手を組むと申したが、あちらもあちらで中々尻尾を出さん。
エルノワ帝国から何の接触もなかったので、てっきり皇帝陛下の策かと勘違いしたほどには巧妙であった。
……接触がないところをみると、あちらは戦争になっても構わないと考えておるのかもしれんな。
「厄介なことだ……」
味方に引き込めない以上は、こちらでなんとかするしかない。
かなり手こずったが、召喚した娘のお蔭で真実が分かったのだ。
フィニアス殿下の言葉通り、助けに向かって正解だったというわけか。
だが、あの契約書はいかん。
「それにしても、あのような呪術をなぜ……」
契約を違えればフィニアス殿下は命を落とす、と契約書の詳細をテオバルトから聞かされたとき、儂は頭を抱えた。
元の世界に戻すという契約だったなら、恐らくフィニアス殿下は近いうちに命を落としておった。
手伝い程度に留めておいてくれて良かったともいえる。まぁ、全く安心などできんがな。
……ともかく何が何でも、あの契約書は破棄してもらわねば。
そのためにも、あの娘にはフィニアス殿下を好きになってもらう必要がある。
時期を見て呪術の件を娘に話し、契約書を分解してもらう。
けれど、近づきすぎても困る。想いが通じ合うなどもってのほか。
身分が違いすぎる上に、他の貴族が納得せん。
儂のときですら、度を超える嫌がらせをされておったのだ。王弟妃になってしまったら、そのときの比ではないくらいに攻撃されるであろう。
笑えなくなった妻と同じく、いや、それ以上にあの娘は傷つき、泣き暮らすことになる。
それは、それだけは避けねばならん。
アルフォンス殿下のお命を救ってくれ、フィニアス殿下に自信を取り戻させたあの娘を、そのような目に合わせるわけにはいかん。
だからこそ、あの娘の想いが膨れあがらんよう、抑止力として孫娘を送り込んだのだから。
グラスに入った酒を一気に飲み干すと、使用人からクリスティーネが戻ってきたと知らされた。
さて、孫娘の首尾はどうであろうか。
勢いよく扉を開け、上機嫌で部屋へと入ってきたクリスティーネは興奮気味に話し始める。
「あの子、とっても良い子ね! 気に入ったわ」
「この馬鹿孫が! 何のためにお前を行かせたと思っておる! フィニアス殿下の婚約者候補として振るまえと口を酸っぱくして申したであろう!」
何を懐柔されておるのだ! と叱りつけると、クリスティーネは、でも、だってと言い訳を口にする。
痛む頭を抑えながら、儂は項垂れたまま、クリスティーネの話を一時間ほど聞かされる破目になったのだった。