番外編・貴女への想いを自覚した瞬間(フィニアス視点)
ルネが攫われたすぐ後のお話です。
ルネが誘拐されたとの情報がジルヴィア嬢からもたらされたのは、執務室で書類を片付けている最中でした。
息を切らせて部屋へと入ってきた彼女が駆け寄ってきて私に耳打ちしてきたのです。
「ルネが攫われました」
その言葉を理解した瞬間、私は何も考えられずに部屋を飛び出していました。
「お待ち下さい!」
声を張り上げたジルヴィア嬢に構わず、私は陛下の部屋へと向かったのです。
まったく冷静になれていなかった私が隠し通路も使わずに、普通に扉から部屋に入ってきたのを見て、陛下は非常に驚いていました。
「どうした、フィニアス」
「ルネが攫われました」
よほど驚いたのか、陛下は無言で目を丸くさせています。
一秒でも惜しいと焦る私は、陛下に近寄ってルネを助けに行きたいと願い出たのです。
「すぐに兵を」
「それはならぬ」
「陛下……!」
今すぐ兵を出して追いかければ、きっとルネを連れ戻せるというのに、なぜ!
「落ち着け、フィニアス。記念式典が近いこともあって、騎士団は動かせぬ。城の守りを手薄にするわけにはいかぬ」
「……では、私の領地から兵を出します」
「ならぬ。この時期に王弟である其方が領地から兵を出せば、王位を狙っていると勘違いされる。それに乗る貴族も出てくるやもしれぬ」
「では、見捨てろと……!」
攫われたと分かっているのに!
苛立った私は陛下へと詰め寄ると、側に控えていた補佐官であるギルベルトが陛下の前に立ちはだかったのです。
「フィニアス殿下、落ち着いて下さい」
「私は落ち着いています! こうして話をしている間にも、ルネは危険にさらされているのですよ!?」
今すぐに助けなければ、と焦っている私に対して、陛下の表情が変わることはありませんでした。
「助けぬとは申していない。ただ、動かせる兵がいないのだ」
そう言って陛下は目を閉じています。
どうするのが最善かを考えているのかもしれません。
シンと静まりかえった部屋。
そこへ、扉をノックする音が響き、失礼しますというテュルキス侯爵の声が聞こえてきました。
部屋に入ってきたテュルキス侯爵は、ゆったりとした足取りで陛下に近寄っていったのです。
「話はジルヴィア嬢から伺っております」
「其方も、あの娘を助けろと申すか……」
「ということは、フィニアス殿下も直談判なさったということですか」
私を見るテュルキス侯爵の目は冷ややかでした。
私の教育係で剣を教わっていた師匠でもあったことから、昔を思い出してしまい無意識に背筋が伸びてしまいました。ですが、お蔭で少し落ち着きを取り戻せたような気がします。
「隠し通路も使わずに王の執務室にいらっしゃるとは……。よほど焦っておいでのようですが、冷静さが欠けております。貴方様は王族、しかも王弟なのですよ?」
「分かって、います」
軽率な行動だったと冷静になった今なら分かります。
返す言葉もありません。
「さて、騎士団は式典が近いこともあって動かせず、かといって領地の兵も動かせない。一見、詰んでいるように見えますが、ジルヴィア嬢があの娘を連れ去った馬車の紋章を見ていました」
「本当ですか!?」
「はい。紋章はザフィーア子爵家のものでした。子爵は帝国、いえ先代皇帝と通じている噂のある人物。ならば、あの娘を助けるついでに色々と証拠をお借りしたいと考えています」
ルネを助けられるかもしれないと知り、私は陛下とテュルキス侯爵の会話に割って入りました。
「策はあるのですか?」
「確か、あの領地にはアイゼン公爵領方面に向かう橋がかかっておりましたな。あの橋は先頃の大雨の際に流されて修理中と聞き及んでおります。その橋の視察、という名目でザフィーア子爵領に参りましょう。お目付役として私とテオバルトも同行致します」
「それならば、許可が出せるな」
「お任せ下さい。陛下のため、証拠を持って帰って参ります」
テュルキス侯爵が来てくれて助かりました。
無事を確認するまで安心はできませんが、ひとまず前進したことに胸を撫で下ろします。
陛下とテュルキス侯爵との話し合いを終え、私が陛下の執務室を出て廊下を歩いていたところ、息を切らせたジルヴィア嬢に呼び止められました。
「先ほどは、話も聞かずに飛び出してしまいましたね。貴女はちゃんと情報を持っていたというのに」
「いえ、心配されるお気持ちは分かっております」
「貴女も家のことがあって辛い立場でしょうに申し訳ありません。ですが、ルネの件を知らせてくれて助かりました」
「……私も、彼女を助けたいと思ったので」
え? と私は聞き返しました。
あまり他者に対して興味を持たないジルヴィア嬢にしては珍しいことだったので。
ジッと私が黙ったままでいると、彼女はいつも通りの無表情のまま話し始めました。
「彼女は、殿下を卑怯者ではない、と仰っていました。騎士に向かって反論したのです。正しいことを正しいと言える彼女を助けたかった。それだけです」
失礼します、とジルヴィア嬢は頭を下げて、去って行きました。
騎士に刃向かったことで、私を庇ったことでルネは恐らく目を付けられたのでしょう。
いや、もっと早くから目を付けられていたのかもしれません。
あれほど、何を言われても反論するなと言っていたのに、と私はため息を吐きましたが、卑怯者ではないと言ってくれたことを嬉しくも感じていたのです。
そして、これからの準備のために私が屋敷へと戻ると、珍しく焦った様子のテオバルトが訪ねて来ました。
彼もルネがさらわれたことを聞いたのでしょう。
「向こうからの返事待ちですが、数日中にザフィーア子爵領へ向かうことになりました。おそらくテオバルトも同行することになるでしょう」
「……かしこまりました。それにしても、よく陛下が許可を出されましたね」
陛下は常に個人の感情よりも王としての判断を優先する方ですからね。
「ええ。私も断られるかもしれないと思いましたが、許可が出てホッとしました。これを使って陛下を脅す必要がなくなって良かったと思います」
私は懐からルネと交わした契約書を取り出しました。
「それは?」
「ルネと交わした契約書ですよ。見ますか?」
そう言って、私はテオバルトに契約書を手渡します。
丸まったままの契約書を見たテオバルトは、さすがに優秀な魔術師なだけあって、紙に呪術が組み込まれていることにすぐに気付いた様子でした。
「……ご自分の命を対価にしましたね」
静かな声でしたが、目に怒りが見えます。
私は、ええ、と言いながら苦笑しました。怒られることは想定内ですからね。
「契約書に書かれている条件のどれかひとつでも破った場合、私の命をもって償うという術にして欲しいと頼みました。普段は隠れている呪術師を探すのは大変でしたよ」
「大変でしたよ、じゃありません!」
立ち上がり、声を荒らげたテオバルトの目を、私はジッと見つめます。
「召喚するということは、相手にそれまでの人生を捨てさせること。ならば、こちらも全てを捨てる覚悟を持たねばなりません。ですので、私の命を対価にしました」
馬鹿だと言われるかもしれませんが、それが私が唯一相手に対してできること。
私の決意が固いことを知ったテオバルトは、力なくソファに座り込みました。
「私が生きているということは、今もまだルネは生きているということ。だからと言って安心はできません。猶予はそれほど残ってはいないと思います」
「さらった人物が分かっているのですから、時間はかからずに見つけられるはずです。今回はテュルキス侯爵がいらっしゃいますからね」
「ええ。なんとしてもルネを無事に保護しなければなりません」
「……そうですね。ですが、フィニアス殿下の命を対価にしていると知られたら、多分ルネは激怒すると思いますよ」
でしょうね。
ですが、今更呪術を解くことはできません。何せ、術者はもうこの世にいませんからね。
呪術を解くには、術者本人か、本人よりも高位の術者でないと無理ですから。
「私は彼女にこのことを伝えるつもりはありません。テオバルトも、余計なことは言わないように。もし口にしたら、即座に書かれている条件を破ります」
言うことを聞かないと死ぬぞ、と半ば脅迫する形になりましたが、テオバルトはグッと唇を噛みしめて渋々了承してくれました。
……仮に、このことがバレて、ルネを怒らせてしまったとしても構いません。
また私の前に姿を見せてくれるのであれば、頬を叩かれて軽蔑されても良いのです。
嫌われるのは少し困ってしまいますが、それでも会えなくなるよりはずっと良い。
だからどうか無事でいて欲しい。
ザフィーア子爵領に到着するまで、私は貴女の無事だけを願っていたのです。
ねぇ、ルネ。
あのとき、地面に座り込んだルネの姿を確認した私がどれだけ安心し、どれだけ嬉しかったか、貴女は知らないのでしょうね。
抱きしめたときのぬくもりと声を聞いて、生きていると安心した私は、そこで初めて貴女を召喚された被害者ではなく、一人の女性として好いていることに気付いたのです。