24・無意識と無自覚
数日後、ようやく屋敷へと帰ってきたフィニアス殿下から呼び出された私は、顔がにやけるのを抑えられないまま彼の部屋へと向かった。
部屋に入ると、私の顔を見たフィニアス殿下が満面の笑みで迎えてくれた。
年上の男の人にいう言葉じゃないけど、可愛いなぁ。
なんて思っていたら、フィニアス殿下にソファに座るよう促された。
私がソファに座ったのを見て、彼は口を開く。
「久しぶりですね。屋敷での生活はどうですか? 事情が事情なので屋敷から出すことができないのが心苦しいのですが」
「毎日、クリスティーネ様やジルヴィア様がいらして下さるので、楽しく過ごしています。刺繍もそこそこ上手くなったような気がしますし、単語もたくさん覚えることができました!」
自信満々に私が言うと、フィニアス殿下がホッとしたように笑って「それは良かった」と言ってくれた。
でも、彼がすぐに笑みを消したことで、何か重要な話をしようとしているのだと気付き、私も表情を引き締める。
「ルネに伺いたいことがあります。侍女として働いていた頃に、白い取っ手の青い花瓶に触れたことはありますか?」
白い取っ手で青い花瓶?
アルフォンス殿下の部屋には花瓶なんて置かれてなかったと思うんだけど……。
「……なかったような、気がします。アルフォンス殿下の部屋にはありませんでしたから」
「いえ。花瓶はアルフォンス殿下の部屋ではなく、城の廊下に飾られていたんです。私の執務室からアルフォンス殿下の部屋までの区間に置かれていた花瓶だそうです」
フィニアス殿下の執務室からアルフォンス殿下の部屋までの間?
……………あ!
「ありました! 色までは覚えてませんけど、確かに花瓶が飾られてましたし、触りました。よろけて台に手をついたら花瓶が落ちそうになったので、慌てて掴んだら静電気がきたのでビックリしたんですよ」
「……テオバルトの言っていた通りですね」
「テオバルトさん?」
どうしてここでテオバルトさんの名前が出てくるのだろうか?
不思議に思った私はフィニアス殿下の顔を見つめていると、彼は見られていることに気付いたようで、すみません、と口にした。
「実は捕まえた者達の証言で、城内にいくつか呪術が施された物が置かれていたらしく。一番大きな効果のある物が、その花瓶だったのです。ですが、ある日、その花瓶に施されていた呪術が綺麗さっぱり消えていて、消えた前後に花瓶が置かれていた場所を通っていたのがルネだったので、貴女がやったのだとあちらは思っていたそうです。それでルネが国王派の重要人物だと思われて攫われた、と」
私が攫われたのは、あの騎士に刃向かって目立ってしまったからだとずっと思っていた。
でも、その前から目を付けられていたなんて。
「先ほど、ルネは花瓶に触れたら静電気がきた、と言ってましたが、以前にもアルフォンス殿下の部屋を掃除していて静電気のようなものがきたと言っていましたよね。花瓶の話を聞いて気になったのでテオバルトに聞いてみたところ、半能力半魔法属性の人間は意識せずに魔法を使ってしまうと静電気のような刺激がくるのだと言っていました。王家には長らく半能力半魔法属性持ちは生まれていませんでしたから、私も教えられていなくて初耳でしたが」
「ということは、あの静電気は」
「無意識で分解してしまったことによって起こされたもの、ということになりますね」
ということは、あんなにハッキリと静電気がきたのは、あの花瓶にかけられていた呪いを無意識で分解してしまったからということ?
……マジですか!?
結果的には呪いが解かれたから良かったけど、無意識で魔法を使ってしまったら、いつか大事なものすら分解してしまうんじゃ?
「あの、フィニアス殿下。無意識で魔法を使わないようにする方法はないのでしょうか? このままだといずれ大事なものを分解してしまうかもしれません」
焦って詰め寄る私の肩を押さえたフィニアス殿下に、落ち着いて下さいと宥められる。
どうしてそんなに落ち着いていられるのかと思っていると、フィニアス殿下が理由を話してくれた。
「心配せずとも大丈夫ですよ。テオバルトによると自分にとって害がある、もしくは自分の身内、味方にとって害があるものを本能的に察知した場合のみ無意識で魔法を使ってしまうのだそうです。ですので、貴女の大事なものが貴女を害さない限り、無意識で分解するということはないと思います」
無差別に魔法を使うわけではないと知り、私は胸を撫で下ろした。
「それを聞いて安心しました。でもテオバルトさんは博識ですね。魔法のことを教えてくれているときに、もっと突っ込んで話を聞いておくべきでした」
なぜかフィニアス殿下は私の言葉に表情を曇らせる。
「あまりテオバルトを褒めないで下さい。彼は、教えたことによって無意識で魔法を使うのが難しくなり、敵の罠を見つけることができないのではないかと思って、わざと黙っていたのですから」
「え!? そうなのですか!?」
「ええ。……ですが、テオバルトだけに言えたことではありません。私も都合のいいように貴女を利用してしまいました。本当に申し訳ありません。本来であれば、貴女はこの屋敷から外に出ることなどなかったのですから」
「どういうことですか?」
私が召喚されたのって、アルフォンス殿下のお世話と時間稼ぎのためだったよね?
何で、屋敷から出ることがないなんて言うの?
私が首を傾げていると、フィニアス殿下が言いにくそうに口を開いた。
「元々は、貴女を召喚する前に王妃殿下は王城に戻っていたはずでした。それと同時にアルフォンス殿下をアイゼン公爵邸で保護し、召喚した貴女にアルフォンス殿下の魔力を吸収もしくは分解してもらう予定だったのです。ですが、王妃殿下側は直前になって拒否。アルフォンス殿下の食事を入れかえてくれていた者は他の任務についてしまい、動かせる人材がいませんでした」
「……それって、つまり」
「ええ。ですから、召喚する時期を前倒しして、ルネに協力してもらうようにしたのです。当初の予定通りだったら、ルネが攫われることはありませんでした。こちらの勝手で怖い思いをさせてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
フィニアス殿下はその場で頭を下げたけれど、終わりよければ全てよし! だと私は思っているから、別に謝罪する必要などないのに。
途中で聞いていたら、絶対に怒ったとは思うけど。
「危ない目には遭いましたけれど、こうして無事なわけですから。それに、今ちゃんと説明して下さいましたし。ですので、これからは嘘は無しでお願いしますね」
「はい。約束します。それともうひとつ、ルネに謝罪しなければならないことがあります」
まだあるのか、と私は驚いたけれど、この際だから全部言ってもらいたいと思い、神妙な顔をしてフィニアス殿下の話の続きを待った。
「エルノワ帝国から転送の宝玉に関する情報を得ることはできませんでした。申し訳ありません」
マジですか。ダメでしたか。
唯一の希望が……と私は肩を落とした。
王妃様を助けたというアドバンテージがあるから、もしかしたら情報が得られるかもって期待はしてたんだけど。
期待していた分、ショックだよ。
私が無言でいると、フィニアス殿下が申し訳なさそうに喋り始める。
「皇太子殿下と二人になる機会があり、話を伺おうとしたのですが、先代皇帝陛下がこちらに迷惑をかけた件でかなり帝国側に無茶な条件をのんで貰ったこともあり、これ以上を望むのかと言われてしまい。イヴォンを捕らえていたのならば、可能だったのかもしれませんが……。いえ、これは言い訳ですね。貴女をニホンに帰す手伝いをすると約束していたのに、不甲斐ない結果になって申し訳ありません」
心の底から悪いと思っているようで、フィニアス殿下は肩を落としている。
話を聞けなかったのは残念ではあるけれど、だからといってフィニアス殿下を責めたりしない。
彼は私を何度も何度も助けてくれた。気遣ってくれた。
今回も断られてしまったけれど、ちゃんと皇太子殿下に話をしてくれたのだ。
むしろ、協力すると言いながら攫われてしまい、足を引っ張ってしまった私の方が謝罪しなければならないくらいなのに。
「尋ねて下さっただけで十分です。時間はありますし。それに私の方こそフィニアス殿下に迷惑をかけてばかりで、申し訳ないと思っています。足を引っ張って余計な手間をかけさせてしまいました」
そう言うと、下を向いていたフィニアス殿下が勢いよく顔を上げる。
「それは違います! ルネはアルフォンス殿下と王妃殿下を救ってくれました。それに王国にとって重要な情報を知っていたキールを連れてきてくれました。貴女の功績はとんでもないのですよ?」
「言葉で聞くと大層なことをしてますけれど、全部誰かの助けがあったからできたことです。私一人だけの功績じゃありません」
だって、誘拐されたときは、ジルヴィア様とテュルキス侯爵、フィニアス殿下やモーンシュタイン伯爵達に助けて貰った。
王妃様を助けられたのだって、不本意ではあるもののキールに道案内されたお蔭で王城に行けたから。
何の手立てもなくイヴォンを追いかけて攻撃され、フィニアス殿下に助けて貰った。
全部、私一人じゃ無理だった。だから、私だけの功績じゃない。この国を救うために動いた人達全員の功績なんだ。
私の言葉を聞いたフィニアス殿下は苦笑しながら、口を開いた。
「欲のない方ですね」
「事実を述べただけですよ?」
欲がないと言われても、自慢するようなことは何ひとつしていないのだから、仕方がない。
謙遜でも何でもなく本心から言っていると理解したのか、フィニアス殿下は目を見開いた後で息を吐いた。
「切っ掛けはルネなのですから、もっと胸を張ってもいいと思いますが……。いえ、それがルネの良いところなのでしょうね。ですが、さすがに何も情報がないのは心苦しいので何か手がかりがないかと、もう一度書庫を調べてみたのですが、前に調べたときと同じで召喚された方の情報が書かれているのみで、帰ることについては何も書かれていませんでした」
「これまで、かなりの人数を召喚していたのにですか?」
「そもそも言葉が通じませんでしたからね。それでも、本人の努力で習得された方もいましたが。詳しい事情を知る者がいれば良かったのですが、最後に召喚されたのは百年前で、当時を知る者は誰もいませんし……」
あ~……百年前だったら当時の人は皆、お墓の中だろうしね。
でも、その百年前に召喚された人ってどんな人なんだろう? ちょっと気になるかも。
「ちなみに、百年前に召喚された人はどういう人だったんですか?」
「召喚された方ですか? 確か書物には黒髪黒目の十代前半と見られる女性と書かれていましたね。不思議な服を着ていたそうです。言葉が通じずにずっと泣いていたとか」
十代前半……。言葉なんて通じなかっただろうから、心細かったし怖かったよね。
「彼女は、ベルクヴェイク王国に外交で来ていたエルノワ帝国の貴族に見初められて、彼と一緒にエルノワ帝国に向かったらしいです。その後の消息は書かれていないので分かりません」
見初められたってことは、相手が彼女に惚れたってこと?
その後が書かれていないから、どうなったのか気になるけど、幸せになってくれていればいいな、と考えていると、フィニアス殿下の表情がさらに曇る。
「……見損ないましたか?」
「何をですか?」
「勝手に召喚したにも拘わらず、エルノワ帝国の貴族に任せて、一切の情報を調べなかった我が国の王族に対してです。正直、そのような者の血が自分の中に流れているかと思うと」
まぁ、何のために召喚したのよとは言いたい。
責任を取れないなら召喚なんてするなとも言いたい。
でもそれは百年前の人に対してってだけで、フィニアス殿下は違うし。
責任を取ろうとしてくれているのは分かってるもの。
「フィニアス殿下を見損なったりしてません。当時の王族の方とフィニアス殿下は別人じゃないですか。それに情報がないからって申し訳なく思う必要もないです。転送の宝玉の件は王妃様にも聞いてみますし。……あ、そうだ。アルフォンス殿下はお元気ですか?」
このままでは暗い話題になってしまうと思い、私は話題を変えた。
アルフォンス殿下が戻った日の出来事を聞いてはいたけれど、クリスティーネ様はアルフォンス殿下と会っていなかったので、その後の話は聞けていないのだ。
「……アルフォンス殿下のことを話す前に、ルネに伝えておかなければならないことがあります。急な話ですが、陛下と会っていただきたいのです」
「え? 私が陛下と?」
「はい。切っ掛けは、アルフォンス殿下が侍女を解雇されたルネに会うことを彼の侍女から禁止されて、三日も食事をとらなかったことで、王妃殿下が陛下に何とかして欲しいと嘆願したことだそうです。それで、陛下が今回の件でルネに感謝を伝えることで、ルネがエルノワ帝国と繋がっている得体のしれない人物ではないと他の貴族達に知らしめて、アルフォンス殿下と会えるようにしたいということだそうで」
いやいやいや、陛下との謁見よりもアルフォンス殿下のことだよ。三日も食事をとってないなんて……!
「それで、アルフォンス殿下は今はもう食事をとっているのですか? 体調を崩されたりしてませんか?」
「それですが、ここだけの話。食事をとるなと助言したのは王妃殿下です。後でこっそりとアルフォンス殿下には食事を用意していたそうですので、具合が悪いふりをして過ごしながら三日目にわざと倒れるように言い聞かせていたそうですよ」
王妃様、息子に何やらせてんの!?
ていうか、何その茶番!?
「おまけに陛下には事前に報告済みだったとか。ああ、アルフォンス殿下にルネと会うことを禁止した侍女は解雇されたそうです。並びに、同じことを言っていた侍女達も全て国へ返されました。ほとんどがエルノワ帝国から連れてきていた侍女だったそうで、王妃殿下もこれで風通しが良くなったと安心していましたよ」
それ、絶対に私を理由にしてクビにしたかっただけだよね。
実行できちゃう王族が怖い。
「でも、会うのを禁止しただけで、よく解雇できましたね」
得体の知れない平民と会うなと言うのは理解できるし、それだけでクビになるとは思えない。
「禁止するだけでしたら、確かにそうですね。ですが、それが原因でアルフォンス殿下が倒れたという事実がありますから。王族を守る側が王族を害してしまったら、責任を取らねばなりません。後は連帯責任、というところでしょうか」
「とんだとばっちりですね」
「できるだけ先代皇帝陛下の息がかかった人物を排除したいという陛下の意向もあったんですよ」
なるほど。だから私が理由に使われたわけね。
理由に使われたことは気分がいいものじゃなかったけれど、アルフォンス殿下と会えなくなるのは私だって嫌だ。
「ちなみに陛下との謁見は明日ですので」
「え? 行く行かないの選択肢はないんですか?」
「勅命ですから、ルネに拒否権はないんです」
フィニアス殿下に言われて、私は、うそぉと言いながら頭を抱えたのだった。