21・夜会に潜入
コッソリと誰にも見つからずに会場まで来ることができた私とキール。
物陰に隠れてフィニアス殿下を探していると、近くにいた貴族達の会話が聞こえてくる。
意外と話がよく聞こえたことから、距離が近いのかなと思い、私は気付かれないようにそちらを見た。
「スマラクト子爵。お久しぶりですね」
「これは、シルトパット伯爵ではありませんか。お元気そうで何よりです」
スマラクト子爵と呼ばれた老齢の貴族の隣に黒髪の綺麗な顔をした男性がいて、彼は二人の挨拶が終わったタイミングでシルトパット伯爵に向かって一礼した。
「おや、そちらの方は?」
「ああ、紹介が遅れました。息子のディートリヒです」
「確か子爵はご子息が三人いらっしゃいましたな。お二人とは顔を合わせたことはありましたが……もしや病に伏せっておいでだったご子息の?」
「ええ。そうです。ようやく病気が治りまして。今日は大事な大事な夜会ですから、顔見せの意味も兼ねて連れて参りました」
スマラクト子爵の説明が終わると、ディートリヒがふんわりと微笑んだ。
とても綺麗な笑みのはずなのに、私は彼の笑みに違和感を覚えた。
「シルトパット伯爵のお話は父上から伺っています。海に面した伯爵領に現れる海賊達を何度も何度も追い払ってきたそうですね。あそこの港は我が国の大事な貿易港ですから、被害を最小限に抑えている伯爵の功績はとても大きいものだと言われているとか」
「何、それが仕事だ。それにしてもしっかりとした良いご子息ですな。三兄弟皆、優秀だとは、スマラクト子爵家は安泰で羨ましい限りです」
ハハハと世間話をしている貴族達をなぜかキールが睨み付けていた。
「キール、どうしたの?」
私が問いかけると、彼は貴族を睨み付けたまま、口を開く。
「ディートリヒとか言う男。髪色が違うが、あれがイヴォンだ」
「え!?」
「馬鹿! 声がでかい」
慌てて私は口に手を当てる。
幸い、楽器の演奏の音に紛れて周囲には聞こえていなかったようだ。
「ごめん。それより、あれが本当にイヴォンなの?」
「間違いない。俺はイヴォンの顔を見たことがあるからな」
私はもう一度、イヴォンと言われたディートリヒを見てみる。
イヴォンだと分かった上で見てみると、彼の目が全く笑っていないことに気が付いた。
先ほどの違和感の正体はこれだったのか、と私はイヴォンをジッと見つめていた。
こうして早々にイヴォンを発見できたのは良かったけど、彼が誰に扮しているのか分かっても、今の私にはフィニアス殿下へ伝える術がない。
まずはフィニアス殿下を探さないと。でもイヴォンの動向も気になる。
そんな私の考えが透けていたのか、キールは自分がイヴォンを見張っていると申し出てくれた。
「信用していいのね?」
「そうだと頷いたところで、あんたは信じねぇだろうけどな。だが、俺にだってプライドってもんがあんだよ。利用するだけ利用して俺を殺そうとした相手と手を組むぐらいなら死んだ方がマシだ」
ハッキリと口にする彼の目に嘘はないように見える。
「それに俺は王妃の暗殺は頼まれてねぇ。暗殺はイヴォンが育てた奴に任せてあるらしいからな」
「イヴォンが?」
「誰かまでは調べられてねぇけど。王妃の側にいるってことは確かだ。ほら、さっさと王子様を探しに行け」
キールに背中を押されたこともあって、私はフィニアス殿下への報告を優先することにした。
足音を立てないように移動していき、少しして私はようやくフィニアス殿下を見つけることができた。
彼は貴族達と挨拶を交わしていたが、挨拶を交わすだけで世間話はしておらず、相手はすぐに殿下の元から去って行く。
貴族社会をほとんど知らない私から見ても、フィニアス殿下に対する他の貴族の態度が悪い。
もどかしい気持ちになったけれど、今はフィニアス殿下に知らせるのが先だ。
私はフィニアス殿下の近くの物陰まで移動し、一人になった瞬間を狙って小声で彼に声をかけた。
「フィニアス殿下」
小声だったので最初は気付いてもらえなかったけれど、何度も呼びかけるとさすがに聞こえたみたいで、フィニアス殿下は周囲をそれとなく窺っている。
「後ろ、後ろです」
この声も聞こえていたようで、フィニアス殿下は後ろを振り向き、物陰から顔を出していた私を見つけて目を見開いた。
私は口元に人差し指を当てて手招きをする。
周囲を見渡したフィニアス殿下は不自然にならないように会場内から外に出てくれた。
会場から少し離れた場所で、ようやく私はフィニアス殿下と会うことができたのである。
「あの、隠れなくても大丈夫でしょうか? 警護の人に見つかるんじゃ」
会場からは離れていたが、巡回している騎士に見つかるのではないかと不安に思っていると、フィニアス殿下が大丈夫です、と口にした。
「会場の警備はテュルキス侯爵領の兵士と国王派の兵士がやっていますから、危険はありません。それよりも、どうやってここまで来たのですか? まさか一人で!?」
「いえ、キールと一緒です。隠し通路を使って……」
「……キールにはいざというときは隠し通路を使っても良いと言いましたが、こういう使い方をされるとは思ってもいませんでした」
「申し訳ございません。フィニアス殿下にどうしても伝えなければならないことがあって」
「というと?」
厳しい顔つきだったフィニアス殿下は、伝えたいことがあると聞いて少しだけ落ち着きを取り戻したようだった。
「はい。実は会場内にベルクヴェイク王国の貴族に変装したイヴォンがいるんです。スマラクト子爵家の息子でディートリヒと名乗っていました」
「……その話は本当ですか?」
「はい」
そう言って、私はさっき見たこととキールの言っていたことをフィニアス殿下に伝える。
無言だったフィニアス殿下だけど、何かを考えているようだった。
「キールの言葉を全て信じるわけにはいきませんが、無視もできませんね。ですが、集大成を見に来たということは、彼は直接手を下す気はないのかもしれません。魔法に対する防御は王妃殿下が最も得意としていますから、やるとしたら物理攻撃だろうと思います。幸い王妃殿下の側にはスカーが居ますから、イヴォンの育てた人物が手を出しても対処は可能でしょう」
「昔、王族の方に命を助けられたから力になりたいと仰ってましたからね。オスカー様がいらっしゃるなら安心です」
という私の言葉に、フィニアス殿下は不思議そうな表情を浮かべている。
「どうかなさったのですか?」
「いえ、王族に命を助けられた、という話はオスカーが言っていたのですか?」
私は確かに本人からそう聞いたので、はい、と返事をすると、フィニアス殿下は腕を組んで何かを考えているようだった。
ブツブツと独り言を言っていたけれど、やがて考えがまとまったのか私に視線を向けてくる。
「……オスカーが、その王族に助けられたのはいつだったか、聞いていますか?」
「えっと、十一年前? だったかと。馬車の事故だと伺っています」
フィニアス殿下はハッとした後で「いや、そんなまさか」と口にした。
「フィニアス殿下?」
「すみません。確かにオスカーは十一年前に馬車の事故に巻き込まれています。川に落ちて流されて消息不明になったのですが、一ヶ月ほど後にひょっこり帰ってきたんですよ。ですが彼は、流れ着いた先の森で木の実を食べたりしながら生きながらえた、と言っていたんです。王族に助けられたなんて話はしていなかったと思います。当時は奇跡の生還だと言われて、一躍有名人となってましたし、私も本人から話を聞いたことがありますので、間違いないです」
「あ、でも、事情があって王族の方の名前は出せないって言ってましたから、秘密にしていたのかもしれませんね」
「そもそもそれがおかしいのですよ」
その言葉に、私はどういうこと? と首を傾げると、暗い表情を浮かべていたフィニアス殿下がゆっくりと口を開く。
「あの当時の王族は大叔父、父、母、兄と私のみしかいませんし、陛下が即位された際にテュルキス侯爵子飼いの人間に調べさせたので確実ですが、隠し子もいません。大叔父は生涯独身で子供もいない方で、あの時期は病気で寝込んでいました。それに、両親も兄も忙しく、一ヶ月も留守にすることはなかった」
「ですが……」
「もし仮にいたとしても、日陰の身です。こちらに対して恨みなどあるでしょうに、オスカーに王族だと名乗り、我々王家への忠誠心を持たせる理由が思い浮かびません」
「なら、素晴らしい人格者で王家のためになりたいと思うような方だったら」
陰で支えたいと思っていたら? という私の問いにフィニアス殿下は表情を曇らせるばかり。
「仮にそうだとしても、その人物が命の恩人としてオスカーに王家を守ってくれと言うだけで済む話です。わざわざ王族だと名乗る必要はありません」
言われてみればその通りだ。
でも、オスカー様は回復するまで王族の方が側にいてくれたと言っていたのに、フィニアス殿下の話によると隠し子もいないし、一ヶ月も留守にしていた人はいない。
その事実を知り、私の背筋に冷たいものが走る。
あのときのオスカー様は、私が異様だと思うほどに心の底から王族に対して感謝して、忠誠心の強さを見せていた。
なのに、助けてくれた王族が存在しないかもしれない。
ということは、オスカー様が嘘をついているということ?
その考えに行き着いたと同時に私は、嫌な予想をしてしまう。
……でも、もしそうなら、それならば、全てが繋がるんじゃないの?
オスカー様の存在しない王族に対する異様だと思えるほどの感謝と忠誠。イヴォンが育てたという人物。その人物は王妃様の側にいる。そして今現在、王妃様を側で守っているのはオスカー様。
オスカー様とイヴォンが仲間ならば、すべて一本の線で繋がる。
説明がついてしまう。
フィニアス殿下も私と同じ考えに至ったようで、会場へと鋭い視線を向けた。
「すぐに王妃殿下を保護しないと……!」
「今、王妃様はどこに!?」
「先ほど会場内で他の貴族と挨拶を交わしているのは見ました。まだ、その付近にいるはずです」
「じゃあ、行きましょう!」
私とフィニアス殿下は急いで会場へと向かう。
途中で外を警護していた兵にフィニアス殿下が説明をして、すぐに王妃様を保護するよう他の兵に伝えに行ってくれた。
フィニアス殿下は私に物陰からコッソリ窺うだけにして欲しいと言ってくる。
実際に王妃様を保護するのはフィニアス殿下がやる、ということだった。
分かりましたと返事をして、私はフィニアス殿下の向かった先とは反対方向を探していると、さほど時間もかからずに王妃様を見つけることができた。
何でもないような顔をして貴族と挨拶を交わしているが、顔色はあまり良くないように見える。
当たり前だ。これから殺されるかもしれないのに、平静を保っていられるわけがない。
次に私は側にいるオスカー様へと視線を向ける。
彼は注意深く周囲を窺いながら、警戒しているようだった。
これから王妃様を殺そうとしているとは思えないくらいに、彼は立派に護衛の任務を遂行している。
できれば嘘であって欲しい。オスカー様が裏切り者であって欲しくない。
お願いだから、私の考えすぎだったと思わせて!
そんな私の願いは、すぐに消えることになる。
オスカー様は、王妃様に耳元で何かを告げ、あまり人のいない私のいる方向へと誘導していた。
王妃様はオスカー様を信頼しているのか、その行動に疑問を抱いていないように見える。
オスカー様は後ろを振り返り、会場内を見回した。
誰かを探しているのかと気になって、私も会場内を見回すと、少し離れた場所にフィニアス殿下がいるのが見えた。
早くオスカー様に気付いて! と念を送っている間に、王妃様とオスカー様が私から一メートルほど離れた場所までやってくる。
「王妃殿下」
声をかけたオスカー様は無表情で王妃様を見つめている。
その顔は背筋がゾッとするくらいの不気味さで、彼は無言で王妃様に近寄っていく。
王妃様は、ハッと我に返ったようで、その場から逃げようとするけれど、それよりも先にオスカー様が王妃様の足を引っかけて、肩を押して転ばせてしまった。
尻餅をついた王妃様は「何を!」と声に出したが、次の瞬間、彼女は声を詰まらせる。
王妃様の目の前に立ったオスカー様が腰の剣を抜いて、頭上に高々と掲げたからだ。
まるで、周囲の人にこれから王妃様を殺すことを見せつけているように見えた。
私の目の端に人を押し退けて走り寄ってくるフィニアス殿下の姿が映る。
あの位置では王妃様を助けられない。
オスカー様が剣を高々と掲げていることで、周囲の人達が異変に気が付き、信じられないものを見るような目でオスカー様を見ている。
ある女性の悲鳴が響き渡り、何かがあったことを会場中に知らせたけれど、もう遅い。
もう止められない。
そう思った瞬間、私はその場から飛び出していた。