2・契約しましょう
ふ、と私は目を覚まし、ゆっくりと目を開ける。
見たことのない天井の装飾に、私はここがどこなのかと寝惚けたままの頭で考えていた。
少しの間、ボーッとしていたが記憶を失う前のことを思いだし、勢いよく体を起こす。
そのままベッドから降りた私はカーテンを開けて外を確認した。
窓の外は綺麗に手入れされた庭が広がっており、ちょうど夜明けを迎えたあたりのようでほんのり明るかった。
目に見える範囲で石造りの家がいくつかあり、庭や家の様子はあきらかに私がよく知る日本の風景とは違っている。
というか、そもそも電柱がない。
ここが私のいた世界ではない、と見せつけられ、その場に倒れるように座り込む。
私は、もしかしたら、あれは夢だったのではないか、とちょっとだけだが思っていたのだ。
だけど見えている景色は、ここが違う世界なのだと示している。
「夢、じゃ、なかったんだ……。それに、あの後の記憶がないってことは、意識を失ったってこと? どれくらい時間が経ってるか分からないけど、夜明けってことはあれは昨日の出来事だってことだよね?」
肩を落とした私は、そうだ! 荷物! と思い出し、慌てて部屋中を見渡した。
でも、高そうな調度品があるばかりで私の荷物は見当たらない。
もしかしたら、あの二人のどっちかが持っていったのかもしれない。
「……それにしても驚いたからって、あそこまで取り乱すなんて、馬鹿だよね」
昨日は言葉だけだったので、ものすごく取り乱してしまったけれど、窓の外に広がる明らかに日本ではない風景を目の当たりにして、私は本当に異世界にきてしまったんだと納得というか泣いて叫んでもどうしようもないな、と諦めがついてしまっていた。
泣いても解決できないことがあると実体験で知っている私は、取り乱しても仕方ない、と自分の心を落ち着かせるために何度か深呼吸をする。
「……これからどうしよう」
多分だけど、ここはフィニアスさんかテオバルトさんの家である可能性が高い。
二人とも綺麗な服を着ていたから、お金持ちそうだし、この部屋を見てもそうだと思う。
そもそも召喚しようというのだから、かなり高い地位にいる人であることは間違いない。
私はあの二人との会話を思い出しながら、状況を整理し始める。
「召喚、魔力、半能力半魔法、ベルクヴェイク王国にエルノワ帝国、敵を退けるための時間稼ぎ。詳しい説明をされてないから、さっぱりだけど私を必要としてるんだから、今すぐに危険に晒されることはなさそう」
自分達に都合の良い人間として条件までつけて召喚したのだから、大丈夫だと私は頷く。
そして条件といえば、フィニアスさんは『血縁者のいない者』も条件にしていると言っていた。
その条件の通り、私には家族はいるけど、その人達との間に血の繋がりはない。
生後間もない頃に、近所の神社の森の中に捨てられていた私を両親が見つけて、家族として迎え入れてくれたのだ。
二人は私の実の両親を探していだが、二十年近く何の情報も得られず、当時の記録にもそれらしい人物は見当たらなかったという。
「血縁者がいないってことは、実の両親はどっちも死んでるってことだよね……。そりゃあ、探しても見つからないわけだ」
実の両親とは、もう会えないというにも拘わらず、私の心は非常に落ち着いていた。
薄情だと言われるかもしれないけど、記憶にない両親よりも私を愛して育ててくれた今の両親の方が大事である。
養女という事実を私が知ってもグレもせずに真っ当に生きてこられたのは、両親が愛してくれて、真正面からいつもぶつかってきてくれたお蔭。
だからこそ、これから親孝行をするんだ! と意気込んでいたのに、何もできないまま異世界へと私は来てしまった。
「私、ちゃんと日本に帰れるのかな?」
昨日、私は意識を失ってしまい、帰れるのか帰れないのかをあの二人に聞けなかった。
召喚があるのだから、帰る方法もきっとあるはずだ。
はず、というか、そうでなかったら私が困る。
「何にせよ、あの二人のどっちかに話を聞かないと何も分からないんだよね。あと私の荷物も」
話を聞くのであれば事情を良く分かっていそうなフィニアスさんだ。
優しいだけの人ではなさそうだけど、召喚したことへの罪悪感はあるように思えた。
テオバルトさんには警戒されているし、尋問されるような気がするので彼は避けたい。
「それに、フィニアスさんに対してテオバルトさんはかなりへりくだってたから、テオバルトさんの上司っぽい。確か、殿下って呼んでたよね」
殿下、と口にした私は、その言葉がどの地位の人を指すものだったか思い至り、一気に冷や汗が出てきた。
「で、殿下って、確か王族の人を呼ぶ敬称だよね。てことは、フィニアスさんって王族?」
王族だとしたら、昨日の私の態度は思いっきり無礼である。不敬罪だ。首をはねられる。
「やばい。私、牢屋に入れられるんじゃない? ……でも、異世界から来たばっかりだし、そもそも自己紹介すらしてなかったよね。相手がどの地位にいる人か分からなかったんだから、セーフだよね。うん。絶対にセーフ」
召喚したとか言ってたんだから、事情は汲んでくれるはずだ。
それに、こんな綺麗な部屋に寝かされていて、起きたら牢屋に入れられるなんてことはない、と私は思いたい。
ひとまずいきなりピンチ! な状況にならないようで私がホッとしていると部屋の扉をノックされる。
驚きながらも私が、はい、と返事をすると、扉の向こうからメイド服を着た女性が入ってきた。
「おはようございます。フィニアス様からお嬢様のお世話を任されております、エマと申します」
丁寧な挨拶だなぁとボーッとエマさんを見ていたが、ハッと我に返る。
異世界とはいえ、名前・名字がデフォルトっぽいから、私も英語で言うように自己紹介した方がいいはず。
「あ、私は瑠音・堂島と言います。よろしくお願いします」
頭を下げたエマさんにつられて、私は立ち上がると彼女に向かって頭を下げた。
「ルネ様はお客様でございます。使用人に対して頭を下げなくともよろしいのです」
と、言われても、私はそんなに偉い人間じゃないし、小心者なのだ。
いきなり態度は変えられないと思いつつ、私はここがフィニアスさんの家だということを知り、テオバルトさんの方じゃなくてちょっとだけ良かったと思ってしまう。
その後のエマさんの説明によると、彼女は私の朝の準備を手伝うということで部屋にやってきたらしい。
準備が済み次第、ダイニングで朝食という予定になっていると聞かされた。
一応、彼女に荷物のことを聞いてみたら、フィニアスさんが預かっていると教えてくれた。
荷物の在処を知り、落ち着いた私は用意されていた服に着替えて髪を梳いてもらい(自分でやると言ったが断られた)ダイニングへと向かう。
ダイニングではすでにフィニアスさんが朝食を食べており、私が入ってきたのに気付いて優しく微笑みかけてくれた。
慌てて私は彼に向かって頭を下げる。
「おはようございます」
「お、おはようございます。……昨日は、その、取り乱して大声を出してごめんなさい。それと、私はあの後、気を失ったんですか? 記憶がなくて」
「昨日のことはこちらに非がありますので、気にしないで下さい。それと、昨日の貴女は随分と興奮してらしたので、テオバルトが咄嗟に魔法で貴女を眠らせたのです。申し訳ないとは思いつつも勝手に屋敷へ運んでしまいました。驚かれたでしょう?」
「はい。起きたら知らない部屋で驚きました」
それは済みませんでしたと言って、フィニアスさんは私に座るように勧めてくれたので、一番近くの椅子に腰を下ろした。
「ここは王都にある私の屋敷です。一応、私はこの国の王弟でアイゼン公爵家の当主、という立場になります。そういえば、まだ貴女の名前を伺っていませんでしたね」
王族だとは思っていたけど、まさか王の弟という立場だったとは……。
気難しい人だったら、きっと牢屋行きだったに違いない。
そんなことを私は考えつつ、背筋を伸ばして真っ直ぐにフィニアス殿下を見る。
「私は、瑠音です。瑠音・堂島、と言います」
「ルネ・ドージマ……。では、ルネとお呼びしても構いませんか?」
「あ、はい。……あの、私は貴方のことをどう呼べばいいですか?」
「名前に殿下、もしくは様、といったところでしょうか。私は気にしませんが、周囲がうるさいので、そのように呼んで下さい」
「分かりました。それと荷物なんですけど」
いつ返してくれるのか、と聞こうとすると、フィニアスさん、もといフィニアス殿下はゆるく首を振って、申し訳ありませんと口にした。
「荷物はまだ調べている最中でして……。今日中には終わる予定ですので。終わったらすぐにでもお返しします」
「……分かりました」
とりあえず、ちゃんと返してくれるということだし、あまりうるさく言って相手の機嫌を損ねても嫌だし、しつこく返せと言うのは止めておこう。
フィニアス殿下は私が黙ったのを見て使用人に合図を出すと、すぐに朝食が運ばれてきた。
目の前に朝食が並べられた途端に私のお腹がグゥと鳴る。
お腹の音を聞かれたことは恥ずかしかったが、何か行動を起こすにしても、まずはお腹を満たさなければ始まらない。
空腹は最大の敵であることをよく知っている私は、用意されていた朝食を綺麗に食べ終えた。
異世界とはいえ、私の住んでいた世界と食べ物は大きく変わらないようだ。
パン、スクランブルエッグ、サラダにスープ。
朝食だからありきたりなものなのかもしれないが、味も似たような感じだったので美味しく食べられた。
「口に合いましたか?」
「はい。私が良く食べていたものと味が似ていたので」
「それは良かった。ゆっくり朝食をとって下さいね……その後で話がありますので、私の部屋まで来ていただけますか?」
すぐに私は、昨日の話の件であると察した。
魔法やらなんやら言われても理解できなかったので、色々と質問したいと思っていた私は了承する。
朝食後、私はフィニアス殿下に付いていき、彼の部屋へと入る。
一緒に付いてきていたエマさんは退出し、替わりに白髪まじりの五十代と思しき男性が部屋に入ってきた。
フィニアス殿下によると、彼はこの屋敷の執事でヘルマンさんと言うらしい。
私はヘルマンさんに頭を下げた後で、フィニアス殿下に向かって昨日の件での質問を投げかける。
「それで、私は日本に帰れるのでしょうか?」
フィニアス殿下は私の質問を否定するかのようにそっと目を伏せた。
「……今、私が知っている情報だけですと、非常に難しいと思われます。全く可能性がない訳ではありませんが」
「聞かせて下さい」
どれだけ長くなっても構わないから、という気持ちで口に出すと、フィニアス殿下は軽く咳払いをして話し始める。
「では、簡単に説明しますね。ベルクヴェイク王国が所有している召喚の宝玉ですが、宝玉を所有しているのは我が国だけではありません。エルノワ帝国、あちらも所有しているのです。あちらの宝玉は転送の宝玉だと書物に記されていますので、もしかしたら、それが異世界へ送る力を持っているのではないかと」
真偽の程は分からないけれど、転送の宝玉というのがあるのなら、帰れる可能性はある。
ただ、書物に記されているというだけなので、実在していなかったら落ち込むどころの騒ぎじゃない。
「質問なんですけど、エルノワ帝国には本当に転送の宝玉が存在しているんですよね?」
いざ、エルノワ帝国の人に聞いて、宝玉なんてありません、と言われたら、魂が抜けると思う。
この私の疑問にフィニアス殿下はちゃんと答えてくれた。
「存在しています。というのも、ベルクヴェイク王国とエルノワ帝国を建国した初代国王同士が兄弟でして。宝玉に関しては書物に『兄は転送の宝玉を弟は召喚の宝玉を創造の女神・クレアーレ様から授かった』という記述があります。それに、エルノワ帝国から突如として消えた皇帝や王侯貴族が歴史上に存在していますし、こちらに召喚の宝玉がある以上は、あちらに転送の宝玉があるのは間違いないかと」
そういうことなら、エルノワ帝国の人に聞いてみる価値はありそうだ。
「じゃあ、この国に帝国出身の人っていたりするんですか? いたとしたらその人に聞けば分かりますか? もしくは、転送の宝玉について詳しい人とかいます?」
遠い親戚になるのだから、接触できる繋がりはどこかにあるはずと思った私はフィニアス殿下に聞いてみたが、彼は顔を曇らせる。
「私の兄の妻、つまり王妃殿下ですが、彼女は帝国の第一皇女殿下なので、聞けば分かるかと思いますが。その……王妃殿下は今、帝国との国境近くにあるテュルキス侯爵領で静養されていますので、会うのは難しいですね」
「そうなんですか……。でも、静養中ってことは、どこか体が悪いんですか?」
病気療養中だったら、会えるはずがない、と私は思っていたのだが、フィニアス殿下は表情を曇らせたまま、首を横に振った。
「王妃殿下は健康体です」
「じゃあ、どうして会いに行けないんですか?」
健康だというなら問題はないのでは? という私の問いに、フィニアス殿下は口を開く。
「……昨日、この国は滅びに向かっている、と口にしましたが、原因はエルノワ帝国が我が国の領土を狙い、こちらの貴族を引き込んで、戦力を削ごうとしていることなのです。そうして、戦争を仕掛けるつもりなのだと。この国が滅んだ後、エルノワ帝国での地位を約束するとのことで、あちらに寝返った貴族もいるそうです」
「せ、戦争……」
突然のフィニアス殿下の言葉に私は目を丸くさせた。
「さらに、王妃殿下が静養されている領地を治めているテュルキス侯爵ですが、彼はエルノワ帝国と通じているという噂のある人物。ですので、迂闊に王妃殿下に会いに行けないのです」
「……そ、うですか。すぐに……王妃殿下に会いに行けないのは分かりました。でも、他に宝玉のことを知っている人はいないんですか?」
「残念ながら……」
王弟であるフィニアス殿下でも分からないのだから、エルノワ帝国が敵っていう時点で宝玉のことを知るのは無理である。
しかし、テュルキス侯爵はエルノワ帝国と通じていると噂されているだけで、本当かどうかも分からない。もしかしたら違っていたりするのではないだろうか、と私は淡い期待を持つ。
「あの、テュルキス侯爵がエルノワ帝国と通じているって証拠はないんですよね? なら」
「確かに証拠はありませんが、帝国側は、テュルキス侯爵も仲間であると言っていたと、向こうから話を持ちかけられた貴族が教えてくれました。それに、テュルキス侯爵ならば国を裏切る理由がありますし、あの人は国を、というよりも王家を恨んでいますから」
「……どうして」
何か理由があるのかと思い、問いかけるとフィニアス殿下は大きく息を吐いた後に口を開いた。
「一方からの話だけを言うのは不公平だと思いますので、私からは話せません。ですが、ひとつ言えるのは、王家が加害者、テュルキス侯爵が被害者だということです。彼はベルクヴェイク王国を滅ぼすことしか考えていません。滅んだ後にエルノワ帝国の貴族として生きるつもりなんてないんです。自分が死んでも、国民を犠牲にしても彼は恨みを晴らしたい。彼にそう思わせたのは私達のせいですが、その計画を阻止したいのです」
力強く口にしているフィニアス殿下。
心臓がうるさくなっている私に構わず、フィニアス殿下は話を続ける。
「王国内でエルノワ帝国と通じている貴族は年々増えている、という信頼できる人間からの情報もあります。現状、国王派と国内最大貴族であるテュルキス侯爵を始めとする陛下に反発している貴族と、どちらにも属さない中立派に分かれていますので、テュルキス侯爵やエルノワ帝国と通じている貴族の耳に貴方が召喚された異世界人だという情報が入ったら、貴女が危険に晒されます。エルノワ帝国に知られても同じことです」
思いっきり政変に巻き込まれるぞ、と言われ、平和な世界で生きてきた私は背筋がゾッとしてしまう。
「あの……フィニアス殿下はその人達をなんとかしようとしてるんですよね? 個人でなんとかしようと思って、私を召喚したんですか?」
私の質問にフィニアス殿下は少し黙り込んだ後で、ゆっくりと口を開いた。
「……私は他の誰でもない、我が兄でありベルクヴェイク王国の王であるユリウス陛下に忠誠を誓う身です。陛下を差し置いて前に出ることなどあり得ません」
「ということは、私は国王派によって召喚されたということですか?」
「はい」
「敵に対抗するためって言ってましたけど、その敵ってエルノワ帝国やテュルキス侯爵達ということで間違いないですか?」
「間違いありません」
自分が思っていた以上に大変なことに巻き込まれたことを知り、私は言葉を失う。
「大丈夫ですか?」
フィニアス殿下は、心配そうに私の顔色を窺っているが私は気を使って大丈夫ですと言えるような余裕はなかった。
「少し、考えさせて下さい」
フィニアス殿下に断りを入れ、部屋へと戻った私は、エマさんに一人にしてくれと頼み、ベッドへと腰掛けた。
「どうしよう」
平和な世界で生きてきた私にとって、国が滅びるだの戦争だのという言葉とは無縁であった。
それに国の上層部が割れて戦争が起こりそうな状態ということは、国の治安はあまりよくないのではないだろうか?
言葉が通じるのだから、たとえ無茶な要求をされたとしても逃げ出せば、どうにか生きていけると思っていた。
治安のことを考えると、右も左も分からない今の状態で放り出されても、私はきっと生きてはいけない。
少なくとも、この世界の常識を知らなければ無理。
行き倒れるか、悪い人に騙されるか、殺される未来しかない。
日本に帰る以前の問題だ。
だいたい、国王派が正義であるとは限らない。もしかしたら、正義はテュルキス侯爵側にあるのかもしれない。
けど、私の目にはフィニアス殿下は嘘を言っているように見えなかったし、この世界で一人で生きていく術がない以上は、彼に協力するという選択肢しか私には残されていない。
幸い私を召喚したのは、この国の王族。それも王弟殿下。
少なくともこの世界での私の衣食住は保証される。
「問題が解決したら王妃様に話を聞けるかもしれないし、色々と情報を集めた方がいいよね」
協力しながら、帰る方法がないかを調べるというのが一番安全な策である。
ついでにフィニアスさんに私の身の安全を保証してもらいつつ、王族のコネをふんだんに使ってもらって、日本に帰る方法を一緒に調べてもらえるようにしないと、と私は決意した。
それで帰れないと分かったら泣きわめくかもしれないけど、少なくとも諦めはつく。
諦めるのに時間はかかるかもしれないけど……。
だから、私は自分が納得する結果になるように、この国のトップに近い人に協力してもらうんだ。
だけど、口約束は信用できない。途中で捨てられても困る。
ちゃんと書面にしてもらおうと考えた私は、部屋から飛び出してフィニアス殿下の部屋へと向かった。
扉をノックして、私は部屋の中へと足を踏み入れる。
吹っ切れたような顔をした私を見たフィニアス殿下は少々面食らっていた。
「どうかしたのですか?」
「殿下、私と契約を交わして下さい」
私の言葉にフィニアス殿下は言葉が出ないようで、え? と言いながら目を丸くしている。
「私は、フィニアス殿下のことを信じていいか、従っていいか正直に言うと分からないんです。それは殿下も同じだと思うんですけど、そんな相手と協力します、と口約束を交わしても信用できないと思うんです。だから文書にしておこうと思いまして。そうすれば書類での約束があるので、ある程度はお互いに安心できると思うんですよ」
「それで契約ですか」
「はい。それで契約するにあたって、条件をつけさせてもらいたいんです」
条件と聞いたフィニアス殿下の顔色が変わる。
どんな無理難題を言われるのだと警戒しているように見受けられた。
無理難題といえばそうだけど、私はこれだけは譲れない。
「私が求める条件はただひとつ。私が殿下に協力する代わりに、殿下は私に協力して元の世界に帰る方法を調べて下さい」
「しかし、元の世界に戻る方法は」
「あるかもしれないし、ないかもしれない。今はそれが分からない状態で、帝国の人に話を聞いてもいませんし、もしかしたら別の方法があるかもしれません。でも、私一人だけじゃ、調べるにも限度があります。なので、王族であるフィニアス殿下に協力して欲しいんです。それぐらいはしてくれても罰は当たらないと思うんですよね」
そう言って笑みを浮かべた私を見て、フィニアス殿下は呆けた後で苦笑する。
態度だけで、彼が折れてくれたことが分かった。
「……分かりました。できる限り、貴女の力になると約束します」
フィニアス殿下は立ち上がり、私の目の前までやってくると手を差し出す。
握手を求められていることに気付き、私は差し出された手を握った。