17・侯爵令嬢との対面
翌日、私はこれまでの疲れと緊張感から解放されたこともあって、起きたときにはお昼近くになっていた。
朝食兼昼食を終えた私は諸々の説明を受けるため、テオバルトさんのいる部屋に向かっていると玄関から割と大きめな女性の声が聞こえてきた。なんだろう? と気になった私は玄関の様子を窺う。
「だから! 保護された娘はどこにいるのかって聞いてるのよ!」
「ですから、なぜクリスティーネ様がこちらにいらしたのか、と伺っているのですが?」
「お祖父様から伺ったからよ!」
私の方からはテオバルトさんの影に隠れてしまって女性の顔が見えない。
けれど、口調の感じから勝ち気な人っぽい印象を受けた。
どんな人なんだろうという興味で、私は柱の陰から顔を覗かせる。
少し移動して、テオバルトさんを斜めから見ることで、ようやく私は声の主の顔を見ることができた。
その女性は燃えるような赤い髪に緑色の目をした、とんでもなく綺麗な人だった。
派手な見た目で気が強そうな印象。口調からして多分そうなんだろうな。
なんというか、偉そうな態度を取っても馴染んでしまうというか、それが自然に見えるというか、ともかくそんな感じ。
す、すごい美人さんだと私が見惚れていると、視線に気付いた彼女と目が合ってしまった。
私の姿を見てニヤリと笑った彼女は、テオバルトさんの制止も聞かずにこちらへと優雅に歩み寄ってくる。
「貴女が保護されたという娘なのかしら?」
「あ、はい」
「ふ~ん」
腰と顎に手を置いて、私の頭の先から足先までジロジロと見てきた。
何をしたいのかが分からなくて、私は妙に緊張してしまう。
「……あの」
「私はクリスティーネ・テュルキスよ」
「え!? テュルキス!?」
テュルキスってことは、この人はテュルキス侯爵の…………む、娘じゃないよね?
年齢が離れすぎてるような気がするけど、遅くに生まれた子供の可能性もあるし、お孫さんですか? って聞いて娘だったときの気まずさは半端ないし。
テュルキスということは侯爵家の血縁者であることには間違いないと思うんだけど。
「で、貴女は?」
腕を組んで仁王立ちしたクリスティーネ様は高圧的な視線を私に向けてくる。
あ、名前を名乗ってくれたんだから、私も名乗らないといけないよね。
テュルキス侯爵の血縁者ってことに驚いてすっかり忘れてた。
「私は瑠音……瑠音・堂島です」
「じゃあ、ルネって呼ぶわ。構わないでしょう?」
「はい。もちろんです。それとクリスティーネ様はテュルキスと名乗っていましたけど、テュルキス侯爵の血縁者なのですか?」
クリスティーネ様は「あら」と言って眉をピクリと動かした。
「私の名前を御存じでないと……」
「……申し訳ありません」
「まあ、貴女の様に貴族と関わりなく暮らしていた平民ならば、仕方がないわね。……私はテュルキス侯爵家当主であるヨアヒム・テュルキスの孫娘よ。本来であれば、平民である貴女と言葉を交わすことなどしないのだけれど、お祖父様からのお願いですからね。仕方なくこちらに参ったのです」
テュルキス侯爵のお孫さんだったんだ。娘さんですか? って聞かなくて正解だった。
それにしても、綺麗な人だよね。髪を後ろへ払う仕草が物凄く様になってるよ。
私がボーッとクリスティーネ様を見つめていると、彼女はフンッと鼻を鳴らした。
「それで、誘拐されて怪我をしたと伺っているけれど、怪我の具合はどうなの?」
「え? あの」
「だから、怪我の具合はどうなの!?」
物凄く高圧的な態度のはずなのに、こちらを気遣ってくれる言葉とのギャップが激しくて正しく理解できず反応が遅れてしまう。
「足の怪我でしたら大丈夫です。テオバルトさんに治癒魔法をかけてもらったので」
「足ですって!? 何を歩き回ってるのよ!」
「ご、ごめんなさい!」
「テオバルト! さっさとルネを部屋に連れ戻しなさい!」
「クリスティーネ様、ルネの足の怪我は治癒魔法で治ってます。歩いても問題はありませんので」
どうどうとクリスティーネ様を落ち着かせるテオバルトさん。
「なら、よろしいわ。それなら、部屋でお話でもしましょうか。本来なら平民と話すことはないのだけれど、お祖父様から頼まれていますからね。特別に私とお話をする権利を差し上げるわ」
フフン、という言葉が似合いそうな表情を浮かべているクリスティーネ様。
さっきから平民、平民と言っているけど、なんだかんだで気にかけてくれるところをみると、きっと彼女は物凄く良い人なんだろうな。
見た目と違って良い人だ~、と思って私がクリスティーネ様を見ていると、軽く咳払いをしたテオバルトさんが声をかけてくる。
「ルネはこれから勉強の時間となっております。申し訳ございませんが、クリスティーネ様とお話しする時間は」
「あら、お勉強? そうよね。平民が貴族のいる場所で暮らすのだから、礼儀や言葉遣いの勉強は大事よね。いいわ。私も教えて差し上げる」
そう言ってクリスティーネ様は「さ、部屋はどこなの?」と言いながらさっさと歩いて行ってしまう。
私は本物の貴族令嬢を見られた感動で口をポカンと開けていたし、テオバルトさんは人の話を聞かないクリスティーネ様を見て大きなため息を吐いていた。
その後、私達はモーンシュタイン伯爵から用意された部屋へと入り、テオバルトさんから国王派の貴族と陛下に反発している貴族(先代皇帝側)の名前を教えられていた。
「じゃあ、敵の内情を探っているのはテュルキス侯爵だけということですか?」
「それはちょっと違うわね。お祖父様は内情を探っているのではなく、国を腐敗させている貴族をおびき出すために表に出ているだけなのよ。全ては王家の皆様と国のため。お祖父様は自分の悪評を利用しているの」
「クリスティーネ様、内情をばらすのはお止め下さい。ルネは協力者という立場なのです。深く関わらせるつもりはありません」
「でも、御存じなかったから、騎士に騙されたのでは? 最低限の情報は危険を避けるためにも必要だと思うわ」
クリスティーネ様はテオバルトさんを軽く睨み付けると、彼は黙り込んでしまった。
「もちろん、国王派にも己の利益を優先している貴族もいるわ。でも、人道に反した行いをしている人はいないと思う。かといってお綺麗なだけの貴族も数えるくらいしかいないけれどね。だから、フィニアス殿下以外は信用しない方がいいわ」
まあ、権力者って大抵の場合は後ろ暗いことをしているってイメージがあるもんね。
それでもフィニアス殿下は信用できるって言ってくれたことで、なぜか私は安心した。
「クリスティーネ様。テュルキス侯爵様から何を頼まれたのか存じ上げませんが、そのような事情を話されると、後でフィニアス殿下から叱られますよ。あのお方はルネに深入りして欲しくないと仰っておりましたから」
「深入りって……誘拐されている時点でそのようなことを仰っている場合ではないでしょうに。見たところルネは私と同じ年くらいに思えるけれど、与えられた情報を正しく読み取れないと思っていらっしゃるのかしら?」
「……そうではありません」
チラッとテオバルトさんが私に視線を向けてきた。
言い淀んでいる様子から考えると、クリスティーネ様はテュルキス侯爵から私が異世界から召喚された人間だということは知らされてないのかな?
「なら構わないでしょう? 本当にテオバルトは頭が固いわね」
「クリスティーネ様が深く物事を考えないだけではないでしょうか?」
「何ですって! 貴方、最年少で魔術師になったからって、調子に乗ってるんじゃないの?」
「でしたら、自分はこの八年、ずっと調子に乗っていたことになりますね」
「ああ言えばこう言うんだから」
「いつも突っかかってくるのはクリスティーネ様ですけれどね」
声を張り上げているクリスティーネ様と違い、テオバルトさんは涼しい顔をして受け流している。
なんというか、子猫の攻撃を受け流しているみたいに見える。
だけど、付き合いが長いのか軽口を言い合っている様子は仲が良さそうで羨ましくも思う。
「お二人は付き合いが長いのですか?」
私が口を挟むと、二人は冷静になったのか言い合いを止めた。
クリスティーネ様は、テオバルトさんへと向けていた視線を私に向けてくる。
「そうね……七年くらいかしら」
「長いですね。ということは、フィニアス殿下ともそれくらい?」
「いえ、フィニアス殿下とは私が五歳の頃からの付き合いね。お祖父様がフィニアス殿下の教育係だったので、その関係で顔を合わせることが多かったの。だから、十二年くらいかしら」
そんなに長い付き合いなんだ~と私が思っていると、テオバルトさんが大きなため息を吐いていることに気が付いた。
「フィニアス殿下とクリスティーネ様が幼い頃から顔を合わせていたのは、クリスティーネ様がフィニアス殿下の婚約者候補だったからだよ」
「え!? そうなんですか!?」
王城でもフィニアス殿下に婚約者がいるとかいう話を聞いたことがなかったから、私は大声を出して驚いてしまった。
「それも御存じなかったの? ……なら私が教えて差し上げるわ。婚約者候補は私を含めて数名いたのだけれど、フィニアス殿下が王位継承争いに負けた、ということになっているから話が流れたのよ。でも、今回の件が上手く行けば、フィニアス殿下の評価はかなり上がることになるし、どこかのご令嬢との婚約話が復活すると思うの」
婚約者とか物語の中だけの話だと思ってた。
でも、フィニアス殿下は王族だし、そういう話があってもおかしくないよね。
おかしくないはずなのに、どうしてちょっとモヤモヤするんだろう?
私が難しい顔をしながら考えていると、クリスティーネ様が、はぁと息を吐いて目を合わせてきた。
なんだろうかと私が首を傾げていると、再び彼女は息を吐く。
「貴女、本当に何も知らないのね。よくそれで生きてこられたものだわ。隙だらけだし、警戒心も足りてない。貴女、一体いくつなの?」
「じゅ、十九歳です」
十九!? とクリスティーネ様は目を剥いた。
「その年でそれなの!? どれだけ平和に暮らしてきたというの!? 信じられないわ!」
「申し訳ありません」
平和ボケしすぎた世界からやってきたんです、とは口が裂けても言えない。
だけど、四ヶ月もこの世界にいるのだから、多少は警戒心を持つべきだったし、疑ってかかるべきだった。
これが普通の人の反応だと分かり、私は唇を噛みしめて下を向いた。
「ちょっと! 別に責めてないわよ! 驚いただけよ! 何も泣くことないじゃない」
「いや、泣いてないです」
「紛らわしいわね!」
泣きはしなかったとはいえ、落ち込んだのは確かだ。
でも、もう! と言いながら頬を膨らませているクリスティーネ様を見ていると自然と口元が緩んでしまう。
上から目線で平民だとか口にしているのに、知らないことを馬鹿にするでもなく親切に教えてくれる人。
泣いたかと思って焦ってフォローしてくれる彼女は、きっと口下手なだけで優しい人なんだろうなと分かった。
だから私は自然と口から出てしまったんだ。
「クリスティーネ様はお優しい人ですね」
と。
私の言葉を聞いたクリスティーネ様は唖然としていた。
言葉が出てこないのか「あ」とか「う」とか呻いている。
次第に顔が赤くなっていき、突然椅子から立ち上がると「用事を思い出したわ!」と言って部屋から出て行ってしまった。
何か悪いことを言ったのかと私は狼狽えてテオバルトさんを見た。
「あれはどう反応していいのか分からない、ということだよ。気にする必要はない」
「え? でも貴族の女性ならああいった言葉は言われ慣れているのでは?」
「いや、彼女は高飛車な物言いと気が強い性格のせいで、親しい友人がほとんどいないんだよ。だから優しいと言われたことも身内以外じゃないだろうから、嬉しさと戸惑いが入り混じったんじゃないかな」
テオバルトさんの説明を聞いて、怒らせたわけじゃないと知り安心したけれど、明日から心の距離が開いたら嫌だなと不安にもなる。
しかしながら、それは杞憂に終わった。
翌日からクリスティーネ様はずっと私の側にいて、何も知らないという私にあれこれと教えてくれるようになった。
お茶にも誘われ、最高級の茶葉よ! と言って出してくれた紅茶は本当に美味しかったし、いらないからと比較的上品なデザインの服を何着も私にプレゼントしてくれたのである。
ありがとうございますと言った私を見て、彼女は満足そうにニンマリと笑っていたのが印象的だった。
うん、やっぱりクリスティーネ様は不器用だけと優しい人だなぁ。
と、楽しい時間を過ごした私だったけれど、その日の晩に一人になったときに問題が起こってしまった。