15・牢屋にて
私はかなりの時間、馬車に揺られていた。時計がないので時間までは分からなかったけれど、布の隙間から明るい光が差し込んでいたことを考えると半日は経っていたのかもしれない。
馬車が止まって降ろされる際、私は頭から布を被せられ、足下以外何も見えない状態で、この牢屋へと連れて来られた。
そして、少し肌寒さを感じる薄暗い牢屋の中、目の前の鉄格子を凝視して二日経った。
二日と判断しているのは、単純に寝て起きてを二回繰り返しているから、私はそう思っているだけで、もしかしたらもっと時間は経っているのかもしれない。
ここに連れて来られた当初は、殺されるかもしれないとか思っていたのに、二日経っても私に会いに来る人はいない。恐怖を感じていたのに拍子抜けしてしまった。
誰が私を攫うように命令したのか、未だに分からないまま。
あと、牢屋だから当たり前だけど、私は碌な扱いをされておらず、固い床で熟睡することもできない。
ござのようなものはあったが、何の緩衝材にもならないことから、体の節々が痛くてたまらない。
精々、寒さをしのぐぐらいしか役には立たないけれど、無いよりもマシ。
むしろ、牢屋に立ちこめる独特の臭いが生理的に受け付けなくて、鼻呼吸できないのが一番辛い。
この臭いの中、ご飯を食べなくちゃいけないんだから最悪、とか思ってたのに、空腹の前では、そんなことは問題にはならなかった。
一日一回運ばれてくるパッサパサのパンを三等分して、ちょっとずつ食べながら、私はこの先のことやアルフォンス殿下のことを考えていた。
私が、いきなり王城からいなくなって、アルフォンス殿下は心配しているかもしれない。というかアルフォンス殿下の命は無事なのかな? ちゃんとフィニアス殿下に保護されていればいいけれど。
フィニアス殿下といえば、彼も心配、してくれているのかな?
どうなんだろうと考えていた私の耳に、鞭が打たれる音と男の人のうめき声が聞こえてきた。
ああ、今日もまた始まった、と私は目を閉じて耳を塞ぐ。
斜め前の牢屋には、私よりも前にこの牢屋に入れられていた男の人がいる。
何をして牢屋に入れられたのか不明だけど、牢屋に入れられたときは他にも人がいるということに私は全然安心できる状況じゃないのに安心した。
でも、彼がやってきた兵士らしき人達から鞭を打たれたり、水をかけられたりと拷問を受けていたのを見て、そんな気持ちは吹っ飛んでしまう。
「逃げようとした罰だ」
「金だけもらってずらかろうなんて甘いんだよ!」
という言葉から、私はその拷問が情報を聞き出すためのものではなく、ただ痛みを与えるためだけのものだと知った。
鞭を打たれる音が響き、その痛みに男は声を上げる。
薄暗くて鮮明には見えなかったけれど、私は見たくなくて彼から視線を外して目を瞑って耳を塞いだ。
終わるまで私は膝を抱えていることしかできなかった。
現実逃避をしながら、私は彼への拷問が終わるのをひたすらジッと待つ。
やがて、拷問が終わり、兵士らしき人達は牢屋から出て行った。
地べたを這う音と呻き声が聞こえ、私は思わず斜め前の彼に声をかける。
「あの、大丈夫ですか?」
兵士らしき人が出て行ったのを確認して言ってはみたももの、彼からの返事はない。
返事をする気力もないのかもしれない。
再度、声をかけたところ、見張りから「うるさい!」と言われてしまい、私は口を噤んだのだった。
こうして二日目が終わり、三日目となったこの日、ようやく私に会いに来た人がいた。
小太りで下卑た笑いを浮かべている、趣味がいいとは言えない見た目とは不釣り合いな豪華な服やアクセサリーに身を包んだ男。多分、貴族だと思う。
貴族の男は私を見下ろして笑っていた。
「本当に、この娘がやったんだな?」
「その前後で、現れたのはその娘だけだと報告を受けていますので、間違いないかと」
「証拠はなかったが攫って正解だったというわけか。では、あの娘を探している者こそが、無能なフィニアス殿下に取り入り、我々を混乱させようとした人物ということになるな。その娘の知っていることと雇い主を吐かせて、テュルキス侯爵とイヴォン様にお伝えすれば、国王派の力を削げるし、私の評価も上がり、帝国での地位も高くなろうというもの」
ふふふ、と笑いながら言われた言葉に、この男が私を攫った張本人だと知った。
驚いたけれど、男が口にしたイヴォンという名前を聞いて私はもっと驚いた。
人違いでなければ、イヴォンは先代皇帝の裏にいる人物。
ということは、目の前の男が先代皇帝と通じている貴族ということになるが、それを知ったところで、今の私にはフィニアス殿下に伝える術はない。
「だが、本人から聞いた方が早いかもしれんな。……おい、兵を呼んでこい。拷問にかけて吐かせろ」
「はっ」
私は斜め向かいの彼が受けていた拷問を思い出し、あれを私にもされるかと思い、恐怖で震えた。
殺されるよりはマシかもしれないが、痛いのは嫌だよ。
誰でもいいから助けて、と膝を抱えて震えていた私の耳に、貴族の男ではない誰かの足音が聞こえてきた。
私を拷問しにきた兵だと思い、体を硬直させる。
しかし、足音の主は鍵を開けて入ってくる素振りを見せない。私が不思議に思っていると、足音の主が意外なことを口にした。
「旦那様、テュルキス侯爵様がおいでですが、いかが致しましょう?」
「何!? 何故、テュルキス侯爵が……」
貴族の男はテュルキス侯爵が来たことに驚いていたが、私も同じくらい驚いて、思わず顔を上げた。
テュルキス侯爵の来訪を伝えた男は、私や貴族の男が驚いていることを気にする様子もなく話を続ける。
「そこの娘を捕らえたことを御存じの様子で、一目見たいと」
一目見たいって……テュルキス侯爵とは王城で顔を合わせたことがあると思うんだけど、どうしてこんなところまで?
今更、私の顔を見てどうするつもりなの?
テュルキス侯爵の目的が分からず、狼狽えていた私とは反対に、貴族の男は軽い笑みを浮かべた。
「……さすが、テュルキス侯爵。すでに御存じでいらしたか。良い、こちらに案内しろ」
「はっ」
兵は早足で牢屋から出て行き、少ししてゆったりとした足音が響く。
コツン、コツン、とこちらへ近づいてくる足音。
貴族の男が頭を下げたことから、テュルキス侯爵が来たのだろう。
「このような場所においでにならずともよろしいのに」
「フィニアス殿下の監視として参ったのだが、面白い話を耳にしたので、気になってしまってな……事前に連絡もせずに申し訳ない」
テュルキス侯爵は話しながら牢屋に近づいてきて、私の目の前に姿を現した。
蔑むように私を見る視線に、私の表情が強張る。
「いえ、こちらは平気でございます。ちょうど今から、その娘を拷問して雇い主と知っている情報を全て吐かせようと思っていたところです。少しばかり痛めつければ、すぐに情報を吐きましょう」
「その必要はない」
ピシャリと言った言葉に、ザフィーア子爵は笑顔のまま固まった。
「いくら国王派の貴族の誰かとはいえ、こんな素人に全て話すわけがない。そこまであちらは愚かではないだろう。この娘は、ただの捨て駒。拷問しようが何をしようが碌な情報は吐かないかと。これは、ただの平民。とんだ期待外れだ」
「し、しかし。意外な情報を持っているやも」
「それはない。大方、金に釣られてよく話も聞かぬまま、協力していたというところだろう。運が悪かったとしか言いようがない」
「ですが、その娘は半能力半魔法属性だという情報もありますし」
その言葉にテュルキス侯爵は鼻で笑った。
「ただの平民の娘が半能力半魔法属性なわけがない。ザフィーア子爵とて、平民の魔力量がどれくらいかは知っておるだろう?」
「ええ、はい。存じておりますが……」
「その言い方だと、その娘が半能力半魔法属性だという証拠がお有りなのかな?」
ザフィーア子爵は証拠を持っていないのか、力なく首を横に振る。
「その娘が疑わしいと思えることがあったのかもしれんが、フィニアス殿下は魔術師のテオバルトと仲がよいので、彼が何かしたのやもしれんな。その娘は、上手く使われたというところか……。もしかしたら、敵を炙り出すための罠、という可能性もあるな」
テュルキス侯爵の言葉に、ザフィーア子爵は顔を青くさせる。
「罠!? で、では、この娘はどうしたら……」
「そこまで心配する必要はない。明朝あたりに、この娘の首を刎ねてしまえば、証拠の隠滅はいくらでもできる」
拷問を避けられて安心していた私は「え?」と言ってテュルキス侯爵を凝視した。
首をはねる?
はねるって首を切り落とすってことだよね? どうして、なんで!
「殺すのならば明朝でなくても、今で構わないのでは?」
「今はまずい。王都からフィニアス殿下がザフィーア子爵領に視察に来ておる。何とか私が説得して、この屋敷ではなく近くの宿屋に泊まらせるよう手配したが、殿下は相当この娘を気に入っておいでのようでな。フィニアス殿下がその娘に何らかの術をかけている可能性もある。それらを調べて何もないと分かった後で殺した方がよい。付け入る隙を与えると、くまなく部屋を捜索されてしまうぞ」
「それは困ります!」
「でしょうな。よって、フィニアス殿下が出立する明朝まで、この娘は殺さない方が良い。よろしいな?」
青ざめたまま、ザフィーア子爵は何度も頷いた。
殺されると言われ、動転していた私はフィニアス殿下が近くまで来ていることを知って、安心して泣きそうになる。
一方、ザフィーア子爵は「ええ、その通りです」とテュルキス侯爵の言葉にひたすら相槌を打っていた。
「ああ、それから、本日の夕食の件だが、殿下が屋敷から宿に戻るのは九時頃の予定になる。妙な動きをされてはかなわんので、できる限り監視の兵を屋敷の方へ集めていただきたい」
「ということは、フィニアス殿下は私を疑っていらっしゃると」
「ああ、城内で娘と揉め事を起こしたのが、ザフィーア子爵の遠縁だったから、という理由だけで疑っておいでなので、娘が見つからねばどうとでも言い訳はできよう。安心せよ」
私を攫った証拠をフィニアス殿下が握っているわけではないと知り、ザフィーア子爵は安心したのか息を吐いた。
「兵を集めてしまうと、兵の交代時間と被ってしまうやもしれんな。面倒をかける」
「いえ、兵の交代時間と被っておりますが、ここと隣の領地の見張りが大半ですから、問題はありません。それにこの牢屋は平民の魔力程度ではびくともしない作りになっていますからな。見張りが減ったところで、逃げることもできませんよ」
「そういえば、隣は国王派の重鎮、モーンシュタイン伯爵領であったな。あの面倒な男の領地と隣とは同情する」
「まったく気が休まりませんよ。モーンシュタイン伯爵は愛国心が強く、王家への忠誠を誓っているので、少しでも怪しい動きをすれば足をすくわれてしまいますからね」
「確か、ここの裏の森にある小川が境界線だったか。こう近いと気が休まらなかったことだろう。なのに、ここまで隠し通せたのは、ザフィーア子爵の手腕が素晴らしかったからに他ならない。今後も期待している」
労いの言葉にザフィーア子爵は笑顔を見せた。
そこへ、兵士ではない男性がやってきて、テュルキス侯爵に耳打ちをすると、彼は「そうか」とだけ呟いた。
「テュルキス侯爵、何かございましたか?」
「……いや、フィニアス殿下の視察が終わったという報告だ。一度、顔を出さねばならんのでな。戻らねば」
「そうでしたか。でしたら、馬車まで送りましょう」
「頼む」
そう言って、ザフィーア子爵が出入り口へと向かった後、テュルキス侯爵は私を一瞥し、ゆっくりと口だけを動かす。
その口の動きで何を伝えたかったのかを知った私は、勢いよく立ち上がり、出入り口へと向かうテュルキス侯爵に「待って!」と声をかけた。
周囲の兵士は、私が命乞いをするのだろうと思ったのか「静かにしろ!」と棒のようなもので鉄格子を叩かれる。
慌てて鉄格子から手を離し、牢屋の出入り口を眺めていたが、しばらくしてその場に力なく座り込み、先ほどのテュルキス侯爵の口の動きを頭の中で何度も繰り返した。
『死なせぬ』
私の見間違いでなければ、テュルキス侯爵はそう口を動かしていた。
どういうこと? テュルキス侯爵は王家を恨んでいて、国を滅ぼそうとしてたんじゃなかったの?
死なせぬって言ってたけど、自分が殺せって命令したのに、どうして。
……でも、その言葉があったから私は拷問されずに済んだんだよね? それに、私が半能力半魔法属性だってことも強く否定してたし。
魔力も大したことないって言って、ザフィーア子爵を納得させてた。
考えれば考えるほど、私にとって有利になるようなことを言ってなかった?
と、私は先ほどの会話を思い返す。
フィニアス殿下がザフィーア子爵領に来ていること。
九時までフィニアス殿下が屋敷に滞在すること。
兵士の交代が九時頃だということ。
フィニアス殿下が来るため、兵が屋敷の方に行って、こちらの見張りが手薄になること。
私の魔力量だったら、牢屋から出られるだろうってこと。
牢屋の裏の森にある小川を超えたら国王派の伯爵の領地であること。
…………ちょっと待ってよ。これじゃ、まるで敵の注意を引きつけておくから逃げろって言ってるようなものじゃない。
追い詰められて、自分の都合の良いように考えてるだけかもしれないけど、私は助かる可能性があるということで、少しだけ落ち着きを取り戻した。
でも、本当にテュルキス侯爵は私を助けようとしてくれているの?
何のために?
だって、フィニアス殿下からは、ちゃんとテュルキス侯爵が敵だって聞かされてた。
だけど、テュルキス侯爵が教育係だったことは隠されていたし、思えば、フィニアス殿下は私に全てを話してはいなかったよね。
……だったら、もしも、もしもよ? テュルキス侯爵が敵だってこと自体が嘘だったら?
もしかしたら、フィニアス殿下とテュルキス侯爵が手を組んで、先代皇帝と通じている可能性がないわけじゃない。
けど、その場合、私を助けようとはしないはず。事情を知っている私には死んでもらった方が都合が良いし、取るに足らないと見逃すような甘い人でもないはずだ。
ザフィーア子爵と考えた罠という可能性もあるけど、結局殺すのだから、私が逃げ切れるかもしれない方法をとるはずがない。
ということは、やっぱりテュルキス侯爵が味方という可能性が高い。
だとするならば、逃げるチャンスは兵士が交代する前。フィニアス殿下が帰るまで。
ここの見張りが手薄になっている間に、牢屋の壁を分解して、そこから外に出て裏の森から小川に向かって逃げればいい。
大丈夫、やれる、と考えていた私の耳に、またもや誰かの足音が聞こえて来た。
膝を抱えて誰が来たのか、とそっと見てみてると、フードを深くかぶったローブ姿の人物が私の牢屋の前を通り過ぎていった。
どうやら、斜め向かいの男の人に用があるらしい。
「……おまえ」
「無様ですね。大人しく最後まで協力してくれれば良かったのですが、逃げようとするからですよ? 君は情報を知りすぎていましたから、そろそろ始末しようと思っていたのに、とんでもないときに逃げようとしてくれたものです」
「だ、から……に、げたんだろ、うが」
「結局、捕まりましたけどね。君はとても優秀でしたよ。お蔭で色んな貴族を引っかき回すことができました。さすが帝国でも名の知れた暗殺者ですね。その点は感謝していますよ。まあ、その暗殺者が、こんなに簡単に捕まってくれるなんて拍子抜けでしたが」
「へんな、まほうをつか、ったから……だ、ろ」
他の音が聞こえないせいか、二人の会話がよく聞こえた。
斜め向かいの男はエルノワ帝国の暗殺者で、ローブ姿の人は声の感じからして、男だということを知った。
もしかしたら、何か情報が分かるかもしれないと思い、私は鉄格子に近づく。
「変な魔法とは失礼ですね。闇魔法で君の目を見えなくさせて、ついでに耳も聞こえなくさせただけじゃないですか。そこを潰してしまえば、動けないと思ったのですが、気配だけで六人も殺すとは、本当にさすがですね。私がいない間に逃げたと聞いたときは、冷や冷やしましたが、ザフィーア子爵の兵と魔術師が多少は優秀で助かりました」
「そりゃ、なによりだ」
「まあ、情報が漏れる前に君を始末できるのは良かった。生憎と、今はフィニアス殿下が滞在しているので、騒ぎが起こせず、君の処刑が明日になってしまったのが悔やまれますが。私はもうエルノワ帝国に戻りますので、後はザフィーア子爵にお任せしましょう。それでは」
ガンッ!
「イヴォン……!」
声を出すのもやっとというように見えた彼は鉄格子に掴まって立ち上がり、去って行くローブ姿の男を呼び止めたが、彼は振り返ることなく歩き始める。
私の牢屋の前を通ったときに、チラリとこちらに視線を向けてきたが、さして興味がないのかすぐに前を見て通り過ぎていった。
「……くそっ」
鉄格子を叩く音が鳴る。悔しさの入り混じった声に私は同情してしまうが、相手はまさかの暗殺者。
それに、自分のことで精一杯。他人のことを考えている余裕はない。
余裕はないのに、ローブ姿の男がイヴォンと呼ばれていたことが気になった。
先代皇帝の裏にいるイヴォンとさっきまでここにいたイヴォンが同一人物なら、私は黒幕の姿を見たことになる。
フィニアス殿下と同じ敬語で話しているのに、声の感じはかなり冷たく、他人を下に見ているような感じの男。
嫌な人だと、私は思った。
それから時間が経過し、私は鉄格子の近くで見張りの兵士がフィニアス殿下が来たとか、交代の時間がもうすぐだとか口にするのをひたすら待っていた。
窓がないので、時間帯は分からなかったが、兵士の一人が「もうすぐ交代だな」と他の兵士と話しているのが聞こえ、私は逃げる準備をし始める。
壁に手を当てて、自分一人が通れる穴を開けるイメージをしている最中、扉が開いた音がして、息を切らせた兵士が牢屋に入ってきた。