14・瑠音と騎士
真の敵が先代皇帝側だと知り、フィニアス殿下は色々と動いているのか、私の部屋に来なくなった。
期限も残り一ヶ月を切って、王城内の人達もピリピリとしている。
怒鳴り合いにまで発展していないが、嫌味の応酬をしているところを私は何度か目にしていた。
あと数日我慢すれば、私とアルフォンス殿下はフィニアス殿下の屋敷に行ける。
もう少しの辛抱だとは思うんだけど、さすがにこのピリピリした空気の中にいたくないと思い、さっさと昼食を食べて使用人の食事部屋から足早に出て行った。
なるべく早足でアルフォンス殿下の部屋まで戻っている途中で、廊下にいた騎士に私は肩を掴まれてしまう。
思わず立ち止まり、相手の顔を見ると嫌らしく笑ってこちらを見ていた。
国王派、反発している貴族達に属している側のどちらだろう。
「……申し訳ございませんが、アルフォンス殿下の部屋へと戻らねばなりませんので」
失礼致します、と頭を下げて立ち去ろうと私は背を向ける。
「逃げるのか? 卑怯者のフィニアス殿下が雇い主だと、その部下も卑怯になるんだな」
あんまりな言い方に、私は足を止めて振り返る。
「今のは、どのような意味でしょうか?」
「言葉通りの意味だ。お前の雇い主は幼い頃から何もせずに、陛下の手助けも、テュルキス侯爵の手助けもせずに、ただ王城に留まっているだけだろうが。自分の手を汚さずに両者が共倒れになればいいと思っている証拠だ。これを卑怯と言わずして、なんと言う」
全く見当外れな言葉に、私は呆気にとられてしまう。
騎士は私が何も言わないのをいいことに、更に言葉を続ける。
「大事なことは全てテュルキス侯爵様頼み。ご自分で決断されたことは一度もない。人の意見ばかり聞いていた先代国王陛下よりも質が悪いと皆が言っている。ただ見ているだけで戦おうともしない情けない方だ。底が知れる。だから、卑怯だと言っているんだ」
この男は何を言っているの? フィニアス殿下が何もしていない?
何もしていないわけない。あんなにもあの人はこの国のために動いているのに。
何も知らないのに勝手なことばかり言って!
私はフィニアス殿下が優しいだけの人じゃないって知っている。
自分がどういう評価をされているのかを知っていて、それでも笑っているあの人はすごく強い人だと、私は思っている。
言い返さないだろう私にあれこれ言っている、この騎士こそ卑怯だよ!
頭に血が上った私は、フィニアス殿下から言われていた"言い返さない"という言葉をすっかり忘れてしまっていた。
ニヤニヤしている騎士を私は睨み付ける。
「フィニアス殿下は卑怯者なんかじゃありません」
相手の目を見て、私はハッキリと口にした。
騎士は言い返されるとは思っていなかったようで、何を言われたのか理解できなかったのか口をポカンと開けている。
けれど、何を言われたのか理解した瞬間、騎士は一気に顔を真っ赤にさせた。
「……! やはり、お前がフィニアス殿下の寵愛を受けているという噂は本当だったのだな! 愛した男を庇おうと思ったのか!? 見る目のない女め!」
「寵愛を受けているなど、まったく身に覚えはございません。それよりも先ほどの貴方の言葉は不敬にあたります。卑怯だと口にしたことを訂正して下さい」
「ふざけるな! 俺は事実を口にしたまでだ。訂正する必要なんてない」
「貴方は騎士だというのに、王族の方に対する敬意すら失ってしまったのですか? いいえ、騎士でなくとも王族の方に対する言葉としては不適切です」
キッパリと口にした私に、騎士は顔を真っ赤にさせてブルブルと震えている。
あ、これは殴られるなと思ったら、騎士が剣に手をかけた。
嘘! ここで斬るつもり!?
「そこで何をしておる」
体が動かず、立ち尽くしていた私の耳に、威厳のある低い声が聞こえてきた。
騎士も声で誰が来たのか分かったようで、真っ赤にさせた顔を一気に青くさせている。
コツコツと声をかけてきた人の足音が近づいてくる。それも複数。
「何を、と私は聞いておるのだが」
声に怒りが含まれている。
このとき、私はようやくフィニアス殿下に言われたことを思い出した。
よりにもよって騎士に言い返してしまったと気付いた私も、青ざめた。
声をかけてきた人の問いに答えた方がいいのは分かっていたが、どう言えばいいのか。
馬鹿正直に騎士がフィニアス殿下を卑怯だと罵ってました、なんて言って信じてもらえるとは思えない。
どうしようと私がそっと振り返ると、五十後半から六十代くらいの白髪交じりの男性と、その彼の後ろにフィニアス殿下の秘書官であるジルヴィア様の姿が見えた。
どうしてここにジルヴィア様がいるのか分からないけれど、声をかけてきた男性の視線は私ではなく騎士の方に向いていることに私が気が付く。
「テ、テュルキス侯爵……あの、自分は……」
顔を青くさせた騎士はしどろもどろになっているが、私も騎士の言葉を聞いて驚いた。
ちょっと待って、テュルキス侯爵!? この人が!?
口を開けて、テュルキス侯爵をジッと見ていたけれど、彼は私の視線などまったく気にしている素振りも見せず騎士を見ていた。
「剣に手をかけているように見えたが、まさか城内で剣を抜くつもりだったのか」
「いや、それは! それは……あの、この! この女が! フィニアス殿下を愚弄したので思わず」
そう言って、騎士は私を指差し、テュルキス侯爵もこちらを見たことで彼と目が合う。
冷たい眼差しに私の背筋が冷たくなる。
けれど、テュルキス侯爵は私を一瞥し、鼻で笑ってみせた後で隣にいたフィニアス殿下の秘書官であるジルヴィア様へと声をかけた。
なぜ、彼女がテュルキス侯爵と一緒にいるの? フィニアス殿下を監視しているって噂は本当だったの?
「ジルヴィア嬢。この娘は確か、フィニアス殿下が雇った娘であったな」
「そう聞き及んでおります」
「殿下の寵愛を受けている、とか」
「そう聞き及んでおります」
「なれば、その娘がフィニアス殿下を愚弄するはずがないと思うのだが……。はて、これはどうしたことか」
顎髭に触りながら、テュルキス侯爵は困ったと口にしている。
そんな噂が立っていることが驚きだし、違うと言いたいけれど、相手がテュルキス侯爵だから下手に喋れない。
と思っているのに、騎士に対する態度を見ると、助けようとしてくれているようにも思える。でもどうして。
混乱している私と違い、騎士はガタガタと震え始めている。
「何、心配せずともよい。その娘がフィニアス殿下を愚弄していたのは、そちらの聞き間違いであったのだろう? 私は分かっておる」
「え? あ、はい。そうです! どうやら、そのようです!」
渡りに船とでも思っているのか、騎士は何度も頷いている。
あまりの変わり身の早さに私は目を剥いた。
「そちらも仕事中であろう。このような場所にいつまでもいてはならぬ。早く持ち場に戻られよ」
「はっ!」
敬礼をした騎士は、足早にその場を後にした。
逃げ足が速いなぁと思いながら、私は騎士を見送る。
「そちらも仕事があるだろう」
テュルキス侯爵から言われ、私は我に返る。
時間が経ってしまったが、早くアルフォンス殿下の部屋に戻らなければならなかった。
けど、その前に。
「助けていただきありがとうございました!」
私はテュルキス侯爵に向かって頭を下げたけれど、彼から向けられる目は冷たいものであった。
「平民は城内の礼儀作法も分からぬらしいな。言われたことに真っ先に反応するなど、子供しかせぬわ。情けない」
「も、申し訳」
「平民が貴族に話しかけるでない。ゆくぞ」
私を見ることもなく、テュルキス侯爵は去って行く。
側にいたジルヴィア様は、こちらに頭を下げた後で、彼の後を追いかけていった。
残された私は、あんまりな言い方に納得できないでいた。
平民が話しかけるなと言っても、先に声をかけてきたのは向こうなのに。
助けられたと思った私が馬鹿みたい。あの人は、やっぱりフィニアス殿下の言っていた通りの人なんだ。
それにしても、あの言い方はないよね! 平民を差別しないとか言ってたけど、思いっきり馬鹿にされたし!
私は怒りながら歩いていたが、アルフォンス殿下の部屋の前まできたところで、扉の前に久しぶりに見るテオバルトさんの姿を見つけ、嬉しくなって彼に駆け寄った。
「お久しぶりですね、テオバルトさん。どうしてアルフォンス殿下のお部屋に?」
「アルフォンス殿下の魔力量を調べるためだよ」
この間、魔力の暴走があったからか、と私は納得した。
ならば、早く見てもらおうと思い、私は扉を開けようとしたけれど、テオバルトさんに肩をガシッと掴まれてしまう。
「テオバルトさん?」
「ケンカを買ったらしいね」
どうして、それを!?
ついさっきの出来事がすでに知られていたことに驚きつつも、私は目を泳がせる。
「言いつけを忘れたの?」
「申し訳ございませんでした!」
言い訳などできないと悟り、私はその場で頭を下げた。
頭上でテオバルトさんのため息が聞こえる。
「言い返すな、と貴女は殿下から教わっていたはずだけど」
「申し訳ございません」
「相手は騎士だったと見ていた使用人が口にしていたよ。剣に手をかけていたとも。ああいうことになるから言い返すなと教えたのに……」
「仰る通りです」
まったくもってテオバルトさんの言う通りだったことから、私は何も反論できない。
するつもりもなかったけど。
いくら頭に血が上ったからって、後のことを考えずに口を出すものじゃないし、我慢が足りなかった。
「今回は何事もなかったけど、危険なことに変わりないよ。目立つような真似はしないこと。いいね」
「はい」
話を切り上げつつも釘をさすのを忘れないテオバルトさんに、私は真剣な表情で言葉を返す。
その後、部屋に入り、テオバルトさんがアルフォンス殿下の魔力が増えていないかを調べたり、体の不調はないかとか、部屋の隅々まで調べたりしながら、一時間程度で彼は部屋から出て行った。
久しぶりに他の人と会えたアルフォンス殿下はとても嬉しそうで、会えない間にあったことを事細かくテオバルトさんに伝えたのである。
だが、その内容の中に私との話も含まれており、王族に対してフレンドリー過ぎる私の侍女っぷりに、テオバルトさんの無言の圧力を感じて冷や汗がダラダラと出てしまった。
きっと式典が終わり、問題が解決した暁にはものすごく怒られるに違いない。
前向きな考えだけど、大丈夫。きっと国王派がなんとかしてくれる、と私は思っていたのだ。
夜の休憩が終わり、アルフォンス殿下の部屋まで戻っている途中で私は騎士に声をかけられた。
また、昼と同じことが繰り返されるのだろうかと警戒していると、どうも様子がおかしい。
「アルフォンス殿下の侍女のルネさんですね。昼間は騎士団に所属しているデニスが失礼しました。団長より謝罪がしたいということで、騎士団の詰め所までお連れしろと申しつけられ、こうして出向いた次第であります」
デニス? と全く知らない人の名前を言われたが、昼間の件の謝罪ということで、あの失礼な騎士がデニスという名前だったのだと知った。
団長からの命令とはいえ、こうして出向くなんて、この人も大変だよね。
「あの、昼間の件でしたら、テュルキス侯爵が場を治めてくれましたので、私に対する謝罪など」
「いえ、騎士にあるまじき行為であったと聞き及んでおります。被害者である貴女に直接謝罪をしなければなりません」
「ですが、休憩も終わってアルフォンス殿下の部屋に戻らなければなりませんし、代わってもらっている侍女も待たせることになりますから」
「別の騎士に少し遅れると伝えてもらいますので大丈夫です。お時間は取らせませんので」
引く様子のない騎士に私は困り果ててしまう。
このまま、押し問答を続けても無駄に時間が過ぎるだけだと思うし、それなら付いていって謝罪を受け入れて戻った方が早いよね。
「分かりました。詰め所に参ります」
「ありがとうございます。団長に怒られずにすみます」
ホッと安心したような表情を浮かべた騎士は、こちらですと詰め所まで案内しようと歩き始め、私は大人しく彼に付いていく。
先ほどとは打って変わって無言で歩く騎士に戸惑いながら歩いていたが、どんどん人気がなくなっていくことに不安になってくる。
「あの、詰め所はまだですか?」
「ええ。少し離れた場所にあるんですよ」
「有事の際にはすぐに動かなくちゃいけないのに、そんなに離れた場所にあるものなのですか?」
「さあ? 昔の人が作ったものですから、私には分かりかねます」
突然、それまで親しげな感じだった騎士の声が低くなり、私は驚いて立ち止まる。
そして、騎士の態度が変化したことで私の中である疑問が生まれた。
「……本当に騎士団の詰め所へ向かっているのですか?」
私の言葉に騎士が足を止めて振り返る。無表情で何も映していない彼の目を見て、私はゾッとした。
この時点で、私は自分が騙されたのだと気が付いた。
「ただの孤児であっさり騙された辺り、頭が悪いかと思っていましたが、意外と頭が回るんですね」
抑揚のない声は何の感情も読みとれない。
私は胸の辺りを押さえながら、汗がドッと噴き出してくるのを感じた。
逃げなければ。
今逃げ出せば、すぐに人のいる場所まで行ける。
そう思っているのに、私の足は恐怖で動いてくれない。
「逃げようと考えても無駄ですよ」
考えをあっさりと見破られ、狼狽えていると、物陰から四人の騎士が現れ、私は囲まれてしまった。
「生かしたまま連れてこいと言われますからね。ここでは殺しません。安心して下さい」
「……命令したのは、騎士団の団長様、ですよね?」
「違いますよ。それは貴女を連れて行くための嘘です。それと、暴れたところで気絶させて連れて行くだけですので、妙なことは考えないように」
逃げ場がない状況に私は恐怖で手と足が震える。
「私としては無駄な労力は避けたいので、大人しくしていてもらいたいのですが……。ああ、そうだ。では、こうしましょう。貴女が大人しく攫われてくれない、というのであれば、アルフォンス殿下を殺します」
ためらいもなく言われた言葉に、私は目を丸くさせる。
「ア、アルフォンス殿下を殺すなんて。近衛騎士が側にいるんですよ? 無理です」
「それはどうでしょうか? 王城内は国王派と陛下に反発している貴族達に分かれているんですよ? 当然、騎士団の中でも分かれています。近衛騎士だって例外ではありません。国王派の人間だと言って護衛している者だっている、と考えることはできませんか?」
騎士の言葉に、私はそんなことはない! と反論できなかった。
可能性としては十分に有り得るし、先代皇帝側の人間が潜んでいても不思議じゃない。
「それに、一番厄介なオスカーは現在、王妃殿下の護衛についています。彼がいなければ簡単にアルフォンス殿下は殺せます」
だから、大人しく攫われてくれますよね? という騎士の言葉に、私は従うしかなかった。
アルフォンス殿下が死なないようにしなければならない。それが私の仕事。
私の判断が合っているが間違っているか分からないけど、逃げるという選択肢が用意されていない以上は、騎士の言う通りにした方がいい。
「決まったようですね。では、こちらに」
騎士は歩き始め、私は四人の騎士に四方を固められて大人しく付いていく。
少し歩いて、王城の外れの門がある場所まで来た私は、門に横付けされていた馬車に乗るように言われた。
言われるまま馬車に乗ると、私を監視するためだろうか、二人の騎士が乗ってきた。
扉が閉められ、すぐに馬車は動き出したが、窓は閉めきられていて外を見ることはできない。
これから、どうなるのか分からないまま、馬車はずっと走り続けていた。