13・エルノワ帝国側の真実
翌日、陛下と相談したというフィニアス殿下が私の部屋を訪れた。
「陛下から、王妃殿下に話を聞きに行くようにと命じられました。男である私が一人で王妃殿下に会うのはまずいので、ルネも連れて行くようにとのことです」
「え? 私もですか!」
「いくら隠し通路を使うとはいっても、女性の部屋に向かうわけですから。それに、私だけですと、王妃殿下も緊張して話ができないかもしれません」
フィニアス殿下と陛下の間で、どういう話し合いがされたのか分からないけれど、陛下は王妃様が本当に助けを求めていると判断されたみたい。
私なんかよりも陛下の方が王妃様と付き合いが長いはずだから、何か知っているのかもしれない。
そう思った私は、フィニアス殿下の言葉に頷いた。
「分かりました。お供します」
「ありがとうございます。では、行きましょうか」
そう言って、フィニアス殿下は立ち上がる。
って、今から!?
「どうかしましたか?」
驚きが顔に出ていたのか、フィニアス殿下は不思議そうな表情を浮かべている。
けれど、少しして何か分かったのか、納得したように「ああ」と声を出した。
「もしかして、隠し通路を貴女が使っても良いか、と考えているのですか? なら、大丈夫ですよ。隠し通路から出るならともかく、入る場合は王族しか扉を開けることができないので、貴女が一人で中に入ることは不可能ですから、問題はありません」
「あ、いえ、隠し通路の件も気になるんですけど、それよりも、これからすぐに行くだなんて、急すぎやしませんか? ってことで驚いたんです」
「ああ、そういうことですか。陛下から、なるべく早めにと言われていますし、私が動ける内に話を聞いておいた方がいいでしょう。それに、早ければ早いほど余裕を持って準備ができますから」
話し終えたフィニアス殿下は、よほど急いでいるのか、私の返事を聞く前に隠し通路へと向かって行く。
エルノワ帝国の情報を得られるかもしれないなら、急ぐのも無理はないかもしれない、と私は思い、隠し通路に入ったフィニアス殿下に続いて、本棚の裏へと足を踏み入れた。
初めて入った隠し通路は真っ暗で、フィニアス殿下の持っている灯りがあっても、ほんの少し先までしか見えない。
これは、はぐれたら大変なことになる。
もしものことを考え、私はブルッと体を震わせると、フィニアス殿下を見失わないようにピッタリと彼の後ろに貼り付いた。
「ルネがはぐれても、私は通路のことをよく知ってますから、貴女を見つけられますよ」
「どちらかというと、見つけてもらえるまでの間が怖いです。前も後ろも見えませんからね。やけに音も響きますし、水滴が落ちようものなら恐怖で叫んでしまうかもしれません」
「ふっ」
何がツボに入ったのかは分からないが、フィニアス殿下は肩を震わせて笑っていた。
本気で怖がって言っているというのに、と笑われた私は頬を膨らませる。
前を見ているフィニアス殿下には私の様子は見えないはずなのに、無言だったことで機嫌が悪くなっていると分かったのか「済みません」という声が聞こえてきた。
「随分と想像力が豊かだと思いまして」
「明かりを持たなくても夜道を歩ける世界からきた人間にとっては恐怖なんですよ」
「そうなんですか? 明かりを持たなくてもいいなんて、便利ですね」
「道に電柱……柱が等間隔に置かれてて、それに明かりがつけられているんです。それに二十四時間開いているお店もありますし、そのお店の光もあって明るいんですよ。でも、明るいのは大通りだけで住宅地になると暗い場所もありましたけど」
静かに私の話を聞いていたフィニアス殿下は、本当に便利ですね、と口にした。
「便利といえば、この隠し通路も便利ですよね。城の至るところにあるんですか?」
「まぁ、そこそこ多いですね。そのせいで道が入り組んでいるので、覚えるのが大変でしたよ」
そう言って、フィニアス殿下は軽く笑っている。
「迷ったりしたんですか?」
「ええ、最初の頃は。地図がありませんからね。何かあったときに、逃げられるようにしなければなりませんから。それに隠し通路内は外から魔力が察知されないようになっているので、敵に見つからないという利点がありますが、一人のときに迷った場合、どこにいるのか分からずに救助が遅れるという欠点もあるのです。だから、なおさら必死になって覚えましたよ」
へぇ、ここって外から魔力が察知されないんだ。
まぁ、魔力を察知されたら、追跡されちゃうだろうし、それだと隠し通路の意味がない。
ある意味、この隠し通路の中が一番安全だよね。
でも、敵が隠し通路に入ることはないのかな?
隠し通路に入っちゃったら、外から魔力が察知できないんじゃ、危ないんじゃない?
と、思って、私がフィニアス殿下に尋ねてみると、彼はあっさりと「ありえません」と口にした。
「隠し通路の中から外に出る分には王族でなくとも開けられるのですが、隠し通路の入り口は王族でなければ開かない仕組みになっていますから、そもそも賊には開けられないのです」
つまり、外からの侵入は不可能だから、中から出る場合は考慮してないってこと?
それは、ちょっと危険なんじゃない?
「……どうして、中も同じにしなかったんですか?」
「以前は、出るときも王族でなければ開かないようになっていたのですが、昔、瀕死の状態で逃げようとした王族がいて、隠し通路の途中で意識を失ってしまったそうです。同行していた騎士がいたのですが、彼は王族ではなかったため、開けることができずに隠し通路に閉じ込められてしまって大変なことになった、ということがあって、それでクレアーレ様に頼んで、中からは誰でも開けられるように変えてもらったのだとか」
へぇ、と納得しかけたけど、クレアーレという言葉が出てきたことで私は首を傾げた。
「あの、クレアーレ様って確か女神様ですよね? 神様がなんとかできるものなんですか?」
「えぇ。クレアーレ様は創造の女神ですから、人には創れないものを創ることができるのです。元々、隠し通路を作ったのはクレアーレ様ですから、変更してもらうのも簡単だったとか」
フィニアス殿下の言葉に、私は目を剥いた。
作った!? フィニアス殿下、今、クレアーレ様が作ったって言った?
ここ、神様が作ったものなの!?
「ですので、隠し通路内は安全が確保されているというわけです」
な、なるほど。
神様が創ったと分かると、この場所が急に神々しいものに見えてくるから不思議だ。暗くてよく見えないけど。
「だから、こうして誰にも気付かれずに王妃様の部屋まで行けるんですね」
「ええ。……ただ、寝室に王妃殿下だけがいらっしゃればよいのですが……」
「中を覗いて侍女がいたら大変ですものね」
「人がいるかどうかは隠し通路側から確認するので、それは大丈夫です。それよりも部屋に何らかの術がかけられていても厄介です。ルネになんとかしてもらうこともできますが、術師にばれる可能性もありますので、今回はやらない方向で行きましょう」
「へ? 私ですか?」
「ええ。分解というのは、魔法や魔術式、呪術も分解できますよ」
それは初耳だよ。ていうか呪術がこの世界にはあるんだ。
時間がなかったせいで、テオバルトさんからは基礎中の基礎しか教えてもらってなかったみたい。
教えてもらってなくても不便さを感じてないから、いいんだけどさ。
などと私が考え事をしていると、フィニアス殿下が足を止めた。
我に返った私も慌てて足を止める。
「さて、到着しました」
この向こうが王妃様の部屋。
途端に私は緊張してきて、手のひらが汗ばんでくる。
緊張している私と違って落ち着いた様子のフィニアス殿下は壁に手を当てて、向こう側を凝視していた。
「殿下、何を?」
「部屋に複数の人の気配がないか確認をしていました。王妃殿下以外の者がいると困るので」
「そんなこともできるんですね。すごい」
「武術の心得があれば、大抵の人はできます。大したことはありませんよ」
簡単そうに言っているけれど、それすらできない私からすればすごいとしか言いようがない。
「それでは、王妃殿下をお呼びしましょうか」
フィニアス殿下は表情を引き締め、壁のある部分を押した後で、壁をノックする。
一回、二回、三回。
コンコンとノックをしたけれど、反応はない。
「どうしたのでしょうか?」と腕を組んで考えているフィニアス殿下。
私も、どうしたのかな? と思っていたのだけど、不意にフィニアス殿下が初めて隠し通路を使って私の部屋に現れたときのことを思い出す。
もしも、王妃様が隠し通路の存在を知らなかったり、一度も使ったことがなかったのだとしたら……。もしかしたら、とある考えが私の脳裏を過ぎる。
「開け方が分からないのかもしれませんね。私も偶然、本を押し込んだら壁が回転したので、偶然がなかったら気付かなかったかもしれません」
「そうだったんですか? だとするなら……。ルネ、こちらに来てそこの壁のへこみに指を入れてこちらに引っ張って下さい」
「ここですか?」
口にしながら、私は言われるままにへこみに指を入れて引っ張ると、ガコッという音がして、横の壁が少しだけ動いた。
「では、手を離して下さい。それと、そちらの壁をゆっくりと押して少しだけ開けて、魔力を察知される可能性がありますので、部屋の中に顔を絶対に出さないようにして中を覗いて下さい。王妃殿下がいるか確認をして、いたらこちらに呼んで下さい」
「はあ」
部屋を覗いて王妃様以外の人がいたら嫌だな。
目が合ったらどうしようと思いながら、そっと中を覗いてみると、目を見開いてこちらを凝視している王妃様と目が合って、私の体がビクリと震える。
呆然とこちらを見ていた王妃様は、すぐに我に返ったようで慌てて口に人差し指を当てて、私に喋るなと意思表示をした。
誰か近くにいるのかもしれないと察した私は頷いた後で、王妃様に向かってこちらに来て下さいと手招きをする。
口パクで『フィニアス殿下をお連れしました』と動かすと、正しく読み取ってもらえたようで王妃様が立ち上がり、静かにこちらへと歩いてきた。
私が二、三歩後ろに下がると、壁が回転して王妃殿下が姿を現し、背後にいるフィニアス殿下に視線を向ける。
「お久しぶりです。フィニアス殿下とこうしてお会いするのは本当に久しぶりですね」
「一年ぶり、といったところでしょうか? それと申し訳ないのですが、隠し通路には入らないようにお願いします。王妃殿下の魔力が消えて、使用人達が部屋に入ってこられでもしたら大変ですので」
「ええ。その話は、ユリウス陛下に伺っておりますから、大丈夫です。開け方が分からず、お待たせしてしまい、申し訳ありません」
「いえ」
二人とも緊張のためかぎこちなさがあり、表情も硬い。
そして、フィニアス殿下との挨拶を終えた王妃様は、視線を私に向ける。
その目はしっかりとしていて、迫力があったけれど、私に対する敵意は感じられなかった。
「黒髪に茶色い瞳。こちらの者にしては、あまり彫りが深くない珍しい顔立ちをしていると伺っていました。ですので、顔を見てすぐに貴女がルネだと分かりましたよ。昨日は、貴女がフィニアス殿下に報告をしに行く日だと伺っていたので、侍女に無理を言って部屋の外に出ていたのです。会えて本当に幸運でした」
やっぱり、あれは偶然じゃなかったんだ、と私は緊張で表情を強張らせる。
そりゃ、多少は目鼻立ちがハッキリしているとはいえ、外国人の中にいたら、この見た目は目立つよね。
私=ルネだと分かった理由を聞いて納得していると、王妃様が再び口を開いた。
「それに、テュルキス侯爵領で噂を耳にしていました。アルフォンスと仲良くしてくれていると」
「も、申し訳ありません……!」
私は、勢いよく頭を下げた。
侍女としての心構えをエマさんから聞いていたので、王子様と仲良くするのは侍女の仕事じゃないことくらい私だって分かっている。
「責めてなどおりません。むしろ貴女には感謝しているのです。あの子の扱いは酷いものだと聞き及んでおりましたから。あの子がどれほど辛い思いをしてきたかと思うと、手放さなければならなかったとはいえ、自分を呪うばかりの日々でした」
その言葉に私は頭を上げる。
口調は穏やかではあったけれど、手をギュッと握った王妃様は泣きそうな顔で私を見ていた。
「あの子はちゃんと寝られていますか? 食事はとっていますか? 泣いていませんか? 病気はしていないでしょうか?」
怖がっているというのに、王妃様はアルフォンス殿下をとても心配している、ということに、私は疑問を持った。
「……お待ち下さい。王妃様は一年前の魔力の暴走がきっかけでアルフォンス殿下を怖がってテュルキス侯爵領へ向かったのですよね?」
私の疑問に王妃様は悲しげな表情を浮かべながら口を開いた。
「違います。一年前のアルフォンスの魔力の暴走はちゃんと防がれておりました。それにエルノワ帝国でも膨大な魔力を持つ子は生まれますから、対処法も分かっております。咄嗟に防御魔法を使ったので、わたくし共に被害などありませんでした。ですので、あの子を怖がるなどありえません」
「ですが、侍女が一人犠牲になったと」
「それは事実です。魔力を暴走させて気を失ったアルフォンスに気を取られている内に、騎士の一人が、わたくしが最も信頼していた侍女を殺したのです。その騎士は侍女を殺した後に、動揺しているわたくしに『貴女には役目を果たしてもらわなければならない』と告げました。周囲にいる者は皆、どういうことなのかを知っていたようで、わたくしに役目とやらを教えてくれました」
話される事実に、私は衝撃を受けた。
アルフォンス殿下が侍女を殺していないという点においては安心したけど、もっと大変なことが王妃様の口から説明されようとしている。
動悸が激しくなり、私の息が上がる。
「わたくしは戦争の引き金となるのだと教えられたのです。わたくしが承諾しない場合は、アルフォンスを殺すと。父を、母を、弟を、妹を、殺すと言われました。わたくし一人が死ねば、そうはならないと言われ、抗うことができなかったのです」
王妃様は声と体を震わせている。
殺されるのが確定していると知っていたら、怖くなって当たり前だよね。
下手な慰めの言葉など口にできない私は、後のことをフィニアス殿下へと任せる。
託されたことに気付いたフィニアス殿下は、私の前に出て王妃様に対して口を開く。
「王妃殿下、相手は貴女の父君を殺すと言ったのですね?」
「……はい」
「今の皇帝陛下は貴女の父君のはず。皇帝陛下の命令でないのならば、一体誰がそのような命令をしたというのですか?」
一度目を閉じた王妃様は、しっかりとした声で口にした。
「先代皇帝陛下です」
と。
「先代皇帝陛下はわたくしの祖父なのですが、十年前にイヴォンという魔術師が現れてから急におかしくなり始めたのです」
「おかしくなった、とは?」
「怒りっぽくなって、家臣の話を聞かなかったり、イヴォンに言われるまま重要なことを決めたりといったように、イヴォンを信頼して彼の言うことを信頼するようになっていったのです」
「イヴォン……」
呟いたフィニアス殿下は、それが誰なのかを考えているようだ。
けれど、思い当たる人物はいなかったのか、ため息をひとつ吐いて首を振った。
「イヴォンのことは父も調べておりました。ですが、全く情報がなく……。そんな中で五年前に父が祖父に退位を迫ったのだと亡くなった侍女から聞きました。争いが起きるかと思いましたが、祖父はあっさりと帝位を父に譲ったそうです。おかしいとは思いましたが、まさかベルクヴェイク王国と戦争するためだとは思っておりませんでした」
沈痛な面持ちで語る王妃様。
まさか、エルノワ帝国も内部で色々と揉めていたなんて。
「最初は、わたくし一人が犠牲になればアルフォンスも両親も弟妹達も死なずに済むと思っていました。けれど、やはり、わたくしは……アルフォンスを残して逝くことができないのです……! 側であの子を見守りたい。あの子の成長を見ていたい。どのように成長するのか、王となるあの子の姿を見たいのです。戦争の引き金になることよりも、母としての感情を優先させるなど、愚かなことだと分かっております! ですが、自分でも止められないのです。どうか、どうか! 助けて下さいませ! お願い致します……!」
フィニアス殿下に縋り付き、泣きながら王妃様は懇願している。
一体、どのような返事をするのかと思っていると、彼はそっと王妃様の肩に手を置いた。
「安心して下さい。陛下は王妃殿下を死なせぬように動いています。先代皇帝陛下の思い通りにはさせません。それに、今日のお話は、私達にとって大きな収穫となりました。必ずや、止めてみせます。ですので、落ち着いて。侍女に怪しまれてしまいますよ?」
フィニアス殿下の話を聞いて、落ち着いたのか王妃様は呼吸を整えて「ええ」と口にした。
「怖いとは思いますが、今しばらく我慢していただきたい。我が国の貴族が先代皇帝陛下と繋がりがあるという証拠さえ見つかれば、きっと止められます」
「……よろしく、お願い申し上げます。祖父の背後にはきっとイヴォンがいるはずです。実質、祖父を裏で操っているのは、あの男。お気を付け下さいませ。それと、亡くなった侍女が父や弟と連絡を取っていたので、ここ一年ほど向こうの情報は、わたくしには入ってきていないのです。お役に立てず、申し訳ございません」
「いいえ、今の情報だけで十分です。先代皇帝陛下の企みは阻止致します」
迷いなく返事をしたフィニアス殿下は、長い時間、話をしてしまったことを王妃殿下に詫び、彼女を部屋へと戻す。
その後、フィニアス殿下は私を部屋まで送り届けてくれた。
「今回のことは他言無用でお願いします」
「はい」
私の返事を聞いて安心したようで、フィニアス殿下は隠し通路から屋敷へと戻って行った。
今回のことで、どう事態が動くのかが気になったが、フィニアス殿下は多分絶対に私には詳細を教えてくれない。
上手くいけばいいけれど、と思いながら、私はベッドに横になった。