10・ルネとブレスレット(フィニアス視点)
視察から終えてルネに会いに行った帰り、私は彼女に言われた言葉が引っ掛かっていました。
『陛下がアルフォンス殿下にブレスレットを贈った』
別に何もおかしなことはない。
ないはずなのに、妙に胸が騒ぐのです。
陛下は昔から人に物を贈ることは滅多にしない人でした。
特に、アルフォンス殿下をあの部屋に移動させてからは、人の目を欺くために、あえて話題にも出さない徹底っぷりです。
なのに、その陛下が贈り物をした。
何か理由があるでしょうか。
「気まずいですが、陛下に確認しておきましょうか……」
ルネが召喚されたとき、余計なことを話してしまったことで、後ろめたさから陛下を避けていたのですが、そうも言っていられません。
忙しい方ですが、隠し通路を使えば可能であることから、近いうちに陛下に話を聞こうと考えていました。
けれど、私の仕事や陛下の仕事が忙しいこともあり、中々タイミングが合わず、やっと陛下に会えたのは、ルネから話を聞いて二週間近くも経っていたのです。
「其方が会いに来るなんて珍しいな。それで、召喚の際のことを話にきたのか?」
開口一番に痛いところを突かれ、何も言えませんでした。
「フィニアスよ、俺は元の世界での未練を断ち切らせるために、其方に異世界の言葉で台詞を書いた紙を渡したはず。なぜ召喚した娘にその紙を見せず、勝手に元の世界に帰れる可能性があると申した。答えよ」
答えなど知っているはずなのに、それでも陛下は私の口から言わそうとします。
仕方がない、と私は、叱責される覚悟を決めました。
「……後で知るよりも、最初に知っておいた方が動揺が少ないと思ったのです。彼女に対して初めから嘘をついていましたから、せめてそれだけは教えなければと。それに、彼女は元の世界に家族がいたのです。戻りたいと望むのは当然ではありませんか」
私の答えを聞いた陛下は、それそれは大きなため息を吐いています。
失望、呆れが含まれているように思えます。
「昔から思っていたが、其方は優しすぎる。が、中途半端だ。其方は、国がどのような状況にあるのか分かっているのか? 戦争になれば我が国は絶対に負ける。土地は荒れ、民は職を失い、金を稼ぐのが困難になり生活ができなくなる。エルノワ帝国の民になったとしても、敗戦国の民をまともに扱ってくれるとは限らぬ。だから、我々は戦争を回避せねばならぬのだ。其方は国と、その娘とどちらが大事なのだ」
「それは……」
「一時の気の迷いが悪いとは申しておらぬ。その優しさは其方の良いところでもある。だが、今のベルクヴェイク王国に余裕などない。現にアルフォンスにまで手が回らぬ状況にまで追い込まれていた。どちらが大事かは考えずとも分かるだろう」
全く反論ができませんでした。
自分の優柔不断さで、陛下の信頼を裏切り、ルネを中途半端に騙して傷つけた。
下を向いた私の耳に呆れたような陛下のため息が聞こえてきます。
「だが、その状況で娘の協力を取り付けられたのだから、大したものだ。其方に任せたことは間違ってなかったとみえる」
「……ありがたき、お言葉にございます」
「別に本気で怒ってはいない。そう気を落とすな」
全く仕方のない奴だ、というような笑いを零しながら、陛下は口にしています。
正直、もっと責められるかと思っていたので、少し拍子抜けしてしまいました。
ですが、すぐに陛下は口元の笑みを消し、それまでの雰囲気を一変させました。
「ところで、召喚した娘はどうだ? 信用できると思うか?」
「王城の使用人達から色々と話を聞いてはいるようですが、こちらに対する態度は変わっていませんし、誰かと密かに連絡を取っている様子もありません。信用してもよろしいかと」
「そうか……。魔力量も申し分ないし、魔法を使うことにも慣れたと聞いている。そろそろ話しておいても構わぬだろう」
「本当に、ルネにさせるおつもりですか?」
「当たり前だ。直前で予定が狂ったが、本来の目的を果たしてもらわねばならぬ」
またルネに頼ってしまうことに、私は罪悪感を覚えながら、かしこまりました、と口にします。
けれど、ルネに話しても良いということは、王妃殿下の問題が解決したということなのでしょうか。
ならば、大分楽になると思い、私は真偽を確かめようと陛下に尋ねます。
「本来の目的を話す、ということは、王妃殿下がようやく王城へと戻られるということですか?」
私の問いに陛下は軽く頷きました。
「来月に戻って来る。あの者が頑張ってくれたお蔭でな。本当なら二ヶ月前に王城へと戻っていたはずだったのだ。それを直前になって、やはり行かぬとあちらが申したせいで、全ての計画が狂った」
目を閉じてこめかみを押さえている陛下を見て、相当あちらの説得が大変だったのだろうと察しました。
元々の計画では、王城に王妃殿下が戻られ、同時にアルフォンス殿下をアイゼン公爵邸で保護、そして異世界から召喚した人間にアルフォンス殿下の魔力を吸収もしくは分解して暴走しないようにしてもらうように頼む、という流れになっていたのです。
それまでアルフォンス殿下の食事を入れかえてくれていた使用人は、すでに他の任務につくことが決まっており、猶予は十日しかありませんでした。
他に動かせる人もおらず、仕方なく予定よりも早くなる形で召喚することになったのです。
屋敷とは違い、王城は人が多く噂が入ってきやすい面があり、色々と話を聞いた彼女がこちらを裏切り、敵に情報が流されることを懸念した結果、全てを話すわけにはいかないとなったわけです。
「こちらの文字が読めぬのは、想定内であったが、言葉が通じたのは想定外であったな。あれは幸運だとしか言いようがない。意思疎通ができないだろうと、召喚した者の多くが使っていた文字を習得したというのに、無駄になってしまった」
無駄になったと陛下は仰っていますが、ルネを説得するのに時間がかかると思っていたこともあり、表情は穏やかでした。
二百年ほど前の研究者と当時の異世界から召喚された者が協力して作った辞書を見て勉強していた陛下を知っているので、無駄と言いたくなるお気持ちは良く分かります。
確か、イングリッシュ? とか言っていましたね。
私は、陛下からいただいた紙に書かれていた言葉の意味しか知りませんが、会得した陛下はさすがの一言です。
尊敬の眼差しで私が見ていると、陛下は「それと」と口にして話題を変えました。
「あの娘は目立っておらぬだろうな? 半能力半魔法属性だとばれておらぬか?」
「アルフォンス殿下の侍女として長く勤めているという点では目立っておりますが、半能力半魔法属性だとは、ばれておりません」
「ならばよい。平和な世であれば、半能力半魔法属性の人間は国に恩恵を与える存在として、歓迎されるが、今の状況では火に油を注ぐ結果となろう。近隣諸国があの娘を手に入れようとエルノワ帝国と手を組むかもしれぬ」
半能力半魔法属性の方を召喚したのは、こういう理由もありました。
もちろん、一番はアルフォンス殿下の魔力の件です。吸収もしくは分解でないとできませんから。
魔力暴走は体に大きな負担をかけますから、アルフォンス殿下の命が危険なのです。
魔力制御の装飾品をつけていても、アルフォンス殿下の魔力の多さについていけずに壊れ、結果として暴走を抑えきれないことから、根本的な解決にはなっていません。
それに、アルフォンス殿下の件を抜きにしても、我々にはルネが必要なのです。
問題が解決した場合、国を立て直す際に、半能力半魔法属性の彼女を王家が保護していると公表することで、貴族と国民が王家に対して敬意を払うようになり、協力的になることで国がひとつにまとまりやすいという面があるからです。
半能力半魔法属性が稀であるとだけ伝えて、貴重な存在であるということをルネに教えなかったのは、それを材料にして敵と交渉し、寝返らせないため。
巻き込まれた彼女には、ただひたすらに申し訳ないという気持ちでいっぱいですが。
陛下はどう考えているのか分かりませんけどね、と私は陛下に視線を向けると、申し訳なさそうな表情を浮かべてこちらを見ていました。
「……本当ならば、俺があの娘から嫌われる役をやらねばならなかったのだ。其方の優しさに甘えて、押しつけてしまったな」
陛下はそう仰っていますが、先々代、先代の頃からの悪意を受けている陛下に比べれば、ルネの嫌われ役になることは苦ではありません。
おそらくルネは、私が彼女を召喚したと思っているでしょう。
聞かれていないから言っていませんが、ルネを召喚したのは目の前にいる陛下なのです。
それも踏まえて、ルネに対して色々と嘘を吐いている時点で、私は優しくなどありません。
「私などより、陛下のほうが余程、お優しいかと」
「陛下……な。全く……律義に口調を守らずとも良いのに、真面目なことだ。今は二人きりなのだから、昔のように兄上と呼んでも構わぬのだ」
「使い分けができるほど、器用ではありませんので。それに、この口調にも慣れてしまいましたからね」
相手から侮られるように、自分を下に見せよ、というのが、母上達の教えでした。
言う通りにした結果、馬鹿な貴族が寄ってきて、面白いように口を滑らせていったのです。
知っていることを知らないと言い、影で笑われるのは苦痛でしたが、国のためと言われたら従うしかありませんでした。
それに、まともな貴族を判別するのに大いに役に立ちましたからね。尤も、テュルキス侯爵が離れた今となっては、利用価値のない私に近寄ってくる貴族はほとんどいませんが。
相手をせずに済んで楽といえば楽ではありますが、手のひら返しが激しすぎて、自分が本当に王族なのか、当時は少しだけ疑ってしまいました。
っと、いけない。今はこんな話をしにきたわけじゃありませんでした。
久方ぶりに陛下にお会いしたことで、話が脱線してしまいましたが、まだ本題に入っていませんね。
「陛下。本日こちらに伺ったのは、そのような話をするためではありません。少し、陛下に確認したいことがございまして」
「申してみよ」
「では、申し上げます。陛下はアルフォンス殿下にブレスレットを贈りましたか?」
「ブレスレット?」
眉を寄せて怪訝そうな表情を浮かべていることから、私は、すぐに違うと察しました。
「お前も知っての通り、俺はアルフォンスをわざと遠ざけている」
「はい。できる限り敵の目から遠ざけたいためだと存じております」
「その俺がアルフォンスに贈り物をするはずがない。其方、その話を誰から聞いた」
「……アルフォンス殿下の侍女のルネです。殿下は他の侍女から受け取ったと申しておりました」
「召喚した娘か……。なら、嘘は言っておらぬな。だが、俺はブレスレットを贈るように誰にも頼んでいない。ということは、俺じゃない誰かが贈ったということになるな」
陛下は腕を組んで考え込んでいますが、私は嫌な予感がして、心臓の鼓動が速くなるのを感じました。
「フィニアス。明日にでもアルフォンスの部屋に行ってブレスレットを回収せよ」
「はっ」
「よりにもよって俺の名前を語るとは……!」
苛立ちから、陛下はギリッと歯を噛み鳴らしました。
幼い頃から、この国のことを考えて尽力してきた陛下からすれば、国よりも私利私欲のために動く貴族が許せない。
それは私にも分かります。私だって憤りを感じているのですから。
けれど、ここであれこれ言っても仕方がありません。
「ともかく、来月になればアルフォンス殿下を屋敷で保護できますので、陛下の心配事もひとつ減るかと」
「それなのだがな、向こうから、しばらくはアルフォンスも王城にいさせろと言われているのだ」
「どういうことですか? 王妃殿下はアルフォンス殿下を怖がってテュルキス侯爵領に行ったのではありませんか」
あまり顔を合わせる機会もなかったので、王妃殿下のことは良く知りませんが、それでも青い顔をして王城から出て行く姿を私は見ています。
だからこそ、王妃殿下側からの願いに首を傾げてしまいました。
「皆そう思っているが、俺は違うと思っている」
「と、申しますと?」
「セレスティーヌはアルフォンスの魔力が暴走する危険があるからと、こちらで保護しようと申しても、決してアルフォンスを手放そうとはしなかった。腹を痛めて産んだ子を怖がるなどありえぬと申してな。……それに、最後にセレスティーヌに会ったときに、誰にも聞こえぬよう小さな声でアルフォンスを頼む、と俺に伝えていることから考えると、とてもアルフォンスを怖がっているようには思えぬのだ。むしろ、セレスティーヌは利用されているのではないかと俺は疑っている」
確かに、陛下の話を聞く限りでは、王妃殿下の行動はおかしいですね。
彼女が怖がるからとアルフォンス殿下を屋敷に保護するつもりでしたが。
「オスカーをセレスティーヌの護衛につける予定だから、アルフォンスを王城に長くいさせるつもりはない。よって、妥協して一週間だけアルフォンスは王城に留まらせる。その後は、あの娘と共にアイゼン公爵邸に連れて行け」
「はっ」
「そこで、あの娘に魔力暴走が起きぬように、アルフォンスの魔力を分解して欲しいと頼んでくれ。其方の屋敷に行けばひとまずは安全だ。屋敷に行けば、全てをあの娘に話しても構わぬ」
陛下の言葉に、私は無言で頷きました。
「それと、セレスティーヌには以前、何かあった場合はフィニアスを頼れと伝えているから、あちらから接触があるやもしれぬぞ」
「注意して見ておきます」
陛下に会うことはできないだろうから、王妃殿下が接触をしようと試みるのは、おそらく私。
なるべく、来月は王城内を無駄に歩いて王妃殿下と顔を合わせるようにしましょう。
その後、いくつかの問題を陛下と話し合った後で、私は屋敷へと戻りました。
翌日、朝早くに王城へと向かった私は、側近にアルフォンス殿下の様子を見に行くと伝えて部屋へと急ぎました。
ただのブレスレットであればいい。
ですが、あちらの卑怯さも身に染みて分かっています。
自分の考えが甘く、確実にブレスレットに何らかの魔術式が組み込まれている可能性の方が高い。
なんせ、魔術師長があちらにいるのです。簡単にできてしまいます。
早足でアルフォンス殿下の部屋まで来ると、扉の前に立っていたオスカーが扉を開け、そのまま、私はアルフォンス殿下の部屋に入りますが、居室に人の姿はありませんでした。
ならば、寝室の方かと思い、私が部屋の扉を開けると。
「ルネ! ルネ!」
グッタリとベッドに横たわっているルネと、泣きながら彼女の体を揺さぶっているアルフォンス殿下の姿が私の目に飛び込んできたのです。
「アルフォンス殿下!」
「お、叔父上! ルネが! ルネが!」
アルフォンス殿下は興奮し混乱していました。
このままでは詳しい話を聞けない。まずは落ち着いてもらわなくては。
同時に私は、ルネの様子を窺いました。
眉間に皺が寄って苦しそうにしているものの、ちゃんと呼吸をしており、脈も異様に速いということもありません。今すぐに命が危険ではなさそうな状態に、私はホッと息を吐きました。
「アルフォンス殿下。ルネはちゃんと息をしています。生きています。とにかく落ち着いて何があったのか話をして下さい」
アルフォンス殿下の肩を両手で掴み、しっかりと目を合わせると少しですが、彼は落ち着きを取り戻したように見えました。
「……あ、明け方に突然苦しくなって……その感じが魔力が暴走したときに似ていて。でも誰もいないし、どうしようもなくて」
「そこにルネが来たんですね?」
私の言葉にアルフォンス殿下は力なく頷きます。
「来ちゃだめだって言いたかったんですけど、喋れなくて……。でも、ルネが僕の肩を触ったら、だんだん苦しさがなくなってきたんです。それで、動けるまで楽になったからルネを見てみたら、倒れて苦しんでて、ああ、魔力が暴走したんだって思って」
ルネの手が肩に触れたら楽になったとはどういうことでしょうか?
……まぁ、ですが話を聞く限りでは、魔力の暴走と見て間違いはなさそうです。
「ルネが倒れたのはいつですか?」
「僕が気が付いたのはさっきです。本当にさっき」
ならば、さほど時間は経っていないということ。
部屋を見てみますが破損している箇所が見当たりません。
アルフォンス殿下が楽になったということは、魔力が外に出ているはず。
魔力の暴走だと周囲に被害が出るもの。なのに、部屋に異常はないのはおかしいですね。
それにルネが触れたら楽になったという言葉も気になります。
「アルフォンス殿下。ルネに肩を触られたら楽になったと仰いましたか?」
「う、ん。気が付いたら、ルネが僕みたいに苦しんでたんです」
ということは、ルネがアルフォンス殿下の魔力を分解したということになりますが、もしや魔力を使いすぎてしまったということでしょうか?
いえ、今の彼女の状態は魔力を使いすぎた場合の症状とは異なっていますから、違いますね。
アルフォンス殿下が回復すると同時にルネが苦しみ始めた。
まるで、アルフォンス殿下の魔力がルネに移ったみたいではありませんか、と考えたところである考えが思い浮かびました。
元々、吸収か分解の半能力半魔法属性の人を条件にしてルネが召喚されました。
ルネが最初に毒を分解したので、私達は分解の方だと思い込んでいましたが、彼女が分解と吸収、そのどちらも持っていたとしたら。
そう考えれば、今のルネの状態は魔力酔いの状態になり、症状も当てはまります。
過剰に魔力を吸収したことで、一時的に中毒症状になっているのでは?
だとするなら、分解属性の彼女であれば、時間が経てば回復する可能性が高い。
「叔父上。ルネは大丈夫なのですか?」
泣きながら見上げるアルフォンス殿下の頭に手を置いて、私は彼を安心させるように笑みを浮かべました。
「ルネは大丈夫です。少し魔力に酔っているだけですから心配はいりません」
「本当ですか?」
「はい」
私の答えにアルフォンス殿下は目に見えてホッとしています。
ようやく安心してもらえたと息を吐いた私の目に、アルフォンス殿下の腕に着けられているブレスレットが見えました。
そういえば、これを回収しなければいけませんね。
「アルフォンス殿下。そのブレスレットですが、陛下が上手く動作しているのか気になるとのことで、一旦、回収して調べたいと言付かっておりまして。渡していただけますか?」
「父上が? ……また、返してくれますよね?」
「もちろんです。預かるだけです」
また返してもらえると安心したアルフォンス殿下は、私にブレスレットを手渡してくれました。
「確かに受け取りました。しばらくお借りしますが、ちゃんと返しますから」
「はい」
「さて」
私はアルフォンス殿下のベッドに横たわっているルネの背中と膝裏に腕を入れ、そのまま彼女を横抱きにして持ち上げます。
「ルネを部屋に寝かせて来ます。すぐに代わりの侍女を寄越しますので。それと今日は食事に手をつけないで下さい。隠し通路から後で食事を運びますから」
「わかりました」
しっかりとした受け答えをしたアルフォンス殿下を見て、もう大丈夫だと判断し、ルネを横抱きしたまま、私は部屋を後にしました。
「フィニアス殿下!? どうかなさったのですか!」
廊下に出ると、オスカーがグッタリとしているルネを見て、驚いていました。
冷静な彼が取り乱すとは珍しいですね。
「それが、どうやらアルフォンス殿下の魔力が暴走したようで。幸い軽いものだったらしく、被害はさほど大きくなかったのですが、その影響でルネが……」
「そ、れは。……彼女は大丈夫なのでしょうか? 医者を呼んで参りますが」
「大丈夫です。治癒魔法であれば、私も使えますから。それよりも早く彼女を寝かせてあげたいので。それと別の侍女をアルフォンス殿下の部屋に寄越して下さい」
誰が聞いているか分からなかったので、適当に嘘をつくと、オスカーは慌てて横に退いて道を空けてくれ、すぐに近くにいた騎士に侍女を呼んでこいと伝えています。
そのまま私はルネの部屋に行き、彼女をベッドに寝かせて、近くの椅子に腰を下ろしました。
治癒魔法を使うと言いましたが、魔力酔いの状態の彼女に魔法を使っても悪化するだけだと分かっているので、それはできません。
見ていることしかできない自分が歯痒い。
「それにしても、召喚のときにアルフォンス殿下の魔力を使ったはずなのですが……」
こんなに早く魔力が暴走するなんてあり得ない。
一体なぜ……。
私はポケットに入れておいたアルフォンス殿下から渡されたブレスレットを取り出しました。
「一見、変わったところは見られませんね……」
複雑な魔術式だった場合、魔術師ではない私には見ても判別はできません。
こういうのはテオバルトの方が詳しいので、彼に見せた方が良いですね。
「それにしても」
ブレスレットをポケットに入れた私は、寝ているルネに視線を向けました。
こちらの勝手で異世界から召喚された少女。
色んな人から嫌われ、恨まれている陛下に変わり、私が召喚された人の憎まれ役になろうと思っていました。
なのに、彼女は最初に取り乱しただけで、こちらを責め立てたりしませんでした。
私達が信用できないからと条件を出してきましたが、その条件を果たせなくても特にこちらが不利とはならない。
本当にお人好しだと呆れたものですよ。
「ですが、私はそういう人が好きですよ。貴女はそんなつもりはなかったでしょうが、お疲れ様と言ってくれたことが、どれほど嬉しかったか」
自分に正直で嘘が吐けない人。
貴族社会では到底生きていけないだろう性格の彼女。
事務的な使用人、私を利用しようと近寄ってくる人。
幼い頃から私を知っていて信頼している者以外で心からの言葉を投げかけてくれた者はほとんどおらず、なおさら新鮮でした。
だからこそ、彼女を利用している私は、いつも罪悪感に苛まれているのです。
「貴女が、もっと我が儘で嫌な人だったら良かったのに」
ルネがそういう人間であったのなら、利用することに何の躊躇もありませんでした。
ただ、召喚されたことに対して同情する気持ちは変わらなかったでしょうが。
私を信用できないだろうからと、事前に私は紙を用意してこちらから契約を持ちかけようと思っていたのに、まさかルネのほうから持ちかけられるとは思ってもいませんでした。
「貴女は疑いもしませんでしたね」
私は懐から丸めた契約書を取り出しました。
一見するとただの魔法紙。
けれど、これはそれだけでありません。
この魔法紙には、ある呪術がかけられているのです。
「私の命に替えても、という言葉に嘘はありませんよ」
それまでの人生を無理矢理に捨てさせられた彼女。だからこそ、こちらも命を対価にしなければ平等ではない。
物心ついた頃から、私や陛下は祖父や父から召喚の宝玉のことについて聞かされていました。
特に何の感情も持たなかった陛下と違い、私は言葉も通じない状態で召喚された人達の気持ちを考えると、宝玉を使うことに対して否定的な気持ちを抱いていたのです。
現に、召喚されて幸せになった者は、かなり少ない。
ほとんどが気が狂うか、逃げ出して夜盗などに殺されるか、悪人に騙されて身ぐるみ剥がされたり、売られて奴隷にされたりと酷いものでした。
書物には、興味本位であったり理想の相手を召喚するというふざけた理由が多く書かれており、その理由は幼いながら納得できるものではありませんでした。
どうして、人一人の人生を奪うことに何の抵抗もないのだろうか、と思っていました。
だから、召喚すると決まったときは、陛下に血縁のいない者をと強く願い出たのです。
なのに結果は、この通り。
泣き出した彼女を見て、私は自分も過去の王族と同じ過ちを犯したことに気が付き、自己嫌悪に陥りました。
責め立てられた方がマシだと思っていたのに、彼女はそんな言葉を吐かない。
言葉が通じているからという理由もあるでしょうが、そんな彼女に報いるためにも私は元の世界に戻す方法を調べなければならない。
いや、彼女に言われるまでもない。調べるのが当たり前です。
「それにしても、吸収か分解属性の人という条件でしたが……まさか吸収属性まで持っているとは」
半能力半魔法属性で複数の属性を持っている者はかなり少ないですが、歴史上存在します。
彼女の魔力の量を測定したことはありませんが、テオバルトからの報告と複数属性持ちということを踏まえると、魔力の量が多いのは確定でしょう。
「これでばれたら、他国から狙われる立場になりますね……。ですが、絶対に守りますから」
未だ苦悶の表情を浮かべる彼女に、少しでも和らげばいいと私は彼女の手を握りました。