#8「Suicide」
「こんにちはー…ってうわっ!?」
「黒乃、行くぞ!!」
7月26日、19時11分。夏休み真っ只中。
私はMEIの廃ビルに足を踏み入れて早々、エレベーターから走って来た和樹に手を取られ、屋外へ出された。バイクの黒い後部座席に放り投げられる。
すぐに和樹が搭乗すると、バイクがアクセル全快で国道へと飛び出す。
「ちょ、ちょっと!! 折角今日で剣道部引退したからゆっくりしようと…」
「現れたんだ」
「え…な、何が?」
和樹は正面を見ながら答えた。
「---新たな《異能力者》だ」
《異能力眼》。呪詛にかけられた種族に受け継がれる、未知の能力を持った《眼》。
その効果は《眼》の種類によって千差万別だが、取り敢えず何かしらの影響を自分や周囲に与えるのは確かだ。
そしてその種類は、《眼》の色によって分けられる。
私は《碧》、和樹は《赤》。雪音は分からないが、白神先輩は《白》、瑠璃波先輩は《瑠璃》だ。
そして今回目撃された《眼》は---
「---《緑》、だそうだ」
翠先輩は黒カバーのタブレットを眺めながら言った。画面には東京メトロ渋谷駅周辺のマップ。
「《緑》? 先輩の《翠》とは違うんですか」
「俺の《眼》は透明度がある。普通の《緑》はそれがないな」
生乾きの風に吹かれた碧い髪を押さえながら、私は続けて尋ねた。
「見つけて…どうすんですか?」
「MEIへの勧誘に決まってるだろう」
翠先輩の隣を歩いている黄緑谷先輩が、ヘッドフォンを外して言う。
「…聡と優那は今大学にいて来られない。雪音は明日のSMFの準備をしてるそうだし、ここにいる俺と零字、和樹、黒乃だけで踏査してみよう」
「はい!!」
「了解だぜ、翠姉!!」
「怠い」
私、和樹、黄緑谷先輩が順番に返事をした。とても性格が如実に現れた返事だった、うん。
「さて、と…まあ、この辺なわけだが…」
私たち5人は、この間の恐ろしいテロ事件の舞台となった、北東急ハンズの周辺を徘徊っていた。
目撃者の黄緑谷先輩によると、新たな《異能力者》は髪の色が《眼》の色と同じ緑色で、身長は私より少し低い位だったらしい。性別は男で、中1程度とみられる。
「緑の髪の毛なんて目立つな」
和樹がぼそっと呟いた。和樹も赤髪でしょ、と突っ込もうとしたが、碧と黒の2色で構成された髪を持つ私はその立場には最も相応しくない気がした。私の心に特大ブーメランがぐさりと刺さる。
「…あれか!!」
突然、翠先輩が声を上げて、眩い白光が輝きを放つ夜の渋谷駅を指差す。
---と言っても、私には豆粒程度の大きさにしか見えない。大体250m先だろうか。
「…どれ?」
「あれだよ、あれ!!」
母さん助けて詐欺みたいに言わないで。
「《千里眼》持ってない俺らには分かんないんだって」
「ああ、そうか…」
黄緑谷先輩の的確な指摘に、翠先輩は昂った気持ちを落ち着かせる。和樹や黄緑谷先輩とは違って、翠先輩の《千里眼》は眼帯をしていなくても別段困る事はないから、常に能力を開放している。私の《眼》は左だから発動解除の自由が利くが、和樹や黄緑谷先輩の《眼》は右側で、いつも《過去》だの《サーモグラフィー》を見ていると不便だから眼帯や眼鏡を装着する。因みに翠先輩は、大学の同級生にはオッドアイだと説明しているらしい。
黄緑谷先輩が言った。
「服装は青シャツに青ジーンズだ」
「あーそうそう、そんな感じ…あっ、構内に入っちまう…追うぞ!!」
私たちは翠先輩に続いて、急いで駅の方へと踵を接する。
翠先輩の次にその姿を明瞭に捉えたのは、意外にも私だった。
「あ…あれかな? 手ぶらの子…」
「へえ…黒乃、目もいいんだな」
和樹は私と並走しながら、感心したような声を上げる。距離にして100m。
その時、私はふと思った。
とても悲しそうな表情だった。
(…?)
あれが劇の役員だとしたら、相当悲観的な役をやらされている---その位、悲劇に満ちた顔だった。
だが、悲哀だけじゃない。
何かを期待しているような笑み。ほんの僅かだけど、笑っている。
言ってる事が矛盾してると思うかも知れないが、事実そうなのだ。
あの子は、一体手ぶらでどこに行くつもりなのだろう…。
「……黒乃、お前の《眼》は相手の未来が見れるんだったな?」
「そうですけど…」
男勝りな翠先輩の言葉に、私は走りながら答える。
「じゃあ、その《眼》で少年を見るんだ。あそこは東京レトロの入口で、確かあの先に登りの階段があるんだ。そうすると視界外になって俺にも居場所が分からなくなるから、先にどこへ行くのか予測してくれ」
「え、あ…はい、やってみます」
この間のテロ事件に続いて、またもイレギュラーな《眼》の使い方を強いられ、私は少々戸惑った。だが、方法は同じだ。
「---《終末眼》発動」
私は尚も走りながら《左眼》を碧く染めた。今日引退した剣道と違い、使うのに躊躇は無い。
これは救う為の手段だ---瑠璃波先輩が私に優しく語りかけてくれた言葉を脳内で再生する。
「---先輩の言う通り、階段を登って…ん、これは銀座線の方かな?」
「半蔵門線とか副都心線じゃないのか」
「はい…浅草方面のホーム…最後尾の6号車が停まる所に立って…」
そこで、私は言葉を止めた。
いや、止めたというよりかは、言葉を続けられなかった。
「立って、乗るのか? 車両に」
「…分かりません」
「え?」
翠先輩がきょとんとした顔をする。他の2人も驚きの様子を隠しきれない。
「真っ黒なんです…その先の未来が。水晶体に何も映し出されない」
この時、自分の走りが少しずつ遅くなっている事に、私は気付いていなかった。
「《能力》の使い過ぎじゃないか?」
和樹が横から口を出す。
「いや…それはないと思う…まさか」
そう、私はこの黒い画面が何を意味するのか知っていた。
2年前の---私に《眼》が宿るきっかけとなったあの事故で、嘗ての友人---乙葉が事故死した時に私が見た彼女の未来に近い現象。
「…まさか…自殺?」
私の言葉に、その場にいた全員が走りを止めた。
「…何?」
「自殺にしろ他殺にしろ、死んだ後は《終末眼》のスクリーンに映し出される視界が真っ暗になるんです。つまり、この未来視は《死》を意味する」
脇を自宅帰りのサラリーマンがぶつかって来たが、私は気にも留めなかった。私の隣で2人の先輩がしばし長考する。
私の友人の乙葉が死んだ時も同じ光景が見えた話をしようかと思ったが、その前に黄緑谷先輩が先に口を開いた。
「だけど、有り得る話だ」
「ちょ、零字…流石に自殺なんて」
翠先輩は額に一筋の汗を流しながら言う。
「琴梨と黒乃ちゃんが見た緑髪の少年は手ぶらだったんだろう? 自殺なら確かに手荷物は要らない」
「た…確かにそうだが…」
「それに…彼はホームの6号車が停車する場所に行くらしい。黒乃ちゃんのその未来予知が正しければ---」
黄緑谷先輩が言いかけて、そこから和樹が言葉を繋げる。
「なるほど、銀座線の最後尾は6号車…。電車は1号車からホームに入って来るから彼が行く場所は電車が入ってすぐの所---言い換えれば、電車の速度が最も高い場所で自らの命を断てる」
「じゃあ、私が見た未来予知は…」
「ああ、わざと死にやすいようにその位置をとったんだ」
「う…」
黄緑谷先輩と和樹の説得力抜群な説明には、さすがの翠先輩も黙り込んでしまった。自分の未来予知ではあるが、正直恐怖しか感じられなかった。
「と、とにかくここで立ち話をしてる場合じゃないです!! 私の予知が正しければ、あの男の子、20時02分に死にます」
翠先輩が右手首に巻いた黒い腕時計を見る。
「あと1分…急ぐぞ!!」
先輩が猛スピードで地面を蹴ると、他の4人もその背中を追い掛けた。
いつもなら帰りにハチ公像を必ず見ていくのだが、今はそんな余裕など無い。改札を通過するまでには10秒掛からなかった。あと50秒。
「こっち!!」
翠先輩に代わって、未来視をしていた私が皆を先導する。確か2番線だったはずだ。だが、
(…ダメだ…進めない!!)
20時となると、今は帰宅のラッシュ時間真っ只中だ。如何せん、人が多すぎる。あと40秒。
エスカレーターの右列を1段飛ばしで駆け抜けると、2Fに到着した。銀座線は3F。
ふと、後ろを振り返ってみる。
「あ、あれ!?」
気が付くと、後ろには和樹しか付いて来ていなかった。
「おっさんが転んで道を塞いじまった!! 無視して行け!!」
「う、うん!!」
何でこんな時に限って、と思考を巡らす暇も無く、私たちは漸く3Fの地面を踏み締めた。あと30秒。
予めポケットから出しておいた電子マネーカードをスキャンして改札を全速力で突破。
「…いた!!」
ホームに佇む人混みの隙間を見ると、かなり遠くだが、緑髪の顔が見え隠れした。間違いなく、さっきの少年だ。
だが、私と和樹はこの時、最悪の状況に陥っている事に気付いた。
向かいの1番線に丁度、左方向から車両が入って来た。ということは、私たちの居る2番線の電車は右から。そして、左には壁。
(…っ!!)
しまった。走るのに夢中で、どの改札を通るかまで考慮していなかった。
左が壁という事は、ここは1号車が来る場所。つまり、6号車から最も離れた場所だ。
『間もなく、2番線に浅草行きの電車が到着します。白線の内側で---』
私は自分の馬鹿さ加減を呪いたくなった。
残り15秒で、電車を待つ沢山の人の列を抜けてホームの端から端まで行くのは無理だ。
ぐおおおおん、と電車が線路を走る轟音がホーム全体に響き始め、電光掲示板では電車到着のメッセージが目まぐるしく点滅する。
(っ…どうすれば…!!)
私の手元には定期とスクールバック以外、何も無い。周りを見渡す。
改札。時刻表。駅構内の地図。出口案内の電光掲示板。
そして---
「---これだ!!」
「なっ…!? 」
見つけた。それを。
一瞬使うのを躊躇ったが、私はそれよりあの子の命の方が優先だと咄嗟に思考を切り替えた。
今までは、皆に助けられてきた。
ズルして生きる私に、心の安息の場を設けてくれた。
---今度は、私が助ける番だ。
一方、漸く人混みを抜けた先輩たち。
「っ!! この音…」
黄緑谷先輩が反射的に立ち止まった。
「まさかここまでとはな…あの子、やるじゃないか」
翠先輩は半分呆れながらも、笑って誤魔化しているようだった。
そう。
私が押したのは、列車非常停止ボタンだ。
「おま、何やって…!!」
「ごめん!! これしか思いつかなくて…」
和樹が珍しく憤りを含んだ表情で、鷹のように私を睨む。まあ、これだけのことをやったら仕方ないか。
駅構内には電車の音より遥かに大きい警報ブザーが鳴り響き、非常報知灯と特殊信号発光機、作動ランプがホームの各所で赤く染まっている。
私は床にしゃがみ込み、両手の指を交差させる。
(…お願い…間に合って!!)
私の脳内には後の心配などこれっぽちも無かった。とにかく、あの子を助けなければ、という思いが心の中で暴れ回っていた。
非常停止ボタンを押せば、走行中の電車に連絡が回り、抑止の命令が出される。
停車が間に合わなくても、せめて死ぬ事ができない速度まで減速してくれれば彼が自殺を思い止まるんじゃないか---私はただそうなることを、ひたすら祈っていた。
先輩と駅員が駆け付けるのにも気付かず、私は目を閉じて奇跡を願う。そして---
「---止まった…」
和樹の声で、意識は現実に引き戻された。
銀座線の1番車両は、ホームに入る僅か1m手前で、ゆっくりと再発の指示を待っていた。
***
何故だ---どうして電車が停まるんだ。
家の机に遺書まで置いて。
何年ぶりかに外に出て。
全速力で入って来た電車に突っ込んで。
僕の鮮血をホームの点字ブロックにぶちまけて。
身元も分からない位、ぐちゃぐちゃに肉体を四散させようと思ったのに。
僕は、死んではいけない運命なのか?
死ぬまで、この《眼》の呪いを受けろと?
そんなのは---嫌だ。
友達は僕を否定し続けた。
周りから疎まれるその感覚は、この上ない位に、寂しかった。
もうこんな世界、嫌だったんだ。
嫌だったのに---
どうして電車が停まるんだ。