#5「Why I didn't die」
翌日、午後2:35。MEI本部資料室。
外では雨がぽつりぽつりと滴り、窓の表面に透き通った綺麗な雫を刻んでいく。昼間にも関わらず空全体を灰色の雲が覆い、これからの天気をそのまま物語るようだ。
私と雪音は、B班の一員で《探情眼》の使い手、瑠璃波先輩と共に資料の整理をしていた。
ラジオでは、昨日の渋谷で起きたニュースが淡々と流されている。私たちが片付けた昨日の案件。
『昨日午後1時頃、北東急ハンズに於けるテロ事件について、警察は…』
ラジオ音声を余所に、私は机に積んだ薄いファイルブックをよっと持ち上げて、本棚に戻す。
「…そういえば、和樹は?」
「アルバイトさ」
すると雪音の言葉に、タブレット端末で読書をしていた瑠璃波先輩が反応する。
「ふーん…乙女に埃被った本の整理をやらせるなんて」
「先輩も本読んでるだけじゃないですか…」
私の指摘に、瑠璃色の髪を持つ先輩はむっとした表情を見せる。
そもそも何で今頃アナログ本を整理するのか。2046年という情報やインターネットが全てを支配する時代、主流は電子書籍だ。今時、紙の本は学校の図書室や区内の図書館で少し読む程度で、家ではスマホで済んでしまっている。この資料室にある書物はどうにも全国的に出版されているものではなく、組織が記したデータの束である。今は情報入力をパソコンで行うそうだが、情報化が進む前は紙媒体でデータを残したんだとか。
「先輩の特権よ…ていうか、アルバイトって…」
そこで、雪音は先輩の言葉を遮る。
「いや、理由はそれだけではないさ」
「え?」
私は廃棄する本を机上に並べながら素っ気なく問い返す。
「昨日の和樹、見たかい? 君が犯人の拳銃を蹴飛ばして彼の足元にぶつけた時の、彼の反応」
「…」
昨日、私を人質にとったリーダーが《千里眼》の持ち主---翠先輩に狙撃された後、私は彼が取り落とした拳銃を蹴ったのだが、偶然和樹の方へ滑って行ってしまったのだ。
「ああ…あれは私が」
「いや」
だが、雪音が再び否定の言葉を挟む。
「彼が怯えていたのはそれだけじゃないさ。彼の《過去》…黒乃、聞くかい?」
「…《過去》?」
「ちょっと雪音ちゃん」
先輩が語調を強めて会話を遮断しようとするが、雪音は無視して言葉を続けた。
「そもそもおかしいと思わなかったかい? 銃が飛んできた程度であの反応」
(いや、あれは妥当なリアクションだったと思うけど…)
MEIの皆の感覚、どうもずれてるような。
とは言え、和樹の《過去》---どうにも気になる。ここで彼を知っておかないと、MEIの一員として一歩前進出来ない気がする。
だが、その理由は全体の9割程度。では残りの1割は何なのかと尋ねられると、それは私にも分からない。
形容し難いのだ。今までに感じた事の無い、和樹に対する、妙な感覚。取り敢えず、和樹の《過去》は知りたい。それだけの事だと私は思い込んだ。
「じゃあ、聞く」
「…そうか」
雪音は水色の髪を小さく揺らしながら、語り始めた。
「これは僕がMEIに入ってすぐ、本人から聞いた話---彼は15歳、極寒の空気に満ちた年明けの冬の話だ。彼はお年玉を預金する為に単身で銀行を訪れたのだが、銀行強盗が入った」
「ぎ、銀行強盗…」
今時そんなのがいるのか。現代の日本では詐欺の方がよっぽど案件が多いと聞くが。
「彼らは元々1億円を奪ってさっさと逃げる予定だったが、内部の人間---つまり、銀行員の一人が犯行グループに隠れていち早く警察に報せたらしい」
「へえ…よかったね」
私がそう言うが、雪音は首を振る。
「だが、犯行グループは銀行の近くで監視をしていた仲間の報告で警察の接近を知った。彼ら、どうしたと思う?」
「…」
「人質さ。銀行内にいた客を人質にとって籠城…彼らのリーダーは人質の内のある少年に拳銃を突きつける様子を警察に見せて、『撤退しろ、さもないとこいつを打つぞ』と言い放った」
「…まさかその少年って」
私は固唾を飲む。瑠璃波先輩は真顔で雪音の話を聞いていた。
「そう、和樹だ」
「…っ!!」
じゃあ、私が和樹と初めて会った時に見せられ、眼帯をしていてもはみ出てしまう、あの禍々しい右眼の火傷はまさか…。
「和樹は警察が撤退したらこいつらに逃げられると踏んだんだろう…。彼はそのリーダーから拳銃を奪い取ろうとしたんだ」
「そ…そんな無茶な…!!」
「ああ、いくら成長期の男子中学生とはいえ、犯罪プロ組織の大人相手に敗北は決定的だった…2人の争いの中でその銃は誤射され、弾丸は彼の右眼の水晶体を---穿った」
「…!!」
自分の眼球を銃弾が貫通。銀行の床が目玉の鮮血に染れた光景。想像しただけで背中に悪寒が走る。
その上、火傷の跡があるという事は、顔の肌に銃口が密着した状態で発砲されたということ。火の粉は間違いなく、彼の右瞼を真っ赤に焼けただらせただろう。
「幸い俯瞰角度からの発砲だったから、彼の脳幹を貫きはしなかった。警察は和樹の作り出した隙を活かしてリーダー確保、他のメンバーの一部も逮捕された。和樹は緊急搬送され一命を取り留めたが、撃たれた目に妙な症状が現れ始めたんだ」
「…それが…《遡刻眼》」
私の言葉に、雪音は小さく頷く。
相手の過去を覗き見る力---《遡刻眼》。未来を視る私とは真逆の性質を持った《眼》。
そういえば初めてMEIに行った時、白神先輩が説明していた。《眼》は遺伝性だと。そして、トラウマ的事件があった際に、潜在神経が反応してその症状が現れる、と。
つまり和樹の家系は代々《遡刻眼》の才能を受け継いでおり、和樹にとってはその銀行強盗が起爆剤になってしまった、という事か。
「…そういえば、その銀行強盗は全員捕まってないの? さっき一部って言ってたけど」
「…昨日捕まえたじゃない」
すると、今まで無言を貫いていた瑠璃波先輩が突如口を開く。
「え?」
「昨日の集団は、3年前の銀行強盗の残党よ」
「…ええええ!!?」
思わず響くような声で叫んでしまう、私。
「まあ、私も後から知ったんだけど。3年前は覆面で強盗したみたいだから、多分和樹君は《遡刻眼》であの人たちの過去でも見ちゃったんじゃないかしら」
そういえば、和樹はあの犯罪グループを《あいつら》と呼称していた。あれは犯罪グループに対する軽蔑的な意味だけではなく、彼らに襲われた経験があって指事語を使っていたのか。
そこで、私は思い出した。
和樹は3年前、銃を突き付けられて《右眼》が呪われた。
私も昨日、銃を突き付けられた。
だけど。
だけど…。
私は歪んだ視界で目の前の重量感溢れる辞典を見つめる。外の雨は激しさをより一層増してきた。
「黒乃ちゃん」
「…」
「黒乃ちゃん!!」
「は、はい!?」
瑠璃波先輩の二度目の呼応に、私は漸く応じる。
先輩の声は、どこか震えていた。
「…あまり自分を責め立てないで。琴梨が助けてくれなかったら、あなたは死んでた」
「…?」
先輩は《右眼》の眼帯を外して、黒と瑠璃色の美しい《眼》で、私を見定めていた。
先輩は言葉を紡ごうとしたが、その思いを口にするのは非道に思えたのか、その代わりに眩しい程の笑顔を私に見せてくれた。
「……ありがとう…ございます…そうですよね…。…ふふっ。先輩、ずるいですよ」
「あら、そうかしら」
先輩はシニカルな笑顔で答える。
「…?」
会話に入れていない雪音は、何の話か分からず、ただ呆然としていた。
夜の11時頃。本の整理が終わって、MEIから高校近くの自宅に帰ろうとした時だった。
白神先輩がロビーにいる私に声を掛けた。
「ツンデレちゃん、今日は泊まっていかない?」
「え? 白神先輩の家ならお断りですよ」
私は踵を返そうとしたが、先輩は右手首を掴んできた。
「違う違う、確かに僕はロリコンだけどそこまでの行為には走らないよ」
「白神先輩にも節度があったんですか!?」
「はは、ツンデレちゃんの中では僕の評価、すごい低いでしょ」
白神先輩はデスクパソコンを閉じながら叫ぶ。
「そうじゃなくて、ここに」
「え…MEIに…ですか?」
「渋谷は夜になると物騒だからねー、僕も遅くまで働くときは泊まるんだ」
「それってやっぱり白神先輩と泊まるってことじゃないですか…」
「違う、ちゃんと個別の部屋があるから。今日、君と雪音ちゃんと優那がいた資料室の隣に、ベッド付きの小部屋が3つだけ…今日は1部屋しか使われてないから泊まれるよ」
「うーん…」
実は今日、高校から直接MEIにやって来た。だから荷物の準備は可能だ。どうせ一人暮らしなので、家族に迷惑をかけるようなことも無い。
「じゃあ、泊まっていきます…」
「分かったー、じゃあついて来て」
白神先輩はホールを出て廊下を右折していった。私は後を追い駆ける。
しかし、この本部という場所、改めて見ると意外と綺麗な環境だ。外観はただの廃ビルだが、このフロアだけはとても整理されていた。
瑠璃波先輩から聞いた話だがこのビル、2020年頃の経済不況で建設が途中で中止になったらしい。ここは10Fなのだが、本来は12Fまで建設予定だったとか。因みに9Fより下は10Fと同じ構造で、MEIは使用していない。
「着いたよー、この部屋」
「あ、はい…」
廊下の行き止まり、その左に並んで扉が3つ。
私は、その真ん中のドアの前に案内された。
「失礼しまーす…」
私は取っ手の部分に指をかけ、スライド式のドアを右に動かす。その瞬間。
ぱん、ぱん。
「うわあああ!!?」
耳の傍を、2回の閃音が駆け抜ける。
「うおおおおおあはははは!!!!」
そして後ろの白神先輩も慌てて身を翻す。何故か笑いが混じるが。
振り返ると、白神のいた場所の後ろの壁に、蜘蛛の巣の如く、壁に細かな亀裂が入っていた。
「な、何?」
私は部屋の中へと視線を戻す。そこには、
「…あ、あれ!? 人質の子?」
「いや、後ろに聡も」
拳銃のホルスターに細い人指し指をかけて白神先輩を睨む、美しい翠色の髪を持った女性が立っていた。ミリタリーな迷彩柄の上着の下には黒いTシャツ。下はスカートではなく、青いダメージジーンズだ。
女性らしさを漂わせないその顔には、MEIの一員である事を示す翠色の《右眼》が埋め込まれている。
そしてその下には、黄緑色の髪をした、ヤンキーのような風情を漂わす眼鏡男が座っていた。全身銀色のジャージで、今から寝るといった感じの服装。そして思った通り、黄緑色の《右眼》。
「いやーいきなり発砲なんて流石だねー非リアには分からない何か秘密の話でもしてってうおおお!!!?」
「うわっ!?」
部屋の女性は再び発砲した。弾丸は私の両足の間を通り、後ろの白神先輩の踝を掠めた。
「いやあああおっかないなああああ!!!」
白神先輩は元きた道を全速力で走って逃げていった。
そして、部屋の女性が一言。
「はあ…。で、てめーは何の用だ?」
「ごめんさない!!」
「構わねーよ…聡が仕組んでたみたいだし」
私は2人と共に床に座って謝罪をした。
「それと、昨日の、大丈夫か?」
「え? 昨日?」
「人質にとられてたじゃん」
私はこの女性を初めてみる。だが、あの現場にはいなかった。ということは…
「…もしかして、昨日私を助けてくれた人って」
「そう、俺」
女性は自分の顔を指差して言う。どうやら一人称は《俺》らしい。
「翠琴梨だ。今は国立大学の工学部ナノサイエンス学科っていうところにいる」
翠琴梨。横暴な性格の割に、随分と可愛らしい名前だ。
「ナノサイエンス…。原子とか電子とか?」
「そうだ。最近は有機分子のエレクトロニクス素子の研究とか、分子物性概論とか…でもナノの世界って凄いよな…10億分の1の世界を極める…この気持ち分かるか?」
「…私、文系なので分かんないです」
「そりゃ残念」
うわあ、理系怖い。
「それで…お兄さんは?」
私は翠先輩の隣に居る、黄緑色髪の眼鏡男に尋ねた。
「俺は黄緑谷零字。今は大学4年生で、就職先探してんだが、頭髪がなぁ…」
強面だなあ、というのが外見での第一印象だったが、話し方は思ったより柔らかい印象だった。その上、自分の頭髪の色にヤンキー意識を感じているという、中身までしっかりとした人のようだ。
「確かに黄緑の髪って滅多に見ませんよね」
「でも綺麗な色だとは思ってるよ」
黄緑谷先輩は頭を掻きながら笑う。
「先輩はどんな《眼》を使うんですか?」
「俺? 俺は《摂氏眼》って言って、サーモグラフィーの役割を果たすんだ」
「へえ…」
私は感嘆した。サーモグラフィーと言えば、赤外線を利用して周囲の温度を色で表示する機械だ。夏場だと赤や白、寒くなると青が目立つ。
「俺の《眼》はもう聞いたと思うが《千里眼》だ」
「凄いですよね、それ…」
「何も凄くねーさ。他の狙撃者はスコープも使って射撃場で一生懸命練習してるのに、俺だけチートの《眼》を使うのは気に入らねえ」
その翠先輩の言葉には、私の心にひやりとした感覚を与えた。そして、同情も。
「チート…」
「ん? どーした」
「いや…境遇が私と似てたので」
「…? そういえば黒乃の《眼》、聞いてなかったな。右が黒ってことは、使うのは《左》か」
翠先輩は私の《左眼》を見る。睨まれているような感覚が、何故だか逆にくすぐったい。
「…私の《眼》は《終末眼》です…未来予知の《眼》です」
「へえ、和樹と対極的な感じだな…どこで身に付いたんだ?」
突如口を挟んできた黄緑谷先輩の質問に、私は言葉に詰まる。
「ちょ、零字…何つーこと訊いてんだ」
「え? いーじゃん」
黄緑谷先輩はきょとんとした顔をしている。
「でも《眼》の憑依は…」
「…話します」
私の強い語調に、二人の言葉が止んだ。
「あ、いや…黒乃、無理に話さなくても」
「いえ、大丈夫です」
「…」
何故、私はここまでしてあの呪われた《過去》を語ろうとするのか。
私は、この話を他人にするのは初めてだ。そもそも《眼》の存在を他人に話すのも、この間、和樹との会話が初めてだった。
少し、呼吸が苦しくなる。
あの事件は、私の今までの人生で、最も辛かったものだ。仕方がない。
私は一呼吸おくと、ゆっくりと口を開いた。
「…あれは、2年前、私が高1になってすぐの話です」
***
私は彼女と喧嘩をした。理由は些細な事だった。
高校からの同級生だった彼女---榛葉紫乙葉は、高校に入ったら私と剣道部に入ると約束していた。
だが、乙葉に比べて体力もない私は、後から帰宅部化した。
理由は、今は割愛しよう。
とにかく、私が乙葉にその旨を伝えてると、彼女は激怒した。予想だにしないほどに。
『何で今更変えるの!? 決めたやん、剣道部で一緒に頂点目指すって!!!』
私は学校からの帰り道で、彼女の言葉を反芻した。
雨がぽつぽつと降る中、ただその言葉を。
私は、淡々とテンポ刻んで道を往く。
碧い傘が小刻みにずれて鞄が濡れるが、気にも留めない。
(私のせい…なのか)
私にとって、あれは《予定》程度のものだったけど、彼女は《約束》のつもりだったのか…?
小道を曲がり、大通りに出る。
水溜まりを踏んで水滴がスカートに撥ねた気がするが、気にも留めない。
(謝るべきなのかな)
彼女の思いは、私が考えていたのよりずっと強かったのだろう。だとしたら、私の方が悪いのだろうか…。
白い帯が並んだ横断歩道を渡る。
信号が赤だが、気にも留めない。
(…え?)
近づく、雨を裂く音。
トラックが、近付いてくる。
(…っ!! あれ、赤信号!?)
私は避けようとするが、もう遅い。
トラックの運転手も私に気付いてハンドルを回すが、もう遅い。
私は心で呟いた。
(…ごめん…ね)
…駄目だ。
彼女に謝れないまま、私は…消える。
「黒乃っ!!!」
刹那、衝撃がのし掛かる。
(…っ!!!!? …ぁ!!!)
トラックの猛突進を受け、私は車道を5mほど滑ったようだった。
視界がぐちゃぐちゃになり、上手く状況を把握出来ない。
「…ぐっ…ぁ」
数秒間だけ、意識があった。
私のいる少し先に、彼女が。
私を庇ったらしい、彼女が目を閉じて横たわっている。頭からは大量の出血。
(…遅い。もう…間に合わない…)
トラックの車体が轟音と共に倒れるのを聞いて、私の意識はふっと消えた。
1日後。
(…)
私の腕には、大量のチューブが繋がれていた。
このガーゼの匂いが蔓延した部屋、恐らく病院だ。
隣を見る。
眠ったままの彼女がいた。
(…)
私は、どうにも生き残ったらしかった。
担当の医者曰く、何度も心肺停止に陥りかけたが、しぶとく生き残っただとか。体の損傷としては、私はかなり惨い状態になっていた。両足は爪先から間接まで擦り傷、腕には打撲跡、頭も右側の傷が大きかった。
私を助けようとした彼女は頭を打ったものの、体の損傷は殆どないので、すぐに意識が戻るだろうと医者は言った。
私は隣のベットを見ていた。
(…早く治らないかな…)
私は彼女の意識が戻るまで、彼女をずっと見ていた。
その時だった。
(…っ!!?)
突如、私の意識に流れ込んで来る、一つの不幸な可能性。
彼女が死ぬ夢---いや、夢という割には、とても鮮明な像。
4月25日、21時58分。彼女は逝く。
ベットの側の机に置かれたデジタル時計が、強くそれを訴える。
意識が現実に引き戻された時、私はひどく戦慄した。
そんな未来---いや、《終末》が有り得るんじゃないかと、自分の意識を恐れた。
そして、それは現実となる。
あまりに、冷酷な運命だった。
私の傷が回復する中。
---彼女は、結局、目を開けなかった。
彼女の死は、まるでそれが宿命であるかのように訪れた。
「臨終…21時58分」
医者は、側のデジタル時計を見て言った。
ベットの奥で、彼女の両親が泣きじゃくる。
(…どうして)
私のせいだ。
私が剣道部の勧誘を断って、あんなに悩んで。
---あんなことをしなければ、赤信号なんか気付いていたのに。
私は、彼女に謝れなかった。ごめんなさい、と。
最後まで。
双頬の涙は静かに零れ落ちると、私の寝ていた布団のシーツを濡らした。
***
「許せなかったんです…。事故の状況、怪我の具合からして、死ぬのはどう考えても私でした…。なのに、残酷にも神が切り捨てたのは乙葉だった…。あまりに理不尽で許せなかったんです!! …まるで、私が乙葉の命を盗んで糧にしてるような気分で…」
叫ぶような、だけど消え入るような声で私は話す。翠先輩はバツが悪そうに尋ねる。
「…あー、その…《終末眼》が憑いたのはその時だって事か?」
「…多分そうです…退院した後、鏡で見たら《左眼》が碧くなってたので…」
「…そうか…最初に見た未来が他人の命日なんて、不幸なもんだ」
翠先輩は立ち上がった。
「でもな---ここの奴等の殆どは皆、そんな感じの《過去》を抱えてるんだ…だから謂われるんだ…《異能力眼》は《呪われた眼》だって」
「それは聞きました…和樹の話とか」
「あいつはなかなかハードな道を辿ってきたからな…拳銃で目を撃たれるなんて」
黄緑谷先輩も続けて姿勢を起こす。
「…さて、高校生はそろそろお眠りの時間だから、隣の部屋行ったらどうだ?」
「あ…そうですね」
長話をしていたせいで、既に深夜12時を回っていた。外は真っ暗だ。
その時、翠先輩が私に寄って耳打ちした。
「黄緑谷は《摂氏眼》を事故じゃなくて生まれつきに持っていたんだ…だから、皆の《過去》を訊くのにはちょっと無神経なんだ。悪く思わないでくれ」
「…生まれつき?」
そういえば白神先輩がそんなことを言っていた気がする。稀に、生まれつきで《眼》を持つ子供がいる、と。
「…分かりました」
私はすっと立ち上がると、入口の引き戸のロックを外してドアを開いた。
「あ…」
私は廊下に出て、先輩2人の方を振り返る。
「ん? どーした?」
黄緑谷先輩が目を吊り上げる。
私は、こんな言葉を言ってもいいのか、少し迷った。
だけど、ここの先輩は信頼できた。
「…今度、先輩たちの《過去》も聞かせてください」
その言葉に、翠先輩は少し驚いたような表情を浮かべた。
対して、黄緑谷先輩は健気にこう言う。
「…勿論さ」
…やっぱり、MEIの人だ。
私は2人に少し歪な微笑みかけると、ドアをゆっくりと閉めた。