#44「Happy birthday and goodbye」
「それ、何読んでるんだ」
午後4時10分。私が病室のベッドで本を読んでいると、隣の丸椅子に座る和樹が尋ねた。
あの後、B班の3人は外出した。私の為に、特別なケーキを買って来てくれるそうだ。私は遠慮したが、最期なんだから好きなようにしろと言ってくれて、私は仕方なくその言葉に甘えた。変に気を遣わせるのは嫌だったが、それで皆も幸せになれるのなら、本望だ。
「日記だよ」
何年か前から書いている日記だ。毎日は書いていないが、何か人生に気付きがあった時、忘れたくない思い出ができた時はこのノートに書き留めておく。このノートは4冊目で、丁度私がMEIに加入した直後からの記録が残されている。1年使ってるだけあって、表紙はだいぶ汚れているが。
「日々の記録か…見してくれないかい」
「私も見たーい」
「僕も見たいっす」
雪音と夏希、理が立て続けに言った。雪音と理はとにかく、何で夏希まで日記を読む必要があるのかと思ったが、もうすっかりMEIの空気に馴染んでいるのでよしとした。
理は私から日記を受け取ると、最初の頁を開いた。
「ふむふむ…へぇー…デパートのテロ事件…そんなのあったんすか」
「黒乃が入ってすぐの頃だな」
和樹が小学生の時に銀行を襲った武装集団が、デパートに人質を取って再び現れた件だ。白神先輩や瑠璃波先輩にはあの時初めて会ったし、翠先輩の射撃の腕前を知ったのもあの時だ。私が人質に取られて殺されそうになった時、先輩は犯人の手を渋谷フカリエから撃ち抜いた。思えば私は今まで、翠先輩に助けられてばっかりだ。
理は、次の頁へとゆっくり紙を捲る。
「これは…僕と出会った時の話っすね」
《異能力者》が渋谷周辺にいるという情報を聞き付けた私たちは、駅のホームで自殺しようとしていた理を見つけた。私の《終末眼》で理の真っ黒な未来、即ち《死》を予測したのだ。MEIに来ていきなり翠先輩と口論になったりして散々だったが、今ではすっかりメンバーの一人として溶け込んでいる。
「そういえば…あの後、翠先輩とはどうなったの?」
私は少しばかり遠慮しながらも理に訊いた。だが、理は表情を一切変えずに答える。
「んー…暫く会話は無かったんすけど、嫌でも何かの事件が起きた時にはご一緒することがあって、その内に話してたら仲良くなってたっすね」
「えぇ…」
昨日の《弾丸を弾き飛ばす弾丸》。あれは邂逅時の犬猿の仲では実現不可能だったに違いない。
---そして、理がいなければ私はあのまま撃たれて死んでいたかも知れない。
「…理くん、ありがとね」
私は少し照れ気味に感謝の言葉を述べた。相手は年下なのに何を戸惑っているのだろうか、私は。
「え?」
「私を助けてくれて」
「あぁ昨日の…でもあれは翠先輩が」
「理くんもだよ」
私は笑い掛けた。あと何度かしかできないのだろう、笑顔
「そ…そうっすか…えへへ…照れるっすね」
「「…かわいい」」
「やめて下さい」
理は全力で否定した。因みに私とハモったのは雪音ではなく夏希だ。親和性高すぎる。
理が次の頁へ視線を移す。
「…9月25日、珈琲事件」
「…そんなのもあったね」
文化祭の時にあった、長谷川先生が褐間に珈琲で毒死させられた事件だ。危うく私が誤認逮捕されかけたが、私と和樹の名推理あってそれは避けられた。
正直、その後の方が個人的には辛かったが。
「黒乃…ごめんな」
「え?」
和樹から突然予想外の言葉が飛んで、私は戸惑った。
「首絞めだよ」
「あぁ…別に、あれは《隷属眼》でやられたことだし…気にしてないよ」
「そう言ってくれると嬉しい」
和樹は微笑みかけた。
「…黒乃が拉致られた時もあったな」
「そう!! ホント怖かったよ」
褐間が私を拉致して情報を引き出そうとした事件だ。あの時から何だか、MEI内の雰囲気がギクシャクしてしまったような気がする。
「あれって、先生倒してくれたのって和樹だよね?」
「…!!」
いきなり和樹は顔をひきつらせた。私は素朴に尋ねたつもりだったが、何かセンチメンタルな部分に触れてしまったのだろうか。
「実はあれ…俺じゃなくて雪音が殺ったんだ」
「え?」
「…僕の《凍結眼》だよ」
「あ、そうなんだ…」
知らなかった。違和感は感じていたが。
「…そういえば雪音、仲間に自分の《眼》のこと話してなかったってホントなの?」
今度は夏希が尋ねた。雪音は沈黙したが、数秒して漸く口を開いた。
「…殆どの人には堅く口を閉ざしてきたね…制御も下手だし」
「昨日できてたじゃん」
「あれは偶然…」
「偶然じゃないよ」
夏希は優しく語り掛けた。いつものステージとはまた違った表情だ。
「真に心を開いたから…自分の《眼》を受け入れることができたから操れたんだよ。実際は《右》と《左》の違いなんて、そう大差ないと思うし」
「受け入れ…」
雪音は《凍結眼》を眼帯越しに触った。
受け入れ、というのは私も思っていた。事故や事件に於いて自分の願いに敵う能力を手に入れた代わり、その怨霊は尾を引いて長期化する。多分、これからずっと。それでは最早この《眼》は受け入れざるを得ないが、それはある意味《過去の弱い自分》の受諾でもあるのだ。
「後はアザータワー、雪音の船上パーティ…最近のことばっかりっすね」
理は日記を閉じると「あざっす」と言って私にそれを返した。
「…それより前の日記は?」
「和樹と出会った日とか? 悪いけど、あれは家に…」
「…そうか」
和樹は少し物寂しげな顔をした。
「…あの日のこと覚えているか」
「うん」
忘れる訳が無い。校門で和樹にいきなり話しかけられて《終末眼》を見破られた上、詳しい説明もないまま組織本部へと連れて行かれた。その途中で和樹がヘルメットを外した時に見せた火傷跡と《遡刻眼》の様子は、私の心に強く残ったものだ。
「あの時、俺が黒乃を見つけた理由、分かるか?」
「ええと…確か、褐間先生の離任後に挨拶来て…」
「ああ、でもそれはついででしかない」
「え?」
意外だった。褐間と和樹が関係者であることは確かに私が目の前で確認したはずなのに。
「雪音が一度、高3の時に学校来たと思うんだ」
「ああ…」
そういえば始業式の時、一度だけ来ていた気がする。普段は仕事やその他諸々の理由で学校は休んでいたし、彼女の派手な髪色とカリスマ性は私の目に強く焼き付いている。
「その時、雪音は気付いたんだ。黒乃が《異能力者》だって」
「ええ!!?」
「すまない…見てしまったんだ」
「いやいや謝らなくてもいいけど…」
3年生で、私と雪音は同じクラスになった。私は心底喜んだが、距離が近すぎて《眼》がバレるようなことになっていたとは。
「僕はその後、本部に戻ってこの事を報告した。そしたらリーダーは顔真っ青さ」
「リーダーが?」
「その後は知ってる通りだね…和樹が事実確認の為に高校を訪れて《遡刻眼》を使い、そして確信した」
「そっか、過去を見ればって…ええ!!?」
声が翻った。何度目の驚きだろうか。
「私の過去を勝手に見たの!!?」
「わ…悪ぃ…それしか確かめる方法が無かったから」
「じゃあ…火事のことも?」
「…っ…ああ」
和樹は苦い顔を浮かべた。どうやら《改竄眼》の記憶ロックは個体からの出力を妨害するだけで、外部からの干渉は普通に受けてしまうらしい。
「じゃあ和樹は…」
「黒乃!!!」
「は、はい!!!」
突然、和樹はガタッと立ち上がると顔を近付けた。
急な接近に、胸がドキドキする。
だけど和樹の表情は、どこか悲壮的だった。
「…?」
「俺は…正しかったか?」
和樹は、問い掛けた。雪音と夏希、理も含めて皆は一人の青年に視線を向けていた。
「お前のその記憶を見た時、話すかどうか迷ったんだ…お前は既に、この世の存在じゃないんだって」
「…!!」
そうだ。和樹はずっと苦しみ続けていたんだ。
私は既に一度死んだ存在であるのに、あの過去を話す気配が一切無い。それどころか、自身の《奪命眼》の存在にさえ気づいていなかったんだ。日々を楽しく平凡に生きる私を、和樹は客観的に見てどう思っていたのだろう。
「俺は、その過去を素直に話してやる残酷な男か、事実を明かさず知らんぷりして付き合う罪人か…本当は、どっちであるべきだったんだ…?」
「和樹…」
二人の邂逅の時、和樹は葛藤していたんだ。楽しそうに過ごす私の日常を壊すことが怖かったに違いない。かと言って話さずに私と、つまり死人と話すこともある意味不気味だし、罪深い。
「…後者かな」
私は暫くして、ぽつりと言葉を漏らした。
「でも、罪人じゃないよ」
「え?」
「優しすぎる罪だよ」
私は和樹を包容するように語り掛けた。
「和樹はいつでも、私を守ってくれた…アザータワーの電気室でも、昨日の戦いでも…その勇姿が、優しさが、和樹の全部が魅力的だった…」
「…黒乃」
「瑠璃波先輩と被っちゃうけど、やっぱり言わずに死ぬのはきっと後悔するから…」
心臓が高鳴る。
この思いがいつからかは知らない。
出会った時からか、私が不登校になった時か…それとも、今か。
でも確信して、言葉は吐き出せた。
この思いは、虚像なんかじゃない。
「…好きです」
その声は、病室に細く響いた。
恥ずかしさが相まって、とても小さな声になってしまった。
だけどこの距離なら、聞こえてないはずがない。
「…ああ、俺も好きだ」
「うん…よかっ…!!?」
良い返事が返った。だが、私は少しの安堵の後、言葉を遮られた。
---何たって、唇が唇で塞がれたのだから。
「おお…!!」
「子どもは見ちゃ駄目」
「え…ちょ…今めっちゃいいとこ!!」
側では理が見ていたが、夏希がその目を後ろから手で隠した。夏希はニヤニヤとこちらに視線を送る。
一方、雪音は赤面していた。まあ目の前でいきなりこんなことされたらそうなるだろう。
だが一番恥ずかしいのは、勿論当事者の私だった。
唇同士が漸く離れる。痺れるような熱さが強く残っていあ。
「…」
「…く、黒乃さん?」
和樹は、何とも不安げな顔を浮かべていた。
「…もし嫌だったんなら…」
「ち…違う違う!!」
私は慌てて否定に入る。
「わ…私からするつもりだったのに…」
「あ…」
予想外の私の反応に、和樹は言葉を失った。
「な…何か、悪い…」
「ううん、いいの…和樹の想い、ちゃんと確かめられたし」
私は温もりを求めて、和樹の手を握った。
---言った。言ってしまった。
ここまでの一連の流れ、とても長く感じられた。人生が終わる直前に告白なんて、やっぱり弱虫な人間に思われるかも知れない。でも、言わなかったら後悔する。この思いを心に閉ざしたまま、和樹に何の言葉も掛けられずにこの世を去るのはやっぱり遁走じみてる。別に遁走だなんて思われなくても、告白は実行するつもりだったが。
「ていうか…」
そこで私は、傍観者組の3人を見た。
「…雪音…だいじょぶ?」
「だ、大丈夫さ…」
ただ見ていただけなのに、顔を真っ赤にした雪音は、かなり動転気味に話した。余裕のない顔は、どこを見るべきか視線を泳がせていた。
「雪音、あんたラブソングも歌ってんだから少しは耐性付けなさいよ…」
夏希が呆れ顔で厳しく指摘する。
「そ…そうだね…」
雪音が手で扇ぐ動作をした。そこまでの反応をされると、何だかこちらが申し訳なくなってくる。
その時。
「黒乃くん」
「ひゃっ!!?」
入口から声がして、私は反射的に和樹を突き飛ばしてしまった。
「うおっ!!?」
「…何やってるんだ?」
入口から入って来たのはリーダーだった。
「い…いえ…何でも…アハハ」
「黒乃お前…」
「…まあよい…黒乃くん、最期に一つだけ」
「---分かってますよ、篤史兄さん」
私がさり気無く、そう言った途端。
病室の喧騒が、一気に冷めた。冷や水でも掛けられたように。
「…え?」
和樹が抜けた声を出した。
「黒乃、お前今何て…」
「ああ!! 待って、お兄さんって言っても兄弟ってわけじゃないよ?」
私は慌てて修正を加える。
「そうか、ロックを解いたから記憶が戻って…」
「はい、まだちょっと不安定なところもあるけど…」
私がそう言うと、リーダーは頭を下げた。少し、親しみを持った言葉と共に。
「…ごめんな」
「…いいんですよ、仕方のないことですから」
「…あの、全く会話の意図が汲み取れないんだが」
雪音や和樹、理や夏希は会話の蚊帳の外にされていた。当然だ。私とリーダーの記憶の中で会話しているのだから。
「ああ、ごめんね」
「そうだな…36年前の火事で黒乃くんの親御さんが亡くなった時、私が父に命令されて彼女に記憶操作をしたんだ。それで…」
「ちょ、ちょっと待って!! 36年前って、碧柳先輩生まれてないじゃないすか」
組織内随一の脳を持つ理でさえ、事情の把握ができていない。私が補助して言葉を付け加える。
「---いいや、生まれてた。私が19歳の時、彼女は15歳だった」
「それってどういう…」
和樹がそこまで言い掛けて、言葉を止めた。
「…待てよ、36年で3歳しか歳をとってない…? 33年のブランク…いや、違う…。…3年を12回…?」
「…!!」
「まさか…」
雪音と理も気付いたところで、私は告げた。
「---私、3年間の高校生活を12回、繰り返してたみたい…」
「「「なっ…!!?」」」
3人は驚きの声を出した。
自分がこの事実に薄々気が付いたのは、さっきリーダーがロック解除を行った時だ。自分が15歳より後の記憶はロックの対象外のはずなのに、何だか覚えのあるようなないような記憶が膨大にあるのだ。その上、その記憶の中の私は何故か、高校の制服姿。
「黒乃くん---いや、黒乃の家が火事になる前、碧柳家と紺堂家は《異能力者》の家系の中でも特に優秀とされてきた。まあ、小規模グループ内での頂点だから大したことは無かったのだが、2組で《紺碧》と呼ばれる程強力な権威を握っていた」
「《紺碧》…《改竄眼》と《終末眼》か」
「ああ。だが、36年前---つまり、2011年、碧柳家が全焼した。黒乃の両親は亡くなったが、黒乃は火事の恐怖から代々超潜在的なものとなっていたはずの《奪命眼》を宿してしまった」
私も課長の話にじっと耳を傾けていた。《紺碧》コンビ、《奪命眼》の憑依---全て凍結されていた脳内の記憶と合致していた。
「そして私の父は私に黒乃への記憶改竄を命じた。当時父はもう歳で《改竄眼》を使えなかったからな」
「その時、私の《奪命眼》の存在には気付いていたんですか…?」
「ああ…予測ではあったが」
「…」
私はリーダーを責めようとして、やめた。和樹と同じで、リーダー---いや、篤史兄さんも私と別れるのがきっと嫌だったんじゃないか。自分の願望を優先したが為に、私は他人の命を借りて生き延びざるを得なくなったのだ。《私》だって命を失う直前、死にたくないと願っていた。私の今の気持ちには強く相反するが、死から逃げていたのも事実だ。
篤史兄さんは火災が起きた2011年時点、大学1年生。中3の私を優しく見守ってくれていたし、受験勉強も手伝ってくれた。互いに「兄さん」「黒乃」と呼び合う程に《紺碧》の絆は確固たるものだったし、片方の色彩を失ったら《紺碧》はただの《紺色》になる。私が死ねば碧柳家は完全に断絶---それを思って、兄さんの父親は私への記憶ロックを命じたのかも知れない。
「…黒乃は記憶喪失だった。一度死んだのだから記憶のリセットが引き起こされたのだろうが、紺堂家や病院側は火事によるショックだと断定した」
「…妥当ですね」
「私が黒乃に掛けた能力は、3年毎の記憶埋め込みだ。高3の3月31日23時59分59秒に3年分の記憶は全てロックされ、新しく高1の女子高生として過ごしてもらうようにした」
「…埋め込み? 何で消去にしなかったんですか?」
「思い出をそんな無下に扱うわけにはいかないだろう」
兄さんの微笑みに、私ははっとした。
そうだ。これが本来の兄さんだ。顔には皺が寄り、髪も薄くなって、36年前とは随分と違ってしまったが、やはり面影は失われない。あの時の優しい温もりが自然と思い出されるのだ。
「…ありがとう…ございます」
「…ははっ…36年前までは敬語じゃなかったのになぁ」
「え? そ、そうでしたっけ…」
火災が起こる前の平穏な日々。兄弟がいなかった私にとって、兄さんは私を見守るもう一人の親みたいだった。共に渋谷という大都会に住んでいたので、土手で遊んで---という青春じみたことはしなかったが、近くのショッピングモールに出掛けたり、お互いの能力の話をしたりした。もう記憶にはうっすらとしか残ってないが、その笑顔がとても素敵だったような気もするんだ。
「…じゃ…じゃあ黒乃は本当は何年生まれなんだ?」
和樹が何やら不安げな顔を浮かべて尋ねた。
「えーと、2011年で15歳だから…1996年?」
「「「!!!」」」
A班3人組は度肝を抜かれたような表情をした。
「え…じゃあ2世紀跨いで生きてる!!?」
「うん」
私は頷く。B班の3人だって2029年以降に生まれた人だけだから、今MEI内に20世紀を経験している人間は私と兄さんだけだ。
「2011年の東日本大震災も…?」
「経験したよ…私の家が火事になった理由、それだし」
これは記憶の旅で得た情報だ。燃え盛る家のカレンダーに、3月11日と記されていたのだ。主な被害は東北に集中していたが、都内も例外ではなく、何件か火災や建物崩壊も起きていた。その内の1件が碧柳家、ということだ。
「2020年、東京五輪もかい…?」
「うん。あの年は金メダル沢山だったんだよ」
東京五輪。震災と同年に開催が決まって、日本中が歓喜したのがかなり昔に感じられる。2020年は4巡目の高1で、クラス中が毎朝登校すると五輪の話をしたものだ。
その時。
「おーい」
「!!」
翠髪の狙撃手---翠先輩を先頭に、B班のメンバー3人が病室に入って来た。
瑠璃波先輩の手には、ケーキが入った白い箱があった。
「それ…もしかして」
「渋谷で有名なお店よ。お姉さん奮発したんだから」
「うわぁ…ありがとうございます!!!」
渋谷駅構内にある有名なケーキ屋の名が、その箱には赤字で記されていた。店の前を通る度に食べたいとは思っていたが、同時に学生には到底手を出せない金額だなと憂いながら通り過ぎていたものだ。
私は瑠璃波先輩から箱を受け取ると、蓋を開いた。
「うわぁ…!!!」
「美味そうだな」
「これはなかなか…」
「すごいっすね…」
A班の4人は同時に声を上げた。ショートケーキだ。側面の綺麗なコーティング、艶のある盤上の苺、円に沿って彩られたホイップクリーム---細部に至るまで、店のショーケースの外から見た景色と同じだった。
「僕が切るよ。歳上にばかり任せておけないからね」
雪音がベッドから降りる。昨日腹を刺されたはずなのに、動いて大丈夫なのだろうか。
と思ったが、瑠璃波先輩の次の言葉で合点が行った。
「あら、じゃあお任せしようかしら。つまみ食いはしないでね」
「僕を何だと思ってるんだ…」
雪音は少しばかり頬を赤く染めた。
「…A班4人とB班3人、それからリーダーと夏希で9等分かな…難しいね」
雪音は私から箱を受け取って台所へ向かおうとするが、
「えっ、わっ、私はいいよ!! MEIのメンバーでもないのに…8等分ならやりやすいでしょう…?」
夏希が立ち上がって雪音に声を掛けた。少し謙遜気味だ。
「いいんだ、黒乃を救ってくれたお礼だ」
「そ、そう…じゃあお言葉に甘えて」
夏希はくすっと笑うと、再び丸椅子に着いた。瑠璃波先輩は一度部屋を出て行った。
(…ふふっ)
私は自然と笑みを溢した。何だか、こんな優しい日々がとても久しぶりに感じられたのだ。今まで自分の《血》が狙われるって切羽詰まったまま生きてきたからだろうか。
いや、それだけじゃない。
今までの闇に覆われてきた15歳以前の記憶、或いは埋め込まれてきた33年分の記憶。その全てが突如にして光に照らされ、温もりを生み出したのだ。
勿論、悲しい記憶もあった。でも、決して忘れられない、今までどうして忘れていたのだろう、こんな大切な思い出を---なんてものも、少なくなかった。
12回目の高校生活、私は偶然にも乙葉と出会い、事故で別れて《終末眼》を宿した。そして偶然にも雪音に《眼》を見破られ、和樹と出会った。そんな幾つもの偶然が重なって、自分が本当は誰であるのかが分かったのだ。これは内容的には悲劇かも知れないが、事象だけを見れば喜劇でもある。色んな感情が混ざり合っても、最終的に行き着くのは《奇跡》という言葉なんだ。
私がこの《眼》を《未来眼》とか《予知眼》とかではなく《終末眼》と名付けたのは、最初に予知した未来が乙葉の死だったからだ。
あの時見えたのは黒い画面。私は乙葉が1回目に死んだ時、この《眼》は人の死---終末を視るのだとばかり思っていた。
だが能力を扱っていく内に、これは単純に人や物質の未来を予知するだけのもので、別に死に限定的なものではないと理解した。だからこそ、その時敢えて名前を変更しなかったのは随分と不思議なものだ。
だって---自分の《終末》を、見事に予測したではないか。
私はこの《眼》は自分の未来は予測できない不完全な能力だと思っていた。
自分の手足を眺めても、鏡越しに自らの顔を見つめても、何も起こらない。
だけど、しっかりと予知していた。こんな幸せな終末があるのなら、私はそれを受け入れる。
「できたよ」
雪音が台所から戻ってきたところで、私は我に返った。整った断面図が露になり、私たちの食欲は更にそそられた。蝋燭が9本刺さって、ますます誕生会らしくなり、気持ちも高揚するばかりだ。
「そうだ、一つ訊きたいんだが」
「はい?」
雪音は電気を消し、チョコペンを持ちながら私に尋ねた。蝋燭の炎が目立つ。
「ここまでは書いたんだけど…」
すると、雪音はショートケーキを私に手渡し、その一角を指差した。所謂、飾りに付けられるホワイトチョコのメッセージボードだ。
「『Happy Birthday Kurono』…あー、そういうことですか」
「そう…君は、何歳なんだ?」
チョコペンで記された《Kurono》という文字の横に、少しばかりの空白が残されていたのだ。つまり、年齢を書くための欄だ。
すると、和樹がニヤニヤとした顔つきで言った
「どうする? 11回の記憶更新を含めればお前は今51歳…」
「ばっ…そ、そんなの書くわけないでしょ!!」
「ん? どういう事だ?」
翠先輩が尋ねた。そうだ、B班の3人にはまだ私の過去の事情を話してなかった。
「実は…」
私は埋め込まれた36年分の事を長々と話した。私が一度死んだところまでは話していたので呑み込みは早かったが、それでも驚きの表情は隠せなかったようだ。
「ご…」
話を終えて最初に開口したのは、翠先輩だった。
「ご…ご…51歳~!!!?」
「いきなりそれですか」
少しばかり傷付く。
「51歳…まじか…」
「51歳ねぇ…」
「他の2人まで何言ってるんですか」
火事の前の15年、11回の埋め込まれた高校生活33年分、MEIで過ごした3年分を合計して51年---確かに、生きた時間でカウントすれば51歳で相違ないのだが、ダイレクトにそんな数字を言われると精神が削られそうだ。
「ま…まあ、それも候補に入れて、自分で好きな数字を書いてみたらどうだい? 享年15歳か、今の18歳か、記憶分51歳か」
「51歳は論外だよ…」
私は雪音からチョコペンを受け取ると、蝋燭の隙間を通して数字を記した。
迷うまでも無かった。どちらが自分の正しい年齢なのか。
私が書き終えて手を上げると、皆が顔を覗き込んだ。
---記した年齢は、18歳。
死んだ年齢は確かに15歳だ。そしてそれ以降も、身体的には15歳のままだ。きっと私が理を除いて組織内で一番身長が低かったのは、15歳の時から一向に背が伸びなかったからなのだろう。身体の成長は15歳で終わりを告げた。
でも、心は変わり続ける。思い出は更新され、全てが私の思いを満たしていく---今の人生は12回目だとしても、高校3年生なのだし、私は18歳と強く言い張れる。
このMEIで過ごした時は、嘘じゃないから。
「だな」
「---うん!!」
和樹の言葉に私は笑顔で答えると、一気に蝋燭の炎を吹き消した。
誕生日の時を、私は幸せに過ごした。
ケーキを食した後は、談話した。私の失われた33年の思い出を話したり、私がMEIに入る前の組織の様子を聞いたり---これ以上に幸せな時があるだろうかというぐらい、楽しく時間が過ぎた。
特に夏希と雪音のデュエット。私は彼女たちのステージを生で見たことが無かったので、二人が歌う時の姿、真摯な歌声、その全てに惚れ込んだ。皆が笑顔になって、歌っている本人たちも楽しそうで---人を喜ばせる歌手という仕事は、本当に素晴らしいと思い直した。
***
気付いた頃には、午後23時50分。
夕食は瑠璃波先輩と黄緑谷先輩が振る舞ってくれたので、お腹は空いていないが、時間が過ぎるのを速く感じた。
「…和樹」
「ん?」
「…。…そろそろ、死なないと」
「…!!」
和樹は時計を見上げた。残り10分。他の人達もふっと熱が抜けたように、私の方を見つめた。
「あっ…み、皆さんはまだ楽しく過ごして…」
「黒乃…」
和樹が顔を近付けて言った。さっきの行為を思い出して、私は再び顔を赤らめた。
「か…和樹…」
「どうしても、死ななきゃ…なのか?」
「…うん。誕生日が終わる前に…」
この楽しい時間は、誕生日を過ぎたら終わる。こんな幸福はきっと、二度と来ない。私はこのまま、終末を迎えたいんだ。
---ふと、私の額に一滴の雫が舞い降りた。
「…!!」
ベッドから見上げた和樹の顔は、今までに見たことのない悲しさに溢れていた。この雫は、和樹の《眼》から溢れたものだ。
「…ありがとう」
「え…」
「私の死を、悲しんでくれて」
私も、我慢できなくなった。額から徐々に垂れてきた塩辛い水滴は私の瞼の水分と混ざり、頬を伝ってシーツに染み付いた。
「当たり前だろ、愛している者同士なんだから…」
「…そうだね」
私は和樹の手を取った。彼の温もりを、死んだ後でも、少しでも肌に残しておきたい。
ふと、雪音の顔が視界に入った。
「…雪音」
「…何だい」
「涙を我慢してるの、バレバレだよ」
私は《終末眼》で雪音の瞳をじっと見詰めた。
「…分かるよ、私が息をしなくなってから雪音は私の側でベッドに頭を埋め込んで泣いてくれるの」
「なっ…!! ず、ずるいぞ!!」
雪音は赤面して叫んだ。
「雪音は格好いいよ。ステージでも、組織内でも、自分の本性を晒さない感じ…でも、私は一度もその本性をみなかったなぁ」
「…っ」
雪音はそういう人間だって知ってる。ファンとしても追い掛けてきたし、何より高校生活を共にしたのだ。雪音への理解は、組織一だと自負してる。
「…ほーら、瞼が膨らんでるよ」
---夏希の悪戯心には負けるかも知れないが。
「…!!」
すると、最後の夏希の言葉に押されたのか、雪音は私に向かって駆け出した。私の寝そべった身体に乗り出す。私の言葉による未来分岐だ。
「ゆ…雪音!?」
「…別れたくない」
「…え」
「いてほしい…!! 僕は…私は、君…そのものが存在意義だったから…それを…失ったら…私は…どうやって…!!」
雪音の悲痛な叫びは、私の心に強く響いた。そうだ、彼女だって格好いいけど、本当は弱い。自分を支える他人を失うんだ。
「…ごめんね、側にいられなくて」
「…」
「でも、大丈夫だよ」
私は右の《奪命眼》を、右手で覆い隠した。つまり、寿命吸収のシャットアウト。
「く、黒乃…危ねーよ!!」
「大丈夫、少し貯蓄はあるはずだから…」
自分の寿命は、今から減り始める。均衡状態にあった自身の命が、天秤から突き落とされる。でも本来は、これが正しい運命だ。人間は元々寿命を減らすものだし、私は他に比べてちょっと余命が少ないだけだ。
「最後に、一つだけ…ホントは手紙でそれぞれに書きたかったんだけど、時間がないから…」
私は碧く染めた《眼》でそれぞれの顔を見た。
「私の死は、誰のせいでもない。和樹が事情を話してても、篤史兄さんが記憶改竄を私にしてなくても、私はどうせ死んでいたんだから」
「黒乃…」
「だから、責めないで。責める必要なんて…ない…から」
急に視界が霞んだ。まだ死んでない。涙で滲んだだけだ。左の頬に涙の筋が垂れただけでなく、《眼》を押さえる右手にも少しばかりの湿り気を感じた。
良かった---この漆黒の《奪命眼》にも涙を流すくらいの感情はあったようだ。
「この《眼》は…世の中全部の未来が見えてしまって…本当に退屈だった。人生にも…自分にも嫌悪感が差していた。でも…和樹たちとの出逢いは、予測できなかった」
「俺も…他人の《過去》を覗き見る自分の《眼》が…いや、自分が嫌いだった…自己嫌悪に陥ってた」
「《眼》は確かに自分の悪夢の具現化なのかも知れない…けど《これ》がなかったら、和樹たちに出逢えてなかった」
互いに、確証を持って言えた。
---本当に視界が眩んできた。死期の接近。
「《眼》は人を様々な形で見る…。それはある意味、人生に《彩り》をもたらした」
私は呟いた。皆に聞かせるために、呟いた。
「ここでは色んな色の視線が交錯して、綺麗な《彩り》を創っていた…」
最期に、仲間たちの顔を脳に焼き付ける。忘れたくない思い出を共に。
「この1年間、カラフルに過ごせた。ありがとう」
《両眼》の瞼を、そっと下ろす。
世界から、光が、音が、恋人の感触が、消えていく---
***
私はこの《眼》で未来を見据える少女だ。
だから最期、皆に誓ったんだ。
延長された人生の弥終に、そっと一言添えて。
---みんなの未来は、私が保証するから、と。




