#43「Recollection」
---2047年、3月28日。
朝日が昇り、カーテンの隙間から射し込んだ光。
私はどうにもそれで目覚めたらしかった。
私はゆっくりと瞼を開くと、自分の居場所を確認した。
(…またか)
いつもの病床だった。青緑のシーツ、掛け布団、枕。側の棚に卓上カレンダーが置いてあった。MEIの予定なんて気まぐれなのに、置いたって意味がないんじゃ…。
(…ん?)
そこまで思って、私はカレンダーを改めて凝視した。3月28日---つまり今日の部分に、碧いハート印が付けられている。
「黒乃」
「うわっ!!?」
突然呼ばれて、私は反対側を向いた。
そこには私と同じようにベッドに寝そべる雪音と、その奥の丸椅子に座った夏希が。
「雪音…夏希も!!!」
国民的美少女アイドル2人が、病人と来訪者の絵面をしている。何だか、少し滑稽に感じられた。
「…どうやら、終幕したようだね」
「終幕?」
「《奪命眼》の件さ」
「…ああ」
そうだ。3月27日、つまり昨日、私は埠頭で倒れた雪音と夏希を助けに行った後、インビジブルの本部へ単身で乗り込んだのだ。私がヘマして《奪命眼》は一度完成してしまったが、夏希と和樹の後援あって漆の《末刻眼》と《奪命眼》を破壊、彼の人類滅亡の念願はあと一歩のところで阻止された。
あの後、意識を失ってしまったのだろう。
「あれは夏希さんが…」
「ほーら、敬語出てるよ」
「あっ」
「それに、あれは赤原くんが殆どやってくれたもん」
夏希は笑いながら言った。
「銃のお姉さんがここに私と雪音を連れ戻した後、あなたが単身で乗り込んだって話をしたら、彼が『あいつを独りにしちゃおけねえ…俺が絶対助ける!!』って言ってバイクで私と一緒にあのビルに行ったのよ。暑苦しいだけかと思ったら頭もキレるし、外見もイケてて、私すごい…」
「あんまり喋ると怒りますよ…」
不意に、入口の扉が開いた。
3人が振り返ると、そこには顔を赤らめた和樹が立っていた。後ろには苦笑気味の理も。
「和樹…理くん!!」
「ふふーん、赤原くんのそういうとこ好きだよ」
「もう勝手にして下さいよ…」
和樹は困憊した様子で部屋に入った。夏希はステージ上でも割と自由奔放に振る舞っているイメージだから慣れているが、和樹が弄られるのは珍しい光景だった。この2人、昨日の一戦だけでここまで仲良くなったのか。
「お、起きたか」
「1日振りだね」
「…お疲れ様」
今度は立て続けにB班の3人が入ってきた。丸一日寝ていたからか、随分と懐かしく感じられる。
「翠先輩、黄緑谷先輩…それに瑠璃波先輩も」
「知ってるか? 例の弾丸、俺が撃ったんだぞ?」
「そう!! あれどうやったんですか?」
私は身体を傾けて叫んだ。
「理の化け物みたいな計算力と優那の心理学の知識を駆使してあいつの動きを読んで、それで俺が撃った」
「ちょっといきなり何言ってるのか分からないんですが」
「ああ、俺も分からん」
弾丸を弾く弾丸。その上、時が止まって何処から出るのかも分からないそれを、自分の狙撃銃の計算も含めて相殺するなど、神業だ。瑠璃波先輩と理はドヤ顔で屹立していた。
すると。
「集まったか」
部屋の扉から最後に顔を覗かせたのは、紺堂リーダーだった。
「別に好きで集まったわけじゃないけど…」
「構わん、都合がいいというだけだ」
翠先輩の言葉をさらっと流した課長は、和樹の顔を窺った。
「…構わんよな?」
「皆の前で…話すんですか?」
「どうせ話さなきゃならない」
「…分かりました」
(…?)
和樹は、とても悲しげな顔をしていた。他のメンバーは訳が分からず、きょとんとしていた。私も含めて。
「…黒乃くん」
「は、はい」
突然名指しされ、私はどきりとする。
「突然だが、私の《眼》…覚えているか」
「ええと…《改竄眼》…対象の記憶を操作する能力…でも今はもう使えないって」
「ああ、使えない。だが、使わなくすることは可能だ」
「…え?」
「少しややこしいな。簡単に言えば、この《眼》が使えなくなる前に行った記憶操作の解除ができるということだ」
「ああ…」
何となく納得した。記憶操作と自然状態の関係で、自然状態から記憶操作の能力は年齢と共に失われてしまったが、記憶操作から自然状態への矢印は一方的に繋がっているということなのだろう。
「だから、君に掛けた記憶操作を今から解除する」
「はい…って…ええ!!?」
唐突なカミングアウトに、私は驚きを隠せなかった。
まず私に記憶操作を掛けたということがそもそも未知だし、リーダーの《改竄眼》が健在だった頃、私はまだ課長に会ったことがないはずだ。
「すまない」
「えっ…なっ…何で謝るんです」
私は慌てふためくが、リーダーは無視して私の瞳を優しく見つめた。
「ロック---解除」
リーダーがそう言うと、彼の《左眼》が一瞬だけ紺色に色付いた。機能が欠落しているせいか、その色はかなり希薄だった。
だが、刹那。
「---っ!!!」
脳に電撃のような激痛が迸った。
大量の情報が刷り込まれる。
これは、改竄された過去?
いや---全て真実なのか?
声にならない叫びが空気を激しく揺らす。
周囲の視線を気にする暇など、一寸たりともない。
それ以上に、自身の理解が追い付かない…!!
***
辿り着いた場所は、記憶の海だった。
私がいる。目の前に《私》もいる。今の自分と大差ない、もう一人の虚ろな像が。
---火災の渦中に。
私は、不思議と熱さを感じなかった。幽霊になったような感覚だ。
温度を感じない---寧ろ、私が虚像なのか?
この目の前の《私》が本当は本物で、私は概念なのか?
業火が、周囲で激しく燃え上がる。赤い炎。
どうにも、どこかの家族の家が燃えているようだ。
---待て。この家、私の家じゃないか?
例のアパートではない。高校生である私が現在、一人で暮らしているアパートではない。最近は本部に泊まることも多いのだが。
この家は、私の家でもあって、今目の前にいる《私》の家でもあった。
---私は今、過去を旅しているのだ。
この少女は実像ではない。過去の《私》だ。つまり、私と《私》、どちらもここでは虚像。
祖母がくれた、林檎と檸檬の油絵。
母親が父親の誕生日に買ってあげた黒いコート。
アナログ放送が終了して、買い換えたばかりの地デジテレビ。
その全てが、煉獄の炎の焼かれている。
この炎、何だかとても暴力的だ。私がこの過去の時間軸に来た時はまだ床しか燃えてなかったのに、もう壁や天井にまで火の手が回っている。炎の威力も、高さがあって《私》の自由な移動を阻害する。
その時。
(あ…!!!)
目の前で《私》が倒れた。
炎で、というよりは呼吸の問題のようだ。顔が青ざめ、口を開けて動かなくなっている。
私は手を伸ばす。が、その手は《私》をすり抜けてしまった。
私は、虚像だ。虚像同士なら触れ合えるかなと思ったのに。
私と《私》は何処かで擦れ違ったのだろうか。
待て。この奇怪な状況は何だ?
このまま行けば《私》は焼死する。
だとしたら、高校生の私---現在の私の存在は何だ?
すると。
「黒乃!!!」
突然リビングの扉が開き、男が走って来た。私と同じ碧髪で、性別は違えど声色も似ているものがあった。ジーンズや皮膚の一部が燃え散っているが、お構い無しに彼は《私》の元に駆け寄った。
私は察した。この男は---私の父親だ。
以前も話したが、現在の私は、父親の知り合いから今のアパートを借りている。私の両親は幼い頃に亡くなったと説明されてきたが、この《私》は今の私とほぼ同年代に見える。かなり最近のようだが、どうして私は覚えていないんだ?
「おい!! しっかりしろ!!」
父親は《私》を揺するが、反応は無い。黒い瞳も、虚ろに天井を見るだけだ。
(あ…!!)
やがて、父親の方も意識が朦朧としてきたようだ。私の父親は《私》を握っていた手をおもむろに離すと、仰向けに倒れてしまった。
ああ、これはもう駄目だ。二人共々焼かれて、後で焼死体で見つかるのだ。
私が諦めて、そう思った時。
(…え?)
予想だにしない現象を、私は眼前で目撃することとなった。
酸欠に陥ったはずの《私》が---立ち上がったのだ。
(…!!!)
有り得ない。人工呼吸も何もしてないのに、何故呼吸が復活しているのか。
《私》は周りの様子を窺った。私と視線があった気もしたが、どうやら向こうには私が見えていないようで、話し掛けられることもなかった。
---だが、私はその《視線》に酷く戦慄した。
まだ《終末眼》が身に付いてない、つぶらな左目。それは別段気にならない。
問題なのは《右眼》だ。強烈な瘴気を帯びた、狂気の虹彩。恐ろしく濃厚な黒煙が、火災の煙と比較にならない程に禍々しい漆黒の煙が《右眼》から漏れていたのだ。
そして、ただ一言。
「---死にたくない」
《私》はそう呟くと、父親を置いたままリビングから去った。その立ち振舞いは、どうにも現在の私にも、当時の《私》にも相違があった。
煙が濃くなる。火事の煙が私の視界を覆い、父親の姿さえかき消していく。
(…私の…お父さん)
私はその顔を忘れずに心に閉まった---
***
記憶の旅から戻る。
瞼を開くと、そこには皆の心配そうに私を見つめる顔が映った。
「…黒乃…大丈夫か?」
和樹の優しい声掛けに、私は首肯した。
「記憶のロックを一気に解除したんだ、無理もない」
「記憶の…ロック…?」
「私が君に掛けていた異能力は、過去の記憶の一部を閉じ込める類のものだ」
脳内の一部の記憶を封じていた、ということか。それを一斉に開けば脳には半端ない負担が掛かるのだろう。そのせいか、まだ頭痛がかなりするし、耳鳴りのような症状も発生している。
そこで、一つの疑問が生じた。
「…何年分ですか…?」
「ん?」
「封じていた記憶は、私の人生の何年分ですか…?」
「…15年分」
「…!!!」
やっぱりだ。私も普段から15歳以前の記憶がどうもぼやけていた。思い出そうとしても友達の顔に靄が掛かり、その色は自然と褪せていく。
「…それで、その15年にはどんな思い出があった?」
「…思い出なんて言えるものは無かった。強いて言うなら」
私は、この過去が正しいのか知らない。でも、驚くほどこの出来事がしっくりするのだ。まるで本当にこんな過去を味わったかのように。
「私…一度、死んでる」
「…!!!」
その場にいた全員が、息を呑んだ。
ただ例外に、和樹と課長は逆に溜め息を小さく吐くだけだった。
「な…何言ってんだ? お前は今ここに…」
「生きてはいます…ただ一度だけ、死んだことがある」
「…生き返り、なのか?」
翠先輩の問いに、私は頷いた。
「乙葉ちゃん…って、いましたよね」
「ああ…前に死んだはずだって黒乃が言ってた…」
「彼女と同じ現象が私に起きていたんです」
「え?」
タワーで彼女に会ってからずっと思っていた疑問。彼女は---何故生きているのか。
その秘密は、やっぱり3年前の事故に隠されていた。
「私の《右眼》がもしも---《奪命眼》だとしたら?」
「…!!?」
翠先輩は言葉を失った。
その反応は妥当だ。私だってこの持論、確証が持てない。
私は気付けなかったのは、仕方の無いことなのかも知れない。
---《奪命眼》が憑いた瞬間、私は死んでいて、所謂《第三者の干渉》には気付かない。
---場所は《右》で、放置していれば自然に発動。
---黒目が《漆黒》に変わったところで、気付くはずがないのだ。
この3条件が揃ったがために、この推論が成り立つとしたら、私はどんなに不運だろうか。或いは今まで知らなかったことはどんなに幸運だったろうか。
「この仮説を立てれば、3年前の事故…全てに理由が付けられる」
「事故って…乙葉ちゃんが巻き込まれた交通事故?」
瑠璃波先輩が尋ねる。
「はい---そして、乙葉もやはり、一度死んでいる」
「え?」
「私は恐らく左側に《終末眼》が身に付く以前から、別個に《奪命眼》を右に持ってた…乙葉はそれを知らずの内に《着色眼》にコピーしていたとしたら」
「…!!」
私は、乙葉が《着色眼》を手に入れた経緯は知らない。だが交通事故以前から、あれを隠し持って高校生活を送っていたことは確実だ。まあ彼女の特異な《眼》なら校内で使う機会なんて早々無いだろうし、取り付いたのは《左》だから隠蔽は容易だったろうが。
「搬送後、私は知らずの内に《奪命眼》を乙葉に対して使ってしまった…彼女は気絶していたが為に、そのまま還らぬ人となった」
私は、自分の推測に恐怖していた。語る口が震えている。
彼女が生き返った経緯は私と近いかも知れない。私は《第三者》、つまり《奪命眼》に支配されて死んだ。《眼》を開いて死んだがために、私の視線に捕捉された父親は寿命を奪われ、私は蘇った。同じように、彼女の瞼が何かの衝撃で開いてしまい、両親や葬儀屋が視界に映れば、たとえ乙葉が死んでいたとしても《第三者》の意思で彼らは殺されてしまう。
そして、彼女は生前の記憶を失っていた。死亡がある意味、脳のリセットだとしたら辻褄は合う。私が中学生以前の記憶が曖昧になっていたのにも頷ける。
「和樹…そういうことでしょ?」
「…ああ、自分で語らせたくはなかったんだが…」
「じゃあつまり、私は…もうすぐ」
「…ああ…」
「…どういう意味だい?」
雪音や周りのメンバーは会話の底に隠された真意を見出だせない。
「…漆が《奪命眼》を使っても黒乃が死ななかったって話、しただろ?」
「ああ」
「あれは寿命を奪えなかったんじゃない…奪い尽くせなかっただけだ」
「…何故だ? 能力はしっかりと発動していたのに」
「ゼノンのパラドックス…」
不意に、理の幼い声が挟まれる。
「…え?」
「古代の自然哲学者、ゼノンの理論っす。陸を歩く亀がいて、アルキメデスという別の人物がその亀を後ろから追いかけるんです。でも彼が大きく進んでいる一定時間の中でも、亀は進んでいる。つまり、亀とアルキメデスが並ぶまではいくら彼が頑張っても亀には追い付けない」
「…!! まさか」
和樹は、理の話を聞いて深刻な顔で頷いた。
「漆が仮に1秒で10年の寿命を奪ったとしても、その間に黒乃が奴を見ていればそのごく一部が相殺される。もし今黒乃の残りの寿命が1秒で、漆がその1秒を奪ったとしても、黒乃はその間に漆の寿命を0.00001秒ぐらい取り返してるかも知れない」
「それってつまり…」
「ああ…予想では今、黒乃の寿命は数十秒しかない」
その命の宣告は、とてもしっくり来た。
私の過去から今における全ての出来事。
それが一本の糸で繋がったようで。
その糸の終着点は、何と言うか---自然体であって。
---私が見てきた過去は、もう偽善じゃないんだと確信した。
寿命残り数十秒。
それを理解したかしてないかは別として、他のメンバーは顔を凍らせた。
「…残り、数十秒…?」
「嘘…だろ? じゃあ今の黒乃は…」
「恐らく俺らの寿命を一時的に…だから」
和樹がそう言った直後、私は《右眼》を手で隠そうとした。だが、
「やめろ!!!」
その細い手首を、和樹はバシッと掴んだ。
「…っ!!!」
「正気か!!!? 隠したら死ぬんだぞ!!」
和樹は目の前で強く叫んだ。
「でも…」
「お前が死ぬ必要はない!!」
「私は皆の寿命を…」
「俺らと今すぐ別れたいのか!!?」
「…っ!! それは…」
私は腕の力を緩めた。和樹は手を放す。
「自分だけのお前じゃないんだ…俺らは仲間なんだから」
「…ごめんなさい」
私は視線を少し下に向けて謝った。
仲間を失うことの恐ろしさは、誰もが分かっていた。私だって死ぬかも知れない漆との戦いに単身で乗り込んで、周りに迷惑を掛けてしまった。受け身の立場になりがちなのが、私の悪い癖なのかも知れない。
「…で、どうする?」
紺堂は一つ咳払いを挟んで言った。
「私は…本来ならとっくに死んでる存在なんです」
「…俺らの寿命を奪ってまで生きたくはない、ってか」
「…うん」
私は重苦しい返事をした。
それはつまり、皆と別れるということ。
自分の死を、こんなにも簡単に受け入れてよいのだろうか。
でもさっきの過去を見ると、寧ろ今の自分が論理的に存在しないはずなのだ。幽霊だとか生き返りだとかそんな言葉に追尾される人生は嫌だったし、本当の私を見つめ直した時、とても寛容的でいられた。皆と別れるのは苦痛だけど、本当なら私たちは会うこともなかったのだ。
「俺は…黒乃に生きていてほしい」
和樹は俯いて言う。すごく苦痛な選択を迫っているのは分かっている。
「でも、それが黒乃の希望なんだな?」
「…うん」
「…。…分かった」
和樹は、とても苦しそうな顔をした。
「じゃあ、今日が最後の誕生日だな」
「…あ」
言われて、気付いた。
さっきのカレンダーに記されていた、3月28日の碧いハートマーク。
---そうか、今日は私の誕生日なんだ。
「命日に18歳を迎える…何だか、変な気分だな」
「…うん」
私は自分の掌を見つめた。和樹や雪音は私と同年代だが、私の誕生日が遅いのもあって、2人はとうに18歳を越えたのだ。でも2人と揃ったことはある意味喜びであって、この私の掌も随分と大きく感じられた。
「---あと1日だけ、私に生きさせて」
「勿論だ」
私は和樹の手を握って告げた。
---それは温もりを感じる、優しい手。




