#41「Pitch-black」
「さあ、これで終わりだ」
漆の放った弾丸。それは私の額の手前で停止していた。
その時間を動かす合図に、漆は《末刻眼》の茶色を薄めていく---
---だが、やはりそんな単純な終わり方はつまらない。
時が動き出し、弾丸が私の額に当たる直前。
「!!!」
部屋の左側にあった窓硝子の壁が大きく割れた。
そして外から飛来したのは、全く別の弾丸。
---更に驚くべきは、その弾丸が漆の放った弾丸を弾いたのだ。
「な…!!!?」
時の停止を把握していた漆は、驚愕の声を上げた。弾丸は二人の間を通過して床に練り込んだ。
「はあああ!!!」
逆に時が異常無く流れていたように錯覚している私は、目の前の出来事を気に留めず斬り掛かった。
「ぐっ…!!」
斬撃が初めて命中した。漆の衣服の左肩に大きな切り傷が加えられる。
「…はぁ…はぁっ…、今の…何…?」
私は小さく深呼吸した。今、私には、目の前に突然一つの弾丸が現れたように見えた。更に、漆の右手に突然拳銃が握られたようにも見えた。夏希が埠頭で話していた《末刻眼》を使用したと見て間違いないだろう。時を止めて、拳銃を放ち、それを握ったまま時を再生させた。そんなところだろうか。
そして、その弾丸を誰かがビルの外から別の弾丸で撃ち抜いた。この辺りは渋谷駅周辺の都会部から離れていて、高層ビルは無い。あるとすれば、ここから400m以上離れた渋谷フカリエ。
そして、あんな遠い場所から対象を狙撃できる人を、私は一人しか知らない。
***
「おいおい…嘘だろ」
翠はその頃、漆と同じく驚嘆の声を上げていた。
翠は黒乃の予想通り、渋谷フカリエの最上階から狙撃銃を覗かせていた。《千里眼》の驚異的な視力を駆使して二人の戦闘の様子を眺めていたのだ。
そして、翠の後ろにもう二人。
「お前凄ーな!!」
「いやー、やっとお役に立てて良かったっす!!」
「…あなた達いつからそんなに仲良くなったの…」
見たもの全てを記憶する《刷憶眼》を使う少年、緑道理。
対象者の心理を読み取る《探情眼》の持ち主、瑠璃波優那。
「…絶対的な記憶力故、俺の口頭による戦闘実況だけで敵のアクティビティを未来予知に匹敵する正確さで予測する…とんでもねえ計算力だよ」
「いえいえ、瑠璃波先輩の心理学専攻なんて素晴らしい肩書きがなきゃここまで正確には予想出来なかったすよ」
「べ…別にそんな偉いものでも…」
瑠璃波は遠慮がちに頬を赤く染めた。
理の悪魔的なまでの計算力、瑠璃波が大学で習った心理学の膨大な知識、更に翠の未知数的視力が融合して生まれた《撃たれる可能性のある弾丸を弾く弾丸》は、最早究極という言葉では言い表せないほどの奇跡だった。だがその奇跡の裏には両者の発砲のタイミング、弾丸の速度、種類---それらの計算という理屈によって、しっかりと裏付けられているのだ。
「ふっ…この調子で本人撃ち抜いて…」
調子に乗って、翠がそんなことを言い放った時だった。
「…っ…危ない!!」
「え?」
「きゃっ!!?」
翠が理と瑠璃波を反射的に突き飛ばす。
その瞬間、その場を400m先からの弾丸の嵐が埋め尽くした。
「がっ…!!」
「琴梨!!」
その内の一弾が翠の右手に当たり、血がコンクリートの床に飛散した。漆からの反撃だ。
瑠璃波は翠の肩を引っ張って急いで死角に引き下がる。理はその後を追い掛けた。
「琴梨…大丈夫!!?」
「ぐっ…あ、ああ…だけど」
翠は悔しそうに漆の顔を見た。彼女の視力でしか見ることのできない、その冷徹な表情を。
***
「…!!!」
まただ。また《いつの間に》という言葉を使わざるを得ない。
気付いたときには、数百弾にも及ぶ弾丸が解き放たれていて、窓が派手に音を立てた。
「翠先輩!!!」
渋谷フカリエの屋上に居るのであろう彼女の名を私は叫んだ。
「…これだけ撃てば、一発ぐらいは届いてるだろう」
漆は拳銃に再び弾を込めた。彼の悠長な顔が私は癪に障った。
「さて」
「…」
私は手汗を拭き、刀を強く握り直す。
---一人じゃ勝てない。だが、二人なら勝機はある。
さっきの弾を弾いた翠先輩の弾丸は、その思いを暗喩しているようだった。
私は確かにこの一年間で成長した。でもそれは私一人が自分だけの力で成長したんじゃない。MEIの人達の支えがあってのことだ。
(…ありがとう…ございます…。気付かせてくれて)
私は刀を漆の目線に対向させる。
「はぁっ!!!」
刀を振る。
だが、漆の《末刻眼》が茶色く染まると、一瞬にして弾丸が目の前に現れ、私の右肩を撃ち抜いた。
「ぐっ…」
「…!!」
だが、降り下ろす手は止まらない。
「ぬおっ…」
漆は顔を仰け反らせて刀をかわす。
私は更にそこから刀を振り上げた。またかわす。
(これだけの強力な《眼》…連続使用は不可能なはず…!!!)
私はそれを狙っていた。時間の停止とは即ち、一定空間の制御と等しい。その場所を空気や音の干渉から完璧にシャットアウトする…大袈裟に言えば時間軸を自由に操れるのだ。そんな能力を連続で使用可能とは考えにくい。だから私は連続攻撃を仕掛けて、漆になるべく休む暇を与えさせなかった。乙葉が得意だった、組み合わせ技を駆使して。
だが。
(…何で…こんな時に限って!!)
刀身は一向に当たらなかった。焦っているのか?
そして数秒経った途端、漆は何かを確信した笑みを浮かべた。
「---少々、面倒だったな」
漆は落ち着いてそう言った。刹那。
「…え?」
一瞬にして目の前から漆が消えた。
遠くには、此方から一切視線を外そうとしない銀髪少女、銀凛。
だがここに来て初めて、凛が冷笑した。
(…まさか!!!)
私が後ろを振り向いた時。
「遅い」
一発の銃声が鳴り響いた。
---それは、世界の終焉を報せる鐘の如く。
「…っ!!!」
脇腹だ。後ろから、右の脇腹を撃ち抜かれたのだと後から気付いた。剣道でいう胴を、剣道部の元主将が見事に狙われたのだ。
「…ぁぁあああ!!!」
その認識直後、私は叫んで倒れた。冷たく、埃の積もる床に、血を撒き散らして。
「…凛、杯を」
「…はい」
漆はそう言うと、床の私の首元を強く押さえた。息の根を止めるかの如く。凛の華奢な足の音は、私には釘を喉元に突き刺す音のように感じられた。
私は錯乱した視線の焦点を何とか漆に合わせる。漆は私の右脇腹の下にもう片方の手を添えた。
「…!!! やめ…」
「そう怯えるな」
漆は片方の掌を器の形にすると、直に私の《血》を掬った。そして、凛が持ってきた杯にポタポタと垂らす。
「---《7色》、揃った」
混ざってはいけなかった。
血は、全く虹色にはならなかった。でもそれは、一種の殺戮兵器を生み出す禁忌の血液。
「知ってるか---虹はこの国じゃ7色と云われているが、国と地域によっては5色や2色と認識されているらしい。…だがこれを見ると、私は1色だと思うね」
「何言って…」
茶岳は凛から杯を預かると、乾杯のポーズを取ってこう告げた。
「---《漆黒》だ」
瞬間、漆は硝子の杯に唇を付け、液体を喉に押し込んだ。
「…!!! やめ…」
私は叫ぶが、もう遅かった。血液はみるみるうちに内壁から口元へ吸い込まれて行く。
そして、漆が最後の一滴を飲み干した瞬間。
「!!!」
大気の変化を感じ取った。窓が小刻みに震え、地鳴りが響く。
「な…何!!?」
私は周りを見渡した。全人類の生命を司るという莫大すぎる不可逆に空間が耐えきれないのか。側近の凛でさえも、不安げな顔を浮かべている。
そして、漆は思いの他静寂でいた。ただし、表情は極めて苦しそうだ。微かな呻き声を上げ、目が虚ろに回り続ける。
(まさか…身体も重圧に負けて…!!?)
私は察知した。つまり、まだ憑依は完了していない。今殺れば、何事もなく完結する。
私は柄を強く握り直す。そして。
「はあぁぁぁ!!!」
刀を大きく振り上げる。凛は不意を突かれて動けない。
---これで終われ。
「…遅かったな」
「!!!」
瞬間、刀を降り下ろす手が止められた。そして、
「…っが!!!」
漆の回し蹴りが私の胸にヒットした。大きく飛ばされて、後ろの壁に後頭部を打ち付けた。
「くくく…本当に勿体無い」
漆の猟奇的な嗤笑、そしてその《眼》の色に私は足をすくませた。
「《奪命眼》…完成だ」
《奪命眼》の色は《漆黒》だった。これ以上明度を落とせない位の、完璧な黒だ。左側に憑依したため、元の《末刻眼》の茶色は消滅していた。
「くくく…《第三者》よ、よりによって左に憑くか…その上《末刻眼》との切替もできるようだ」
「…え」
心臓が飛び出そうな思いだった。そうだ、左側だ。つまり、自分の意思に応じて好きなだけ相手の寿命を奪える。
更に《末刻眼》との切替可能。敵の寿命の強奪においては、時間停止をしてから悠長に寿命を奪えるのだ。言ってしまえば、今の漆は欠点皆無の殺戮兵器。
「…さて、早速一人試すか?」
漆は極悪の笑みを浮かべた。私は悲痛な叫びを上げる。
「いや…やめてっ!!」
「…でも、まずは《奪命眼》の恐怖を知って貰おう」
漆はそう言うと、後ろを向いた。視線の先には---
「さようなら、召使い」
「…え?」
初めて、少女の感情を含んだ弱々しい声を私は聞いた。
この短い会話の5秒後、凛はその場に倒れ。
まるで操り人形の魂が抜けたように。
---二度と立ち上がることはなかった。




