#40「Final fight」
一つの墓石の前、静かに佇む紺髪男の影が。
仲間たちが必死に戦っている中、一人だけ抜け出してこんなことをしている場合か。翠ならきっとそんな感じに突っ込んで来るかも知れない。だがこれは、今の自分がやるべきなんだと返せる。強面な彼女が相手だとしても。
白神に言われた。全てが解決したら、36年前のことを話して下さい、と。いつかは言わなければならない局面がやって来ると確信していた。雪音が黒乃と同級生の年代になり、和樹が彼女の過去を覗いて本部に連れて来た時、これは随分と悪戯な宿命だと思った。何かの縁、或いは神様のお達しだな、近い内に話そうと、話さなくともいずれ露見するだろうと思っていた。
---男の名は紺堂篤。墓石には、彼の父親の名が刻まれている。
「…正しかったか?」
課長は墓石に問い掛けた。
自分が36年前にしたあの行為は、本当に正しかったのか。
「あなたの言う通りにした…だが、寧ろ彼女を苦しめやしなかったか?」
誰も居ない墓地で、孤独に拳を握る。後悔、憤怒、責任感---その全てに耐えるように手中の空気を圧縮した。
彼女は36年間、迷走し続けている。意味の無い、目的も忘却した3年を12回、永遠に。
1年前、雪音が同級生に《異能力者》の匂いがする少女が居るという話を受けた時、心臓が飛び上がった。和樹がその情報を確信へと変え、全責任を取ろうと、罪を償おうと心に決めた。
「私も苦しい…でも、逃げてはダメなのだろう」
誰の返事もない。でも自己完結にしていい問題だ。
今、黒乃がインビジブルのリーダーと最後の戦いをしているらしい。翠から連絡が来た。恐らく、勝つだろう。
---正確には死なない、だろうが。
***
インビジブル本部、渋谷防災昨日開発ビル最上階。
「---来ると思ってたよ、《7色目》のお嬢さん」
大きな広間。床は正方形のカラフルなタイルが敷き詰められているが埃のせいでその彩りは失われ、周りの円テーブルや花瓶にも埃が積もっていた。住んでいるというより、隠れ家という印象だ。
そして、その奥に男は座っていた。黒革でありながらも簡素な、使い古された大きな椅子。
「最後の色は《碧》か」
「…」
男の傍らには銀髪の少女が佇んでいた。黒いメイド服に身を包み、どこか淋しげな顔をしている。
そして、彼女が胸の前で大切に持っているものを、私はちらりと見た。継ぎ接ぎだらけのテディベアと、赤い液体の入った小さな杯。
「…それが、6人の《血》」
「ああ」
男は立ち上がった。思ったより身長が高めだ。
その杯は透明なグラスで、中に入っている液体はきっと50mlもない程度だろうが、それが血液、ましてや飲むとなれば多すぎる量だ。
私は後ろを見た。コンクール会場にあるような重い扉で、私はもう二度と開かないんじゃないかなんて不安を感じた。この男を倒さない限りは。
次いで、窓の外に目をやる。窓と言うより、硬質ガラス張りの壁だろう。天井から床の縁まで窓が拡がっている。昼間だけど、曇って太陽は見えなかった。
「…場所はどうやって知った」
「…」
「そうか、あの男か…」
男は小さく舌打ちをした。
勿論、この場所は白神先輩から元々教えてもらっていた。生前、何度もここに通っていて、住所もしっかりとMEI本部のファイルに書き残していた。たとえそれが無くても、夏希に教えてもらえば済む話ではあったが。
「彼を殺したのは誰か知ってるか」
「あなたです。だから私があなたを殺す」
「足が震えているが?」
唐突に弱みを突かれて、私は顔を強張らせた。
平静を装って来たつもりだった。少しばかりの怒りを含ませて。雪音をあんな風にされて、私は涙が出た。その涙は憤怒へと還元され、こんな衝動的な行動に走っている。翠先輩だって制止したのに、私はそれを無視してここまで来てしまったんだ。
なのに、震えが止まらない。
「仇討ち…それもまた、人間の愚劣的感情が引き起こす衝動だ。青春かも知れないが、賢明だとは思えない」
「…」
「自己紹介が遅れたな。茶岳漆だ。《インビジブル》のボスで、まあ確かに君が最終的に殺すべき最後の敵なのだろう」
「御宣託は結構です…私は今、怒っているんです」
「ならば、かかって来なさい」
言われて、私は左腰の刀の柄を握る。
奴と面するだけで、戦慄する。刀は持っていないようだが、腰に一丁、拳銃を持っていた。でも、握ろうとしない。
(…こいつを殺せば…全てが…終わる…!!)
揺らぐ意志を確立しようと、私は目的を思い直した。そして。
「はああああぁぁっ!!」
駆け出した。刀を抜く。
私は一振り目から首を狙った。漆は後ろへ仰け反る。
「白髪男や橙本は一撃で殺したから身体が鈍ってるんだ。少し弄ばせて貰うよ」
「ふざける…なっ!!」
瞬間、私は《終末眼》を起動した。瞳孔が碧く色付く。
「!!」
(左へ半回転後、右脚から背中への蹴り…!!)
未来予知。私は右手の刀を自分の背中側へと向けた。漆は左回転まではしたが、蹴りは中止した。
(未来分岐…右拳の打撃!!)
私が漆が対応策を取った場合の世界線を予測し直す。時間軸の枝が、無限に広がっていく。ここまで《終末眼》をフルに使うのは懐かしい。剣道大会の決勝戦以来だろうか。
右肩へと刀を振る。私の防御に漆は引き下がり、再び未来がずれて行く。
「…褐間が言ってたのは、こういうことか…。なるほど、確かに厄介だ」
漆は嗤笑した。私は良い方向に風が流れていると思った。このまま勢いで押せば、勝機はある。
「私は《眼》を使ってないのだから、ここは平等にして貰わないと」
「嫌です。あなたを殺す為なら何だってする」
「そうか、ならば仕方ない」
そう言うと、漆は銀髪のゴスロリ少女へ視線を送る。
刹那。
「…っ!!?」
身体を妙な感覚が襲った。或いは懐かしさ。
少女は、私に《銀色》の視線を向けていた。
(…あの《眼》、どこかで…)
すると、漆が拳を構えた。慌てて私は《終末眼》を再起動しようとするが、
「ぐっ…!!!」
その前に、漆の拳が私の顔を吹き飛ばした。私は衝撃で大きく後退させられる。
そして、違和感の正体が判明した。
「それ…まさか《相殺眼》!!?」
私が叫ぶと、遠くに佇む少女は小さく頷いた。
「…そうか、君は榛葉紫の《着色眼》で…」
昨日、乙葉と戦った時に苦しめられた能力だ。相手の能力を無効化する《眼》。
「彼女…銀凛は《相殺眼》の使い手だ。そういえば、前日に保存してたな」
(…じゃあ…本家の《相殺眼》…)
私は殴打された箇所を押さえながら凛と呼ばれた少女を睨みつけたが、彼女もまた私から視線を逸らすことはしなかった。徹底的に《終末眼》を封じる算段か。
「さあ、これで平等だ」
「っ…」
再び漆の反撃が始まった。予測不可能の攻撃に、私はどんどん打ちのめされていく。
(…どうして)
私は、歯を食い縛る。
翠先輩は言った。お前一人じゃ負けは必至だって。
夏希も言った、あなた一人じゃ倒せないって。
(分かってたのに…どうして来た?)
私は自分に問うた。勝てないのは分かってる、負けたら世界が終わる、雪音と夏希の様態が心配---漆と戦わない理由なら幾らでも浮かぶのに、それでもここに来た理由は何だ?
---イラついたから?
もしこれが答えなら、私は相当な愚か者だ。自分の感情で世界の運命を決めたんだから。漆は私を殺したら、間違いなく《奪命眼》で人間を滅ぼす。こいつは白神先輩を殺したんだから。
「…張り合いがなくなってきたな、絶望しているのか?」
「違う!!」
私は刀を振るうが、あっさりと避けられてしまう。そして、容赦ない顎へのアッパー。
「がっ…」
「…そろそろ終わらせるか」
すると、漆は腰の拳銃に手を掛けた。私は対抗して立ち上がる。
「…見苦しい」
「…まだ…終わらせない!!」
私は刀を強く握ると、再び漆の首へ斬りかかった---
---だが、その手は漆の一歩手前で停止する。
漆の《末刻眼》に捉えられた世界。
その領域の中では、私の刀、手、四肢、更には舞い散る埃までもが完璧な停止を成し遂げていた。
つまり、時間停止。
その空間で、漆と凛は可動的だ。
「---これが《末刻眼》の力だ」
漆は目の前の私に語り掛けた。返事は無い。
ホルスターから拳銃を抜き取る。何の変哲もない一般的な型の銃だ。漆はその銃口を、私の額に向けた。
トリガーを引くと、大きな爆裂音がした。
押し出された薬莢は銃口から約30cm、私の額から約70cm離れたところで停止した。他の物体に揃って完璧な停止だ。
「凛」
漆は、視界外にいる凛に声を掛けた。
「《7色目》が出血する瞬間だ。しかと目撃せよ」
「はい」
凛は小さく返事をした。漆の後ろ、つまり視界外の時間は流れたままだから、そちらには何の影響もないのだ。
漆は《末刻眼》で幾多もの人を殺してきた。白神や雪音、夏希の時も相手の動きを止めてからナイフを取り出して刺す準備をしておき、時間停止を解除した瞬間に一刺し。大体の敵はこの方法で死んだ。手っ取り早く、確実で、これ以上の簡易的な殺害方法があるとは思えなかった。
つまらない殺し方だ。もっと緊張感を持った戦闘を楽しみたかった。
「…これで終わりだ」
漆はそう言うと、時間停止直前と同じポーズをとった。
きっと驚くだろう。いきなり目の前に弾丸が現れ、成す術なく死ぬのだから。
漆は《眼》の茶色を薄め始めた---




