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DiAL  作者:
最終章「みんなの未来は」
40/48

#39「Circulation」

「茶岳…漆…何で、ここに」

夏希は、目の前の男に、雪音を刺した男に問う。

「…昨日の沈没事件で殺した白髪男が漂流してないか見に来たら、偶然」

漆は平坦な顔で告げる。


すると、血まみれの雪音が首を後ろに回して言った。

「お前が…」

「ん?」

「お前が…白神を…!!!」

雪音はそう叫んだ瞬間、閉じていた《凍結眼》をかっと見開いた。

(!!!)

彼女に視られた人間は凍死する。あの日から3年も付き合っている夏希なら、周知のことだった。




---だが。

「…!!!」

「…消えた!!?」

その時、漆の姿はいつの間にか雪音の視界から外れていた。そして、

「…っ!!!?」

「…流石にヒヤヒヤしたね、今のは」

気付いたら、漆は雪音の真後ろに移動していた。漆は雪音の後頭部を強く押さえ付けると、コンクリートの地面に強く彼女の額を打ち付けた。

「雪音!!!」

雪音は、瀕死状態に追いやられていた。脳震盪で意識は失っている上、姿勢が俯せになったせいで、腹部からの出血が更に加速している。

夏希には今、何が起きたのか理解していた。彼が自らの《眼》を利用して、雪音の視界から一瞬で消え失せたのだ。《インビジブル》のメンバー内でも極めて突出した、強力な能力で。

「やめて…」

「ん?」

「やめて…雪音が死んじゃう!!!」

夏希は足元にあった予備ライターを拾うと、漆にその手を向けた。流れる涙を無視して。

折角、仲直りできると思ったのに。

こいつが、全てを台無しにした。

「…」

「…すぐに発火しなかった辺り、まだ《インビジブル》としての道を歩むつもりはありそうだ」

漆は雪音の頭から手を話すと、立ち上がって冷徹な視線を向けた。夏希は大きな畏怖と僅かな怒りに、ライターを握る手を震わせる。

「…それで? さっきの状況は?」

「別に、仕事の話で…」

「へえ、私には本気の殺し合いしてたように見えたがね? あそこまで露見を嫌ってた《促熱眼》まで使って」

「…っ…」

夏希は言葉に詰まる。言い逃れはできないと思っていたが。

「私は彼女の《血》を回収しろと指示した。呼んだのは向こうのようだが、何故それしきの任務も果たせない?」

「果たす必要が無いと思ったから」

「そうか」

すると、漆はコンクリートに倒れた雪音の背中からナイフを抜いた。出血が進み、《鮮血》が地面に赤の斑模様を作る。

「…っ…だからやめろって言ってんだろ!!!!」

「やめろ、だと? 誰に口利いているんだ」

漆は鋭利な眼光とともに、《血》のついたナイフを夏希に向けた。

「…っ!!!」

「《それ》をバラせばどうなるか、分かってるか?」




---そう、これが夏希がインビジブルに加担せざるを得ない理由。

夏希が雪音の《眼》の秘密を握っているように。

漆は夏希の《眼》の秘密を知っている。


---漆は邂逅で、こう告げたんだ。

私に従わなければ、君の《眼》を世間に公開する、と。




「…それだけは…」

夏希は支配する側でも、支配される側でもある。

雪音の、夏希にひれ伏す感覚とはまた別のものだ。夏希の支配のされ方は、恐怖そのもの。

「…ならば、その意志を見せよ」

「…え?」




「今ここで、彼女を焼き殺せ」




「!!!」

夏希の体が大きく震える。

雪音の殺害。ついさっきまで自分が3年間願い続けた悲願。ついさっきまでは。

実行は容易だ。彼女は今、目の前で倒れている。放置しても死ぬだろうし、ライターの炎で即時焼死させることも可能だ。

「どうした、早く殺れ」

「…!!」



夏希は、ゆっくりとライターを握る右手を正面に差し出した。



(…元々殺す予定だったんだ…何も迷うことなんて…)

親指をライターのスイッチの上に乗せる。



そこまで来て、夏希はこう呟いた。

「…まえだ」

「む?」





「死ぬのは、お前だぁぁっ!!!」





私には、雪音を殺せない。その思いが圧倒的に勝る。

ライターに赤い火が付けられると、炎が一気に拡大。漆の顔へと直進する。

「!!!」

不意を打たれた漆は少し驚いた顔をした。だが。

---世界が一時停止した直後。






「…」

「結果は自明だった癖に、本当に愚かだ」






炎は不発。それどころか、彼の毛髪さえ掠めなかった。

漆の姿は、夏希の背後にあった。さっき、雪音が刺された時と同じように。

---そして、自分も同じように刺された。背中から、雪音を刺したのと同じナイフで。

(…こいつの《眼》…チート…すぎる…!!)

漆に対する畏怖は喪失された。服従の必要性の喪失、腹部を刺されたことによる激痛、親友を殺さずに済んだことへの安心感。その全てが、夏希の感情を滅茶苦茶に歪めていた。

夏希は《血》を大量に吐くと、冷たいコンクリートへ倒れた。

「…君の《眼》は、全てが済んだら暴露しよう」

漆は、雪音の側にしゃがむとポケットから小瓶を取り出した。

「親友と共に逝けることを感謝したまえ」

「やめ…ろ…」

夏希は、掠れた声を発する。あまりに無力だ。

漆は雪音の《血》の回収を済ませると、立ち上がった。

「…黄村や榛葉紫はもう少しまともに仕事してから死んだぞ? 君がした仕事は、《血》の提供だけだ」

それが夏希が聞いた、漆の最後の言葉だった。

漆はコンテナの間を通って行くと、港の方へと姿を消した。それまで一度も彼は振り返らなかった。

(…勝てない…!! あんな《眼》…誰が戦っても…)

夏希は拳を握った。《インビジブル》で活動していた時、夏希はさっきみたいに何度か漆に刃向かった。でもその度に、彼は《眼》を利用して夏希を力で捩じ伏せた。





彼の能力は《末刻眼サーキュレーションアイ》---時を()()()()()《眼》。





今までの攻撃、全てそうだ。雪音が彼を凍死させようとした時も、夏希が火炎放射を放とうとした時も、全て危険を察知して、彼の視界に捉えられている万物に流れる時を止めた。そして、秒針が進まない彼だけの世界で彼は後ろに廻り、刺した。

仕組みは知っていた。知っていたけど、夏希は賭けに出た。そして、失敗した。

(…このまま死んで…たまるか…!!!)

夏希は右手で真紅のライターを握り直す。最後のあの言葉、夏希はとても悔しかった。私は《血》の提供だけで生涯を終える阿呆ではない。寧ろ、仕返ししてやる。そう心に強く思ったのだ。

「雪音…!!!」

そう言うと、夏希は雪音の露出した腹にライターの炎を当てた。

雪音は刺されてからだいぶ時間が経過している。一刻も早く傷口を塞がないと、失血死する。躊躇いは無かった。

「頼…む…!!」

勿論、さっきのような業火では焼いていない。だが、弱火過ぎるとリミットに間に合わない。最低限の負担に抑え、且つ迅速に傷口を固める。

ふと思い出したように、腹の火傷のせいでアイドル人生が台無しになった自身を想った。この火傷のせいで、雪音も活動の幅が狭くなるようになったらどうしよう、という考えが頭を過ったのだ。

でも、それ以前に命が優先だ。仕事の楽しみを失う以前に死んでしまったら、彼女には何も残らないのだから。

暫く、雪音からの反応は無かった。だが数十秒後、

「…っ…」

「!!!」

雪音が左目を開いた。意識を取り戻したのだ。

「雪音…!!!」

「…っは…これは…っ…どういう状況…だ…?」

「…漆が…あなたと私を刺して…去った…」

「そうじゃなくて…っ!!!」

すると、雪音が苦痛に歪んだら顔を浮かべた。夏希はすぐに《促熱眼》を解除する。

「ご…ごめん!! …緊急だったから」

「…焼いて塞いだのか…とんだ荒治療だっ…」

すると突然、雪音は閉じていた《右眼》を()()()




「え…?」




それは即ち、夏希の凍死。寿命の終了。

と思ったが、




「---頼む…っ!!」




雪音の視線の先、ナイフが刺さった夏希の腹部。

そこだけが、()()()()()()で凍結したのだ。

「え…」

「…っ」

雪音はホッとした表情を浮かべた。

「雪音…いつの間にか…制御できるようになったの?」

「いや、賭けた…」

「ちょ…凍死したらどうするつもりだったのよ!!?」

夏希は呆れ返った。だが、完璧な部分凍結だ。貫かれた部分だけを的確に凍らせている。冷たくて傷が痛むが、一応これで夏希の応急措置は完了した。

「…凍死させない…自信は…あった」

すると、雪音の呼吸が再び細くなった。

「お、おい…!!」

「畢竟、最後は技量…なんだろう。後は、任せた」

雪音はそう言うと、再び両目を閉じてしまった。

(…また意味不明なこと言って…)

夏希は、コンクリートに落ちていた眼帯を彼女の《凍結眼》に被せてやった。やっぱり彼女には、この眼帯は似合わない。

本当は理解している。雪音は自らの《眼》から逃げていたんだ。でも昨日の件で強い志を持った彼女は、揺らぐことが無くなった。さっきは《賭け》だなんて言っていたが、実際は隅々まで神経を研ぎ澄まして傷口を塞いだんだろう。慣れではなく、鍛練だ。

夏希は雪音の上着から彼女のスマートフォンを取り出すと、メッセージアプリを起動した。

(…!! この子、確か《碧》の…)

夏希は「碧柳黒乃」と記されたトーク画面を開き、通話ボタンを押した。何故かプロフィール画像は設定されていない。

発信から応答まで、さほど時間は掛からなかった。

『もしもし!! 雪音、今どこ!!?』

開幕、動転気味の少女の声が聞こえた。幼い雰囲気だが、凛々しさも同時に感じる特徴的な声色だ。

「…助けて」

『え?』

夏希は質問には答えず、率直に今の願望を伝えた。

『あの、もしかして…橙本夏希…さん…ですか?』

テレビかラジオで聞いた声色で判断したのだろう。一瞬回答に迷ったが、

「…そー…だよ」

夏希は認めた。彼女の声の奥でどよめきじみた音が聞こえる。MEIの本部、とやらにでもいるのだろうか。

『な…何で夏希さんが…ゆ、雪音は?』

「…昨日の港」

『え?』

「昨日…あなたたちが…船に乗った港の…埠頭に…いるから、救命道具持って…急いで…」

ここの詳しい住所を夏希が知るはずもなかった。激痛が迸る腹部を抑えながら、夏希は手短に言葉を済ませようとした。何故救命道具が必要か説明しようかとも思ったが、一刻を争う事態だ。割愛せざるを得ない。

『そこに2人がいるんですか…?』

「…そうだよ…。だから急いでっ…!!!」

『は、はい!!!』

通話は向こうから切られた。

夏希は苦しげな雪音の顔を見つめた。薄氷のように冷たくなった柔肌、静寂の内に閉じられた目と《眼》---死んでいるのではと錯覚するような表情だ。

(あと少し…だから…!!!)

夏希は雪音の冷えた両手を強く握ると、黒乃たちの到着を必死に願った。






***






国道13番線。

「先輩!! なるべく急いで」

「分かってる」

私は翠先輩の運転する軽自動車に乗せられ、昨日の埠頭へ向かっていた。

「課長の車借りてんだ、事故ったら…」

「そ…そうですね」

「全く…リーダーはこんな忙しい時にどこ歩いてんだ」

翠先輩がハンドルを右に回すと、車は長い海沿いの道へと入った。

「しかし…橙本夏希」

さっき、私が夏希と通話をしていた時の、どよめき。あれは、相手がアイドル歌手であることに対する驚きではない。

---橙本夏希が7色目、即ち《オレンジ》の所有者である可能性の浮上に対する懐疑だ。

「まさか…本当に?」

「そういえば雪音、昨日オレンジの話をした時…何かに気付いたような反応してました」

あの時雪音は、薄々気付いてたのだろうか。仕事仲間である夏希が《異能力者》であることに。

「…とにかく、この呼び出しは彼女による罠の可能性もある。気を引き締めろ」

「…はい」

私は先輩の警告に小さく頷いた。




やがて、小さなコンテナ群が車窓から垣間見えた。先輩はその側に車を停止させると、すぐに扉を開けて降車。私も後に続く。

コンテナの迷路に入ると、そこは不気味なほど静かだった。聞こえるのは、さざ波の音だけ。赤、青、緑など様々な色のコンテナが私たちの左右の視界を遮っていた。

(…不意打ちされたらどうしよう)

私がそう思いながら、細い迷路を抜けた時だった。

「!!!」

視界の開けた場所。二人の少女が血塗れになって、冷たいコンクリートの上に俯せになっていた。どちらも特徴的な髪色だ。

「雪音…夏希さんっ…!!」

私は急いで二人の元に駆け寄る。後ろから翠先輩も付いてきた。

「うわ…こりゃ酷いな…」

先輩は雪音の腹部を診た。小さな臍の左側に大きく焼けただれた火傷跡がある。そして、夏希の右手には赤いライター。

「ま、まさか…焼いて塞いだ…!!?」

「粗雑極まりねーな…けど応急措置としては十分だ。橙本の方は氷漬けにされてやがる」

翠先輩は手提げの救急セットを出すと、雪音の治療を開始した。最も、このセットでは殆ど役立たなさそうだが。

「雪音…ねえ、雪音、起きて!!!」

私はひたすら雪音に呼び掛けた。だが返事はない。

「大丈夫だ…かなり危ない状態だが、生きてる」

「でも…!!」

私は怖いんだ。自分のせいで、これ以上仲間を失うのが。昨日の客船での悪夢がフラッシュバックする。

その時。

「…あなたが…黒乃ちゃん…」

「!!!」

雪音と向かい合って倒れていた夏希が、細い目を開いた。テレビで何度も聞いた可愛らしい声も、今は激しい呼吸音にかき消されてしまっている。

「夏希さん!!!」

「さん付けはいいよ…むず痒いし…それより雪音は?」

「…意識は…戻ってないです」

「…そうか」

夏希は私から視線を逸らした。その時。





「---あんた、《インビジブル》の一員か?」





雪音の治療をしていた翠先輩が直球で問い掛けた。夏希の顔がひきつる。

「ちょ…先輩、いきなりそれは…!!」

「…そーだよ」

「え?」

「…どうせ…雪音が…救われれば…分かることだし…」

夏希はあっさりと肯定した。僅かながらそうではない可能性を信じていた私は、思わず閉口した。

「…刺したのも?」

「それは違う」

「じゃ誰が」

慌てる夏希に、翠先輩は問い掛けた。

「---茶岳漆」

「…!! 漆って…黒乃が言ってた」

そう。タワーでの事件の時、乙葉が思わず漏らした組織のリーダーだ。

私は立ち上がった。

「夏希さん」

「さん付けは要らないって」





「---夏希、その人のいる場所を教えて」





「!!」

夏希と翠先輩は同時に目を見開いた。

「お前、何言って…」

「…渋谷駅徒歩8分、渋谷防災機能開発ビル。今は廃ビルだよ」

「能力は?」

「《末刻眼》…視界内の物体及び生物に流れる時を停止させる」

「お…おい」

先輩は口を挟もうとするが、私は気にせず続ける。

「武器は?」

「剣も拳銃も使う。あなた一人じゃ倒せない」

「…ありがとう。それだけ情報があれば充分」

私は自身を急かすように、その場を立ち去ろうとした。

「待てよ…」

後ろで翠先輩が低く唸ったのが聞こえた。

「先輩は2人を本部に連れて治療をお願いします。私は最後の戦いに行きます」

「待てよ!!!」

今度は叫び声だった。私はゆっくり振り向く。

「無理だ!!! お前一人じゃ負けるのは必至だ!!!」

「勝てる、勝てないの問題じゃないんです」

私の頬に、一筋の汗が垂れて行く。

「負けたら《血》を採られるんだぞ!! 6つ目の門…雪音の《血》はもう破られている!! お前は世界に破滅をもたらす最後の鍵なんだ!!」

「そんなことは分かってます!!!!」

私は叫び返した。心が、はち切れそうだ。




「雪音を…こんな目に遭わせた人が…赦せないんです!!!」




「…」

夏希は、穏やかな顔で私の感情吐露に静かに耳を傾けていた。対して、翠先輩は治療の手を止め、獲物を食した後の白虎に似た目力でこちらを強く睨む。

「和樹も…理くんも酷い怪我負って、白神先輩も殺されて…もう我慢の限界なんです」

「だからって…!!」

「これ以上誰も傷つけない…だから私が、終焉(おわ)らせる」

私は病的なまでに漆の殺害に固執していた。勝てないのは自明だ。でも、怒りの矛先を彼に向けることに、私は意義があると思った。この思考は狂ってる。

「…これが最期になったら、ごめんなさい」

私は吐き捨てるように呟くと、コンテナの迷路の中へと姿を消した。溢れそうな涙を拭いて。






***






埠頭には、3人残った。翠と、夏希と、雪音。

「…なぁ、あんた」

「…私?」

「何であんなこと言ったんだ」

翠は、夏希に訊いた。瞳を静かに怒らせながら。

夏希は言った。「あなた一人じゃ倒せない」と。それならば何故、漆の場所や《眼》を教える必要があったのか。あなたじゃ勝てないから教えない、教えたら行ってしまうのだろう、で済む話だ。にも拘わらず、黒乃を殺し合いへと誘導した夏希に、翠は怒っていた。理解を示せなかった。

だが夏希は、予想外の返事をした。

「…言ったじゃん、『あなた一人じゃ倒せない』…って」

「は?」

「お姉さんも…言ってたじゃん、『お前一人じゃ負ける』って」

「…!!」

「彼女は本気で漆を殺す気だよ…でも、絶対勝てない。()()ならね」

「お前は…」

この少女は、何者なんだ。我々よりずっと黒乃のことを分かっているんじゃないか---翠は、そんな錯覚さえ覚えた。




「…一緒に、闘おう」





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