#35「Heartless friend」
---思えば、あの時からだ。
「---君ら、アイドルやらない?」
それは余りに突然で、僕らは立ち止まった。
僕は隣の同級生---橙本夏希に視線を移す。オレンジ色の髪に、白のオフショルダー。乱雑な文字で「NO MUSIC NO LIFE」とペイントされたそれは、今時の若い女の子を象徴するものだった。
そんな彼女は恐れ多くも、その男にこんな言葉を返した。
「…新手のナンパ?」
彼は芸能プロデューサーだった。見た目チャラチャラしていて、髪もボサボサ。一応スーツ姿ではあるが、そのネクタイは最後まで締まりきっておらず、不恰好そのものだった。下手したら僕ら高校生と同年代に見間違われそうだ。
だが、彼から手渡された名刺を見ると、かの有名な企業の名が。
「「え…MaE事務所!!!?」」
僕と夏希は同時に声を上げた。
MaE事務所。数多の著名な歌手を輩出している大手企業。男はにこにこと笑う。
(…)
そんな所でドヤ顔決められても、誰がアイドルなんか…。
「やります」
「え?」
僕が断る前に、夏希の良い返事が割り込んだ。
「な…夏希!!? 決断の早さは称賛に値するが…流石に」
「なーに言ってるの、あのMaEだよ? 今逃したら一生来ないスカウトよ」
「それはそうだが…」
僕が戸惑っていると、
「君可愛いね」
「は!!? 僕が?」
男から思いがけない言葉が飛来した。と言うか、最早一種の攻撃だった。
「向いてるよ君、名前は?」
「み…水樹雪音だけど…」
「へえー、可愛い名前だね」
「…本当に思ってる?」
ちょっとうんざりした。そして少なからず、隣にいる夏希も僕ばかりを誉めて苛々しているようだ。
「一人称は僕、ちょっとイタイ感じの語感、こんな歌手が居たら絶対売れると思うんだけとなぁ」
「はぁ…取り敢えず名刺は頂くよ」
「ははっ、じゃあ気が向いたら電話してね」
そう言って挑発口調の男は事務所の資料を2人に手渡すと、早々に立ち去って行った。
その後結局、2人は芸能界デビューを果たした。
夏希の言葉に圧されたのだ。彼女はあの後僕をべた褒めしまくり、雪音がデビューしないなら私もしないと謎の交渉材料を持ち出して、僕をその気にさせた。させられた。
僕のプロデューサーは、渋谷で勧誘活動を行っていたあの男だった。最初はあまり気が向かなかったが、付き合っている内に彼の手腕を思い知らされたものだ。仕事はしっかり取って来るし、事務所の彼の机もきちんと整理整頓されており、上司からの信頼も厚いようだった。プロデュース活動の面では、MaE事務所内でも稀に見る優秀さだ、と部長は仰っていた。彼は「いやいや、雪音が優秀なだけだってー」なんて陽気な事を言っていたが、それだけでは無いことは誰が見ても明らかだった。強いて言うなら馴れ馴れしいのが欠点だが。
一方、夏希のプロデューサーは別のプロデューサーが就いた。彼は比較的平均的なプロデューサーだった。インテリ系黒縁眼鏡を掛けていて、僕が見る限りは自分のよりよっぽど有能そうだったが、中身は普通だった。僕が見ても、夏希が見ても、内面を取ると彼はとても普遍的なプロデューサーだったのだ。仕事はしっかりできるし、別に無能では無い。
---無能では無いが、劣っていた。
その一般的すぎる振る舞いが夏希には癪だったのだ。
「私もあのプロデューサーが良かったなぁー」
夏希は時々口にしていた。思えばあれは、本気の愚痴だったのかも知れない。
夏希は悪くない。彼女のプロデューサーだって悪くない。
---悪いのは全部、僕だ。僕みたいな虐められっ娘が調子に乗って芸能界デビューをしたから、この軋轢が生じた。
話を移そう。今度は、当時の中学生活の話だ。
あのスカウトされた日、僕と夏希が渋谷を歩いていたのは遊び目的だ。だが普通、親交旺盛な女子中学生が渋谷まで遊びに行くのに、たった2人で行動するだろうか。
その理由は簡単---僕には、夏希しか友達が居なかったからだ。
僕と夏希が所属するクラスは3年3組。人数は20人とあまり多くないが、その分クラスの団結力は強かった。
---虐めの団結力も。
皆の標的は僕だった。最初は中二を振る舞っていた僕を奇妙な奴だと噂立て、次は直球で「キモい」と罵声を浴びせられ、最近は無視という新しい技を覚えた。
僕が中二病キャラを演じているのはその名の通り、中二からだ。当時はまだ眼帯はして居なかったが、言動にはしっかりとそれが反映されていた。邪気眼系ではなかった。演じている理由も単純で、カッコいいと思ったからだ。別段、特殊な理由も存在しない。
強いて言うなれば、他人と少しでも違う自分で在りたかった---或いは、湾曲の無いこの世界線に退屈さを感じたから、だろうか。当時の僕がこんなことを考えていたかは微妙だし、MEIに入ってから、客観的に見てそうじゃないかと思った---ただそれだけの事実だ。詳しい説明は不要だし、したくもない。
だが、そんな僕にも理解を示してくれる者が居た。それが、橙本夏希だ。
彼女とは最終的に、中学校3年間同じクラスを辿った。確か1年生の頃は1組、2年生の頃は2組だった。1年時のクラスの友達の多くとは運悪く分かれて---それが虐めの起因になってしまったのかも知れない。一度仲良くなった者と対立立場を取るのは意外と難しいものだ。
夏希もそうだった。僕を虐める奴等は、夏希が側に居る時は何もしなかった。彼等は暴力は振るって来ないので夏希はそれ以上のことはしなかったし、ある意味守護神的存在として夏希に側に居て貰った。正義の味方と言うには少し大袈裟だが、僕の唯一の友達と言えるのは確かだった。
---それが、続いてくれていれば良かったのに。
事件は12月に起こった。
「---ねえ、もう止めにしない?」
夏希は、変貌してしまった。
変化は確かに段階的だった。僕のプロデューサーが渋谷に現れてから少しずつ、夏希は妬みを重ねていた。芸能活動での差が大きく開いていたのだ。秋に入った辺りから、夏希は僕を避け始めた。誰も悪くなかった。ここまでは、とても自然な成り行きで、夏希が失敗したとか、そんな理由も存在しなかった。
夏希は放課後、僕を教室に呼んだ。2人きりの密会。
「何だい」
扉を開けて入ると、窓際、前から2番目の机上に彼女は座っていた。もうすぐ夕日が沈む頃で、外の光と夏希のオレンジ色の髪が綺麗に混ざり合っていた。
「…雪音、この後仕事だよね」
「そうだね」
「偉いよね」
「え?」
僕は夏希の言いぶりに疑念を呈した。
「私なんかに呼ばれて、でもその約束はちゃんと守る---私みたいに全然暇じゃない癖に」
「暇じゃないって---それは僕も君も同一だろ…」
「その喋り方ウザい」
「え…?」
意表を突かれた僕は持っていたバッグを落とした。
「いつも皆から変だって言われて…何で直そうとしないの?」
「な…何でって」
「それで言われると今度は私に縋って逃げて…何で私なの?別に私の所来なくたって言い返せばいいだけじゃん?」
「だって夏希は僕の…」
「その一人称がウザいって言ってるの!!!」
夏希は机を叩いて叫んだ。思わず怯む。
「私が何したって言うの…私は昔からツイてない…私は雪音と同じようにやってきたのに、どうしてこんなにも差があるの!!中二病じゃないから!?」
「やめてくれ…」
---1回。
「渋谷のプロデューサーも、ホントは雪音見てスカウト決めたんでしょ…《君達》なんて言ってたけど、《君》の間違いでしょ!!分かってるよ…片方だけスカウトするのは何だか可哀想だからって思って、ついでに誘っただけだよ!!」
「やめて、それ以上は…」
---2回。
「私はどこで間違えたの?私はいつから間違ってたの?そもそも私は間違ってるの?ねぇ…教えてよ…成功した雪音なら分かるでしょ!!一体あなたはどんな手を使って---」
「やめて!!!!」
僕が3回目、叫んだその瞬間。
---やっぱり、《第三者》に支配された気分になった。
(…!?)
突如、右目が酷い痙攣を起こした。
咄嗟に危険を察知して、僕は右手で押さえる。
「---っ!!」
吐き気が襲う。強烈な寒気も。息が、荒れる。
僕は崩れそうな体を側の机で支えた。目眩なんてレベルじゃない。気絶寸前だ。
「雪音、何して---」
目の前で夏希が言っていた。答える余裕も無い。苦しい。
そして、それもまた突然だった。
パリン、と硝子が割れる音が教室中に響いた。すると、すっと吐き気は消えてしまった。
だが、寒気は残っていた。気温的な寒さである。
「---あんた、何したの…?」
さっきとはまた、あからさまに違う怯えた夏希の声色に、雪音は目を押さえていた手を外して、ゆっくりと顔を上げた。
「…え?」
そして、それを認識するのには数秒を要した。
金魚鉢が、割れていた。
夏希の後ろの棚に置かれていたものだ。落ちたのではなく、その場で狙撃されたかのように割れたのだ。
驚くべき事は更に一つ。
零れた水が、球状に凍っていたのだ。
「…何…今の…」
僕は紡げた言葉は、それだけだった。さっきまでそこに置かれていたはずの金魚鉢が割れて、その中に入っていた水が一瞬にして凍結した。しかも飛び散る直前の、金魚鉢の球型に。理由のつかない箇所が幾つもあった。
---金魚は、中で凍死していた。
クラスで飼っている金魚だ。係が毎日水を取り替え、餌をやり、大切に世話をしてきた、クラスの大事な金魚だ。名前はハッピー。
(それを僕はたった今、殺したのか…?)
多分、僕が殺したんだ。状況を把握しようとすればするほど、その実感は迫真性を増した。自分は殺してないという思いは、諦観せざるを得なかった。
「ちょっと…」
漸く落ち着きを取り戻した夏希は言った。
「雪音…その《眼》」
「目?」
指摘されて、僕は窓硝子を見た。反射した自分の顔を見る。
「…《水色》?」
訳が分からなかった。いつも黒いはずの右目が、瞳孔を水色に染めている。
その時。
「…ふふっ」
夏希は微笑を浮かべた。
「え…?」
「面白い…面白過ぎて笑えてくる」
「…君は…理由を知ってるのか?」
「知ってる…というか…概念だね、私が仕掛けたんじゃないけど」
「概念…だと?」
僕がそう言うと、夏希は再び笑って、告げた。
---それ、《異能力眼》だよ。
***
一通り思い返した雪音は、後ろの相棒に尋ねる。
「蔑むかい?」
「…何を?」
「僕が《異能力者》だと知って、君は僕を蔑むかい?」
「んなわけ」
プロデューサーはあっさり答えた。
「さっきも言った、俺はお前がどんなお前であろうと、お前のプロデューサーだ」
「…ありがとう。嬉しい…素直に…嬉しいよ」
雪音は、思わず《眼》から涙を流していた。こんなに大切にされて来たんだって、今更ながら実感したから。
「何だ、泣いてるのか?見せてくれよ」
「み…見せないよ…そもそも《眼》の特異性故、君の顔を見ることは不可能なんだ」
「そうか、そりゃ残念」
後ろで彼の小さな笑い声がした。
自分の中で凍っていたものが、融かされていくようだった。今まで雪音は自分の本性を晒すのを怖れていたけど、彼はこんな自分でも認めてくれた。ボートに搭乗している他の2人が自分にどんな視線を向けているかは知らない。きっと、侮蔑の類だろうけど、もう構わない。
雪音は更に続けた。
「…船内に、仲間が居るんだ。戻っていいかい?」
「仲間?雪音の招待した客か?」
「ああ」
雪音の最も信頼する男は、暫し長考した。そして返す。
「…分かった。但し、一つ条件がある」
「何だい」
「---死ぬな。絶対に」
彼はただ、簡潔に述べた。
死ぬな、と。
雪音は思わずポカンとしてしまった。
「…ははっ…それでカッコつけたつもりかい?」
「む…雪音に言われたくはないな」
「それもそうか」
雪音はボートから身を乗り出して、海の氷を踏みつける。
そして《片眼》を瞑って振り返ると、こう返した。
「---勿論さ。必ず還る」
---ちょっとだけ、涙を見られた。
プロデューサーからは、氷の光が反射して、キラキラとはっきり見えてしまっただろう。
雪音の、滝のような涙を。
もう、受け入れた。私の呪われた存在の意味を。
雪音は、走り出した。
自らの《眼》で生み出した、沈没船への凍結回廊を。




