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DiAL  作者:
第6章「開眼」
32/48

#31「The most dangerous eye」

「…今日は、来場に感謝する」

舞台の上では、雪音が澄ました声で話していた。

「…僕がこんな社会的な催し物に招待されるのは、聊か場違いな気もするが…僕の世界線がここでも通用する事を、この舞台で証明したい」

雪音が流暢に中二病っぷりを魅せると、パーティー席からは歓声が上がった。

「はは…今日も呂律の調子が良い事…」

客席の中で、白神は苦笑する。

今日の雪音は、より一層《水樹雪音》らしかった。歌手として、アイドルとして相応しい顔立ちだ。生き生きとしていて、そして、何よりも彼女自身がこの舞台を楽しんでいる。インビジブルの奴らがこの場に潜んでいるのかも知れないのに、そんなのをものともせず、堂々とした表情、衣装、中二言語っぷりだ。これが国民を代表する、イタいアイドル歌手なのも頷ける。

すると、横からグラスを片手にした瑠璃波が寄って来た。いつもと違う服装で、こちらもいつもの彼女とは一味違う感じだ。酒は苦手なようで、グラスの中にはグレープフルーツジュースが入っていた。

「ねえ、聡…。黒乃ちゃん、遅くない?」

「そうだな…もうすぐ歌始まるのに」

そういえばすっかり忘れていた。紺堂リーダーを担いで個室まで運びに行ったはずの黒乃が、もう15分近くも戻って来ていない。雪音を除いた4人で男女に分かれて予約した2つの部屋は隣り合っていて、どちらもこのフロアにあるから迷う事は無いはずだ。

「…ちょっと私、探して来る」

そう言って、瑠璃波がその場を離れようとした時だった。

「すみません、白神聡様ですか」

「うわっ、えっ…あっ、はい」

突然、後ろから女性のウェイターが話しかけてきた。右手には名簿を抱えている。

「外でお知り合い様がお呼びです」

「あっ、そうですか…」

「黒乃ちゃんかな…?」

瑠璃波が言葉を挟むと、白神は小さく頷いた。

「多分そうだろうね…お知り合い様なんてあの子とリーダーぐらいしか居ないよ、この船内には」

白神は水の入ったグラスをコルクのコースター置くと、出口に向かった。大広間の後ろの方に居たので、そう時間は掛からなかった。

扉を開けると、そこに立っていたのは---





「こんにちは」





茶髪の男だった。顔もよく知っている。

名前は、茶岳漆。《人類疎外論》を唱える哲学者。前に黒乃とテレビを観ていた時に彼女に説明したような気がする。

「あ…えーと…」

白神は一瞬どう言うか迷った。ニュースで見る限り、自分としては彼の印象はあまり良くない、というのが白神の思っているところだった。

それに、自分とこの人は一体どこで知り合ったのか、というのが最大のポイントだ。全くもって、覚えていないのだ。下手に思い出したような演技をしてもすぐバレるだろうし、ここは素直に分からないと言った方が得策だろうか。

そう思ったか白神だったが、

「はは…ウェイターに知り合いと言ったのはこちらの都合でね…知らなくて当然だよ」

本当に赤の他人だった。

彼がこの船上パーティに呼ばれていること自体は、別段特別なことではないだろう。他にもテレビで見かける人物なら他にも多少はいるだろう。雪音が招待とした、というよりは社交辞令的に会社側が呼んだのかも知れない。

「あはは…なーんだ、それで、哲学界の新星が僕に何か御用でしょうか?」

白神はそんな風に笑い飛ばす。生憎、こういう社交的な挨拶は慣れてなくて、少しアイロニーな感じが漏れてしまったが。


---だが、彼の次の言葉に、白神は度肝を抜かれた。







「よくも---黄村くんを殺ってくれたね」







「…え?」

---悪夢が始まった。

白神は確かにこの男と知り合いではなかった。

だが、聞き覚えのある名前が呼ばれた。

昨日、和樹がアザータワーの地下室で始末した、黄村昴。

「初めまして、白神聡---」

そう呼ばれて、今更のようにこの男の恐ろしさを知った。

途徹もない魔力が彼の目---いや、《眼》から溢れ出ていた。《左》なので色は付いていないが、殺人的能力を持つ雪音でさえ、ここまでの瘴気はない。もっと大きなものを司る《眼》のように感じる。

とにかく、これだけは間違いない。

哲学者・茶岳漆の正体は---《異能力者》だ。

「…っ!!」

「む、逃げるのか」

白神は戦慄して、逃げ出した。こんなのに敵う訳が無い。足を後ろに踏み出して、走る。一生懸命に。

漆は何故か追い掛けて来ない。ちらっと後ろを見るが、もう20mは離れている。

だが、廊下を曲がろうとしたその瞬間。




「遅い」

「…っ!!!?」

そんな馬鹿な。もう追い付かれたのか。

(この距離を、1秒で…!!?)

その上、()()()()()ナイフが背中側から腹部に刺さっていた。白いシャツに、赤い液体がじわりと染み渡って行く。

「はっ…や…」

異常だ。あまりにも速すぎる。

「別室で続きと行こうか」

「なっ…」

無理だ。既にこっちは大量に鮮血を噴出しているのに、これ以上殺り合ったら確実に殺される。

だがそう思っても、足が言う事を聞かない。


そして意識が朦朧とする---






***


 




船内のとある一室。

「…ん」

私は、ベッドの上で目覚めた。瞬間、

「…っ…痛たた…!!!」

左腕に猛烈な激痛が迸る。擦りむいただとか、捻挫とか、そんなレベルではない。私は首を傾けて、自分の腕を確認した。

「…何これ…」

それを見て、悪寒が走った。




「…き…()()()()()!!?」




左腕に、一筋の巨大な切り傷が出来ていた。切断はされていないが、約5cmに渡る肌の切れ目がそこにはあった。内皮部分の肉塊がちらっと覗いて、私は体がぞっとした。

「うっ…」

自分の腕だが、気持ち悪かった。赤黒い鮮血は固まり始めているが、まだ少し腕の筋を通って垂れていく。私が寝ていた白いシーツは、腕から円状に真っ赤に染色されていた。グロにはある程度耐性はあるが、まさか自分がされる側になるとは思わず、流石に吐き気がした。

そして、腕を切られた理由はただ一つ。




「《血》が…盗られた」




そう思った途端、体が酷く震える。遂に、私が《奪命眼》の材料にされる時が来てしまったのか。

(…と…取り敢えず、応急処置だけでもしなきゃ…)

私は出血部分を押さえながら、ベッドから降りた。

恐らく、私をこの部屋に連れて来たのは乙葉だ。私を眠らせた後、私の腕を切って《血》を回収した---それでほぼ間違い無い。

そこで、私は気付いた。

(…じゃあ次は…雪音が…!!!)

まずい。そう思って、私は部屋のドアへと駆け出した。そしてドアノブに手を掛けて---

---だが、開かなかった。

「なっ…まさか、閉じ込められた!!?」

この客船の個人室は、全てICカードによるスキャンによって行われる。部屋に入るのは勿論、部屋から出る時にも、この金属製のカード差込口に専用のカードを挿入しなければならない。そしてその専用カードはマスターキーを除けば、1枚のみ。

今、この部屋には私一人。つまり乙葉が自分のICカードを使って部屋から出たとすれば、今、この部屋は完全な密室。まずい状況だ。

「どうしよう…あっ」

すると、私は思い出したように部屋の方へ戻った。

「確かテレビの横に受話器が…」

私がさっき紺堂リーダーを部屋に運んだ時には設置されていた。恐らく部屋の構造はどの部屋も同じ筈だ。

私は受話器を持ち上げた。だが、

「…電話線が切られてる…」

希望は呆気無く潰える。私は受話器を元の場所に戻した。

窓の外を確認する。各部屋には一つずつ、テレビと同じくらいのサイズの窓がある。開閉は自由だが、外にあるのは海だけ。乗り出して上下左右を確認してみたが、梯子や他に掴まれそうな物は存在しなかった。

「どうしよう…」

またしても、同じ言葉を繰り返す。私は雪音を助ける為に、思考を繰り返す。

玄関は開かない。窓からの脱出も不可能。電話線は切断されている。残る手段は---

「…換気口は!!?」

私はバスルームへ向かった。スライド式のドアで、入口はかなり狭かった。湯船は無く、壁にシャワーが備え付けられているだけのシンプルなデザインだ。シャンプーの類はプラスチック製の白い棚の上に置いてある。壁には船の名前が印字されたタオルが掛けられていた。

天井には、換気口があった。ここから外に出られそうだ。希望はある。

だが、障害が一つだけあった。

「ん…んんっ…」

手が届かないのだ。

私の身長は152cm。一般の女子高校生とすれば平均並だが、実はMEIの中では一番小さい。まさかこんな所で身長の低さが仇になるとは。

天井の高さは3mよりやや高い程度だろうか。白神先輩とかならともかく、私ではジャンプしても届かない。

(何か…高台になるものを…)

そう思って私は部屋に戻る。だが、高台になりそうなものはあっても、バスルームに入りそうな物は無かった。

というのも、先程述べたように、このバスルームは入口が極端に狭い。所謂折り畳み式の扉なので、その束が入口を大きく占めているのだ。バスルーム自体も恐らく一人で使う時しか考えていないのだろう、余り広くない。所詮、客船に取り付けられた仮設のシャワールームだから、そういう構造になっているのだろう。

私はバスルームの中を改めて見回した。あるのはシャワーと、シャンプー類と、タオル1枚。洗面台やトイレは別にあるし、お風呂は大浴場が1階にあったので、バスルームの中はかなり簡素に作られている。ここにも高台になりそうな物は無い。

「あと一歩なのに…」

私は唇を噛む。きっと換気口の(ねじ)は持ち合わせの10円玉でも使えば開けられる。どうにかして上に手が届けば---

(…あ)

あった。目の前に、答えが。

(…でも…上手く行くかな)

解決法は思い付いた。時間は掛かるし、真冬にこんな事はしたくないが…。

「…迷ってる場合じゃない!!!」

私は側のタオルを取ると、左腕の傷口にきつく巻き付けた。出血をこれ以上進めるわけにはいかない。

「…翠先輩…ごめんなさい!!」

ドレスを貸してくれた彼女の名を叫んで謝ると、私はシャワーの栓を()()にした。



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