#30「Boarding」
「着いたぁー!!」
「はぁ…疲れた…」
私と白神先輩、瑠璃波先輩はタクシードライバーに挨拶をすると、車の外に出て地を踏んだ。視界の先には青い海が広がり、至る所で白い鳥が鳴いている。
ここは、とある港だ。都内なので、面しているこの海は勿論東京湾。海の所々に埋め立て地が点在する、綺麗とは言えない程度の水質の海だ。
「おっ、この船かな? でかいねー」
私達が見つけたのは、沢山の纜で繋がれている大型客船。白を基調としていて、荘厳な雰囲気が溢れ出ている。既にタラップが掛けられていて、主催者側の係員が入口で入場客を仕切っているようだ。
すると、後ろから声が掛かった。
「白神くん」
「ん? あ、リーダー…って…え!!?」
私たちが振り返ると、そこにはスーツ姿のリーダーが居た。だが、
「何でゴルフバッグ持ってるんですか!!?」
リーダーの背中には黒いゴルフバッグが背負われていた。アクセサリーに紺色の魚のストラップが付いているが、その他には何の飾り気も無い、つまらないゴルフバッグだ。
課長は頭を掻きながら言った。
「いやー、本当は今日軽井沢の山々に囲まれたゴルフ場で楽しむ予定だったんだが…警視庁の元同僚とね」
「そ…そうだったんですか」
「それは迷惑をかけた」
すると、再び別の人物が私たちの後ろから現れる。
「あ、雪音!!」
先に出発していた雪音が来てくれた。衣装は既に準備済みのようだ。
「構わんよ水樹君、部下の危機とあれば」
「…感謝する」
珍しく、素直な言葉を口にする雪音。照れているのだろうか。
「…しかし、その衣装…なかなか凝ってるね…」
白神先輩は雪音の舞台衣装を上から下まで見回す。
全体的に星をイメージした衣装のようだ。オフショルダーで、正中線を対称軸に白い糸が胸の前で何重にも交差している。それで着ている紺と青の衣装を固定しているのだろう。銀色の光がチラチラと光り、見ていてとても神々しい。下は前側が途中から開けた、踵まである単純なスカートのようだが、その裏地にも星雲の模様が施されている。
「今回は歌手ではなくアイドルとして呼ばれたのさ…」
雪音は笑う。いつもに比べて、リラックスしている様子だ。新しい衣装が余程気に入ったのだろう。
「それにしても…」
「ん?」
「君の衣装…ちょっと露出が過ぎないか?」
「激しく同意」
私が着ていたのは、翠先輩から貸してもらった例の黒いドレスだ。雪音みたいに飾っていないが、ある程度の体裁は保っている。
「背中開き過ぎじゃないか?」
「あ…あんまり見ないで下さい」
白神先輩が一歩下がって私の背中を見る。
翠先輩にドレスを見せて貰った時は正面からの写真だけだったので分からなかったが、このドレス、背中の露出がかなり広いのだ。少なくとも肩甲骨は誰が見ても確認できるぐらいには。
「あ、でも、刀はスカートの中に隠してます」
「刀って…僕が腐女子から貰ったアレ?」
「そのエピソードは掘り起こさないで…」
この刀に名は無い。私がMEIに加入してすぐの頃、白神先輩が譲ると言って私にくれたあの日本刀だ。実は褐間に拉致された時や、アザータワーでの事件の時も携帯はしていた。だが使う場面は無かった。
---否、使う勇気が無かった、か。
私は柄の部分だけ、服の外に出した。流石にここで刀を抜くわけにはいかないが。
「腰の部分で固定しているのか…随分と用心だね」
「はい…自分の身は自分で守りたいので…それと雪音も」
「黒乃…」
私は柄を再びドレス内部へとしまった。
彼らが来るかは不確かだ。でも、最低限自分でき来ることは自分で処理したかった。白神先輩や瑠璃波先輩、紺堂リーダーに危害が及ばないように。
「よし、では行こうか」
「はい!!」
私たちは快活な返事をすると、客船の入口へと向かった。
***
---そして、その様子を遠くから眺めていた人物が2人。
「…神は我々に味方しているようだな」
「…」
スーツ姿の男---漆は、隣に立つ紫髪少女---榛葉紫乙葉に語り掛ける。
「本来は《水色》だけの回収のつもりだったが、まさか《碧》が来ているとはな…昨日の事件を忘れてるのか?」
「…かも…知れません…ね」
乙葉がそう言うと、漆は「そんな真面目に返さなくていいんだぞ」と緊張を解して来た。
「作戦変更だ。両方の《血》を採る。これが、私が裏ルートで入手したパーティーチケットだ」
「…分かりました」
乙葉はチケットを承けとり、憮然として頷く。
「血の方は任せる。私の《眼》が必要になれば言ってくれていいが、私は別にやりたいことがある」
「…それは、何ですか?」
乙葉は尋ねると、漆は今までにない闇の顔を垣間見せる。
いつも無表情の乙葉でさえ、顔をひきつらせる程に。
「---復讐だよ」
***
「ぷはぁー!!! やはり酒はウォッカに限るな!!!」
「…」
客船1F、パーティー会場。
リーダーは---飲んでいた。
「…紺堂リーダー、私たちを守るんじゃなかったんですか…」
「守る守る!!! ちゃーんとワルサーppkも1丁あるから!!! あ、お姉さん、もう一丁!!!」
「…」
ダメだこの人。
「…こんな酒に弱かったとは…」
「ちょっと、ちゃんと仕事して下さいよ!!!」
白神先輩と瑠璃波先輩もその事実を知らなかったようで、一生懸命に彼の体を支える。
「…私、部屋に連れて行きますよ」
「え…ツンデレちゃんには無理でしょ…リーダー重いよ? 僕が連れて行こうか?」
「大丈夫です」
私はきっぱりと答えた。
「こんな人でも、私や雪音を守る為にゴルフの予定をキャンセルして来てくれたから…ちゃんと、そこは敬意を込めないと…勿論、先輩お2方にも」
「ツンデレちゃん…。分かった、じゃあ頼んだよ」
白神は部屋のスキャンカードを手渡した。個人部屋のロックを制御する電子カードだ。
「はい」
黒乃は、リーダーを背負うとパーティーの人混みの中へと消えた。
二人は、その姿を見届ける。
「…成長したな。最初は僕らが守る側だったのに、何だか頼もしく感じるよ」
「…うん」
---当初はおどおどしていた。
和樹に突然拐われて。
同級生の国民的歌手が自分と《同種》で。
自身は分かりきった未来を生きるのに退屈していて。
生涯に於いて、この先世の中の変化を見ていくのも、醍醐味の一つだと思う。それは自分や友達、或いは国家が幸福か不幸かになるかは分からない。そうであっても、変化するということを恐れていては、それらの進歩や発展は望めないし、変化は典型的でないから楽しいのだ。本当ならば、面白みや夢が内側に存在する。
でも、彼女はそれさえも失っている。
自分の未来だけは分からないという短所は寧ろ、まだ得な事であったのかも知れない。
「優那」
「…何?」
「…事が解決したら、ツンデレちゃんに君の願いを叶えるって言おうと思う。元々《終末眼》を無くすっていう条件でMEIに引き入れたんだ…」
「…そうね、彼女が《眼》を使って戦うのは…きっと本来は間違っている」
瑠璃波先輩は、髪をかき上げる。ほんのりと、いい香りが漂った。
彼女の今日の香水は、クローバーの香りがする特注品だ。
***
「はぁぁぁ…重すぎでしょ…」
私は課長をベッドに寝かせると、部屋を見渡した。
狭いが、綺麗な部屋だと思った。木を基調としたデザインで、部屋の中心にある太い丸木が存在感を誇示する。テレビやベッドの他にも、小型のバスルームやトイレも各部屋に完備されているようで、十分ここでも暮らしていける。特に両親が居らず、幼い頃から狭いアパートに住む私にとっては、家より居心地が良い。
ちなみに部屋の構造はどの個室も同じタイプだ。乗船してすぐの時、私は自分の個室を見て来たのだが、この部屋とほぼ一致している。殆ど利用しないとは言え、バスルームが狭すぎではと私は気掛かりでいたのだが、それはどこも同じのようだ。
私は腕時計を確認した。
(…16時50分。そろそろ雪音のステージかな)
ここに居ても、ただ課長の鼾を聞くことになるだけだ。聞くなら、誰もが雪音の綺麗な歌声の方を迷わず選ぶだろう。
そう思って、部屋の外に出て施錠をした時だった。
「んっ!!!?」
突然、誰かに青紫のハンカチで口を押さえられた。
「やめっ…離し…」
突然だった。私はICカードを手から離し、必死に抵抗する。が、ハンカチに昏睡性の薬を染み込ませていたようで、思ったように力が入らない。
「このっ…やめ…!!!」
私は辛うじて後ろを振り向く。
責めて敵の面は覚えておかねば。
---そしてその顔を見て、戦慄した。
「…こんにちは…また…会ったね…」
「…!! 何で…乙葉…が…」
そこには、紫の髪を持つ、無表情な少女の姿が。
私は嘗ての同級生の名を呼ぶと、瞬く間に深い眠りへと落ちた。




