#29「Beginning of the last party」
「---あと3色か」
---男は、小さく呟く。
そのグラスに入る液体は、禍々しいほどに赤黒く、飲む気なんて到底起きなかった。ましてや人血なのだから。
「…」
男の隣に立つ銀髪の少女は、少し気味悪げにその硝子の杯を見ていた。
だが、こんなおまけ要素が付いていたら、彼女の意見も少しは揺らぐのではないだろうか。
---不老不死。
正確には少し異なる。他人の命を奪って、自らの寿命に還元する。まあでも、つまりは、不老不死と同義だ。
過程が違っていても、結果が同じであれば、細かい事は気にしない。それが男の信条だった。
---男は不老不死になりたくて、血を集めているのではない。
目的はその先に見据えている。
不老不死になって、この世の《終末》を見たいのだ。
人間が朽ちて。
生物全般が滅び。
最後は太陽の爆発に巻き込まれて、地球ごと終焉を迎える。
なんて美しい最期だ。何度考えても堪らない。
美とは、即ち無だ。
物質が存在するから、穢れる。
人間なんて、この世界の美徳を貶すシミと同じだ。その癖、数は多い。だから男が自らの手によってそれらを終わらせ、最後は自分自身も終焉を迎える。
男は、そんな大望を抱いていた。だが、その幻想も間もなく達成される。
「漆さん」
「…何だ」
漆と呼ばれたの領域に足を踏み入れたのは、紫髪の少女だった。扉がバタン、と閉まる。
「1色---手に入れました」
「よくやった」
少女---榛葉紫乙葉は、一つの小瓶を奉仕係の銀髪少女に渡す。彼女は、いつものゴスロリメイド服に身を包んでいた。
「…ですが…」
「どうした」
「…黄村さんが…殺され…ました」
「…そうか、しかし、この《血》の為に死んだのなら、即ち有終の美」
黄村が死んだのは意外な事ではなかった。彼らは民間警備組織としては有能であり、《血》の入手が容易ではないと知っていたから。多少の犠牲は覚悟していたつもりだ。
「---では、あと2色」
「…《碧》の碧柳黒乃と、《水色》の水樹雪音」
すると銀髪少女は、抱え持っていたノートパソコンを開いて机上に載せた。ディスプレイに表示されているのは、以前黄村の作成したウイルスソフトがMEIのパソコンから盗み出したメンバー表。
「しかし驚いたな…あの国民的アイドル・水樹雪音が《異能力眼》---それも、《奪命眼》の要素になる《色》を持っていたとは」
「…はい」
乙葉は、浮かない返事をした。
「彼女の《血》を略奪する時は、マスコミを騒ぎ立てない方法でやり給え。碧柳とか言う小娘は、殺さなければ好きな方法でやっていい」
漆は、基本的には殺人はさせないようにしているようであった。《血》を回収している段階でそれらを奪還されたりした際に対応する為だ。MEIのメンバーなら、盗まれた《血》を奪い返しに来ても不思議では無いと思っている。
(…碧柳…黒乃…)
乙葉は、画面の黒乃の写真をじっと見詰めた。
「…どうした」
「いえ…何でもない…です…」
何でもなくない。さっきの、アザータワーでの会話。
どうしても、頭から離れないのだ。
彼女と私は---どこかで出会っているのか?
彼女は2年前、と言った。今の私が18歳だから、高校が一緒だったと主張したかったのか?
今の私は高等学校なんて御大層な施設には通っていない。気が付いたら、浮浪者だった。渋谷の街で、終電が過ぎてもただただ一人で座っているだけの空虚な少女だ。
ある日声を掛けられて、君の《血》を提供してくれれば私が君の面倒を暫く見てあげよう、と漆さんが言ってくれて、その誘いに乗った。《虹色の血液》を集める手助けもしてくれれば大学に行く資金を出そうとも言った。
漆さんの願いは、簡素に言い表せば世界の破滅だ。破滅こそ、美だと唱えた。破滅したら大学に行けないじゃないか、と思った。でも、私にとってもうそんな事はどうでも良かった。私にとっては。
今の私は15歳以前の記憶が無い、元の人間から人間性だけが独り歩きして遁走した、ただの抜け殻だ。そんな自分に何の存在価値があるのかと、この2年間ずっと自問し続けていたが、返事はいつまで経っても返って来なかった。
自分が居ないと、誰か迷惑するのか。いや、しないだろう。血は既に採ってもらったし、自分が居なくなれば、寧ろ漆さんは私の世話をする必要も無くなる。
それならばいっそ、この人に尽くしたらどうだろうか。生きていても社会の末端---いや、最早社会枠外にタグ付けされる私は、もう手の施しようが無いのだ。ならば、責めて誰かの為に尽力して死にたい。漆さんと共に世界の破滅を見届け、人間社会というものの基盤の脆弱さを学び、そして自らも滅びる。
割と美しいかな、とも思った。自分には美術的センスの欠片も無いと思っていたが、この時ばかりは自分に拍手を送りたくなった。自分が社会の一員でないなら、その枠組みごと消滅すればよい。自己中心的と思われるかも知れないが、そもそも枠が消えるのだから、その概念は既に皆無になるのだ。
全てを、やり直す。いや、2度目はないのだから、完全なリセットと言うべきか。
銀髪少女は話題を切り替えるように、声を掛けた。
「例のパーティーは明日でしたよね」
「…そこで…《水色》を回収する手筈で…行くのは…」
「私と榛葉紫だ」
漆は乙葉を指差して言った。
「本当は他の二人にも来て貰いたかったんだが…。黄村は死んでしまったし、《彼女》はもうすぐ一大イベントがあるとかで行けないそうだ」
「分かりました。…私は…準備をしなくては…ならないので、これで…」
すると、乙葉は銀髪少女に向き合う。
「…先の戦いで…無能な《眼》を保存してしまって…凛さんの《眼》…保存したい…」
「構いませんよ」
「…では」
凛と呼ばれた銀髪少女は、乙葉の《着色眼》をじっと見る。一瞬《紫》に、そして凛の《異能力眼》の色である《銀》へと染まっていくのを観察していた。
「便利な《眼》ですね…《着色眼》」
「…いえ…あなたの《眼》には…及ばない…《相殺眼》の使い手・銀凛さん」
乙葉は謙遜するように言うと、長めの瞬きをした。
「---保存完了…」
乙葉は引き下がる。凛と漆は、彼女が部屋から出て行くのを見守った。
「---では、私も仕事があるので」
「おっと、待ちたまえ、一つ話さなきゃならない事がある」
「…?」
漆はそう言うと、凛が先程閉じたパソコンを開き直し、MEIのメンバー表をデスクトップに、表示した。
「実は今日のアザータワーでの作戦、任務の途中に息切れした黄村から電話が掛かって来たんだ。まさか遺言になるとは思わなかったが」
「…黄村さんは、どのように仰ったのですか」
画面には《奪命眼》の要素が集結したB班の表。上にスクロールするとそこには、大学生以上が集まっていると思われるA班の表。
そして、その一番上段に、彼の名前は記されていた。
「…彼はこう言ったよ---『白神聡は、MEIからのスパイだ』って」
***
アザータワーでの停電事件、そしてその翌日。
「僕はもう、《インビジブル》には出禁になった」
「「…は?」」
MEI本部の医療室。そこに集まっていたのは、私と白神先輩、雪音、瑠璃波先輩。更にベッドでは和樹が横になってその話を聞いていた。全身包帯だらけだ。
「ちょ…出禁って…!? 聡、何かしたの!?」
「同意見だね…僕らにも理解るように伝えてくれないと…それに、和樹は一体どうしたんだい?」
大学の勉強で忙しかった瑠璃波先輩と、今日開かれる船上パーティーへの準備でMEIにずっと来れていなかった雪音は、立て続けに白神先輩に詰め寄った。
白神先輩と私は、2人に昨日の出来事を説明した。
《光索眼》の黄村昴、《着色眼》の榛葉紫乙葉が私たちを襲撃しに来た事。
白神先輩がスパイである事が彼らにバレた事。
和樹の《血》が盗まれた事。
話を聞き終えた瑠璃波先輩と雪音は、暫く口をぽかんと開けていた。
「恐らく僕のスパイ情報は、先日の鴉のウイルスのせいだろう。うちのパソコンにはメンバー表のデータが入っていたからね」
白神先輩がそう言うと、ベッドの和樹は「うっ…」と声を上げた。引き摺っているのだろう。
「…となると、僕や黒乃が《奪命眼》の要素となる事は、彼らに露見しているという事か…じゃあ、あと3色集まったら…」
「2色だよ」
私は雪音の言葉に口を挟んだ。
「ん…3色だろう? 僕の《水色》と、黒乃の《碧》と、誰かさんが持っている《オレンジ》と…」
「その《オレンジ》がインビジブルの構成員である可能性が高いの」
私は思い出す。昨日、別れ際に言われた乙葉の言葉。
『あと2色』と。
「何だって…!? …じゃあ、まさか彼女が…」
「ん? どうした?」
「あ、いや…」
雪音が何か言い掛けた気がしたが、私たちの耳には届いていなかった。
「…取り敢えず、僕が出禁っていうのは、そういう事だ。雪音ちゃんは…どうする?」
「どうする…とは?」
「今の君は《インビジブル》に命を狙われているんだ。今日の船上パーティーだって彼らが乗り込んで来る可能性は否めない。だから、この際パーティーを中止して…」
「それはできない」
雪音はきっぱりと言った。真っ直ぐな眼差しと共に。
「今の僕は、歌に縋るしかない。客だって僕を待っている。もし彼らが現れれば、それは叛逆さ…。僕が相応の罰を下す」
「…そうか。分かった」
白神先輩はすっと諦めたように立ち上がった。雪音の強い決断力を前に圧されたようだ。
「…今回の船上パーティーに招待されたのは、僕とツンデレちゃんと、優那だね。和樹は…まあ無理そうだな」
「かたじけない…白神兄」
和樹は残念そうな顔をする。
「そうだな…じゃあそれに加えて僕がリーダーを呼んでおこう」
「え? 紺堂リーダー?」
そういえば、最近あまり話していない。本部の入口を入ってすぐの大きな古びた机にいつも居るので、行き帰りには挨拶をするが、あまり私たちの活動について言及はしない。遠くから静かに見守ってれる象徴的存在だ。
「ていうかリーダー、《改竄眼》はもう使えないんでしょう? 失礼かも知れないけど、連れて来てもあまり意味が…」
「そんな事無いわよ」
突然、瑠璃波先輩が会話に割り込む。そういえば瑠璃波先輩の声も久し振りに感じる。
「リーダーは元々警視庁勤務だったの」
「え!!!?」
何それ、初耳。
「特に狙撃に関しては庁内で5本の指に入っていたらしくてね…もしも琴梨が《千里眼》を持ってなかったら、間違いなくリーダーの方が上ね」
「えええ!!!?」
《異能力眼》ありとはいえ、11歳でテロ組織一つを壊滅させた翠先輩を凌駕するとか、リーダーどんだけ鷹の爪隠してるんだ。
「今でもその腕前が健在かどうかは知らないけど、まあ琴梨は来れないなら力強い助っ人になるよ、きっと」
「そ…そうですか」
「じゃあ決まりだな!!」
白神先輩は嬉しそうに言った。
「…パーティーは伝えた通り、14時からだ。僕は出演者だからちょっと先に行かなきゃならない…用意ができたら、港で待ち合わせだ」
「分かった」
私が返事をすると、雪音は「じゃあ」と言って医療室を後にした。
「あ、そうそうツンデレちゃん、琴梨がドレスは俺の部屋にあるって言ってたよ」
「あ、そうだ!! 借りるんだった」
「優那はどうするの?」
白神先輩は瑠璃波先輩に尋ねる。
「私も勿論着ていくけど、最近お腹が気になってて…見えちゃわないかな」
「そっか、僕みたいに私服で行けばいいのに」
「先輩私服で行くんですか!!?」
私たちは、そんなくだらない会話を繰り返していた。
***
---くだらなくたっていい。
こんな平穏な日々が続いた良かったなって、思いが込み上げて来た。今更のように。
私はこの時まだ、予想だにしていなかった。
雪音が出演する、楽しいパーティーになる筈だったのに。
私は自分自身との戦いで、相手を殺して。
彼女は彼女自身との戦いで、自分を殺して。
---彼は私たちに尽くして、自分を本当に殺めて。
その、今までのどんな出来事より辛い、残酷な運命。
運命の歯車は、既に狂い始めている---




