#28「Blame」
「あなたは…誰?」
彼女は告げる。その言葉は同時に、自らが記憶喪失である事を示していた。
「誰って…私だよ!! 黒乃だよ!!」
それでも、認めない。認めたくない。私は彼女に駆け寄った。
だが、足が止まる。
---来ないで。
そんな気持ちを込めたような眼光を、彼女は走らせる。そして同時に、持っていた拳銃を私に向けて来た。
「雪音や夏希ちゃんの話したじゃん!! 覚えてないの!?」
「…。…雪音は…《水色》の…少女…、…夏希って…橙本夏希?」
「そ…そうだよ!! 思い出した?」
「…いや…でも、私とあなたは、どこかで…」
手応えは感じていた。雪音や橙本夏希の事を断片的に覚えているようだ。
「…分からない…昔の記憶…全く無いから…」
「全くじゃないよ!! 少し記憶があるみたいだから…」
「…そうだ…」
突然、乙葉は私の顔を真剣に見詰めて来た。
「《赤》の人の《眼》で…」
「え…?」
一瞬の沈黙、そして瞬間。
「着色…《遡刻眼》」
「え…!!?」
私は驚愕した。
乙葉の黒い左目が一瞬《紫》に変化。
そしてその後、《赤》へとゆっくり染まっていく。和樹の《赤》へと。
(…これが…《着色眼》…!?)
白神先輩の言っていた通りだった。和樹の《眼》をコピーして、自分のものにする。見たまま、彼女の《着色眼》が《赤》に変色した。私の意識が戻る前に、和樹と戦っていたのだろうか。
「…」
すると彼女は、私を和樹の《眼》で見つめた。数秒後、小さく口が開く。
「…これは…私?」
やや、声が震えているようにも感じた。彼女の心の動揺が初めて垣間見えた瞬間でもあった。
(…)
乙葉が、私の過去を覗いている。嫌な感覚だ。他人の未来を予測して見る私が言えたことではないが。
---だが、次の彼女の言葉には流石に堪えた。
「あっ、私…死んだんだ…」
「---!!!」
全力で否定したい。
否定したいけど、それは事実なのだろう。
あの事故に於いて事実を虚実と唱えるのは、卑怯が過ぎる。
何たって、自分の《彼女を殺した》という罪も同時に、否定する事になるからだ。
私は喉まで言葉が出かけていたが、口の中の空気はすっと声にならずに、ただ吐き出された。何の言葉も紡がずに。
暗黙の了解、という形になってしまった気がする。
すると乙葉は、《眼》の色をいつもの状態へと戻した。つまり《赤》から黒へと虹彩を脱色したのだ。
「…削除…」
「でぃれーと?」
「…私の《着色眼》は…視界内の…《異能力者》にしか…使えない…。…保存できる《眼》も…一色だけだから…消したの」
「Delete」は英語で「削除」の意味だ。ということは、さっき和樹からコピーした《遡刻眼》を彼女の脳内履歴から消去したのか? そしてそのフォルダには、他人の《眼》のデータを一つしか残せないのか?
彼女はそれ以上詳しい説明はしてくれなかった。代わりにらこんな言葉が返って来る。
「…どういう意味?」
「え?」
「何で…あなたの過去に…私が居るの?」
乙葉は拳銃を向け直す。敵意の視線なのか、それとも純粋な疑問なのか、気持ちが全く読めない。2年前は、自然と心が通じ合っていた仲の筈なのに。
「だ…だからそれは事実で、私が高1の時、私とあなたは友達だったの!!」
「…私は覚えて…ない…」
乙葉の言葉には、昔の威勢の良さは欠片も無かった。
「多分…もしかしたら…それは記憶喪失…かも知れない」
「…記憶喪失…。…私、が?」
「親の名前とか覚えてない? 学校名とか、住所とか…何でも良いから思い出して!!」
「…分からない…小さい頃の…思い出…。…全部無い」
(…)
どうやら、記憶喪失というのは認めざるを得ないようだ。一気に気持ちが冷める。
「…《インビジブル》に入ったのは何で?」
「…漆さんに…拾われた…」
「漆さん?」
「リーダーの名前」
「!!」
私ははっとした。乙葉は直後、しまった、といったような顔をする。
「…話は…ここまで…。…そろそろ…帰らないと、その人に怒られる…《赤》の人の血は貰うけど…あなたは…保留」
「え?」
すると、乙葉は和樹の前にしゃがんで《血》の回収を始めた。
「…あなたが居なかったら…私も存在しない…。…そんな気がした…だから殺さない」
「…待って!! だったら和樹の《血》も見逃して!!」
「…それじゃ…私の義務が…果たせない…」
乙葉は作業を続ける。だったら、力ずくで。
そう思って、私は彼女に歩み寄った。だが、
「---あと2色」
彼女は小さく呟くとポケットから球を取りだし、床に打ち付けた。直後、廊下を眩い光が包む。
(…っ!! 閃光弾!?)
思わず目を覆う。白い光が消えて、目を開けると、そこにはもう乙葉の姿は無かった。
周りを見渡す。倒れているのは和樹と、警備員、そして黄村。
彼女は彼の死を悟っていたのだろうか、黄村は完全にこの世の存在では無くなってしまった。
「…そうだ、和樹!!」
私は乙葉が居た場所でしゃがむ。血溜まりの量が少し減っている。どうやら回収されてしまったようだ。
「…っ」
MEI内で、2番目の被害者だ。
(…私を助けに来て…私のせいで…)
和樹は、どうしても守ってあげたかった。彼は私をMEIに引き入れてくれた、高校で居場所が無くなった私にとっては数少ない友人の一人だ。彼が居なければ、私は一体どんな人生を送っていたかと思うと、やっぱり彼の存在というのはとても大きいものなのだ。
それが、こんな形で《血》を回収されてしまうとは。息はしているが、かなり危ない状況にある事は間違いない。急がねば。
これで彼らが回収した色は、残り4色。黄村の《黄色》、和樹の《赤》、理の《緑》。
そして、乙葉の《紫》。
《紫》は、意外な場所にあったのだ。元々、どうしようもない色だったのか。
残りは私の《碧》と、雪音の《水色》、そして所在不明の《オレンジ》---この3色のはず。だが、
「---あと2色…って?」
彼女は確かに、そう言った。《オレンジ》の血は既に回収されてしまった、という事だろうか。
あるいは---その《オレンジ》の持ち主は、白神先輩が調べたインビジブルのメンバー内に居るのか?
様々な可能性が考えられたが、一つに絞るのは今の時点では無理だった。
私は和樹を抱き上げた。腹部からの出血がひどい。早急にMEIへと連れ戻し、手当をして貰わなければ。
「…残りの《2色》は、私と雪音だけ…最後の砦…」
そう思うと、急に背筋がぞっとした。初めて私が白神先輩から《奪命眼》の材料になると告げられた時と、似たような感覚だ。
でも。
「---私が、食い止めなきゃ」
その確固たる信念は今も内在している。
自らの欲望の為に和樹や理を傷付けて。
---絶対に許さない。
彼女が---榛葉紫乙葉が、インビジブルのメンバーであっても、私は揺らがない。何たって、部活の顧問さえも私を殺しかけて来たのだから。
この先どんな残酷な運命があっても、私はそれを受け入れるつもりだ。
私は、和樹と共に血生臭い地下通路を後にした。
そして、仲間たちが待つフロアへと、足を運ぶ---




