#26「Reunion」
「白神聡、君がスパイだ」
《光索眼》の少年がそう言った途端。
白神の心臓目掛けて、死の弾丸が撃ち放たれた。
「っ…がはぁ…!!」
その鉛玉は白神の左胸元に命中。仰向けに倒れた。
「先輩っ!!」
「残念だったな」
黄村は続けてトリガーを引く。弾丸の吸い込まれた先は、黒乃の左肩。
「ぐっ…!!」
心臓を狙わなかったのは、恐らく作為的なものか。黒乃は何とか立ち続けるが、急激に意識の確立ができなくなる。
「黒乃!!」
和樹が双剣を抜いて攻撃を試みるが、
「動くな!! 動いたら今度は脳幹だ」
「…っ」
やはりと言うべきか、黄村は黒乃を人質にとってきた。
黄村は黒乃の首に左腕を回すと、拳銃をこちらに向けたまま、エレベーターにたっと乗り込んだ。
和樹たちは、その鉄扉が閉まるのを見届けることしかできなかった。
「くそっ…おい、聡!! 大丈夫か!!」
エレベーターの扉が閉じると、翠と黄緑谷は一目散に倒れた白神の元へ駆け寄る。だが、それより早く動いていた人物が一人。
「…和樹!! どこ行くんだ!!」
「黒乃を取り返す」
そう言うと、和樹は非常口の電灯が煌めく扉を開いて、その奥に姿を消した。
「あいつ、非常階段で降りるつもりか…!!?」
「いや、妥当な判断だよ…エレベーターだと1階の扉の前でさっきみたいに一網打尽にされるからね」
「さ、聡…お前生きて!!?」
話していたのは、床に寝そべる白神だった。
「撃たれることを予測して、胸にエレベーターの天井の鉄板を仕込んでおいた…さすがに衝撃までは吸収しきれなかったけど」
白神はシャツの下から鉄板を引き出す。20×20cm程度の正方形で、丁度白神の心臓部分は大きく凹んでいた。黄村の放った弾丸は落ちたようで、翠が発砲したものと混ざって区別がつかなくなっていた。
「てかお前、出てくる前にも撃たれてただろ…」
今の白神は、衝撃で倒れたのをカウントしなかったら全くの無傷だ。一体どうなっているのか。
「インビジブルの計画では、電気が復旧してから僕らはツンデレちゃんと一緒に1階に降りる手筈だったんだけど、急にエレベーターが上がり出したから、もしやこれはと思ってね…《透視眼》で扉の先に誰かが銃を構えている姿が見えたから、咄嗟に二人で死角に隠れたんだ。射程外にあったエレベーターの文字盤の手前側にね」
「…よくそんな判断が瞬間的にできたもんだ」
翠は感心した。停電前にはエレベーターは下に動いている途中だったのに、電源復旧後は第二展望台に向かった---つまり、停電で下ボタンの操作がリセットされた後で、上階の誰かがボタンを押したということだ。
「つくづく、お前の《眼》は便利だな…」
「白黒だけどね」
白神は苦笑する。割とモノクロでも不便無いように振る舞っているような気がするが。
「銃撃が止んだ後は、ツンデレちゃんはエレベーターの天井裏に隠れてもらって、僕は取り外した鉄板を装備して何食わぬ顔で出たんだけど、駄目だったね」
「…そうか」
でも、黒乃が《透視眼》持ちの白神と行動していたのはラッキーだった。白神が居なかったら、今頃黒乃は風穴だらけにされていただろう。
「それにしてもあいつ、大丈夫かな…」
「…和樹の事?」
「ああ…一般客が居るフロアであんまり騒ぎでもらいたくないんだが…」
「…それなんだけど、琴梨、ちょっと見て」
突然、窓際に佇んでいた黄緑谷が口を挟んだ。
「…何だよ」
翠は黄緑谷に駆け寄って窓の外、アザータワーの付け根を見る。
「うっわ…こりゃもう手遅れだわ」
「どうした?」
白神も2人の元に近付いて、窓の外を見下ろした。
赤い光がチラチラと光って見えた。航空障害灯ではない。小さくて車体はよく見えないが、恐らくパトカーだ。その周りには、アザータワーにさっきまで入っていたのであろう人の軍勢が。
後ろから白神が付け加えて言う。
「まずいな…黄村が向かったのは多分、《着色眼》の少女がいる電気室だ。琴梨、その話も和樹にしただろ?」
「あ、ああ…」
「ってことは…アザータワーの従業員が不具合調べに向かっているんじゃ」
「それどころか、もう黄村が着いている可能性も…」
「一般人の被害者は出したくないな…。急いで追うぞ!!」
3人は、非常階段へと駆け出した。
***
「はぁ…。全くどーなってんだ、開かないじゃないか」
その頃、電気室の前ではアザータワーの警備員がドアの鍵穴と格闘していた。電気が復旧したとは言え、この地下の蛍光灯ではまだこの辺りは薄暗い。
「気が付いたら電気室の外に寝そべってて…んー…もう歳だから物忘れが激しいのか…」
外見50代の警備員は再びコンコン、と電気室の鉄扉を叩く。相変わらず返事はない。
その時。
「すみませーん」
背後から、若い男の声が聞こえてきた。
「警備員さん、他のスタッフどうしました?」
警備員は後ろを振り返った。金髪の青少年と、彼に背負われた碧髪の美少女が居た。少年の方は係員の制服を着ている。
「ん…ここのスタッフか? それに、後ろの女の子、傷を負っているようだが…」
少女は、左肩に羽織っているエメラルド色のパーカーを赤に染め上げていた。血であることは、警備員にも容易に想像できた。展望室の混乱で負傷したのだろうか。
「あー、この子は上で怪我してて…下まで連れて来たんです」
「そうかい…あ、そうだ、君」
警備員はそう言うと、鉄扉に向き直して再びしゃがんだ。
「ここの鍵、知らないか? 電気は復旧しているんだけど、色々と確認しないとだから…」
「ああ…それなら」
少年は足音を潜めて警備員の背後に近寄る。そして、
「僕が持ってますよ」
右手に握られた鉄パイプで、警備員の後頭部を打擲した。
スタッフの正体は、黄村だった。
(《赤》が回収できなかったのは惜しいが…まあ、一色拐うだけでも充分だろ。後は榛葉紫と合流してトンズラだ)
黄村は、背中の黒乃を背負い直すと、電気室の鉄扉をノックしようとした。
だが、その時。
「逃がすかぁぁぁ!!!」
「!!!」
後ろから、聞き覚えのある青年の声が聞こえてきた。
(何だ…露骨に登場してきやがって)
黄村はゆっくりと後ろを向く。
---だが、それこそ決定的な間違いだった。
「な…!!!?」
赤髪の少年…和樹は、短剣を持っていた。その狙いは、黄村の腹部。
つまり、振り向いたことによって露になった場所。背中に背負われている味方を刺さないためか。
(しまった…!! こいつ、わざと呼んで振り返らせた…!?)
そんな後悔が頭を過るが、もう遅い。
「死ね!!」
(…!!)
鉄の短剣は、浅く黄村の腸を抉った。後ろの仲間まで貫かないように微調整したようだ。
剣を握った和樹の両手に、紅の飛沫が降りかかる。
「くっ…なら!!」
黄村は黒乃を乱暴に床へと振り離す。そして手を伸ばしたのは、廊下の電気のスイッチ。
カチッ、という音と同時に、地下は再び暗闇に包まれた。
「ちっ…」
「これならどうだぁ!!!」
和樹は距離を取った。その間に黄村は腹に刺さった剣を抜いて、和樹に襲いかかる。闇の中に、《光索眼》の黄色が微かに光った。
「…っ!!!」
胸の前に一瞬、風を感じた。瞬時に、仰け反る。
その刹那、黄村の短剣がそこを通った。
和樹は足の鞘からもう一本の鉄剣を取り出す。が、
「《碧》だけのつもりだったが…お前から食われに来たなら都合が良い!!」
「くっ…!!」
和樹は文字通り、闇雲に剣を振ることしか出来なかった。対して黄村は《眼》で和樹の姿を捉え、着実に傷を与えていく。
(…このままじゃ…何か…打開策は!!?)
そう思って思考を巡らせる。上で先輩2人組がやっていた合体技は使えない。
考えるんだ。この廊下や身に付けている物を最大限に活用した、逆転の奇策を。
(…そうだ!!!)
すると、和樹は上着のポケットを探った。取り出したのはスマートフォン。パスワードは設定していなかったので、フリック一つでホーム画面に移行する。
アプリを探すのにも、そう苦労はしなかった。
「これで…どうだ!!」
「!!?」
和樹は、カメラレンズを黄村に向けて走り出した。
その瞬間。
「ぐっ…ああああぁぁぁぁぁ!!!」
(よし…!!)
和樹が起動したアプリは、簡易ライトだった。
和樹は、第二展望台での翠の話を回想していた。白神曰く、《光索眼》は僅かな光を拡張する、スマホのカメラみたいな異能力だと。
あの機能は確かに便利だ。星の撮影に使えば光が拡張され、等星が低い星でも強く輝ける。
だがこの機能を、蛍光灯が大量に電飾された部屋で使えば---ホワイトアウトが起きる。
しかもこんな暗い中で一つ、大きな光が発生すれば最早それは和樹にとって刃物と同じ武器である。きっと今、黄村の視界は真っ白だ。
「…っ、だが!! 俺は無能な《右眼》使いと違って能力の発動が---」
黄村が《眼》を塞いでいた手を僅かに開く。が、その間に和樹は短剣を利き手に持ち替えていた。
「---悪いな」
「…!!」
ライトで照らされた黄村の額に、剣線が迫る---
「…」
剣は、中線の僅かに右に逸れた。だが、結果的に斬れた場所は同じであった。
黄村は額から一筋の血を流すと、そのまま後ろに倒れ込んだ。一言も発せずに。
《眼》から黄色は褪せて無くなっていた。
「…自分を過信し過ぎると、自滅する。覚えとけ」
その言葉は、和樹にとっても戒めであった。こいつも同じだ。
でも彼は、同じ間違いは繰り返さない---
「さて…」
和樹は暗闇の中、電気のスイッチを手探りで探していた。
電気を点けると、辺りは元の風景を取り戻した。思わず、目を細める。
廊下の様子は、大分荒れ果てていた。血塗れの黄村、傷だらけの自分、倒れた警備員、そして黄村がここまで背負って連れて来た黒乃。和樹以外の3人は全員、廊下の冷たい鉄床に突っ伏していた。
和樹は俯せになった黄村の体を、ぐるっと半回転させた。上で戦っていた時は停電していたし、ここに着いた時は後ろ姿しか見えなかったので、しっかりと敵の面を拝むのは初めてだ。
金髪の青年で、服はアザータワーの係員の白い制服。顔のルックスとしては、恐らくイケメンの部類に入るのだろう。
そして何よりも目を惹き付けるのは、左腕の義手。
違和感は感じられなかった。この青年にすっかり馴染んでいる。元々利き手なのか、それとも義手が衝動に耐えられない為か、彼は常に拳銃での牽制や剣を振り回すのは、彼自身の腕から生えた本物の右手でしていた。きっとこの腕も、過去にこいつに何かがあった標なんだろう、と和樹は勝手に思った。自分の《右眼》の火傷痕も、あの6年前の強盗事件の名残だ。序に派手な赤髪だから、高校ではどこかの闇組織の幹部みたいだ、なんて言われている。当たり前だが、内心、あまり良い気はしない。
片腕を失う程の壮絶な過去。だが、黒乃の交通事故や白神のエレベーター人質事件、翠の空港テロ事件---和樹は、多くの人達の残酷な過去をこの《眼》で見てきた。和樹にとっては、然程驚くべき事実ではなかった。ありふれた《怪我》だと思ってしまった。
だけど、やはり気になる。この男の経験が、一体どのようなものであったのか。
プライバシーの侵害だ、という抵抗がまず脳内で芽生えた。当然だろう、人の過去を勝手に自己の中で暴露して、それで自分は満足なのだから。
《遡刻眼》は身勝手な能力だ。他人の過去を盗み見る能力。身勝手なのに、戦闘では全く使い物にならない。
和樹には、何故自分にこんな《眼》が身に付いたのか解らずに、この6年間を過ごしてきた。というのも、憑依する《眼》は、そのトラウマ的事件の逆転要素となる能力であるという仮説が、組織内で確立されつつあるからだ。例えば幼少期の翠は、遠く離れた相手を裸眼で狙撃する為に劇的な視力を持つ《千里眼》を入手したし、白神の場合は逆転とまでは行かなくとも、エレベーターの扉の先を見る為に物体の透視ができる《透視眼》を身に付けた。
では、自分は何故、あの状況で人の過去を覗く《遡刻眼》が憑依してしまったのか。或いは、あの場面でどう活用するのが正解だったのだろうか?
あの時の状況を、和樹は鮮明には記憶していない。右目を撃たれてそれどころでは無かったからだ。意識は辛うじて確率されていたのか、それとも喪失していたのか、それは明確には覚えていない。気が付くと事件は片付いていた。目が覚めた後、老医師から右目の視力はほぼ無くなってしまったよと言われたり、警官にあんな危険な真似はもうしないようにと言われたり、取り敢えず事件は解決していたようだった。実際のところ、強盗組織は今年、黒乃がMEIに加入したばかりの頃に自分らで捕らえられるまで逃げていたのだから、解決とは言わないかも知れないが。
自分の異能力は何の為に存在するのか---そんな疑問は、高校生活で何度も繰り返してきた。何も出来やしない、戦闘でも皆の協力さえ出来ない、学校では蔑まれる対象である自己に、一体何の存在価値がある?
---強いて言うなら一回だけ、とても役立った。
あの時、彼女の《過去》を覗いて、彼女を守ろうと心に深く決めた。
---今後、使うことがあるのか?
「…ねーよ」
和樹は小声で自問自答した。
突如、物音がした。
「!!」
我に返った和樹は、正面を警戒する。そうだ、まだ戦いは終わっていないのだ。黒乃を連れて、翠らと合流して早く撤退しなければ。白神も治療しなくてはならないし。
音のする方向は、言うまでも無かった。電気室だ。
白神曰く、ここに《着色眼》使いの少女がいる。さっきの戦いの激しい戦闘音で、異常を感じ取ったのか。
(…早く、黒乃を連れて行こう)
そう思って、和樹が扉の前に倒れる黒乃に近寄ろうとした時だった。
がちゃり。
「…!!」
電気室の扉が開いた。和樹は思わず足をすくませる。
ドアを一瞥する。開いた距離は僅かだった。人一人も通れない隙間である。
だが、その《紫》の眼光を通すには十分すぎる距離だった。
「…」
隙間から覗いていたのは、白神が言った通り、少女であった。紫色の長髪に、真白のセーター。下はやや長めの赤スカート。身長は丁度ドアノブの2倍よりやや低い程度で、黒乃や雪音とほぼ同年代に見えるが、全身の筋肉はやせ細っている。もう少し身長が高かったらモデル体質、といった感じだ。
「…《赤》の人」
(…!!)
彼女の声帯で紡がれる声は極めて微細であった。静寂に包まれたこの地下室でも、これ以上離れたら聞こえなくなる位の、フラジールで繊細な声。沈黙を溺愛する詩的な少女だ、と和樹は何となく思った。
「…そーゆーあんたは、じゃあ《何色》の人なんだ?」
「…うん…15歳…」
(…年齢じゃなくて、色を訊いたんだが…)
彼女は小さくお辞儀をした。髪に巻いたスカーフがちょこんと揺れる。
紫髪の少女は、更にドアを開けて、途中で止めた。ドアの前に倒れている黒乃の脚が開閉を妨げているのだ。
「…《碧》の人…。怪我…してる…」
少女は、更に奥に倒れた黄村を見付ける。
「…黄村も…怪我、してる…。…あなたが、殺ったの?」
「殺ったって…こっちだって殺されかけたんだ」
「じゃあ…敵?」
「だからあんたらが先に仕掛けて…」
いまいち、話が噛み合わない。MEIの女性陣は中二病だったりミリオタだったり、揃って個性的だが、寡黙な人は居ないものだから、和樹はこういう子と話すのは不得手だ。
「…じゃあ、殺す」
「…いきなり物騒なこと言うなって…っ!!?」
和樹がそう言いかけた、その時。
「異能力…《着色眼》」
少女の《左眼》が《紫》に染まった。
(…来る!!)
和樹は彼女の《眼》が段々と《赤》になるのを、見守っていた。なるほど、コピーというのはそういう感じなのか。
「保存完了…これは?」
「《遡刻眼》…戦闘には不向きなんだな!!」
和樹は短刀を構えて走り出す。勝った。彼女の《眼》が無力になった今、優勢なのは和樹だ。
---だが。
「---使えない」
少女が小声でそう呟いたところで、鉄扉が僅かに開いた。黒乃の脚を押し退けて。
そしてそこから顔を覗かせていたのは---銃口。
「な…!!!」
コンマ1秒後、銃声が響く。
それを耳で認識した時、和樹の胴を既に弾丸が貫いていた。鮮血が鉄臭い壁を染める。貫通した弾丸は、壁に大きな蜘蛛の巣模様を作り出した。
和樹の短剣は、少女の喉に突き刺さる一歩手前で落下。
(なん…だと…)
---成す術なく、地へ堕ちた。
「…」
少女はその場を眺めた。これでこの場に倒れているのは、4人になった。
床面には《赤》と《碧》の血が流れていた。勿論色は両方とも赤だ。だが、この二種類の血には不老不死の要素になる特殊な効果がある。
「…」
少女は一石二鳥だと思って、まず《赤》の血の回収を始めようとした。
「…何で…?」
---だが、そこにまたしても邪魔が入る。
***
思い出したくもないトラウマが。
メリーゴーランドのように脳内を駆け回る。
あの歪と悲劇に満ちた惨劇が。
《碧》の少女は目覚めた。
否、目覚めてしまった。
薄暗い、配管が剥き出しの天井が目に入った。
自分の居場所を把握したかった。
冬の真夜中は、露出した肩傷をより軋ませる。
早くこんな場所、立ち去ってしまいたかった。
そう思って、私は体を起き上がらせる。
冷たい床に手を目いっぱいついて。
---そしたら、彼女は居た。
絶対に有り得ない《再会》だった。
まず、夢かと思った。
けど、この肌寒さは幻想世界では再現できないそれであった。
「…何で…?」
何とか捻り出した言葉は、それだけだった。答えてくれる相手は居なかった。そこに立っていた紫髪の彼女も沈黙を続けるだけ。
次に、幽霊かと思った。
だって彼女は一度死んでいるのだから。
だけど彼女の口から漏れる、微かに白く煙った吐息がその仮定を否定した。後ろには、しっかりと影も存在している。
「…死んだんじゃ…なかったの?」
私が言っても、彼女は等速の呼吸を繰り返すだけ。
私は確かに、彼女の《最期》を見届けたはずなのに。
私が横断歩道に飛び出して、彼女がそれを助けてくれて。
怪我の状況から死ぬのは私であったが、実際に死んだのは彼女だった。なのに。
これは、必然的な邂逅なのだろうか。
---臨終、4月25日、21時58分。享年15歳。
渋谷区立某病院、3階301号室、第2ベッド。
両親と、医師と、私に見送られてこの世を去った彼女の名は---
「…乙葉?」
忘れたくても忘れられない彼女の名。
榛葉紫乙葉。
黒くモザイクをかけたはずの彼女の顔が、鮮明に映し出されていく。
何で名を知ってるか…って?
決まってるじゃん。
---彼女は、2年前の交通事故で私の代わりに犠牲になった、死者であるはずの存在なのだから。




