#25「You are the spy」
「琴梨の話は聞いた?」
全てを語り終えた白神先輩は、エレベーターの壁に寄り掛かりながら私に尋ねた。顔には、疲れの色が滲み出ている。
「話?」
「子供の頃にホノルル空港でテロ組織の男を8人虐殺したって」
「ああ…聞きましたよ」
私の《終末眼》が高校の同級生に露見して、私が一時期鬱病に陥っていた時に翠先輩が(恐らく好意ではなく、悪意で)話してくれたものだ。11歳の頃、ハワイ旅行の帰りにテロ組織に襲われて、先輩の家族が巻き込まれた。そして先輩は銃殺された警備員が所持していたワルサーppkを握って、8人の男を惨殺した、と。
「僕の過去は彼女のものと似ているけど、決定的に違う点が二つある。一つは家族を殺された事。もう一つは…」
「…その場で復讐ができなかった事…ですか」
「そうそう」
とても大きな違いに感じるが、先輩はやけに軽々しく話す。何せ、直接見ていないとは言え家族を目の前で殺され、先輩自身は何もできずにエレベーターに閉じ込められたままだったのだから。
「現状を嘆くんだったら、僕の方が被害はあるだろうね。両親を殺られたんだから。でも、表立って現れない損害としては、琴梨の方が大きいんじゃないかな」
その通りだ。翠先輩は、俗に言う精神的ダメージとやらが大きい。翠先輩は自分で「11歳で8人殺した女の子なんて世界で多分俺だけだ」とか言っていたが、実際そうであろう。死体も直接見たのだし。
「ツンデレちゃんは?」
「え?何が?」
「2年前の交通事故で友達を失って、何か変わった?」
「変わった…うーん」
そう言われて、ふと考えてみる。一番大きいのは《終末眼》の定着だろう。最初の1回は、例の交通事故の後で悟った、嘗ての友達---乙葉が死ぬという不吉な未来。そしてその未来予知は現実のものとなった。その時は正夢の類かと思ったが、入院している途中で、意識すればいつでも未来予知ができるのだと自分で理解した。でも一番最初に使った時は未来予知の力が自分に身に付いただなんて思いもしなかったから、私はこの《左眼》を《終末眼》と名付けた。人の終焉を見る《眼》、と。
乙葉の事だって忘れちゃいない。私がトラックに轢かれかかって、間一髪で助けてくれて---死んだ。私の代わりに。
でもやっぱり不自然なのだ。怪我の状況、トラックとの接触具合、総合して考慮しても、死ぬべきだったのはやっぱり私だ。私だけ取り残されて「生きろ」と言われた覚えも無い。ギリギリで助けられなかったという話の方が、私にとっても、そして恐らく彼女にとっても良かった筈だろう。
私は意識が目覚めてからずっと彼女を看てきたのに、何故なのか。この疑問があの時から現在まで、ずっと取り憑いているのだ。
私は、《終末眼》が身に付いた時と酷似したような感覚に苛まされていた。
***
戦いは、優勢だった。
「くっ…」
インビジブルのメンバー、黄村昴は傷だらけで側のコンクリート柱に寄り掛かった。
和樹には、黄村の様子は分からない。どれくらいダメージを与えられたかは、タワーの電気が消灯されていて見えない。それでも、明らかに相手の攻撃頻度は少なくなっていた。感触が良い、という事だ。
相手は《光索眼》…暗視ゴーグルと同じ役割を果たす異能力眼を持っている。しかも左側。
それにも関わらず、翠と黄緑谷が彼に対応できたのは---
「11時!!」
「あいよ!!」
黄緑谷の声に答えた翠は、拳銃の照準を正面から左方向へと僅かにずらし、発砲。
「次、右に45度!!」
翠は銃口を右方向に修正、再び発砲。直後、黄村の頬を弾丸が掠めていく。
「ぐっ…お前ら…どうやって俺の位置を!!」
黄村は自らの《眼》を攻略された怒りで叫ぶ。
「僕の《眼》だよ」
銃声が間髪容れずに展望台内で轟く中、黄緑谷は答える。いつもの黒縁眼鏡は、Yシャツの胸ポケットに仕舞われていた。
「僕の異能力は《摂氏眼》…眼鏡を外した瞬間、この視界はサーモグラフィーとなる」
「この客が居ない空間の中なら、お前の顔が判らなくてもサーモグラフィーで赤やオレンジで表示されているのが、お前の場所だと特定できる。それを零字が時計の方角で伝えて、俺が拳銃で撃ってる」
「サーモグラフィーの《眼》…だと?」
黄村は驚嘆の声を震わす。
「…それにしても、この《眼》が戦闘に用いられる日が来るとは、軽く感動してるよ」
「普段の潜入捜査でも使えないだろ」
「まあね」
翠と黄緑谷は駄弁れるほどの余裕を見せる。和樹は後ろの柱から声を掛けた。
「…てっきり翠姉のことだから、本物の暗視ゴーグルでも常備してんのかと思ったよ」
「いくら狙撃主でもそれはねーよ…本部の俺の部屋にならあるけどな」
「あるんだ…」
最早ドン引きするレベルだ。何でこの人軍人じゃないの。
和樹がそう呆れていた時。
「…榛葉紫、電気を点けろ」
黄村が、持っていたトランシーバーに話しかける。その相手は、
『…分かりました』
あどけない様子の少女だった。和樹達には、聞き覚えの無い声だ。
数秒後、電気が復旧した。3人は思わず目を細める。
「え…?」
彼の意図が全く分からなかった。電気を点けるというのは、自分の《光索眼》の特長を潰すことど同義だ。
すると、黄村は持っていた拳銃を捨て、別のフルオート拳銃を懐から取り出した。
その銃口の先は、和樹たちではなく、真横のエレベーター。
(…?)
ますます意味が分からなかった。黄村はエレベーターの上ボタンを押す。
視線の先は、エレベーターの階層を示す横長のディスプレイ。電気が復旧して、しっかりと表示がなされている。操作を加えたから、上昇している最中だ。
だが、それが第二展望台に到達した事を示した瞬間、黄村は拳銃のトリガーを引きっ放しにした。
「!?」
3人は目を剥いた。
大量に排出される弾薬と、猛烈な金属音の雨。エレベーターの扉には、おびただしい数の風穴が空けられていた。
雨は、数秒で止んだ。
「…っ」
翠は絶句していた。和樹や黄緑谷も、それは同じだった。
すると、黄村は扉に向かって話し掛けた。
「いるんだろ? 出てこいよ」
「…」
暫くして、穴だらけの扉はゆっくりと開いた。電気で開いたのか、手動で開けたのかは分からないが、とにかく扉は通常のエレベーター通り、横に開いた。
中から出てきたのは、白神聡だった。
「…!!」
和樹は思わず、白神兄、と叫ぼうとしたのをギリギリで抑える。危なかった、彼は今は向こう側の人間だ。
「いきなり撃つなんて酷いじゃないですかー、黄村さん」
白神は頭を掻きながらエレベーターと展望室の境目を通り過ぎる。何故か無傷だ。
黄村さん、というその呼び方に、和樹はとても違和感を覚えた。何だかいつもの白神ではないようだ。
「…《碧》はどーした」
「逃げられました。いやー、全く《終末眼》ってやつは強力っすねぇー」
白神は全くの素っ惚けで黄村の言葉を回避する。が、
「---そうか、ならお前はお前の義務を果たせなかったわけだ」
黄村は再び銃を向けた。今度の標的は、白神の心臓。
「ちょ、黄村さんそれ冗談にならな…」
「《碧》の少女、居るならよく聞け」
黄村は白神の言葉を遮って、突然大声を出した。黒乃に聞こえるようにしているつもりのようだ。
「俺は黄村昴。銃口を今、インビジブルメンバーの白神聡という男に向けている。こいつを殺されたくなかったら俺が3つ数えるまでに現れろ」
「---!?」
4人は後ずさった。
「これはお前達にとって利益だ。だが、お前が白神を何故助けたくなるのかはお前自身が一番分かっている筈さ」
(こいつ…!!)
和樹は黄村を睨んだ。黒乃を炙り出す気か。
「さーん」
黄村は間延びさせながらカウントダウンを始めた。翠と黄緑谷の首にも汗が注ぐ。
「にぃー」
勝ち誇った顔をするその男の手は、全くの揺らぎが無い。
「いーち」
そして、最後の数字が唱えられるその直前。
---エレベーターの中から、たっ、と着地の音がした。
中から現れたのは、紛れもなく碧柳黒乃であった。
「…やっと御出座しか」
「ツンデレちゃん、何で!!」
「だ、だって…」
黒乃が困り顔で白神の背中を見ながらそう言った瞬間。
「---白神聡、君がスパイだ」
(なっ…!?)
拳銃から弾丸が一発、解き放たれた。




