#22「Azure view」
「で、何ですか?」
「ちょっと面倒なことになってな」
国内最高の635mを誇るアザータワーの第二展望台で、ビル群の夜景を眺める翠先輩は、私からの質問に即座答えた。珍しくサングラスをかけていて、妙に違和感を感じる。
アザータワー。《Azure》は英語で《紺碧の》という意味を示す形容詞。渋谷の中心地に建てられており、その高さは日本一だ。タワーの中部とそのちょっと上辺りに展望室が2ヶ所あり、観光客はそこから東京の景色を一望できる。
このフロアに居るのは、一般客に加え、私と翠先輩、和樹、黄緑谷先輩。勿論客としているのだが、夜の渋谷の景色を見ていたところを突如翠先輩に連れられ、今は柱の陰でひそひそと話している。
「今日、俺たちがここに来たのが《インビジブル》にバレたらしい」
「えっ!?」
私は慌てて回りを見渡した。だが、
「やめろ」
翠先輩は私の双頬を押さえつける。
「にゃ、にゃにしゅりゅんでしゅか」
「キョロキョロしたら不審がられるだろ」
「え、このひゅろあに居りゅんでしゅか!?」
「分からん。あとその《眼》、発動するなよ」
「あっ…」
そう言うと、先輩は私の頬を押さえていた手を外した。
「…先輩がサングラスしてるのはそういうことですか」
「今更だけどな」
私は窓際の男性2人組を見る。和樹と黄緑谷先輩の《眼》は右だから、何もしていないとオッドアイが露見してしまう。だから普段、和樹は黒い眼帯、黄緑谷先輩は手持ちの眼鏡で《眼》を隠している。
私は《眼》の発動が自由にできるから、特に能力を発動していない目を隠す必要は無い。私は今ここで能力を発動してようやくオッドアイになり、《インビジブル》のメンバーに発見されるだけだ。
「聡は今、向こう側の人間だ。話し掛けるなよ」
「えっ…白神先輩が来ているんですか?」
「ああ。俺達の尾行をしていたのはインビジブルのメンバーだけどな。名前は黄村昴」
「あ、えーと…左腕が義手の人でしたっけ?」
「そう、あと《着色眼》使いも」
《着色眼》。相手の《眼》の色をコピーする---といった感じの能力だったはずだ。能力者の名前は不明。
「たまたま渋谷にいた聡が、その2人に俺たちの尾行の手伝いでお呼ばれされたらしい。タワーに入って私たち4人を見張れって」
「それ、白神先輩から直接聞いたんですか?」
「ああ、向こうの任務をしてる最中で、多分ここのトイレの個室がどっかから電話してきたんだろう」
「そうですか…」
白神先輩、割とスパイ活動頑張ってる。
「今回展望台に来たのはただの観光のつもりだったが、こうなっては仕方無い。どうにかしてここから出なきゃだ。どうせ閉館時間が近い頃ではあったし」
「…はい」
私は少し緊張しながら返事をした。敵の監視を上手くくぐり抜けられるだろうか。
「俺は和樹と零字にもこの話をしてくる。お前はそこで待ってろ」
「え…あ、はい」
翠先輩はそう言うと、硝子張りの壁に居る二人の方へ向かった。私はタワーのパンフレットを開きつつ、その様子を横目見る。
---私は今日の朝、MEIのロビーで翠先輩に昨日あった事を和樹と共に全て話した。
私が拉致され、和樹と雪音が褐間と戦ったこと。
褐間が死んだこと。
MEIの本部にあるデータが、インビジブルの作成したウィルスによって送信されてしまったこと。
今日、雪音はまだ療養が必要だと言って、本部の救護室で寝ている。幸い、今日は歌の仕事は無いらしい。
寧ろ心配なのは理の方だ。渋谷駅前の歩道橋で倒れていたところを、通りがけの優しいヤンキーが通報したようだ。彼は雪音とは別に、区内の病院へ入院し、瑠璃波先輩に看護されている。先輩が理から聞いた話によると、やはり《血》が回収されたらしい。十中八九、《インビジブル》が関わっていると思われるが、相手の顔は見えなかっただとか。
私は翠先輩に怒られると思った。ましてや私たちのデータが送られて、理の《血》が回収されてしまったのだから。
だが、先輩は予想外の反応を見せた。
---その内起こった事だ。あまり自分を責めるな。
理想主義と自称していた彼女が発した言葉だとは思えなかった。その内起こった事、だと?
---大概にしてくれ。
私はMEIに対して大きな損害をもたらす原因を作った。私が拉致されなければ雪音が倒れることもなかったし、和樹が間違ったコードを入力して理の《血》が狙われることも無かった。
先輩はあの後、褐間を殺したのが本当に和樹なのかなあ、と言い残して外に出てしまった。
私は先輩に反抗心を覚えた。憎悪すべき対象とまでは言わないが、先輩が言うように、私も同種の理想主義者であるならば同調するのが自然な筈なのに。
---若しくは、理想同士の対立?
(…まさか)
私とて、自分が理想主義者だなんて先輩に言われるまで考えもしなかった。そして今も思っていない。
私の中に存在するのは、理想ではなく、現実だ。夢と現実は、水と油が混ざらないようにとても相性が悪い。これなら筋が通る。何も苛む必要は無い。これこそ、いつか起こり得た事だ。
一人で考え込むと、何だか頭の煩悩が軽くなった。そう思って、外の景色を眺めてみようと思った。
その時。
「!」
目の前が真っ暗になった。
(…っ…停電!?)
私はパンフレットを閉じた。周囲の警戒をしようと思ったが、視界は闇に包まれて何も見えない。
(まさか…《インビジブル》?)
辺りは悲鳴に包まれた。夜だから、太陽の光は無い。
だがこういう所の電気は、仮に消えても非常電源が作動するはずだ。本電源とは別に設置さるている、その名の通り非常時に使われる電源だ。
とにかく、先輩と合流した方が賢明だろう。そう思って私が歩き出した、刹那。
「---終焉だ」
着ていた上着のパーカーを後ろから掴まれた。
「!?」
私は慌てて後ろを振り返ろうとしたが、序に首も後ろから押さえられ、振り向くことさえ出来ない。とてつもない握力だ。
「ちょ…やめ…」
---まずい、これは本当にまずい…!!
私はそのまま身体を持ち上げられ、腕の持ち主と共に数m移動する。何か別の部屋に入ったようで、そこで空中歩行は止まった。
男は手を離して私を床に落とすと、トランシーバーの起動音と共にこう話した。
「任務終了、点灯」
低い男の声が微かに響く。
そして、今更のように天井の非常灯が灯った。
私は死を覚悟して、思いっきり後ろを振り向いた。
その男の《眼》は---
「《インビジブル》だと思った?残念、白神先輩でした~」
白だった。
「…先輩、後でシめますね」
「お~、怖い怖い」
私は、命の危険さえ感じていた馬鹿な自分を殴りたくなった。




