#17「Egoism」
「以上が俺のトラウマだ。満足したか?」
「…一つだけ、訊いていいですか?」
全てを語り終えた翠先輩に、ベッドの上で体育座りをしていた私は残酷な疑問を容赦なく投げ掛けた。
「本当に分からないんですか? 先輩のお父さんが先輩を恐れた理由」
「勿論、分かるさ」
先輩は矛盾を言葉にした。だが、すぐに加筆修正される。
「《当時》の私が分かっていなかっただけだ。幼い頃はまだ体や頭脳の成長も発達途上だろ?」
「だとしても、先輩は愚かです」
「自覚はしてるさ」
冗談めいた顔で笑うと、先輩は立ち上がって窓を背後に仁王立ちした。雨はまだ降り止まない。
先輩の過去は、割と壮絶だ。父親を助けたいという想いで引き金を引いたのに、結果としてそれは裏目に出た。本来の目的は達成できたのだろうが、もう一つ、それと表裏一体になる目標が彼女の心の内に潜んでいた。そちらのことを話しているのだ。
「俺は夢を見過ぎた。純粋であるばかりに、理想主義を自分の中で育て過ぎた」
「先輩は、理想主義者なんですか」
「さあ? 理想主義者は名前の通り理想を見ているから、なかなか自分で気付けないし、認めたがらない」
「…そうですか」
私はベッドから降りて先輩の前に立つ。雨をバックにした先輩は何処か哀愁感が漂っていた。
理想主義は危険だという話は聞いたことがある。引き下がる事を知らないからだ。
結果として考えているのが、成功という道だけだからだ。途中で別れ道に逸れればいいものを彼らは直進するから、その成功への道が途切れて堕落することになる。
「でも、分かりません」
「何が?」
「先輩が私に話をした理由」
「言ったろ? お前が俺の話を聞きたいって」
「それは、そうですけど…」
真っ当な理由を陳述され、私は言葉に詰まる。だが、そこで先輩は小さく微笑んだ。
「実は俺が本当に話したい事は、この先にある」
「え?」
「俺のお父さんはその後、私に干渉しなくなった」
「…でしょうね」
共感できるような、できないような。当たり前であるような、ないような。複雑な心理状況だ。
「理想主義者は馬鹿なんだ。俺はてっきりお父さんが《よくやった》って褒めてくれると思った。だがそれが無い」
「何が言いたいんですか」
「私は自惚れていた|の・さ・」
その瞬間、私はびくりと肩を震わせた。意表を突いた指摘に戦いた。
「…!!」
「…その反応」
「…知ってて言ったんですか!!」
私は声量を上げて叫ぶ。
「当たり前だ。お前は《自惚れて》いた。俺と同じだ」
「わ、私は…」
完全否定はできなかった。
褐間陸道---いや、元を辿れば四葉の悲痛な叫びを聞いて、私は強烈な勘違いから漸く解き放たれたのだ。
「もう一つ、別の考え方を提示してやろう。利己主義って知ってるか?」
「…はい」
---知っているとも。私のことだから。
「自分本位とも言う。俺は正義感で表面を覆った理想像ちちおやに一途だったが為に、自尊心が高まっていた」
私のことをそのまま言われているような気がして、耐えられずに訊く。
「私を虐めたいんですか…?」
「ああ。虐めたいよ」
翠のその言葉に、私の心臓が跳ねた。実直すぎるその言葉に、やっぱりこの人は理想主義者だと思い直した。
「今のお前は、昔の俺にそっくりだ。昔の馬鹿げた自分を見ているようで…」
そこで、翠は震えた声で告げた。
「…道を外れていくのが恐ろしい」
私が昔の先輩に酷似していると言いたいのか?
私が理想を持っているとでも断言できるのか?
そんなはずはないと突き放したいが、私にはその勇気がなかった。先輩が怖いからではない。自分自身で、私はそうではないと裁ききれないからだ。
「理想主義者は失敗するパターンを考慮しない阿呆だ」
先輩は私を先程のキャスター付きの椅子に座らせると、代わって私がいたベッドに腰掛けた。
「俺はお父さんに憧れただけなのに、そのお父さんに裏切られた。世界の正義が信じられなくなった。だから、俺はグレた。そして、夢に敗れた愚かな狙撃手になった」
翠は腰から拳銃を取り出す。この人は、本当にいつも危ない人だ。武装的にも、精神的にも。
「これが私が7年前にホノルル空港で使ってた実際のワルサーppkだ。そもそも馬鹿げた話だと思うだろ? 発砲だけならまだしも、70mも離れた距離から男を8人、その上全員即死させた11歳の少女なんて言ったら、恐らくこの世で1人だ」
翠は苦笑する。いや、自身を嘲笑しているのか。
「先輩は…装弾数が8発って知ってたんですか」
私の質問に、先輩は拳銃を手中で回しながら答える。
「勿論、警察官の娘だからね。それを知った上でこの《眼》を使ってあの殺戮劇を繰り広げた。でも家は居心地悪くなったし、進学した中学でも、虐めは無かったにしろ《ハワイで8人殺した女の子》として疎まれ、俺の居場所は完全に無くなった。やっぱり、今のお前と同じだ」
「でも私は虐められてます」
「そうか」
翠はさらっと私の言葉を流した。地味に傷付く態度だ。
「そ、そうかって…」
ちょっとあまりに扱いが理不尽じゃないか、って言おうと思った。だが、その前に先輩が介入する。
「でも、お前にはまだ居場所があるだろ」
「え?」
「ここだよ」
そう言うと、先輩はワルサーppkを仕舞って立ち上がった。軽い微笑みを私に見せる。
「学校は無理、家に家族は居ない。だから高校から直接ここに来たんだろ?」
そう言い残すと、先輩は部屋を出ていった。ボクシングで負けたボクサーみたいに、その背中は小さく感じられた。
私は呆気にとられて、しばらく動く気にもならなかった。
先輩は言った。お前の居場所はここだけだと。
俺は、理想を掲げ、自分が中央に居ると勘違いし、夢に敗れた愚かな狙撃手。彼女はそう自虐したのだ。
(…そうだ)
私はあの場所が嫌いで逃げ出した。家に帰っても夕飯を用意してくれる人はいない。
確かに、MEIにだってそんな料理人はいない。
いないけど、安らげる。
仲間が居る。敵陣や、待ち人が居ない場所より、よっぽど心地が良い。マイナスより0、0よりプラスなのだ。
私がMEIに所属する時、雪音は告げた。ここで《眼》の力を消す手助けをしてくれ、と。
今思い返すと、彼女の、私に目的意識を持たせるというあの意識は大事なことだったのかも。
「…簡明な事なのに」
私はぼそりと呟いた。
窓を覗くと、空の雲は消え去り、タワーの奥には虹が見えていた。
「おっ、雪音、帰ってたのか?」
翠が部屋から出ると、そこにはライブの練習から戻った雪音が静かに佇んでいた。汗が垂れて、やや疲れている様子だ。それとも、雨で濡れただけだろうか。
「そういやもうすぐ船上パーティなんだろ? この間の新曲も…」
「…居場所が必要だ、と言ったのかい…」
雪音は冷たい視線で翠を見る。翠が怯むには値しないが、少し怒っているように感じ取れた。
「そうだが」
「…僕はあまり賛同はできないな」
「あそ」
何が言いたいのだろうか。ミステリアスな彼女の発言には慣れてるが、いつだって意味が分かるわけじゃない。
翠は雪音を無視してロビーへ向かった。
(---っ…)
---どうして誰も気付かないんだ。この組織の脆弱性に。
傷の舐め合いをするこの居場所は、本当に孤高の要塞なのか?
黒乃をMEIに勧誘したのは、本当に正しい選択だったのか?
雪音はその真理を今直ちに示せない事に苛立って、溜め息を吐いた。
そして、人気歌手に相応しい、透き通った声で微かに呟く。
「組織は、内部から崩壊するものなのに…」
雪音がドアの前で小さく漏らしたその言葉に、部屋の中の黒乃は気付くはずも無かった。




