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DiAL  作者:
第3章「夢に敗れた愚かな狙撃主」
16/48

#15「Escapee」

夢を見ている。

何年前の話なのだろう。

私には親がいた筈だ。なのに、今は一人暮らし。

何で、私は親がいないんだっけ---


朦朧とした意識の中、私は死にかけていた。

もう手足も動かせない。

私はこの業火の中、体を焦がされて残酷に逝く。その覚悟はできていた。

だけど、死にたくない。

まだやってないことがある。

別れて寂しい人だっている。




---死にたくない。




その思いが具現化したように。

黒曜石のような漆黒が私を包み、精神に干渉する。

死を恐れていた私は、それを拒む気にはなれなかった---




***




「…ん」

夢から解き放たれた。眩い蛍光灯の光に、私はすぐ目を細める。




---夢の内容は、忘れてしまった。




楽しい夢だったろうか。例えば、目覚めると向日葵畑の真ん中に立って、その視界の先に---

(…いや)

この状況で、それは有り得ないだろう。きっと悪夢だ。ナーバスに物事を考えるべきだ。

私は周りを見渡す。たまに寝泊まりしていた、MEIが保有する例の宿泊部屋のようだ。

窓外の景色を確かめる。星が霞んで見えない、いつもの渋谷の夜景。もう、そんな時間か。

体には、白い毛布が掛けられていた。隣には、医師ドラマでよく見る点滴もある。

そこで私は、漸く状況を理解した。

首筋を触る。包帯が巻かれているようだ。真新しい、ざらざら感のある包帯。

服装も確認してみると、エメラルド色をした、病院の患者そのもののような服だった。

(そうだ…私は褐間に自殺させられそうに…)

そこまで思い出して、私は背筋を震わせた。

あの時の恐怖といったら恐ろしかった。2年前、《彼女》が死んだ交通事故と同じぐらいの衝撃だった。

私は確か褐間に和樹の短剣を向けていたが、突如先生が私を《隷属眼》で操って、自分の首筋を自ら刺して---




---でも、生きている。

(…奇跡みたい)

私には、その言葉が最適だと思った。

包帯越しに、自分の首筋の感触を確かめる。喉をすれすれで避けて、右肩側に刃筋が鋭く流れている。

傷はそれなりに大きそうだが、こうして存命している以上、命に別状はないのだろう。

その時、部屋のドアが突然開いた。

「っと、目覚めたか」

「…あ」

入ってきたのは、私服姿の和樹だった。屋内なのに黒いパーカーを頭に被っている。

「よかった…記憶あるか?」

「うーん…首を斬った所で、記憶が途切れてる」

「そりゃそうだよな…でもホント、助かってよかった…。俺がギリギリで褐間に攻撃して《眼》の制御を弱めたんだぞ?」

「はは…ありがとう、和樹」

剣筋が途中で逸れたのはそういう事だったのか。

「…先生は?」

「逃げた。校門に警察がうじゃうじゃいたはずなんだが、《眼》を惜しみなく使って強行突破したんだろう。ほら、これ今朝の新聞」

そう言うと、和樹は側から某新聞社の記事を見せる。

見出しは《高校文化祭で殺人事件 容疑者教師未だ逃走》。

細かい部分まで読むと、殺されたのは同校の教師などと言った詳しい情報が記されている。女子高生が意識不明の重体だとかいう記事は見当たらなかった。

(…はっ)

そこで私は一つ、重要なことを思い出した。

「どうした?」

「私の《血》は…? 首切って、だいぶ教室に散っちゃったんじゃ…」

「大丈夫だ、守り切った」

和樹は素っ気ない顔で答える。

「…ホント? …ありがとうっ!!」

私は和樹に勢いよく抱きついた。和樹は軽く赤面する。

「おっ…てうわっ!? ど、どうした、黒乃」

「…っ」

「…黒乃?」

私は和樹の胸元で泣いていた。泣きじゃくった。和樹が見ていようと、お構いなしに涙を流した。

「…怖かったの。私がもし、殺人の材料なんかにされたらって…自分の《血》が…そういう用途に使われるのって…すごく…怖い。和樹…、ありがとう。…えへへ」

「べ、別に俺は…てか服濡れちゃうから」

和樹は頬を染めながら言う。

「え、あ、ごめん」

私は和樹から離れると、涙を拭った。

「黒乃も泣く時あるんだな」

「それ、どういう意味よ…」

「いやー、剣道強いから心も強いのかなって思って」

「精神論とか、私はズルで剣道やってきたから分かんないよ…って、痛たたた」

動き過ぎたようだ。私は首筋を押さえた。

私には傲りがあった。それは、褐間の話で痛いくらいに理解していた。

私は剣道というものに舐めてかかっていた。剣道部に入部したくもなかった奴が、友人の事故死を動機に入部なんて、そもそもそこが間違っていた。

「おいおい、あんまり無理するなって…まだ寝てろ」

和樹は私の背中を支えてベッドに横たえさせた。

「大丈夫、大丈夫。で、その後どうしたの?」

「B班が来てお前を緊急搬送した。教室の《血》とか、争った跡は手早く隠蔽したから、警察も学校も事情は知らないはずだ」

「そっか…ならよかった」

「…俺はこれから帰る。お前は…もう寝てろ」

そう言うと、和樹は部屋を後にした。何だか素っ気ない感じだ。和樹なりの優しさだというのは、気付いていたけど。

「はぁ…」

ともあれ、死ななくてよかった。

怪我は首だけに収まっている。私が気絶した後、褐間先生がまた私を操って心臓を刺したりしなくてよかった。

手足は普通に動かせたので、私はベッドから降りた。

机の上には私のスマートフォン。2046年9月24日、23時01分、と時間を確認。

(…文化祭は23日だったから…1日以上寝てたのか)

その割には、あまり体が鈍ってない気がする。走れる気さえする。

私は再びベッドに潜った。

(…今日は文化祭の代休だったはずだから…明日は…)






***






「…え? 黒乃が居ない?」

翌日早朝。鮮やかな陽に照らされたMEIのロビー内で、和樹からの言葉を聞いた翠はそう言った。

「ああ…翠姉は知らない?」

「さっき学校行ったよ。あの怪我で行くとはねぇ、強い女は好きだ」

そう言って翠は笑い飛ばした。が、

「ん? どーした和樹」

「…くそっ!! 何であいつ…!!」

和樹はそう言うと、一目散にロビーの出口へ駆けて行った。






***






私は高校の校門を通り抜けた。

スクールバックの中には教科書、ノート類、そして折り畳み傘。

高校の向かいにある家の玄関では、植木の側で黒猫が顔を洗うような仕草をしていた。いつ見ても可愛らしい。

私と和樹、褐間先生の争いはB班が隠蔽してくれた---和樹はそう言っていた。ならきっと、私はいつも通りの高校生活を送れる。褐間先生が事件の第一容疑者にされているのは周知のことだろうが、私の関連性は疑われない。

私は何の恐れも無しに中央棟の階段を登っていくと、3年D組の教室に入った。




瞬間。

(…え)

何か嫌なものを感じた。

教室に入って、視線が私に集まるのは慣れている。私は碧髪で、周囲から浮いた容姿であることはこの3年間で分かっていた。

分かっていた筈なのに、今日の視線は何かが違う。

視線の数が尋常じゃない。そして、視線の色も違う。

蔑むような冷たい色。巨大な猜疑心の塊。私に対する、怯防と言っても過言でないほどの態度。

このクラスには剣道部の同級生がいる。私は彼女の姿を探す。

すぐに彼女の姿は見つかった。喧騒が飛び交う教室の中央に。

「あ…」

私は彼女に声を掛けようとしたが、視線を逸らされた。

そして、何かを思い出したように教室の外へ出て行く。演技であることは私にも明瞭だった。

(…?)

私には自分が何をしたらいいのか分からなかった。取り敢えず、自分の座席へと座る。

そして、机の中を確認した時だった。

(…手紙?)

机の中に入っていたのは、手紙の入った封筒だった。形状が集金袋のような縦長タイプであったことから、ラブレターではなくただの連絡であることは何となく想像がつく。




だが、その内容はその両者でもなかった。

『朝のHR後、校舎裏に来い』

まあ連絡と言えば連絡なのかも知れない。だがこの乱暴な文字の書き方と、命令形の言葉に、私はとてつもなく怯えた。

突如、チャイムが鳴った。担任の先生が前の扉を勢いよく開き、私は急いで手紙を鞄に仕舞う。

「えー、一昨日は文化祭お疲れ様。今日は…」

「先生、褐間先生が容疑者ってホントですか」

教卓の前に立って話し始めた先生に対して、生徒がいきなり質問を投げつける。きっと先生にはある程度予想のついた事態だ。

「えー、その件については後で話すとして…」

「今日の倫理の授業どうするんですか」

「現代文は代理の先生来るんですか」

「何で先生が容疑者なんですか」

先生はD組の生徒を取りまとめようとするが、生徒は好き放題に質問を交わす。

そんな中、クラスの女子グループで女王的存在であった生徒の一言に、私は凍りついた。




「碧柳さんが《異能力眼》持ちってホントですかぁー?」




(…っあ…)

私の喉で、声にならない声が鳴いた。

「え、マジ?」

「でも両目黒いよ…」

「オッドアイ見たって噂もあるぜ?」

女子生徒のわざとらしい質問に呼応するように、無責任な発言が教室中を飛び交う。

女子生徒の顔はこちらを向いて、笑っていた。

私は悟った。この教室は既に敵陣だったのだ。

「ちょっと静粛に…って、おい、碧柳くん!?」

(…っ…!! 誰か…!!)

私は鞄を持って教室から逃げた。後ろから先生の声が聞こえたが、追い駆けることはしなかった。




だけど。

(ほら、やっぱりそうなんだよ、碧柳)

(前から怪しいとは思ってたんだよなぁ)

(あんな脆弱な奴が準優勝なんか有り得なかったんだよ)

私を裏切った彼らの声は、廊下へ出ても、階段を下っていても、いつまでも追尾してきていた。実際の声ではないけど、本当にそんな声の波紋がこの空気を震わせているようだった。

いや、私が彼らを裏切ったのだろうか?

倒錯した主語に私は迷いながらも、私は逃げ続けた。




再びチャイムが鳴った時、私は校舎裏に居た。男子生徒が2人、こちらを向いて冷笑を浮かべている。

ほんの数分、校舎内に居ただけなのに、外は小雨が降り始めていた。

「…あなたたち」

「悪いな、新聞部はこーゆー特ダネに目がないんだ。お前の正常な目もないみたいだけどな」

私が自殺させられかける直前、褐間との戦いを覗いていた2人だ。新聞部の部員だったのか。最悪な奴らに見られてしまった。

---何で、今まで忘れていたんだ。

「お願い、聞いて。あの時は褐間先生に殺されかかって、それで…」

「正当防衛って言いたいのか?」

「そ、そう!! だから…」

私が説得を試みようとしたが、男子生徒は口の前で人差し指を揺らす。

「だが証拠が無い」

「…っ…しょ、証拠も何も私は殺されかかって」

そこで私は言葉に詰まる。

あの時、私には外傷が無かった。攻撃されたことと言えば、和樹に首を絞められたことぐらいだろうか。

つまり、褐間は直接的に私に危害を加えていない。それを正当防衛と言ってしまって、正解だったのだろうかと今更後悔する。

その上、私は褐間に一方的に攻撃した。メイド服についた返り血がその証拠だ。

「俺にはあの状況、碧柳が先生の肩を斬って牽制したようにしか見えなかったなぁ」

「あ…あれは首を絞められて」

「それに《異能力眼》持ってるんだってねー? もうその噂もばら撒いちゃったし」

「…っ」

完全に詰んだ。弁解のしようが無かった。

「碧柳。俺らはもう一つお前のネタを握っている」

「…やめて」

「先生、言ってたよな。お前の《眼》で私がこれからどうするか視れば、って。その《眼》、未来予知系統の異能力だろ?」

「…っ!!」

顔を顰める。

「図星か。分かりやすいなぁ」

新聞部の生徒は笑う。こういうタチの人は、勘が鋭くて、相手の感情を揺さぶるのに長けている。

「だとしたら、そりゃあ剣道の大会で準優勝なんて余裕だよなぁ?」

「ちが…あれはちゃんと実力で」

「だから証拠が無いって」

もう一人の生徒が言い放つ。勝ち誇りの顔だ。私は何も言い返せなかった。

「…んじゃ、このネタばらされたくなかったら」

「…やめて」

私は小さく呟いた。

「…は?」

「やめて…お願いだから」

私は必死に言葉を紡ぐ。時々、声が凋んで泣いたような声になる。

だが、私の懇願はあっさりと断ち切られた。

「おい、美少女が泣けば何でも許されると思ってんのー? これは剣道界に関わる問題だよ?」

新聞部の生徒は嘲笑う。

剣道を素人が語るな、と言いたかった。だが、それは私も同じだった。いや、本当の剣技を知らない私は最早それ以下だ。




私の精神はそこで完全に折れてしまった。

「……っ」

私は鞄を持ったまま、校門の方へと逃げるように走った。

---もう、この学校全てが敵に侵されていたのだ。

「あーらら、逃げちゃった」

「ま、でもネタをばら撒く許可を貰ったって事で早速…」

彼が携帯を取り出してタイムラインの投稿に文字を打ち始めた事など、私は知る由も無かった。




校門を出る。

黒猫の姿は居なくなっていた。雨は更に強くなって、私の酷く冷めきった体に更なる追い討ちをかけるが如く、水滴が強く打ちつけた。

折り畳み傘も持っているが、差す気にもならず、ただ豪雨の中を走り抜ける。

一刻も早く、あの冷たい敵陣から去りたかった。距離を置きたかった。

(もう…あそこには、戻れない)

私の居場所は、完全に失われた。心の中にさえ、安堵できる場所は無い。



雨に濡れた顔を、大量の涙が伝って行くことさえ、私は気付けずに走っていった---




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