#14「My former teacher」
「な…何言ってるんだ? 《インビジブル》って一体…」
「惚けないでください」
明らかな動揺を見せる褐間に、私は冷徹な視線を向ける。
何たって、この人は私の《血》を求めている。求めて、不老不死を手に入れる。そう見て間違いないだろう。
下手すれば殺される。
このままいけば、先生はスーツの中にある拳銃を取り出して、私を撃つ。私の《終末眼》は、そう訴えていた。
だから、私が説得しなきゃ、この未来は変わらない。それがこの《眼》の法則ルールだから。
「知らないなら、私が教えます。《異能力者》のマフィアです」
「い…《異能力者》って、あんな風の噂に聞くような話が」
先生は体を凍りつかせながら、尚も白を切る。何故ここまでして誤魔化そうとしているのか疑問であったが、私は更に問い詰めた。
「あるんです。それを今から確かめるんです」
たじろぐ先生と、状況を理解できない和樹を余所に、私は先生の前に立つ。
「先生、私は今から警察の方に電話します。いいですね?」
「…」
「…そうですか」
こんなに堂々としている私は自分でも気持ち悪かった。
私は先生の沈黙を肯定とみなし、ポケットに右手を突っ込んだ時だった。
「…!!!」
突然、右手が動かせなくなった。
「消えろ!!!」
続いて、褐間が激しく怒鳴りつけた。そして、
「うわっ…!!!!」
「黒乃!!!」
突然、私の体が後方に激しく吹き飛ばされた。倒れたところを、和樹が受け止める。
「大丈夫か?」
「いたたた…う、うん…」
体が強制的に動かされたような、とても変な感覚だった。
「それで…和樹?」
私は顔を上げて和樹に尋ねる。和樹は厳しい顔で答えた。
「…ああ、染まったよ。《褐色》に」
私は立ち上がって先生の方を向いた。丁度、《左眼》から色が失われている最中だった。
「…最早、言い逃れはできないな。君のような勘の鋭い生徒を持ったのが不幸だった」
「それは私もです。…信じていたのに」
私は僅かに憤りを含んだ声で唸った。
「私は《隷属眼》を左に持つ。見た相手の体を自由にコントロールできる。とはいえ動かせるのは骨だけで、心臓破裂だとか、内部器官の操作は不可能だが。碧柳の《眼》は何だ?」
「…やっぱ、知ってますよね」
自分の《異能力眼》が露見していた事に、緊張が走る。もしかしたら知らないんじゃないか、という希望は呆気なく潰えた。
私は、剣道以外の場面では、校内で初めて起動した。《左眼》に少しずつ、碧さが染み出る。褐間は微動だにせず、私を鋭い目付きで見据えていた。
やっぱり、この人は私の《血》を狙ってる。そして、恐らく和樹の分も。
「…《終末眼》です。自分を除いた対象物の未来を予測する」
「自らの将来は分からないのか、何て不完全な」
先生は冷笑する。
「それにしても、見事な推理だった。画鋲の数を把握していたのか?」
「まさか…昨日、掲示板の画鋲を取り払ったのに一つだけ刺さっているのが気になったので」
「それはまさしく不幸だ」
先生の歪んだ笑顔に、私は怯えながらも話を続ける。
「でも動機は何ですか? 職務上、何かトラブルでも…」
「一つヒントをやろう。俺の娘と、長谷川の息子は同じ高校の同級生だ。もう解るな?」
褐間は既に教師の体裁を失っていた。
「…虐めですか」
「ご名答」
適当に言った答えが当たり前のように正解するこの世界に、私は酷く戦慄した。ヒントがそのまま、答えであるかのようだった。
「内容は主に虐待と暴力。あいつの子供のせいで、娘はしばしば学校を休むようになった。倫理教師の癖、指導がなってない奴に天罰をな」
「そんなことで長谷川先生を…見損ないました」
勿論、《そんなこと》というのは虐めではなく、先生を恨む動機のことだが。
「勝手にしろ。…だが、本当の理由はそこではない」
「え?」
私は話の展開が逸れたことに、疑問を募らせる。
「碧柳、お前の推理には落とし穴がある。画鋲なんて、学校の備品として教師が持っていても別に何の違和感もない。それなのに俺がわざわざ教室の掲示板なんかに刺しといたか分かるか?」
褐間の言葉に、私ははっとする。
「…まさか?」
「そのまさかだ。あれはお前の為に撒いた《餌》だ」
「…っ!!!」
また、しくじった。
そうだ。何かおかしいとは思ったんだ。
あんな面倒な手法をとった凶器を、わざわざ現場のすぐ側に残されている、あの状況。私は事件を解いたのではなく、解くように誘導されていたのだ。
「じゃあ…こうやって私が先生の所に来る事も予測して…」
「ああ。赤原が来るのは予想外だったが、寧ろ都合がいい」
「…っ」
和樹は隣で苦そうな顔をする。やはり和樹の《異能力眼》も知ってて…。
「その様子だと理解しているようだな。《虹色の血液》に関して」
「…ああ」
和樹は、褐間が過去の恩師であることを忘却の彼方へと追いやっていた。私の前へ出て、先生の前に立つ。
「碧柳は《碧》、赤原は《赤》。ここで殺せば、一石二鳥だ」
「黒乃は殺らせねえぞ…」
「面白い」
褐間は、今までになく極悪の笑みを見せた。
私たちは、《奪命眼》の材料の7色内で、2色を持つ。あの、寿命を奪う《眼》の材料。
「ただ殺すだけではつまらん。碧柳には、最悪の殺され方を施そう」
そう言うと、先生は《眼》が再び褐色に色づかせると、突如和樹が振り返った。
「…え?」
途端、和樹の両手が私の首元に迫った。そして、
「…っあぁ!!!!」
「え…!!!?」
私の細い首を、和樹の両手がきつく締め付けた。私はそのまま、後ろの壁に叩きつけられた。足が宙に浮く。
「…や…やめて…。かっ、和樹…」
「ち、違う…俺は……褐間、てめえ!!!」
私の荒い吐息が和樹の額に吹き付けられるが、和樹はそれを無視して男の名を叫ぶ。
「悪いな赤原、そいつには最低の死を与えなければならないのだ。教師として」
「生徒を殺す教師がどこにいる!!! 今すぐやめてくれ!!!」
和樹は怒鳴るが、褐間は無視して、首を絞められる私に軽蔑的視線を送った。私は後頭部を強く打ち付けられ、早くも意識が朦朧としている。
そういうことか。私は褐間の褐色に染まった《眼》を見て漸く状況を理解する。
褐間が《隷属眼》で和樹を操っているのだ。「碧柳の首を絞めろ」、と。
私は両腕を動かして和樹の手を外そうとするが、強制力が強すぎてびくともしない。《眼》の力はそれほどまでに絶対なのだろうか。
「碧柳、私がここまでしてお前に残酷に死んでもらいたがる理由、分かるか?」
「そっ…んな…。わ、私…先生には何も…っ」
私は途切れ途切れに、微細な音の波を紡ぐ。
「今年の関東大会、覚えているか」
「え…?」
先生は突然そんな事を口にした。関東大会の事が何でここで…。
(…待って)
思い出せ。
何かが引っ掛かる。
関東剣道大会、準決勝。
相手はBブロックのシード権。
「その顔だと、どうやら理解したようだな。自分のしたことが」
嘘だ。まさか…。
試合では稀に見る風車戦法を使った、彼女の名は---
「褐間四葉、私の娘だ」
「…そっ…んな」
私は絶望の淵に立たされた。
「碧柳---お前の戦闘スタイルは私が学校に入って来た時からこの間の決勝戦まで、徹頭徹尾おかしかった。四葉の風車戦法なんて、剣道の試合では極稀にしか目撃しない。それなのにお前は先手で攻撃を打ってきた四葉の攻撃に、慌てることなく防御していた」
そうだ。よく考えれば当たり前だ。
風車戦法。竹刀を片手に持ち、肘を中心部として風車のように回す技だ。遠心力があるとはいえ腕の力がかなり必要なこの戦法は、通常試合では用いられない。だが、彼女はまるで竹刀を鞭の如く軽く振り回していた上、一撃分のダメージが非常に重かった。それが連続で私の四肢に痣を刻むのだから、堪ったものじゃない。
あの試合は、《眼》を使わなくては敗退は必須だっただろう。
「…っ…いつから…このっ…《眼》に…気付いた…ん…ですか」
「試合中、僅かに《眼》が色付くのが見えた」
「…っ…ち、違う…」
私は必死に答える。が、
「違わねえんだよ!!!!!」
先生は激昂する。途端、
「っ…ああっ…!!!」
「黒乃!!!!」
和樹の手の握りが強くなる。和樹は、怯えたような顔をしていた。
「だ…大丈夫…だよ、和樹。そんな…顔…しなっ…いで」
私のせいで和樹がこんな目に遭うなんて。
自分では悪いと思っていた。いつかこんな行為、止めなくちゃと何度も省みた。でも、結局は繰り返しだ。始めるのは簡単なのに、終わらせるのは私にとって崖を飛び降りるに等しかったから。私はそこから先に踏み出せなかった。自制心が弱すぎた。
反省だけで、自心を満足させていたのかも知れない。私はルールブレイカーだと自覚して、そこからの進展は望めなかった。否、望まなかった。
傲慢、なのだろうか。《自覚はあるからそれで十分》《自省はできているから私は偉い子》なんて馬鹿げた思想が、私の心に根差していたのか。
準決勝で挑んだ相手---四葉は、実直に努力を重ねていたに違いない。その《勝ちたいという思い》を、私は《卑劣な手段》で踏みにじった。後から事情を理解して客観視すれば、私は何と非人間的なのだろう。
初試合で見事な勝利を飾った果てに先輩から感嘆の声を上げられ、主将になってからは後輩に輝かしい視線を向けられる日々。偽善でありつつも関東大会でも勝利を重ねていた…そんな状況で《眼》の使用を止めるなど---
いや、それも言い訳だ。
私は自分の罪を理解していながら、その言い訳を利用した。その結果が、この惨状。
褐間先生の娘はチーターの私に惜敗して不登校生徒化、その先生は闇堕ちして長谷川先生を殺害、全く関係のなかった筈の和樹は私を殺すという理不尽な状況に嵌められている。
全て《眼》のせい---ではなく、《眼》を使うことを諦めなかった《私自身》が引き起こした、悲劇。
全部、私が原因。
今更後悔しても、長谷川先生は生き返らない。
---そして、もうすぐ、私は和樹に殺される。
(…それは…それだけは…ダメだ!!!)
だが、私の意志は揺らがない。
この状況を打開する策は、一応浮かんでいた。
私は和樹に目配せする。その両腰には、銃が持てない故に持っていると言っていた、鋼鉄の双剣が。
和樹は私の視線に気付いてくれた。続けて私は、宙吊りの足を細かく動かす。和樹が正面に立っているので、先生からは死角の位置だ。
和樹は私の意図を理解したのか、小さく笑った。
お願い、上手くいって…!!
「さて、罪人よ、どうする? その場で服脱いで土下座するなら採血だけでも赦してやるが?」
「そんなの…最低です、ねっ!!」
私は、肺の中に残る空気の全てを罵声に費やすと、全力で和樹の胸板を蹴り飛ばした。
「ごほぉっ!!?」
「ごめん、強すぎた!!!」
和樹は大きく前方へ吹き飛ぶ。喉の締め付けがなくなった途端、私は新鮮な空気を全力で貪る。
そして、倒れた和樹の右腰から双剣の片方を引ったくった。
「!!!」
「私は…貴方を赦さないっ!!!」
先生の左肩へ降り下ろす。短剣を握った、私の手を。
先生は余裕に満ちた顔で嘲笑する。
「ふ…この程度の……っ!!?」
だが、私は嘲り返す。
これが作戦だった。
先刻、和樹が《眼》の効果を掛けられている間、私の手足は自由だった。和樹の手を解除しようとしても、先生は何もしてこなかった。
先生が意地汚いだけかも知れなかったが、《眼》の効果は同時に一人だけしか掛けられないのではと、大きな賭けに出てみた。
何もして来なかったのではなく、何もできなかった。
予想は見事に的中。
私は、和樹に首を絞められた時から理解していた。
私が先生に飛び掛かると同時に。
和樹が双剣のもう片方を持って。
私と反対側の右肩を狙って、斬りつけて来ることに気付くなど。
気付いたとしても、二人同時の制御は不可能なのだと。
有効打は、意外にも私の方だった。
「ぐっ…!!」
先生の左肩は紅く染まり、Tシャツの切れ目から嚇々とした液体が垂れた。
私は、すぐに刃の先端を先生の顔に向け直す。先生は右手で傷を押さえるが、座り込むほどではなかったようだ。
「ごめん、ちょっとビビっちゃった…」
私は頬についた返り血を左手で拭う。
初めて剣を扱った。初めて、人を肉体的に傷付けた。竹刀ではなく、真剣で。
いくら素振りの練習をしている私でも、それには一時の躊躇が伴う。その為に、先生に与えた傷は浅いものになってしまった。
「大丈夫だ…。しっかし変な感覚だ」
和樹も同じように、刃先を先生に差し向ける。剣を握った腕の操作を操られたことを言っているのだろう。
「…くっ」
「おっと褐間、《眼》を発動させたらまた刺すぞ」
「…ふっ…赤原は私への言葉遣いを直すんだな」
先生は左肩を右手で押さえながら、苦い顔で和樹を睨んだ。
そして、私の方へ振り向く。
「…私の《眼》の特性を理解した上での、この攻撃か?」
「確証は無かったですけど」
私は澄まし顔で答える。
「先生、自首してください。先生の罪は赦されるものではありませんから。最初はこんな争い、するつもりなんか無かったのに…」
「…ならば、貴様の《異能力眼》で私がこれからどうするか視ればいいじゃないか」
先生は私の黒い瞳を覗く。
「…その必要はありません。私は先生を…」
私が先生に向けて、そう言いかけた時だった。
「碧柳…?」
その声に、思わず振り返る。
そこには、同じクラスの男子生徒が2人。それを認識した途端、私の背中に悪寒が走った。
(な、何で…!!? 鍵は閉めたのに)
「お前…、何やってんの?」
片方が不安げな顔で見る。
「その剣…、返り血…。先生刺したのか?」
私は恐ろしくも、自分のメイド服を見る。白いエプロンの所々に赤い斑点の跡が禍々しく残る。
「ちがっ…こ、これは!!!」
「それに今、《異能力眼》って…」
2人の言葉を、私の心を確実に抉っていく。和樹の顔が後ろで青ざめているのは、容易に想像できた。
先生に向けられた短刀。肩の傷。《眼》に関する会話。
最早、言い逃れは出来なかった。
「待って、誤解だから!!! これは…」
私はそう言って2人に近付こうとしたが、
「ひぃっ!!」
二人はすぐさま廊下へ逃げ出してしまった。完全に、怯えきった顔で。
「あっ…待って!!」
剣を持っていたのがまずかったか。私は短刀を手放そうとするが、
「…え?」
放せなかった。というか、右手が動かせなかった。
(まさか…)
私は振り返る。そこには、《左眼》を褐色に染めた先生が屹立していた。
「---罪を償え」
先生が嘲笑と共にそう言った瞬間。
私の持つ短剣の刃が、自分の喉元に向けられた。
例の妙な感覚を、体に伴いながら。
(---自害させる気!!?)
「黒乃!!」
私は、和樹の叫び声を微かに聞き取った。
紅い血飛沫が上がる光景を見て---
---私の記憶は、そこで途切れている。




