#11「Stuff of the rainbow blood」
---人間の愚かさには、限界がない。
豪奢な飾りのついた黒い椅子の上で、ある男はそんなことを想う。
この42年間を生きて、我は人間の退化の過程を見てきた。
42年なんて、大した年数じゃない。だが、この短期間でも、男には分かってしまう。
剣は、最初は眩い光を解き放つ英雄の武器。
だが、その輝きは段々と失われ、最後には錆びて朽ち果てる。
そんな儚い終焉が人間にはお似合いな筈なのに、人間は執拗に生き延びようとする。
最後まで見苦しく、綺麗に現世から消え去る事を望まない。憎むべき対象。
そんな人間共が、自身を含めて大嫌いなのだ。
だからこそ、その無様な姿を見ているのは滑稽だ。愉悦だ。
男の《眼》は、万物の成長、或いは衰退を操る。
だが、そこに人間は含まれない。
我は長い年月をかけて人間が朽ちて、この世界が結末を迎える様をこの目---いや、この《眼》で見届けたい。
「マスター」
真っ暗な部屋のドアが開き、少女が長い銀髪を靡かせて現れる。
「…何だ」
男の唸るような声に、ゴスロリ姿の少女は答える。
「終に、マスターの長年の願い---叶える刻が訪れました」
「…ほう」
少女の言葉に、男は組んでいた足を戻して立ち上がる。
「ほうほう、終に!!! 終に、見つけたのか!!!!」
「はい。《彼ら》の特殊な《眼》を《彼女》がコピーして」
「やはり情報の出所はそこか…。…では聞かせて貰おうか、我が願いを叶える手段とやらを」
「はい、ただいま」
すると、少女は嬉しそうに語り始めた。
「願いの材料は、選ばれし7人の《血》…」
***
私が本部のロビーを掃除している時。
「もう10年か…」
「え?」
ふと、席にいた紺堂リーダーが呟いた。新聞の1面を見ながら。
「何がですか?」
「2039年8月30日、岐阜のある村で大火災があったんだ。知らないかい?」
「…うーん、聞いたことはあるかも…」
実際に当時のニュースを覚えているわけではない。きっとテレビで過去の事件や災害の特集番組を観たり、教科書の挿絵で載っていたりしたのを見たのが記憶に残っているのだろう。
「覚えてないんすか?」
その時、ロビーの入口から若い少年少女が3人入って来た。和樹と雪音、そして理だ。
「あ、そうか、君は…」
「え?何ですか」
「あ、いや、何でもない。こっちの話だ」
「…?」
隣の紺堂リーダーが小声で何か言い掛けたが、その先には口を塞いでしまった。「こっち」の話だけでは無さそうな気がしたが。
「通報は午後7時02分。近隣の住民が『山火事が起きている』って消防車を呼んで、到着した頃には村の南は3分の1以上焼けていた。完全に消し止められたのは約4時間後。出火原因は焚き火の不始末だったらしいけど足跡が残らないくらいに周辺が燃えていたので容疑者の特定は不可能。村内では死者13名、重傷者2名、軽傷者42名という過去最悪の犠牲者数を記録したんすよ」
「…そりゃ理くんは覚えてるでしょ」
何も見ずにすらすらと災害の詳細を述べた理を私は不貞腐れながら見た。一度《刷憶眼》で目撃したニュースは忘れない、ということか。
「容疑者はまだ?」
「そうだね。今朝その火事の特集をやってて、未だに捕まってないという話だよ」
理の代わりに雪音が答える。いつもより表情が穏やかなのは気のせいだろうか。
「…何だか雪音、上機嫌だね」
「理に割り箸で勝ったのさ」
「…!?」
話が飛躍しすぎて、一瞬内容が頭に入らなかった。
「わ…割り箸って、指でやるアレ?」
「そうだよ」
子供の間で流行っているゲームだ。2人が両手を出し合って指で自分が保有する数字を表し、相手や自分の手を交互に触っていくとその数が足される。出している数字が5、つまり手がパーの状態になったらその手は脱落、相手の手を両方落とした方が勝ちとなる。
数学的にやれば勝率の上がる手順もありそうだが、私はたかがその程度のゲームに本気を出そうとは思えないタイプの人間なのである。
「中1相手に割り箸で勝って喜ぶ高3…」
「彼が相手だからこそ意味があるのさ」
(そういうものか…)
確かに理は一般の中1に比べれば圧倒的に頭が切れるだろうが。
「先輩大人げないっすよ」
「僕は18歳未満だ、まだ大人じゃないさ」
「…」
理と雪音が楽しそうに談笑する中、その後ろにいた和樹はやや消沈気味だった。私にはふと、その様子が気になった。
「和樹」
「…」
「和樹ってば」
「…ん、ああ、悪い。何だ?」
「大丈夫?具合悪いの?」
「違うよ」
和樹は私の顔を見て淡々と述べる。睨まれているわけではない。ただ、何か奥を覗き込むような、私の中身を見据えるような鋭い目付きだった。
「さっ白神兄から連絡が来たんだ。『A班全員を至急本部に全員集めろ』って」
「へえ、だから皆で来たんだね」
「まあ、な…」
和樹がその先、何か言葉を発しようとした時。
「!!」
「…はぁ…はぁ…。…全員いるな?」
白神先輩と瑠璃波先輩が、本部の扉から息切れして入って来たのだ。
「結論から言おう。君たちは命を狙われている」
「「…………………………はい?」」
MEIでの集合会議の開幕即時、白神先輩からこんな事を言われ、私と理は言葉を失った。
左隣に座る和樹と雪音に視線を移す。
何やらとても深刻な顔をしている。どうやら先輩の冗談ではないようだ。
視線を更に移す。個室から出てきた翠先輩、黄緑谷先輩、自席に元々座っていた紺堂リーダーといつもの面々が並ぶ中、瑠璃波先輩だけがやけに憂鬱な顔をしていた。いつも私のことを気遣ってくれたあの先輩が暗い顔で俯いているその光景は、私にそれなりの衝撃を与えた。一体どうしたのだろうか。
「まあいきなり言われても分からないだろう…。まず僕が潜入捜査している闇組織の話から」
「はい…って、え? え?」
闇組織、その時点で私と理は嫌な予感を感じ取った。あまりにいきなりな展開についていけない。白神先輩がスパイをやっていたなんて話も初耳だ。
「とりあえず聞いてくれ、話が進まない。ツンデレちゃんと、ええと…」
「緑道理っす」
「そうそう、理くん以外のみんなも改めて聞いてくれ」
いつもならウケを狙ってくるところだが、今日の先輩は視線が鋭い。
「僕がスパイをやってる組織は、MEIと同じように《異能力者》が集まる特殊犯罪組織だ。その姿が全く目撃されていないことから《インビジブル》と呼ばれているが」
「《インビジブル》…《異能力者》の集まり…」
英語の綴りは確か《invisible》。《目に見えない》という意味だ。
「ああ、だがMEIと決定的に違う部分が2ヶ所ある。一つは犯罪組織であること。もう一つは、メンバー全員が《左眼》使いだということだ」
「ひ…《左眼》!!? 全員が!!?」
《異能力者》にとって、左側に《眼》を持つのはとても有益だ。発動・解除が可能だからだ。
《右眼》はそう上手くはいかない。能力の解除をするには和樹や黄緑谷先輩がやっているように、眼帯や眼鏡などで光の入射を遮る必要がある。ちなみに能力の発動具合の調整は人それぞれで、左右関係なく得手不得手があるようだ。私は手馴れた部類らしいが。
ていうか《異能力者》の割合は《左》の方が圧倒的に少ない、という話はどうなったのやら。
「その組織内には殺戮に特化した能力を持つ6人がいてね、彼らが主に事件を起こしているみたいだ。これがそのメンバー表」
すると白神先輩はスマートフォンを取り出した。理が尋ねる。
「これは?」
「僕が調べられた範囲でのメンバー」
私たちはその画面を覗いた。
表の一番上には「名前」「写真」「《異能力眼》」「備考」と書かれている。完璧な調査は不可能なようで、空欄が目立っていた。
「1人目は黄村昴。金髪で左腕が義手だっていう話は聞いたんだけど、《眼》は分からない」
「義手…」
私は何となく引っ掛かったその言葉だけを反芻する。顔写真はあるが、マスクをしていてちゃんとした顔立ちは分からない。
「2人目は《白銀凛》。銀髪の幼い少女で、互いの《眼》を相殺する銀色の《相殺眼》を持つ」
彼女も写真があった。相当幼いようで、理と同年代に見えた。長い銀色の髪、小さな顔、そして手に持つのは熊の人形。衣服もゴスロリじみていて、屋敷に匿われている幼い箱入り娘、みたいな印象だ。
「相殺って…皆の《眼》が全く機能しなくなっちゃうんですか?」
「恐らくはね…。…3人目は名前が不明なんだけど、《隷属眼》っていう、相手を身体的に自由に操作できる《眼》を持っているみたいなんだ。一度だけ姿を見たけど、なかなか強面そうな大男だった」
「隷属って何か嫌な表現ですね…」
身体的に操作、というのは恐らく「走れ」とか「殴れ」とかそういう命令のことだろう。なかなかに厄介そうな異能力だ。
「4人目も名前が分からないんだけど、《着色眼》という相手の《眼》をコピーするのもあるみたい。残りの2人に関しては、10代の少女と40代の男という情報しかない」
「え…組織に入ってても顔を合わせる機会が無いんすか?」
理は白神先輩の方を見る。
「僕は入ったばかりで下っ端中の下っ端だからね。それに、残った2人の女の子はどうにも表の世界での仕事が忙しくて殆ど本部にはいないみたいだし、もう1人の男性は組織のボスで、存在さえあやふやだ」
「そうっすか…」
「それで、僕がこの組織の事を話した理由なんだが」
「…」
白神先輩は私と理に視線を向ける。
「前に《奪命眼》の話はされた?」
何故その話題がここで繋がってしまうのだ、と思いながらも私は頷く。理もこの間、私が留守の時に和樹からされたらしく、揃って肯定した。
「寿命を奪う《眼》…でしたっけ」
「うん、それでね、リーダーの家から見つかったその明治時代の書物から、驚くべき記述が見つかっているんだ」
「…何ですか?」
「---《奪命眼》を創る方法だ」
「「…………………は?」」
本日二度目の嘆息。
「だ…《奪命眼》を、創る!?」
「ああ、正確には自身に《奪命眼》を宿らせる方法といったほうがいいかな」
「え…《眼》は遺伝性って前に言いましたよね!?」
「言った言った。だからそういう事だよ」
「じゃあ何で…って、え?」
「…なるほど」
理は言葉の意味が分かったようだ。だが、私の理解は及ばない。
「---《奪命眼》は全ての《眼》の起源なんだ」
白神先輩が軽く言ってのけたその言葉に、私は驚きを隠せなかった。
「《異能力眼》は約200年前の明治時代、日本上空のオゾン層を未知の隕石が通過した時に降り注いだ未確認ウイルスによって人々に定着したと言われている。そのウイルスを取り込んだ人の子孫は、祖先の《眼》を受け継いでいくけど、時を経ると恒常性を保てなくなってウイルスの形状が変化していく。《奪命眼》という殺戮に特化した力が段々と分散、あるいは弱体化して、今の多種多様な《眼》に変化していったんだ。逆を辿れば、明治時代は《奪命眼》使いしかいなかったということだ」
「そんな話…」
「有り得るんだよ。だから言われるんだ---《呪われた種族》だって」
私は《呪い》という言葉の意味を、はっきりと脳内に焼き付けられた。
白神先輩は続ける。
「そして更に悪いが、《奪命眼》の創り方もその遺伝性に直結する」
「…何ですか…?」
私は恐れ多くも、白神先輩に尋ねた。和樹と雪音は重い顔をする。
「…《赤》《オレンジ》《黄色》《緑》《水色》《碧》《紫》…7色の《異能力者》の血を使って《虹色の血液》を作り、飲む」
「…っ!!?」
あまりに予想外だったその作り方に、私は身を震わす。
血を…人間の血を…飲む?
「勿論実際に《血》が虹色な訳じゃない。普通に赤…だと思う」
「何で虹色を集めるんですか」
「染色体やDNAの形質上、《奪命眼》の力が最も残っている《眼》がその7色なんだ」
「…」
白神先輩の言葉に、理も、私も何も言えなかった。その理不尽な世界の設定に。
「そして最初に言った通り、この《虹色の血液》が、和樹と雪音も含めて君達がインビジブルに狙われている理由だ」
私は、言葉を返す気にもならなかった。
《赤》原和樹。《異能力眼》は《遡刻眼》。
《水》樹雪音。《異能力眼》は不明。
《緑》道理。《異能力眼》は《刷憶眼》。
《碧》柳黒乃。《異能力眼》は《終末眼》。
虹色の7色の内、4色がMEIのA班に集結している…?
「そして、さっき話した黄村昴という男---こいつは恐らく《黄色》の要素だ。だから、存在が不明なのは2人だけ」
「…そんな…っ」
私はその場でへたれ込んだ。理も絶望的な溜め息を溢す。
その時、私は見逃さなかった。
瑠璃波先輩の肩が僅かに震えるのを。
「…何で情報が漏れたんですか? 情報はリーダーの部屋に隠されていたんじゃ」
私ほ、やはり訊かずにいられなかった。自分でも酷な質問をしたと思うけど。
白神先輩は一瞬躊躇ったが、大きく息を吐くとこう答えた。
「…さっき言った《着色眼》の使い手に、優那が昨日接触しちゃって、そいつが《探情眼》をコピーして優那の記憶を読んだ…と思われる」
「…」
「…ごめんなさい」
瑠璃波先輩が重い口を開く。
「優那、あまり自分を責めるな…今回の件は仕方のないことだ」
白神先輩の言葉に、瑠璃波先輩は小さく頷く。泣きそうなのを我慢しているのは、容易に窺えた。
ミッションで失敗して他人の命を危険に晒してしまった。それを引き摺っているのだろうか。
「言っておくが君たちの素性が《インビジブル》にバレたとは限らないし、まだ、黄村を除いた6色の《眼》の使い手を探している最中かも知れない。僕が彼らから話を聞いて君たちの名前が出たらまた手を打とう」
「…はい」
私は、今の自分に何が出来るのか見当もつかなくさかった。
とりあえず、今は白神先輩の言葉を信じたい。今の私はまだ安全だという願いも込めて、私は短い返事をした。
***
「…以上が、《奪命眼》の創成方法でございます」
「ご苦労」
銀髪少女の話を聞き終えた男は、煙草を取り出して、一息吐く。少女は未成年のようだが、特に気にする様子はない。
「となると、もう目標の7分の3は達成されたな」
男は、笑う。
「はい、《インビジブル》の3人の採血は先程済みました。今ここに」
すると、少女は側から黒い杯を取り出す。中には赤黒い液体が大さじ3杯程度。
「ははは…しかし、《奪命眼》の材料がうちにすでにほぼ半分揃っていたとは奇遇だな。あと4人…《赤》、《碧》、《緑》と---《水》色か」
「その4人なのですが、おおよそ見当はついています」
少女の言葉に、男は「ほう」と感嘆の声を漏らす。
「…で、最初は誰を狙うんだ?」
男は鼻を伸ばして少女の返答を待った。
「最初のターゲットは《碧》---碧柳黒乃という少女です」




