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DiAL  作者:
第2章「最初の目標は」
11/48

#10「Air」

8月24日。

私の夏休みも佳境に入り、やることも溜まって遊ぶ暇も無い日々だ。

理がMEIに所属してから、私達A班は何度か事件の処理に携わった。そこにおける理の活躍は目を見張るものであった。特に、コンピュータのパスワード解除や2進法データの処理など機械面には強いようで、A班の事件解決速度は格段に上がっていた。

私も事件処理に携わることで随分と《眼》の扱いに慣れてきた気がする。瑠璃波先輩の言っていた『《眼》を人助けに使え』という言葉---私は、漸くそれを実践しつつある。

そんな日の、午後6時を過ぎた頃。

「あ、おかえりー」

「…何してるんですか?」

「テレビ」

高校からMEI本部に帰ってきた私は、ロビーのソファで寛いでいる白神先輩に声を掛けた。

「…先輩、暇なんですか?何かいつもテレビ観てる気が…」

「そ、そんなことないよ」

白神先輩は振り返ってたどたどしくそう言うと、顔の向きを再び液晶画面に戻す。私も後を追うように視線を動かした。

ジャーナリズム系の番組だ。左上のテロップには《激論!かつて云われた『持続可能な地球』とは》とある。国営放送のようで、人類と生物の共存についての討論が専門家や批評家同士で行われているようだ。そして、私は観て5分で飽きるタイプのジャンルでもある。

すると眼鏡を掛けたおじさん2人が話し合う最中、いきなり割り込んで別の若い男性が話を始めた。

『…ですから、人類と自然は渡り合えないのです』

(…この人、確か)

共存など不可能。そうきっぱりと言ってのけた画面の男を、私はどこかで見掛けたような気がした。周りの年老いた男性らに比べるとやや若く、立派なスーツ姿である。両目の真っ直ぐな目付きには、まるで自分の意見に微塵の誤謬もないとでも言い張るような厳かさがあった。

茶岳(さたけ)(うるし)

「え?」

「僕嫌いなんだよね、この人。余りに極端すぎて信用性が得られないよ」

白神先輩は画面を見据えながら、後ろの私に語りかける。

「《人類疎外仮説》の提唱者だよ。日本の哲学者の中じゃそこそこ有名だと思うけど」

「ああ」

思い出した。前に図書館で彼の哲学書を少しだけ読んだ気がする。こんな顔の人だったのか。

現在の地球は人類が誕生して以来、地球温暖化や森林伐採、その他多数の人的被害によって退化の道を進んでいる。彼が提唱したのは、今現在のこの環境から人間だけを完全に排除したら自然がどのように進歩していくか、という仮説---《人類疎外仮説》というものだった。

彼の主著とも言える『自然の窮屈』は2043年、50万部のヒットを起こした。人類が淘汰された地球の成長を神と名乗る人物(人ではないのかも知れないが)の視点から描くという新しいタイプの哲学書だ。映画やアニメのように建物の壁を草花が覆う描写もあれば、新種の生物の発生や人間が絶滅に追い込んだ生物の蘇りなど、彼独特の思考から生み出された描写もある。

彼の《人類疎外仮説》は賛成意見も反対意見もあるが、世間一般で見ると後者の方がやはり勝る。と言うのも、白神先輩が言うように、人間は不必要というあまりにも極端な意見であるからだ。多くの哲学者に「じゃあお前も人類の滅亡に付き合うんだな」と問い質されているようだが、その度に彼は「その覚悟はある。ただ、私の持論が本当に同じ道筋を辿るのか、それだけを人間世界の終末で確かめてみたい」という発言を繰り返しているのだ。

「まあ、私はどうでも良いんですけど」

そう言うと、私は白神先輩の隣に座ってバッグを下ろした。このような大人たちの話し合いについていける程、私は賢くない。

「ふーん、そっかー…そういえば部活の方は?」

「…理くんがMEIに入った日に、とっくに引退してますよ」

先輩にはだいぶ前に、もうすぐ大会があるという話をしていた。何故今になってその話を持ち出すのやら。

「へー、大会の結果は?」

「準優勝」

「うわー、惜しいね」

白神先輩は悔しそうな声を出す。もっとも、悔しいのは私の方なのだが。

この準優勝という結果は、私の過去3年間の剣道関東大会で最高の結果だ。1年生の時は1回戦敗退だったが、2年生ではベスト16まで、今年は準決勝でシード権の強敵に辛勝した。

このシード権持ちの相手がなかなか厄介だった。確か名前は四葉と言って、史上稀にみる風車戦法を使ってきた。肘を軸として、竹刀を風車のように回す戦法だ。遠心力で力のかけ具合が軽減される上に、連撃で何度も打って来るので、なかなか手強い相手であった。《終末眼》で戦法を先読みしていなければ勝てなかっただろう。

最終結果は決勝戦で敗れて準優勝に終わったが、《チート》を重ねて関東大会で優勝というのはさすがに気が引けたので、別にその点はどうでもよかった。手を抜いたわけではなく、決勝戦の相手は本当に未来視を使っても勝てない実力の持ち主だったのだ。

関東大会終了後、バスで学校まで戻ると、大会に出場しなかった後輩たちが道場で待ってくれていた。

結果は顧問の褐間先生からスマホのトークアプリで聞いていたようで、後輩たちは優しく出迎えてくれた。色紙やらアクセサリーやら色々貰った後、私は後輩たちに何か偉そうなことを話しておき、主将を引退した。

今思えば、部活に入った動機は友人---乙葉の事故死だ。これを動機と呼んでいいのか不明瞭であったし、部活の居心地も極めて悪かった。だが、高1で大会に出場してから、その思いはすっかり晴れたように思える。最初は嫌でも、夢中になれば人間、何でも得意になれるのだなと感じた。溺愛という程ではないが、私はある程度剣道に関心をもつようになった。

「顧問は何か言ってたの?」

「別に…ただ『()()()()()()()()()』とだけ」

「へー、何か愛想のない先生だね」

「んなこと言われても…」

私は小さく溜息をつく。確かに褐間先生は今年度からの赴任で交流は少ないのだが。

すると、先輩はスマホを開いて言った。スケジュールを見ているようだ。

「そういえばツンデレちゃんはライブ行かないの?」

「…」

本当に話がコロコロと変わる人だ。私は一つ溜め息をついて、答える。

「《SMF》ですか? 雪音が『緊張しちゃうから来ないでくれ』って…多分チケット取れなかっただけだと思うけど」

《SMF》。雪音がこの間言ってた、幕張メッサで行われる《Summer Music Festival 2047》のことだ。

SMFには雪音以外の歌手も出場する。会場席は毎年満席だ。

確か雪音が新しく発表する歌の題名は《Air》。何が《空気》なのかはよく分からないが、落ち着いた曲っぽい気はする。

現在、午後6時51分。もうすぐ始まる頃だろうか。






***






前の歌手が歌い終わった。

会場のボルテージは最高潮。だが、雪音はそんなことは気にせず、一つのコピー用紙に目線を落とす。

《Air》の歌詞だ。

(…本当にこれでよかったのかな)

ふと、心の中で零す。弱気な言葉を。

自分は自分の伝えたいことを歌にして観衆に届ける。それが雪音のスタイルなのだが---

この歌詞は、どうしても迷いが生じてしまう。何せ、届ける相手は自分自身だから。

その時、待合室のドアが開いた。

現れたのは、オレンジ色の長髪を持った少女。

「…まだいたのね」

「夏希」

彼女の名は、橙本夏希。私と同じ、高校3年生のアイドル歌手。夏をイメージした、清涼感漂う白のワンピースに身を包む。黒乃もそこそこのファンだと前に言っていた気がする。

暗澹とした雪音を全く気にせず、夏希はむしろ心の傷を深く抉るような視線を此方に向ける。

「その眼帯まだしてるの」

「…」

「…ふーん、()()()()()()()()()?」

雪音は夏希の脅迫じみた言葉に、《右眼》の眼帯を抑える。

「…君には関係ないだろう」

「関係おおありよ。私があなたの《眼》の存在を話せば、あなたのファンは丸々みーんな私の所有物(モノ)よ?」

「…っ」

やはり駄目だった。彼女には弱みを握られている。

雪音と夏希は元々中学が一緒で、街を歩いているところを事務所関係の人物に声をかけられたのだ。

同時期にデビューしたが、人気は雪音の方に傾き、このような大舞台でのデビューを果たしたのも雪音が先だった。

だが中3の冬、夏希の目の前でこの《眼》が宿った。

もう歌手人生は終わったと思った。この事が世間に露見すれば、私は呪われた種族として芸能界を追放される。

しかし、夏希は《眼》のことを公表しない代わりに、ある条件を提示した。

「…援助をしているのは僕の方だろ」

「…は?」

それは、夏希への歌詞の提供だった。

歌詞は、歌の中でも特に重要なものだ。雪音は歌詞を直筆で、同世代からの共感が得られる事で人気を博す。

その雪音が他の歌手の代理作詞家になることは即ち、自分の人気を相手に明け渡すことに等しい。

夏希はライバルの人気を減らし、雪音はライバルの人気を上げる。不平等で歪な契約であることは、誰の目にも明瞭であった。

「あんたねぇ、私が《眼》の事を秘密にしているから歌手できてんのよ? 感謝すべき相手なのよ? そんな人に何て口のきき方をしてるの? え?」

「…」

清純な見た目とは裏腹に、心に釘を刺すような言葉が一方的に投じられる。

「ましてねー、あんな《()()()()()()》が露見したら、あんたの命まで危ういわよ? ほんっと、私って偉大だと思うわー、あははっ…」

「っ…貴様…」

雪音が夏希の襟元に掴みかかろうとした時だった。




「水樹さん、準備お願いしまーす」




待合室の扉が開いて、スタッフが現れた。

「…はい」

雪音はバッグを持って立ち上がった。

すれ違いざま、雪音は夏希の顔を一瞥する。



---勝ち誇った顔だった。



(っ…)

雪音は夏希には何も声をかけず、待合室を出た。

「頑張りなさいよねー?」

夏希が後ろからそんな声をかけてくるのを、雪音は歯を食いしばりながら聞いていた。






***






「…ふぁ」

気が付くと、私は寝ていた。側には高校のバッグ。

「あ、あれ?」

窓の外は夜景に変化していた。渋谷の様々な施設が、白い光で宵闇を照らし出す。

私はポケットからスマホを取り出して時計を確認した。午後9時を過ぎている。

隣の白神先輩は消えている。起こしてくれればよかったのに…。

(…はっ!!? まさか…見られた!!?)

私はばっと立ち上がる。そういえば白神先輩、あの時スマホを手に持っていた。最悪、寝顔を撮られたかも…?

「うわあああ!! くっそー白神先輩めー!!」

「こんばんは」

「うわっ!! …って…あ、雪音?」

「…何してるんだい?」

見ると、入口にはライブを終えた雪音が呆然と立ち尽くしていた。衣装は着てないが。

「あ、いや…何でもない」

「そうかい? そういえばライブの生中継は見たのかい?」

「それが…何か寝ちゃってたみたいで」

「じゃあ、あの時の緊張は杞憂か…」

「杞憂なんて言ってたら、私を呼ばなかった意味ないじゃん…ふふっ」

「全くだね」

雪音は疲れた様子でバッグを机の上に置く。

「じゃあ僕はシャワー浴びてから帰途につくよ。君はこんな遅くまで大丈夫なのかい?」

「うん、一人暮らしだし」

「そうか」

雪音は小さく呟くと、廊下の奥へ姿を消した。

(はぁー…もう帰るの面倒だからまた泊まろっかなー…ん?)

私が机に突っ伏すと、雪音のバッグの隙間から何かが見えた。

(何だろこれ……あ)

私はそれを取り出す。コピー用紙が一枚。

《Air》の歌詞だ。

題名の右側を見る。作曲家は知らない名前だった。この間聞いたボーカルOFFバージョンの《Air》を作曲した、きっと偉い人だ。

歌・作詞、水樹雪音。

この間下書きを書いている雪音を上から覗こうとしたら「…企業秘密だ」と赤面して、隠されてしまった。

小説家もそうだが、創作活動というのはある程度恥じらいがあるものだ。私も2年前、オリジナルの少女漫画を描いていて、友達に必死で隠していた思い出がある。

作詞家、あるいは歌手の役目は、自分の思いを歌にして相手に伝えること---歌によって相手は笑い、泣き、あるいは共感していく。作詞家と歌手の両方の役目を持つ雪音にとっては、その2人の意見を合わせたりする必要が無い。自分の思いだけを、自分なりに伝えることができる。だが、それは相手の心の揺らぎを雪音一人でコントロールする必要がある、という意味を併せ持つ。

その責任をものともせず、観客全員を魅了する彼女は、本当に優れた作詞家であり、或いは歌手である。

(…さて)

その優れた作詞家の腕前や、いかに。

私はシャワーの音がまだ聞こえるのを確認して、悪いと思いながらも、歌詞に目を通した。






***






居場所は元から無い


それは生まれる前の賦命


あの錆びた壁の内で


私は蹲踞し続けるだけ


或人は僕を Slander


或人は僕を Keep away


主に心を支配され


それは操り人形の群衆





部屋の温度は変わらず


烏合の視線は身を震わせる


昨日までの日々は絶望に満ちて


色褪せて見えなくなってしまう


そして、世界の刻は止まった




刹那的な光景に


私と鳥の群れは息を呑んで


その取り込む空気(エア)さえ凍ついて


でも僕の目前で


「呪われてる」って


マリーゴールドが謗るんだ




鴉の象徴は還らずに


罵りが鼓膜を響かす


全てが嫌になって


僕は青い偽善を身に纏った


この反響世界は Tolerant


悲哀と嚇怒は Extinction


目前に大海が広がり


大きな波が飛沫を上げる




僕の心は絶対零度


だけどこの世界は熱をもたらす


明日からの日々に光が差した


「世界を広げろ」と赤が告げ


二重扉の檻に僕は導かれる




そこは僕の望んだ世界


仲間が居た、孤独じゃない


渇望の雰囲気(エア)に呑まれ


彩なる視線が包む


「辛かったよね」って


この凍えた心を昇華する




今更のように気付く


監獄は狭くて


未来を見据える瞳は


誰よりも澄んで私を引き込む




この選択は正解なのか


それとも解なしの輪廻か


この先進んだら戻れない


ダイヤモンドの鍵がまた増える


杞憂であって欲しかったその真理


僕は崩壊の海へ消滅する





***





「…」

歌詞を一通り読み終えた私は、言葉を失った。

「---…ふぅ」

少し遅れてからの溜め息。

いつの間にかシャワーの音は止んでいる。もうすぐ着替えて出てくる頃だろう、私はコピー用紙を雪音のバッグの中に戻した。

(…そういう境遇だったのか、な…)

私はちょっとばかり、失望した。雪音にではなく、()()()()()

この歌詞の意味することは、自分の中で何となく整理がついていた。

そして、その中で一つ確実に言えたのは、題名の《Air》。

意味は《空気》---ではなく、《()()()》。

「…そんなに、自分自身を追い込まなくても…」

私はそう言いかけて、口をつむぐ。

そうだ。私は何も理解していない。

私は彼女のことを一番理解していたか? 否だ。

彼女の学校での立場は確かに分かっていた。だが、それは理解ではない。理解した()()だ。

「黒乃」

突然の後ろからの声に、私は振り返る。

「…何故、泣いているんだい?」

雪音の言葉に私は目を擦る。

「いや、実際に泣いているんじゃなくて、心の中で」

「え?」

「今、とても悲しそうな顔をしてる」

「---そんなことないよ…私は…」

そこまで言いかけて、また口が止まる。

そうだ。私はただ---。

「…さっき《Air》の歌詞を見たの。…私、何も雪音のこと理解できてなかった」

「…」

雪音は無言で、首を振ることもなく、ただ私の話に没入する。

「その惨状に瞑目した。私は何もしなかった。それ自体が罪なのに。今まで気付けなくて…いや、気付かないふりをして、ごめん」

「…別にこの歌は黒乃に向けた歌じゃないさ。むしろ、僕自身の為に歌っている」

雪音は僅かに笑みを浮かべて言った。

「…それより」

「ん? 何?」

「僕のバッグ、勝手に漁ったのかい?」

「うっ…ご、ごめんなさい」

私はぺこりと頭を下げる。

「ま、別に見られて困るもんは入ってないけどね」

そう言うと、雪音はバッグを持ってロビーの出口に向かった。




「あ、雪音、最後に一つだけ」

「…何だい?」

雪音は体はこちらに向けずに、その場で立ち止まる。

「雪音の《眼》って…何なの?」

「…」

未だに知らない、その事実。

「ちゃんと、雪音に向き合いたいから…私は、原因を知るべきだから」

この決意は本当だった。その残酷な事実から逃げるのは、雪音の拒絶に均しいから。

長い沈黙が流れる。やがて、雪音の口から漏れた言葉は。

「…言えない」

「…そっか」

表情は見えない。

雪音の言葉をあっさり飲み込んでしまったことを、瞬間的に後悔する。

だが、雪音の言葉はそこで終わりではなかった。

「だけど、君は一つ勘違いをしている」

「え?」





「この《眼》があるから泣いているんじゃない。()()()()()《眼》が身に付いたんだ」





雪音はそれだけ言うと、私を取り残してロビーを後にした。


---私の耳には、雪音が廊下を歩く音だけが虚しく届いている。




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