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INQUEST  作者: なぎのき
7/8

第七話 オペレーション・フレンドシップ

 十二畳の清楚な造りの和室には、僕とアカリとアリアさん、そしてユファナ氏がいた。

 窓からは勇壮な山々と清々しい木々が見えた。

 部屋の真ん中にあるテーブルには、冷め切ったお茶が四つ。

 お茶菓子は誰も手を付けていなかった。

 僕たちは今、閑散期の温泉宿にいた。


 *


 事の発端はアリアさんの一言だった。

「日本には『温泉』って文化があるって言うじゃない?」

 アリアさんは、なぜか日本語で書かれた温泉ガイドを持っていた。

 多分リングが翻訳しているに違いない。

「文化って言うか、そっちで言うスパみたいなものですよ? それに水着じゃなくて裸で入るんです」

「えええ? 裸で?」

 アリアさんは顔を赤らめた。何かを勘違いしたらしい。

「ええと、男女別の浴槽のようなものに入るんです。まぁ、浴槽と言っても日本のユニットバスより数十倍は広いですからね、解放感がありますけど」

「なぁんだ」

 ちょっとほっとしたらしい。

 温泉か。

 まぁこれも日本の文化と言えば文化だ。

 最近アリアさんはすっかり日本贔屓だ。

 手軽に来る事が出来る外国がこの部屋なのだから、自然な成り行きかも知れない。

「最近の温泉は、古風な露天風呂だけじゃなくてジャグジーっぽい設備がある所もありますよ」

「じゃあ今度の週末、温泉行かない?」

 アリアさんは目を輝かせて言った。

 アリアさんが目を向けているのは僕だ。それに『皆で』とは言わない。まだこの『交渉人』たちは対決モードらしかった。

「温泉?」

 今度はアカリが食いついてきた。そう言えばアカリの知り合いに温泉宿を経営していた人がいたな。

「ねぇユキ。今週末温泉行かない?」

 アカリは『僕だけ』を見てそう言った。

「今なら暇だからきっと格安だよ?」

「まぁそうだろうけどね」

 僕は部屋を見回してため息をついた。アリアさんはアカリが次に何か喋ったら即反論する体勢だし、ユファナ氏は部屋の隅で寝転がっていた。

「どうせ行くならさ、皆で行こうよ」

 僕はとりあえずの折衷案を先に提案した。

 どうせアカリとアリアさんが口論になり、その結果僕に火の粉が降りかかるのはほぼ確実だと思ったからだ。

 でも残念な事にそれは逆効果だった。

「なんで私がコレと一緒に行かないといけないの?」

「あ、コレって指差したな! ユキ、こんなの放って置いて二人で行こう!」

「こんなのって何よ!」

「あんたが先にコレとか言ったからでしょ!」

 ぐぬぬぬぬ。

 二人の睨み合いは続いた。

 まぁお腹が空けばきっと収まる。僕は二人を放っておく事に決めた。

「四人で二部屋なら、格安プランがあるようですよ?」

 それまでただただ寝転がっていたと思っていたユファナ氏が、お得情報を口にした。

 僕を含め、部屋全体がユファナ氏に注目した。

 ユファナ氏は『交渉人』を辞退してからと言うもの、積極的に僕たちに何か話題を提供するとか、そう言った行動を取らなくなっていた。

 つまり『宇宙人』としての存在感はほぼ無きに等しい。

 バイト先では日ごとに存在感を増しつつあるが……。

「今リングに調べてもらいまいした。この松山旅館とはアカリさんのお知り合いの旅館ですか?」

「え? ええ、親戚だけど……」

「今そこで今月限定の格安プランをキャンペーン中です。一泊夕食と朝食付きでお一人八千円。如何でしょう?」

 何を考えている? 急にこんな事を言い出すなんて……。

「……あなたも行くの?」

 アリアさんが当然な疑問を口にした。僕たちは決して仲良し四人組ではなく、少なくとも四人一緒に温泉に行くような仲でもない。それでもユファナ氏は当然のようにその答えを口にした。

「もちろんです。ユキトさんは別として、我々は宇宙人同士です。一緒に行動してもなんら不自然ではないでしょう? それに、三人だと宿泊代が一万円になってしまいます。二人だと一万五千円です。四人で行った方が個々の負担が軽いのです」

 僕はユファナ氏が何を思い付いたのは分からなかったが、アカリとアリアさんがもう行く気になっている事を考えると、一番金銭的に負担の少ないプランだと判断した。

「じゃそれで決まりだ。僕はユファナ氏の提案を支持する。アカリとアリアさんは?」

 どうする?

 乗るか?

「……行く」

「……私も同じ」

 折れたか。

「じゃ早速予約しよう。アカリ、予約お願いしていいか? 親戚だし、もしかしたらもっと値引いてくれるかも知れないし」

「うん。ちょっと待っててね」

 アカリは空間ゲートを開き部屋に戻って行った。

「でも意外ね」

 アリアさんはユファナ氏を見下ろしながらそう言った。

「あなたが、温泉に興味があるとは思わなかったわ」

「いえ。バイト先でよくその手の話題が出る事がありましてね」

 確かに。

 バイト仲間同士で温泉旅行の話はよく出る。主にホールの女の子たちの会話だが。

「私も一度は行って見たいと思っていたんですよ。それがちょうど話に出たものですから」

「ふぅん」

 アリアさんはどこか釈然としない表情だった。それは僕も一緒だ。

 何か変な企みがあるのか、それとも……。

 考えすぎだろうか?

「予約取れたよー!」

 アカリが戻ってきた。

「四人で二部屋で大丈夫。それと私とユキはさらに半額!」

「あんたの分はともかく、何でユキトが半額なのよ」

「ユキは許嫁だもん」

「誰がそんな事決めたの?」

「これ」

 アカリはリングをアリアに差し出した。

「そんなのおかしいでしょ? フィアンセが地球侵略のために作られたリングの一存で決まるの? ご両親の許可は? 挨拶はした? ちゃんと紹介したの?」

 アリアさんが畳みかける。だがアカリも負けてはいない。これはまた火の粉が降りかかるな……。

「言ってなかったっけ? 私とユキは幼馴染みなの。それこそ物心つく前から一緒に遊んでたの。家族も同然なの。挨拶なんていらない。当人同士がそうだと言えば誰も文句は言わない」

「そうなの? ユキト?」

「そうだよね? ユキ?」

 ほら。

 やっぱり。

 原因ははっきりしている。

 僕にも責任はあるが、それは考えてはいけない。僕は被害者だと言う理論で行動する事に決めた。

 なので話題を変えた。

「アリアさんには日本の文化をより深く知って欲しいと思います。今後の事もありますし。ユファナさんも同様です。それに温泉宿はこの季節は閑散期です。一人でも多くのお客様が宿泊してくれると助かるでしょう。その上その客が『外国人』だとしたら、宿側のメリットも大きいしね」

 自分でも詭弁にしか聞こえない。それは分かっている。

 そして僕たちは新たなる闘いの場に挑む事になった。


 *


 さすがに温泉ともなると遠い。地図で確認し、リングに計算させてみたら片道三時間との事だった。

 だが。

 僕たちには『空間ゲート』と言う大変便利なものががあるのだ。

 それを使えば一瞬だ。

 人目につかないように町外れの雑木林に空間ゲートを繋ぎ、一瞬で旅路を終えた僕たちは、情緒あふれる温泉街を満喫した。

 土産物屋が建ち並び、あちこちで源泉から出る蒸気が噴き出している。

 そう言った意味で、アカリの親戚の宿がある温泉街は及第点だ。

 程よく老朽化した建物は歴史を感じさせ、景観ともマッチしている。

 ただ、客足が年々遠のき、廃業する温泉宿も少なくないと聞く。

 そんな中、松山旅館はよく健闘していると言える。

 僕たちは適当にぶらぶらした後、旅館の暖簾をくぐると女将さんが出迎えてくれた。

「ええと、こんにちは。お世話になります」

 髪を後ろに結い。

 着物を着込み。

 いかにも温泉宿の女将と言う出で立ちだ。ちょっと化粧が濃い気がしたが。

「あらあら、アカリちゃんも大きくなって。それに外国の方? 私英語話せないんだけど大丈夫かしら?」

 女将さんがアリアさんに顔を向けた。

「大丈夫です。私は日本語を話せます──漢字は読めませんけど」

 アリアさんは朗らな笑顔で女将さんを安心させた。

 リングが同時通訳するので会話は自然だ。

 こう言う時助かるな。そもそもは侵略兵器だが、平和的に有効利用すれば実はすごく有意義な機械だ。

 そして女将さんの視線は『もう一人』の『外国人』に向いた。こいつにアドリブで挨拶が出来るか。普段のアルバイトでの接客スキルが試される。

「どうも初めまして。私は、ユファナ・デラーナと申します。つい先日までは、地球侵略むごむご──」

 僕とアリアさんは、咄嗟にユファナ氏の口を塞いだ。

 こう言う不安があるからコイツは野放しに出来ない。

「あらあら? やっぱり外国の方は変わっておられますねぇ。ではお部屋にご案内致しますので」

 女将さんころころと笑いながら、先陣を切って歩き出した。女将さんが自ら案内するって事はやっぱり暇なのだろうか。


 *


「では、ごゆっくりおくつろぎ下さい。夕食はお部屋にお持ちしますので」

 女将さんは優雅な所作で挨拶すると部屋を出て行った。

 僕は肩の上の重しが取れたように座布団に座り込んだ。

「あれ? アカリは?」

 さっきまで部屋にいたはずのアカリがいない。

 まぁこの松山旅館はアカリの親戚でもある。挨拶にでも行ったのかもしれない。

 部屋にはアリアさんとユファナ氏。

 必然的に僕の問いに答えるのはアリアさんになる。

「さぁ? 何か用事があるとかで、さっき部屋出て行ったけど?」

 それがどうかしたの、と言う顔だ。

 二人の関係修復は難しそうだった。

「じゃあ私、早速温泉に入ってくる」

 アリアさんは言うが早いか、浴衣に着替えようとしていた。

 ──ちょっと待て!

 僕は大慌てでアリアさんを止めに入った。

「ちょ、ちょっと待って下さい!」

「何?」

「殿方がいる前で着替えるのは反則です」

「あら、私は見られても平気だけど?」

 平気が兵器に聞こえた。きっと空耳だ。

「僕だけじゃなく、ユファナさんもいるんですから」

「……そう言えば、そうだったわ」

 すっかり影の薄いユファナ氏だった。

「じゃ、僕らは隣の部屋で待ってます。着替え終わったら呼んで下さい」

「うん」

 僕はユファナ氏を引きずり部屋を移動した。

 だが。

 その部屋にはアカリがいた。

「な、何でアカリがここにいる?」

 アカリは既に浴衣姿だった。髪をアップにしうなじが見える。部分的に艶めかしい。

 いやいやいや。

「ここは男子部屋だよ?」

「違うよ。ここは私とユキの部屋。アリアとユファナさんがあっちの部屋」

 絶句した。

「いやいや、さすがにそれはまずいだろう?」

「何が? おばさんも何も言わなかったけど?」

 しまった。先手を打たれた。

「いや、アカリは良くても、アリアさんとユファナさんだよ? 何が起こるか想像出来るだろう?」

「ユファナさんはどうでもいい」

「いや……これでも一応『宇宙人』だし……」

 僕はすっかり影が薄くなっているユファナ氏を見た。本当に透けて見えた気がした。

 それに。

 いかに影が薄いといっても『男性』である事に変わりはない。

 それをアリアさんに押し付けると言う事は、大騒ぎになるか、下手すれば旅館が吹き飛ぶだろう。

「この頃ユキは私に冷たい」

 アカリが伏し目がちに一歩前に出た。僕は一歩下がろうとして後ろが壁だった事に気が付いた。

「アリアやユファナさんと関わってから、私から距離置いてない?」

 アカリが顔を上げ、まっすぐな視線で僕を射抜く。

「そ、そんな事ないよ」

「誓って言える?」

「何に?」

 僕はこの場から救ってくれる神様を探した。

「何でもいいの。私たちはいつも一緒だった。これからも一緒。そうだよね?」

「いやまあ、その」

「何? そんなにあの巨乳外国人がいいの?」

 アカリの語気が勢いを帯びた。

「いや、別にいいとか悪いとかじゃなくてさ。同じ宇宙人だろ? もっとこう、協力し合わないと」

 僕は「もっとこう」で、手と手を合わせるゼスチャーをした。

「私は宇宙人じゃない!」

 アカリの怒気を含んだ視線。赤い目に力強さが宿った視線。それが真正面から僕にぶつかる。視線が突き刺さる。

「ユキはどう思っているの?」

 何度となく繰り返された問答。

 僕には即答する勇気がない。

「アカリはアカリだよ。宇宙人とかそんなのは関係ない」

「なら何で距離を置くの?」

 見抜かれている。

 僕は自分の日常を貫くため、『宇宙人』たちを意識的に同列に扱っている。

 それなら僕にとってのアカリの存在は?

 いや──これは、今出す答えじゃない。

「アカリの気のせいだよ。別に僕は気にしてないし。ただちょっと混乱した時はあったけど」

 これは本当だ。でもこれは逃げの言葉だ。

「ユキは嘘ついてる」

 アカリはズバリと言い切った。

 その時。

「お待たせー。準備出来たけど……ってアカリ、あんた何でこっちに部屋にいるの?」

「この部屋は私とユキの部屋なの」

「え? いやいや。それだと私とユファナが同じ部屋になるでしょ? それは認められないわ。嫌だし」

「もう決まった事なの!」

「何よそれ。誰が決めたのよそんな事!」

「ユキ」

「ユキト?」

 ああ……また僕か。

 ここは仕切り直しだ。

「とにかく話は後。さっさと温泉に入らないと夕食の時間になっちゃうよ? ほらアカリも。僕たちも着替えるんだから、さぁ出た出た」

 僕はアカリの背中を押しながら次の手を考えないといけなかった。

 まさかアカリがこんな行動に出るとは想定外だ。

「ほら、ユファナさんも。何か言って下さいよ」

「え? 私ですか? 私はどっちでも……」

 僕は頭を抱えた。

 この人には常識と言うものを一から叩き込む必要がある──いやゼロからか?

「とにかく! これから僕たちは着替えるから! 女性陣は一旦廊下で待機! いいね!」

 僕の勢いに押され、アカリとアリアさんはしぶしぶ廊下に出た。

「すぐ準備するからちょっとだけそこで待ってて下さいね。静かにね」

 僕は何とかそこまで言い切って扉を閉めた。部屋には僕とユファナ氏だけになった。

 ──窓から逃げようか。

 本気でそう思った。


 *


 お風呂はまだ準備中だった。

 止むなく僕たち四人は一方の部屋に集まり、時間を持て余していた。

 十二畳の客間は、いつも六畳ワンルームでせめぎ合っていた僕たちには広すぎて落ち着かない。

 窓からは勇壮な山々と清々しい木々が見えた。唯一ここに来て良かったと思える情景だった。

 部屋の真ん中にあるテーブルには冷め切ったお茶が四つ。お茶菓子は誰も手を付けていない。

 ──まぁ、外国の人に日本のお茶菓子なんてのはそうそう口に合わないと思うな。

 お茶菓子もお茶も、きっとよほどの親日派の外国の方でなければ手に取ってさえもらないだろう。中には珍しがって口に入れる人もいるだろうが……。

 そして部屋中には『暇』と言う状況と、なんとも形容し難い『ピリピリ感』が同居していた。

 ──全然寛げない。

 僕は温泉に来ているはずなのに、いつもより激しい緊張に晒されている。

 どうしたものか。

 僕が現状打破のため頭を捻っていると、その変な空気をアカリが打ち破った。

「ね、ユキ。露天風呂行こうよ」

 いきなりの提案だった。

「混浴じゃないだろうね」

「混浴じゃダメなの?」

 ダメに決まっている。

「ダメ……と言うか、四人で来てるんだよ?」

「いいじゃない。別に気にしなければ」

 アリアさんがトンデモ発言と一緒に割り込んで来た。

 気にしなければ? いいじゃない?

 そんなわけにはいかなかった。

「抜け駆けしようったってそうは問屋が卸さないわ!」

 アリアさんが変な慣用句を混ぜ、僕の腕を引っ張った。

「さぁユキト。私と一緒に『ロテンブロ』に行きましょう!」

 露天風呂がカタカナだった。

「何おう! 私が先に言ったのに!」

「実力行使! 先手必勝!」

 ──なぜ、そんな四字熟語を知っている?

「何よ、実力って!」

「これよ!」

 アリアさんは胸を張った。

 ダイナマイトでダイナミックだった。

「ないよりはあった方がいいに決まっている!」

 アリアさんは手を腰に当てて前かがみになり、アカリにべぇーっと舌を出した。大きなものが二つ、ゆっさりと揺れた。

「そんなの、大きければいいってもんじゃないわよ! 好みの問題よ!」

「私は大きい方がダイナミックで好きですが」

「ユファナは黙ってなさい!」

 二人同時に凄まれ、ユファナ氏は小さくなった。空気読もうよ、ユファナ氏……。

「ユキ! どっちがいいの?」

「そうよ、はっきりしなさいよ!」

 何の選択だそれは。

「それ僕が選ぶとか違うから」

「いいえ! これはユキトが選ぶの!」

「そう! ユキは普通がいいよね? ね? ね?」

 二人は今までお互いを罵っていたが、ついにその矛先を僕に向けた。

 何で僕が。

 と古今東西あらゆる神様に救いを求めようとした時だった。

「お客様、お待たせしました」

 女将さんだ。

 ──助かったー!

 僕は女将さんと結婚してもいいと思った。

「すっかりお待たせしてしまって……。湯の準備が整いました。……ただ……」

 ただ?

「なぜか分からないのですが、男湯と女湯が突然壊れまして……。ご利用になれるのが混浴の露天だけなのですが……宜しいですか?」

 僕は天を仰いだ。


 *


 なぜこんな事になったんだろう。

 僕は、湯に浸かりながらぼんやりと考えていた。

 岩で作られた湯船には、僕とユファナ氏、そしてアカリとアリアさんが一緒にいた。

 つまり。

 ──露天で混浴だった。


 *


「いやぁ、まさか、急に男湯と女湯が壊れるなんて、思いもしなかったわ」

 アカリは一応タオルを体に巻き、頭を掻いていた。

 ──嘘だ。

 僕は思った。

 ──リングの力使って壊したな。

 ここの源泉は乳白色に濁っている。

 手を入れるとすぐにその手も見えなくなるほどだ。

 なので、湯に浸かってしまえばタオルを巻かなくてもどうせ何も見えない。

 だが。

 だからといって男女がいかに不測の事態にせよ『混浴』となるわけだから、タオルなしでは僕が困る。

「やー。気持ちいいー。日本の文化ってのも中々いいわねー」

 アリアさんがうっとりとした表情で、ちょっとした日本庭園風になっている露天風呂の中庭を眺めていた。

 まぁ外国の人にそう評してもらえるなら、連れてきた甲斐があったと言うものだ。

 ただちょっと距離が近い。よくよく観察すると、じりじりとこっちに寄って来ていた。

「ユキ、ちょっとそっちに行ってもいい?」

 対するアカリはダイレクトだ。良くも悪くも露天風呂ってのはそんなに広くはない。わざわざ近づかなくても会話は出来る。

 ユファナ氏はちょっと離れた位置でお盆に日本酒を載せ、ちびちびやっていた。

 ──妙に似合うのはなぜだ?

 露天風呂で日本酒を呑む宇宙人。

 しかもついこの間まで『地球侵略』を企てていた張本人だ。

 何か釈然としないものがあった。

 その間にも、二人の『宇宙人』の闘いは続く。主戦場は僕だ。

「ちょっと! 私のユキにあまりくっつかないでよ!」

「いつからユキトがあなたの物になったのよ!」

 僕の両脇では、二人の宇宙人が僕の取り合いをしてた。

 目のやり場はどこにもなかった。

「大体お風呂壊したのはあんたでしょ?」

「証拠ないもんねー」

「他に誰が壊せるのよ?」

「アリアかも知れないでしょ?」

「わ、私はそこまではしないわよ!」

「どうだか?」

 アカリはジト目でアリアさんを見た。

 アリアさんは当然反撃した。

「いくら私でも分別ってのがあるのよ。あんたと違って!」

「分別なんて燃えるゴミと燃えないゴミを分けるくらいしか思いつかない」

「なによそれ、私がゴミだっての?」

「いーえー。そんな事は言ってませんが?」

「……どうやら、どうしてもここを血の海にしたいようね……」

 ゆらり。

 アリアさんが不気味な動きで立ち上がった。

 露天風呂が血の海に。

 シャレにもならない。

 アカリもそんなアリアさんに負けじ立ち上がる。体格的にはアリアさんが一回り大きい。アリアさんの『実力』とやらの存在感も凄まじい。

「アカリ……もう限界だわ……」

 アリアさんは両手をだらんと下げた。目が昏い赤に染まっていた。

「アリア……、それは私の台詞よ……」

 アカリも同様に臨戦態勢に入った。

 なぜわざわざ露天風呂でタオル一枚で喧嘩になる?

 そんな僕の思惑を無視して、開戦の火蓋は切って落とされた。

「……今すぐ私の目の前から消えなさいアカリ!」

 アリアさんのリングが発光し、バリバリと音を立てて光球が出現した。そしてその光球は、なぜか僕目がけて飛んで来た。

 ──ええ? 何で僕?

 と焦っているとアカリが僕の前に立ちはだかり、リングを付けている側の腕を振るった。光球は瞬時に掻き消えた。僕の目にはアカリのタオル一枚の勇姿が刻み込まれた。

「アリア! ユキを巻き込むなんてどう言うつもり!」

「うるさい! あんたがいなければこんな事にはならない!」

 まずい。

 僕はアカリの後ろから離れられない。

 タオルが目に付いて離れない……いやいやそうじゃなくて。

 でもこんな所でタオル一枚などと言う格好で死ぬのはご免だ。

「アリアさんちょっと落ち着いて」

「ユキト! あんたまでそんな事言うの?」

 アリアさんの目が鮮やかな赤に染まった。

「もういい! アカリごと消し飛びなさい!」

 またも光球が出現してこちらにすっ飛んできた。

 アカリも負けじと光球を射出。

 お互いの光球が、ちょうど露天風呂の中央でぶつかり、それぞれがあさっての方向に弾け飛んだ。

 憐れ中庭の壁や岩や木々は、片っぱしから木っ端微塵に打ち砕かれた。

 そして。

 二人が何かをする度に、露天風呂はどんどん削れていった。

「ユキトさんこちらへ」

 ユファナ氏が僕の手を引いた。

 見るとユファナ氏は半円球の光の膜に包まれていた。リングの機能か何かでバリア(?)を張ったと言う所だろうか。

「収まるまでこちらにいた方が安全です」

「……そうします」

 僕はこんな状況でも御猪口を手放さないユファナ氏の冷静さが気になった。

「何か策がありそうですね」

「策と言うほどの物でもありません。このまま、リング、と言うか二人の暴走が続けばいずれ分かりますよ」

 ──何かあるな。

 ユファナ氏の口ぶりは初対面の時に近い。抽象的で思わせぶりだ。

 僕は今までのユファナ氏の行動と、今のユファナ氏の行動を照らし合わせた。

 違う。僕に言い負かされっ放しだったユファナ氏とは明らかに違う。

 頭上を露天風呂の岩が飛んだ。その岩は光球に撃ち抜かれ四散した。破片が舞うが、ユファナ氏のフィールドに弾かれて僕たちには届かない。

 ──あれ?

 僕はここで気が付いた。あの二人、これだけ暴れて無傷じゃないか。タオル一枚と言うあられもない格好で暴れているのに、身体にはお互い傷一つついていない。

 ──ああそう言う事か。

 僕は理解した。

 僕はゆっくりとユファナ氏を見た。さっきと同じ顔をしていた。

「これが結論なんですね?」

「……そうです。さすがに気付かれましたか」

 ユファナ氏はにっと口歪め笑みを浮かべた。

「ただ──ユキトさんは『選択』しないといけませんよ?」

「そうでしょうね」

「選択肢は二つあります」

 ユファナ氏はそう言うが、実はもう一つあるのだ。

 だから僕はそう言った。

「──いえ、三つです」

「ほう?」

 ユファナ氏は訝しげな表情を見せた。

「まぁ、ユファナさんが言う『収まった』後にご披露しますよ」

「それは楽しみです」

 僕たちはどんどん削れ行く露天風呂を眺めながら、いつ終わるとも知れない二人の闘いの終焉を待つ事にした。


 *


「くそー! 飛び道具じゃ埒があかないわ!」

 アリアさんが手にライトセーバー(?)のような光の剣を生成した。

「なにをー! こっちだって!」

 アカリも同じようなものを生成。

 闘いは銃撃戦から白兵戦へ移った。

 光の剣が交錯し、バチバチッと派手な音と火花を散らす。二人の光の刃が鎬を削る。

「なかなかやるじゃない」とアリアさん。

「あんたこそ」とアカリ。

 二人は闘いの中で壮絶な笑みを浮かべた。

 笑みを浮かべつつも肩で息をしていた。

 これだけ暴れてタオルが剥がれないのは大変謎だった。目のやり場に困ると言う点では開戦当初から変わっていないが。

「もうちょっとですかねぇ」

 そんな中、のんびりとお猪口に酒を注ぐユファナ氏だった。

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