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INQUEST  作者: なぎのき
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第五話 交渉人、辞任

 アカリが僕の部屋で寝泊まりするようになって一週間が過ぎた。

 朝に空中からのボディプレスで起こされる事はなくなったが、布団を強制的に剥がされるのは変わらない。まぁ内臓への負担が減ったのは助かるが。

「ユキ? 何か言った?」

 アカリがキッチンから声をかけて来た。コイツ地獄耳か。

「いいや何でも。いい朝だね」

「そうだねぇ。星占いでも今日の運勢は上位だったし」

 アカリには一応地球上での生年月日があるので、星座占いでは魚座だ。しかし宇宙人が魚座と言うのはどこかおかしい気がした。

「ちなみに本日の乙女座は最下位だったよ。会う人全部敵だと思った方がいいって。ユキは気をつけた方がいいよ?」

 一体何に気をつけるんだ?

「僕は星座なんて信じてないよ。大体、世界中に何人同じ星座になる人間がいると思ってるんだ。その人たちが全員同じ運勢だなんて適当にも程がある」

「あーそれ、全国の占星術の先生方に謝っておかないとバチが当たるよ?」

 なんのバチだ。

 と思った途端。爆裂音がした。多分キッチンが吹っ飛んだ音だ。

 まぁいつもの事だ。

 アカリが今朝はやけに張切っていて「和の朝食と言う物の神髄をお目にかけましょう」なんて言うから任せたのだが、その途中途中で小爆発がおき最後にこれだ。さぞや美味しい朝食が出来たのだと思う。

 キッチンは全壊したかも知れないが。


 *


 アカリはなぜか割烹着を着ていた。『正しい日本の朝』の姿なのだと言う。そこに何の意味があるのかは聞いてはいけない気がした。

「いただきます」

 目の前のテーブルには『いかにも』な『日本の朝食』が並んでいた。鮭の焼き物、だし巻き卵、小魚の佃煮、ほうれん草の胡麻和え、みそ汁、そしてご飯。納豆があれば完璧だがアカリは納豆が嫌いだった。

 キッチンからは焼け焦げた臭いが漂っているがその内消える。

 リングが必死に修復しているからだ。

「どぉ? 美味しい?」

「うん、美味しい」

 僕は正直な感想を口にした。アカリが出す料理は外れがない。その度にキッチンが破壊される事を除けば。

「よかった」

 アカリは嬉しそうにご飯を自分の口に運んだ。

「それにしても、なんで急に日本風の朝食なんだ? いつもはパン食なのに」

「ま、まぁそれは、たまには日本のありがたみってヤツを体現しようと思って」

 なぜかアカリは狼狽えた。

「ふうん……」

 僕はそんなアカリを放っておいて、みそ汁に口を付けた。

 旨い。これは褒めてもいいと思った。

「ところでさ」

 僕は忙しいそうに明滅しているアカリのリングを見て箸を置いた。

「何? おかわり?」

「いや。それもだけど、あれからユファナ氏から連絡はあったか?」

「あったみたいだけど……」

 アカリは僕のご飯をよそいながらリングを見た。僕から見ても点滅が激しく大変忙しそうだった。

「部屋の片づけが終わってからでいい?」

「……まぁ、そうだね」

 毎度不思議なのだが、木っ端微塵になるキッチンは修復が終わると調理前の状態に戻る。まるでバックアップから復元しているように元通りになる。

 ただ食材は消費されている。食材まで戻るなら、食費がかからなくて楽なのだが。

『アカリ様、修復が完了しました』

 リングがキッチンの修復完了を報告してきた。どこか疲れた声色だった。

「うん、ありがとう」

『どう致しまして。それよりユファナ氏からの連絡の件ですが』

 聞いていたのか。本当に忙しかったんだな。

「うん。連絡はあった?」

『はい、五件ございます』

「メッセージは残っていない?」

『最後に一言だけ──「ええいくそなぜ繋がらん」とだけ残っております』

 ──まぁそうだろうね。

 僕はほくそ笑みつつ、リングに「消していいよ」と指示した。

『はい』

 ──そろそろ頃合いかな。

 僕がユファナ氏の連絡を拒否するように仕向けたのは理由がある。

 さっきのメッセージを聞く限り、ユファナ氏はかなりイライラしている。

 タイミングとしては申し分ない。

「アカリ、朝食が終わったらちょっと話が」

「え? 何なに?」

 ぱちくり。アカリは目を見開いた。

「まず食べてからね。せっかくのみそ汁が冷めるだろう?」

「……はーい」

 僕たちは黙々と朝食を済ませた。なぜかアカリがちらちらを僕を見たが、それは気にしない事にした。


 *


 朝食の片づけが終わり、僕とアカリはテーブルに面と向かって座っていた。アカリはもう割烹着は着ていなかった。

「で、そのー、お話って」

 アカリはなぜかモジモジしていた。何かを期待しているような目をしていた。何の期待だ?

「? トイレか? 話はちょっと長くなるから、先に行ってきていいよ」

「違う! 何でユキはそんなにデリカシーがないの?」

「違うのか。じゃ話に戻るか」

「~~~~~」

 アカリは悶絶した。当然僕は無視した。

「ユファナ氏の事なんだけどな」

「え、はい?」

「あいつは自分を『交渉人』なんて言っているけど、具体的に行動を起こした形跡がないような気がする」

「まぁ爆弾のおもちゃを送りつけたくらいしかしてないね」

「その爆弾のおもちゃだって彼のアイデアなのかな?」

「……どゆこと?」

「SF的な考え方をするとさ、星系を侵略するなら圧倒的な技術力の差を見せつけつつの武力行使とか、圧倒的に不利な条件を押し付けつつの政治的な対話かのどちらかになると思うんだ」

「何か歪んでない?」

「そうか? まぁどっちにしても、この太陽系には統一政府は存在しない。それどころか地球以外に人類は住んでいない」

「まぁ、火星人とかいなければ」

「……」

 僕は目の前のアカリをまるで別な生き物でも見るような目で見た。まぁ宇宙人なのだから半分は当たっている。

「いやいや。冗談よ、冗談」

「……まぁ、火星人がいようがいまいが対話可能な知的生命体のいる星はこの地球だけ。太陽系を侵略するなら地球を狙う。ここまではいいかな?」

「う、うん」

 アカリは神妙な顔で頷いた。

「で、具体的にどうするか。こっちに統一政府がないのはちょっと調べれば分かる。それなら選択肢は一つしかない」

「ぶ、武力行使?」

「そう」

 僕は即答した。

「あっと言う間じゃないか? なぁ、リング?」

『そうですね。私の動力源の相転移炉だけでも、この星の全エネルギーを賄えます。もし私を軍事目的で利用しようとした場合、この星のどの国の戦力を持ってしても無効化する自信があります』

「核、でも?」

『そうです』

「な? リング単体でも充分侵略可能なんだよ。それをあの『交渉人』は利用しようともしない。かと言って対話で交渉しようとしている様子もない」

「そだねぇ」

 アカリは何かを考え込むように天井を見た。天井なんかに答えはないぞ? あるのは染みだけだぞ?

「まぁ、ヤツが武力行使してこの地球を侵略しようとしてもこっちは負けないけどな」

「へ? だって、核兵器だって無効化出来るって……」

「そう。だから負けない」

「は?」

「何も勝てるとは言ってない。地球の全戦力を投じて対抗すれば、地球は侵略どころか滅亡してしまう。これじゃ侵略にはならないだろう?」

「あらやだ。詭弁に聞こえるのは気のせい?」

「そう。詭弁だよ。勝てないけど負けない。僕は地球侵略は成功しないと言っているだけ」

『その通りなんです。こちらがいくら技術力で勝っていても、武力衝突では何も得る物はありません』

「な? リングもそう言っている」

「じゃ、なんでユファナ氏は、地球侵略に拘っているの?」

「そう思い込んでいるだけなんじゃないのか?」

「思い込み……」

「自分がなぜこの地球にいるのか。そしてなぜ変な能力を使えるのか──空間を自在に操れるとか。それ以前に直々に地球侵略を仰せつかったかも知れないけどね」

「誰から?」

「宇宙人から」

「うーん」

 アカリは唸った。でもきっと唸っただけだ。

「そもそもだ。こんな辺境の星系を侵略して連中に何のメリットがある? 別にこっちは放っておいても悪さはしない。その情報は欲しいけどきっと知らないよな」

「地球侵略の理由かぁ……」

「アカリはさ」

 僕は一晩考えたアイディアを口にした。

「は?」

「何かこう、夢で見たりしない? 地球侵略のイメージとか」

「夢なんて覚えてた事ない」

「そうだよなぁ」

 僕はうんうんと頷いた。

「何よ! 訊いといてその態度は!」

「いや例えばリングの機能の一つとして、洗脳する機能とかないのかな?」

「洗脳?」

「地球を侵略するって言ったって、アカリは今ここにいるだろ? でアリアさんはアメリカ。そして本来なら後四人がどっかにいる。残念ながらコンタクトを取れないけどね。つまりバラバラにいるわけだよ。地球侵略のメンバーがさ」

「バラバラにいると都合が悪い?」

「そりゃそうさ。仮にも星を乗っ取ろうってんだ。まとまって行動しないと合理的じゃない」

「それで洗脳」

「そう。例えばアカリの持つリングで僕を洗脳する。同志になれってね。洗脳が成功すれば宇宙人の仲間が増えて行く。結果侵略は成功する」

「私はユキを洗脳なんかしないよ?」

「例えばだよ。それに出来るんならとっくにやってるし。あ、そう言えば。ねぇリング?」

『はい』

「アカリの出生届とかどうやったの?」

『アカリ様は、落下地点にちょうど通りかかった松山夫妻に拾われ、養子として戸籍に組み入れられました』

「そっか。でももし──例えばその戸籍とか住民票とかが必要になった時はどうするつもりだった?」

『役所のシステムにハッキングして偽造します』

 あっさりと怖い事言った。でもまぁなるほどとも思った。そこまでの機能がなければご主人様を守れないよな。

「アリアさんの場合は?」

『アリア様も養子縁組みされています。書類や手続きに問題はありません』

「じゃあ問題はユファナ氏だ」

「どして?」

 あかりな素直に疑問を口にした。ホント、素直な宇宙人だなぁ。

「ユキ……?」

「いやいや。ユファナ氏はほら、この地球で身元を保証する人物がいないだろう?」

「え? そうなの?」

『はい。ユファナ氏は、この地球のどの国家にも属しておりません──交渉人ですので』

「ね?」

「じゃ、風邪とか曳いたらどうするの? 全額負担?」

「それどころじゃないよ。あらゆる行政サービスを受けられないから年金もないし仕事にも就けない。老後が心配だね」

 僕は全然心配していない。僕には関係ないし。

「ねぇリング。ユファナ氏の行動ってモニタ出来るの?」

『あちらからコンタクトがない限り出来ません』

「じゃ行くか」

「え?」

「いい加減巻き込まれるのが面倒になった。先手を打とう」

「何するの?」

「ここには侵略する相手はいない。しても無意味だって教えてやる」

 僕は立ち上がった。何も立ち上がらなくてもいいのだが、勢い付けだ。

「リング、ユファナ氏に繋いでくれる?」

『はい』

「どうするの?」

「説得だよ」

 僕は口元を歪ませ、ニヤリと笑って見せた。


 *


『おやおや、どなたかと思えば、地球人さんですか』

 ユファナ氏は、さも意外と言った声色で応じた。

「そちらには、誰かから連絡は入りましたか?」

 あったとしても、アカリとアリアさん以外で、だ。

『もう、バンバン連絡が来て整理するのに大変ですよ』

 こいつ……バレバレな嘘を……。

「それはお忙しい所をお邪魔しました。また連絡します。なんだ忙しいのか……仕方ないな……」

 僕は思わせぶりなセリフで釣って見た。

『いやいやいや! せっかく連絡を頂けたのですから! ご用件をお聞きするくらい何でもないですよ』

 引っ掛かった。こいつは本当に交渉事に向いていない。

「でもリングを介して会話するのも何ですので、日を改めてお会い出来ればと思ったんですよ」

『それなら今すぐそちらに参ります』

「……お忙しいのでしょう?」

『大丈夫です。五分お待ち下さい』

 そして五分後。ユファナ氏は僕の部屋にいた。


 *


 ユファナ氏は正座し、これはつまらない物ですが、と菓子折りを差し出された。なんでこんなに日本の風習に詳しいんだ? と思ったが、どうせリングに訊いたに違いない。

「それでお話と言うのは?」

 僕は単刀直入に切り出した。コイツ相手に搦め手なんか使ったって時間の無駄にしかならない。

「地球侵略についてです。『交渉人』さんがどこまでこの地球の情報を持っているのか分かりませんが、ここには統一された政府は存在しません。つまり交渉相手がいない」

「ふむふむ……ああ、いや、その通り。私も困っていたのです。誰と交渉したらいいのか……」

 本当に困っているようだ。ポーカーフェイスも出来ないのかこの男は。

「やるとしたら世界中の首脳と会談すると言うのが一番の早道ですが……」

「何人くらい、ですかな?」

「二〇〇カ国くらいありますね。言葉も思想もそれぞれ違いますし」

 二〇〇と言う数字を聞いたユファナ氏は、額に汗を浮かべた。

「……それは、なかなかに……」

「何です?」

 僕は涼しい顔で応じた。

「や、やりがいがありますな」

 ユファナ氏は虚勢を張った。

 そこで僕がダメ押しをした。

「手っ取り早いのは『国連』でしょうか」

「コクレン、ですか?」

 ユファナ氏はカタカナで言った。何も情報を持っていないのは明らかだった。

「国際連合──その配下に様々な組織があります。中でも、国連安全保障理事会は、主要六カ国で構成され、世界の安全と平和の維持を目的としたものです。まずはここからですかね?」

「ほほう……それはどうすれば、その方々とお会い出来るのですか?」

「一般人にはまず無理でしょう。僕にもどうやったらいいか想像も出来ません。『交渉人』さんがどこかの国の代表者にでもなって、その国の代表として発言するのであれば別ですが。でもそれだと地球侵略は大きく後退します」

「なぜです?」

「地球のどこかの国の代表になるんですよ? 当然その国の国民から選出されなければいけない。そのためには地道な選挙活動が欠かせません。そして『地球侵略』をしようとするならば、せっかく票を投じてくれた方々を裏切る事になる。つまり自分の住んでいる星を侵略する事になるんです。それよりなによりその国の永住権を手に入れなければなりませんけどね」

「エイジュウケン」

 ユファナ氏はこれもカタカナで言った。

「その国の国民になるって事ですよ」

「それは簡単なのですか?」

「いいえ」

 僕は即答した。

 ユファナ氏のようなケース(宇宙から降ってきた)は、難民の受け入れとはわけが違う。政治亡命でもない。そもそもユファナ氏は、現時点でどの国家にも属していない。

「『交渉人』さんの場合、大きな壁があります」

「壁……ですか。それは何ですか?」

「宇宙人だからです」

「そ、それはそうですが……」

「宇宙人である以上、この地球のどこ国家にも属していない。いわばあなたはこの星に存在していないに等しい」

「存在しない……」

「存在していない以上、あなたを守る人は誰もいない。危険が迫っても誰も助けない。病気をしたり、何かに困っても助けてくれない。知っている人もいない。味方がいないんです。孤立しているんです」

 僕は畳みかけた。

「僕はね、『交渉人』さん」

「……はい」

 ユファナ氏は半泣きだった。

「あなたにそんな過酷な任務を与えた、あなたの本星の方が間違っていると思うんです」

「はぁ……」

「あなたは、この星の軍事力がどれほどのものかご存知ですか?」

「……いえ、それは……」

「この星を何十回でも滅ぼす事が出来る兵器を山ほど持っているんです。そして」

 ここで僕ははったりをかました──わざとユファナ氏にしか聞こえないような小声で囁いた。

「……実は、衛星軌道上から不審者を狙撃出来る兵器があるんです。もし、あなたの行動がその兵器を持つ国の要人に知られたらどうなるか……ご想像にお任せします」

 もうユファナ氏は顔面真っ青だ。天井と床を交互に見比べている。どっかから爆弾でも降ってくると思っているのかも知れない。

「ユファナさん」

 僕はここで『交渉人』の名前を呼んだ。

 もしこれで自分の名前がバレていないと思っているのなら、この説得は『成功』だ。

「! なぜ私の名前を!」

「もうバレているんですよ。この星に。あなたの存在が」

 僕はここでさらに一歩踏み込んだ。

「……実のところ、この会話だってどこまで傍受されているか……僕も危ない橋を渡っているのですよ」

「……」

 ユファナ氏は顔面蒼白なまま、黙り込んでしまった。

 これはもう一押しかな?

 僕は努めて真面目な顔をし(これが一番難しかった)、ユファナ氏にこう切り出した。

「今ならまだ間に合います」

 ユファナ氏はうつろな目で僕を見た。完全に術中にハマっている。僕の勝ちだ。

「……何がでしょうか……」

 ユファナ氏は可哀想なくらい老け込んで見えた。

「『交渉』なんてお辞めなさい。そうすれば自由になれる。どの国でもあなたの持つ技術力は受け入れられるでしょう。逆に言えばどの国でも敵対するのなら排除されるだけです──あなたが」

「……」

「決断は早い方がいい。そして『地球侵略の交渉』をお辞めになるのなら、この地球で暮らす方法をお教えする用意があります」

「それは! 本当にそんな事が可能なんですか?」

「もちろんです」

 リングに頼めばどこか適当な国の戸籍作ってくれるだろう。ここ以外、日本以外だといいな。

「それは例えば……ここで、日本で暮らす事も可能なんですね?」

 ユファナ氏……日本が、ここがいいのか?

 僕は嫌そうな顔を何とか引っ込め、ポーカーフェイスを貫いた。

「え、ええ、それは可能ですが……」

「素晴らしい! ここにいれば、少なくとも知り合いが二人、いや三人いる。私は孤独じゃない!」

 ユファナ氏は息巻いた。

 まぁいいか。

 変人だが根は、と言うか、基本的には正直者だ。

 問題を起こしても分かり易い。

 逆に近くにいてもらった方がいいかも知れない。毎朝新聞を読む度に、ユファナ氏の名前が載ってないか探すよりはましだろう。

 僕はこの一点において、近場にいた方が心の安寧が保てると判断した。

「では宜しいですね。ユファナさん。あなたは今この時点を持って『交渉人』の任を辞退すると言う事で」

 ユファナ氏は元気よくこう答えた。

「はい!」


 *


 こうしてユファナ氏による地球侵略計画は幕を閉じた。 

 ユファナ氏のリングに戸籍や住民票等の必要書類を教え手続きをしてもらった。僕の部屋の下の部屋がちょうど空き部屋だったので、そこに引っ越してもらった。働き口も紹介した。僕が働く飲食店だ。まず皿洗いからやってもらおう。

 と言うわけで、地球侵略の脅威は去った。

 後は日常が戻ってくる。

「アカリ。これで自分の部屋に戻れるな」

「何で?」

 アカリは本気で疑問をぶつけてきた。

 いや、理由が消滅したんだから元に戻るべきだろう?

「何でって、脅威は去っただろう? もう僕の部屋で寝泊まりしなくてもいいだろう?」

「それとこれとは別」

「何が別なの?」

「リング」

『はい』

 アカリがリングを僕に突き出した。

『ユキト様は、アカリ様の許嫁です。常に一緒にいて頂かないと困ります。今日の朝食だって、日本の正しい朝食をご覧に入れましたのに、ユキト様の反応は淡白すぎます。これでは私の存在意義にかかわります』

 ──何の存在意義だそりゃ?

「一体何が困るんだ?」

『アカリ様とユキト様の事です。私は幼い頃よりお二人を見て参りましたが、ユキト様の淡白ぶりに業を煮やしております。そこへユファナ氏の件があり、一緒に寝食を共にする様になって一週間。その間何もなく、進展もなし。私はユキト様がアカリ様をどう想っておられるのか疑問を感じております』

 ──は?

 僕はリングを凝視した。

『わ、私を見つめても先には進みません。アカリ様をどう想っておられるのか、それを明確にして頂きたいと思う次第です』

 ──そんな事を突然言われてもなぁ。

 と思いつつ、今朝はアカリがどこか変だった事に思いあたった。割烹着姿で甲斐甲斐しく朝食の準備をする日本のお母さんの姿がそこにあった。

 懐かしい気持ちはあったが、それ以上の気持ちはなかった。何せいつもはパン食だ。急に日本食になったからと言って何かが進展するわけではない。

 ──はて?

 進展?

 何が?

『私には、アカリ様とユキト様をお守りする義務があります──それはお二方の行く末、果ては子孫に至るまで見守り続ける所存でございます』

 それは一体何の覚悟?

 子孫とか言われても……ええ?

「いやリング! お前何か勘違いしてるぞ!」

 僕は狼狽えた。おろおろ、おろおろ。

 そこへアカリが畳み掛けた。

「何を勘違いしているって?」

 目が赤く光っていた。

 うを、その目で見ないでくれ。

 ──って言うか、これ洗脳じゃないのか?

「洗脳? 違うわよ。これはもぉっと根深い『人間』の感情」

 アカリは僕の前に仁王立ちになった。

「さぁユキ。リングが言っていた通り一週間経った。ユキの気持ち、ここで吐いてもらうわよ!」

『そうです。ここで正直な気持ちをお聞かせ頂けない場合、ユファナ氏にある事ない事、全部バラしますよ?』

 僕は思わず天を仰いだ。

 誤算だ。

 まさかリングに脅されるとは思っていなかった。味方とばかりに思っていたのに……。

 と、そこへ。

 突如空間に穴が開いた。

 そして降ってきた。

 アリアさんが。

 ぼすっ。

「ぐほぅっ」

 ──なんで皆して僕の上に降ってくるんだっ!

 僕は盛大に咳き込んだ。

「あら失礼」

 アリアさんは、ほほほと口に手を添えて笑った。

 何かを察知したかのような笑い方だった。

「アカリ! あんた私がいないからって勝手な事するとただじゃおかないからね!」

「勝手な事なんかしてない。これは双方合意の事なのよ!」

 ──ちょっと待て!

「アカリ! 何が『双方合意』なんだ?」

『許嫁が、でございます』

 リングがここぞとばかりに口を挟んだ。

『私は、厳密にはアカリ様の味方です。アカリ様に危害が及ぶ場合は、全力でそれを排除します。逆に言えば、アカリ様の利になる事でしたら、それを全力で支援します』

「それを言うなら私のリングも同じ。ね?」

 アリアさんは自分のリングを見た。

 だが。

『アリア。今は授業の合間に抜け出してるだろう? 緊急事態だと言うから無理を通したが、時間切れだ』

 と言うが早いか、アリアさんの姿は掻き消えた。

 部屋には僕とアカリが呆然とした面持ちで残された。

「……何だったんだ、今の?」

「……さぁ……」

 とにかく、アリアさんが突然現れて「勝手な事するな」と言って消えたのは分かった。

 問題はその『勝手な事』とは何か。

『どうやらアリア様はアカリ様のライバルになりそうですね』

「そのようね」

『断固として徹底抗戦致しますか?』

「当然!」

『畏まりました』

 僕の知らないところで何が決まったようだ。

『となれば、この部屋での同居期間を延長致します』

 ──なにおう?

『幸いにもアカリ様には地理的、時間的に有利な立場におります。これを有効活用しない手はございません』

「おう!」

 アカリは片手を突き上げた。

 ──あれ? 僕の意思は?

 ここは僕の部屋で六畳ワンルームだ。家具もそれなりにある。そこにこの一週間二人で寝るのは大変だったのだ。

 主に僕が。

 それをまだ続けるだって?

『ユキト様は、アカリ様の許嫁としての自覚が足りません』

 いや自覚が足りないとか言われても。

「そもそもだ。何だその許嫁ってのは」

 だがリングは僕の抗議を『無視』した。人工知性体が人間の言う事を『無視』したのだ。

『地球侵略などは私にとって二の次でございます。まずはお二人の関係をどうにかしないと先には進めません』

「ね? リングもそう言っているし。仕方ないよね? ね?」

 ──お前ね。これ知らないと思うけど同棲って言うんだよ?

「そんなの、知ってるよねー?」

『もちろんですとも』

 僕は思わず天を仰いだ。

 日常と言うのがどんなに薄っぺらいものなのか、はっきりと自覚した瞬間でもあった。


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