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 ダンジョンの入口というのは、現存するあらゆるものにも当てはまらない。まるで異世界への入口のようで、扉の代わりに、虹色の幕が複雑な形を描くようにうねり、奔流しているようだ。

 そこに足を踏み込む事自体、一般人からしたら気が引けることだがいつまでも足踏みをしていては始まらない。覚悟を決め、スキップするような歩調でリコはダンジョンに飛び込んだ。

 ぐにゃりと視界が歪み、体の感覚が曖昧になる。荒波に揉まれる船の上にいるようで、どっちが上か下かすらも定まらなくなる。

 吐きそうになる前にその現象が収まってくれたのは幸いだったが相変わらず慣れないし今後慣れるようになるのも無理な気がする。

 何にせよダンジョンに到着。鬱蒼とした面を上げ、前に向ける。

 細長く立っていた塔のダンジョンとは思えないぐらいにダンジョン内はだだっ広い洞窟のようになっており、石造りの小麦色の壁に覆われてこそいるが、その広さ故に不自由な気はしない。

 入口付近に魔族は基本的にいないからといって気を緩めたりはしない。

 注意深く辺りを観察すると、ぬかるんだ泥の上に大人数で行動したような足跡を発見した。屈んで足跡を見やると、靴の形状はどれもバラバラだったが、靴底の形から察するにどれも冒険者御用達の製造社の靴であった。まだ新しいことからそれがアイサと冒険者一行のものだと確信する。足跡の続く先は仄かな灯りを持った一本道となっており、気配こそ感じないがその奥からは濃密な魔力を肌で感じた。


 この道で間違いない、という確信を持ってリコは足跡に沿ってダンジョンを進んでいく。

 ダンジョンというものはその形状は様々な上、内装もダンジョンによって違うと聞く。

 実際、今までリコの攻略してきたダンジョンと比べて今回のダンジョンはどこか古代的な雰囲気を匂わせている。それらのデザインが全て魔王によるものなのかは定かではないが、良い趣味してるとリコは思っている。

 「さて」と呟きリコは思考を切り替えた。

 リコは渋い表情をする。


「可笑しいな……」


 顎に手を当てリコは疑問符を頭の上に浮かべた。

 まだ下層とはいえ魔族と遭遇しないのだ。魔族の生息具合もダンジョンによってまた違うが外の方に何体か出現している以上いない筈はない。

 冒険者達が倒して通ったのならば死体や血痕ぐらいまだ残っていても良い筈なのにそれすらないというのは余りに可笑しな話だ。

 ダンジョンの中で死んだ生物は一定時間後にダンジョンに吸収されるように消え新たな魔族を生み出す糧となる。だがそれも数時間から半日近く後に起きる現象だ。

 偶然いなかったと言えばそれまでになるがダンジョンにおいてその考えは命取りに成りうる。

 ふと、目の端で深紅の物体を捉えた。首を巡らせると、石の壁のひび割れから、真っ赤に燃えるザクロの花のような魔界の植物が此方を覗き見るように咲いている。

 その緊張感はまるで獰猛な肉食獣と目を合わせた時のそれに似ている。手の平にじっとりと汗が滲み、その手はゆっくりと背中に納めているパニッシャーへと伸びていく。

 もしリコの推測が正しいのならこの状況は思った以上に深刻だ。よく見ればその花、風すら吹いていないのに時折カサカサと怪しげな動きをしている。

 下手に刺激しないよう、極ゆっくりとした自然な動きでリコはパニッシャーの柄に手を掛けた。細く長い呼吸を繰り返し、相手の出方を伺うが動きを見せる素振りはない。リコからしてみれば一刻も早くこの場を抜けてしまいたいところだ。

 摺り足で少しずつではあるが間合いを取っていく。出来ることなら何事もなく済ませたいものではある。ダンジョンはまだ下層。無駄に魔力を消費するのは極力避けていきたいのはダンジョン攻略に挑む者なら誰でも思うことだろう。

 靴底が地を摺る音がザリザリと耳に入る。相手に動きはない。

 このままいけるか、と警戒のネジがほんの少し緩んだ。すると、靴の上からムニュッといった柔らかい感触が伝わってきた。

 ゾッとして視線をやると、そこには蛇のように細長い緑黄色の(つる)が地中からひり出すように生えてきて、リコの足下で不規則な動きで這い回っていた。

 思わずリコは小さな悲鳴を上げてしまい、それが引き金に一輪の花は魔族へと姿を変えた。

 リコを挟む石の壁全体を割り、無数の蔓が顔を見せる。蔓は縦横無尽に這い回り、瞬く間にリコを囲った。蔓の先端は無数の棘に覆われていて、それだけでも充分な凶器と言える。

 花の中央部からギョロリとした眼球がせり出してきてリコを品定めするように眺め回す。触手のように蠢く蔓もリコの周囲を徘徊しながらも、まだかまだかと目の前の獲物に襲い掛かる機会をうかがっている。

 「成る程ね」とリコは頷き、パニッシャーを抜く。


「魔族の死骸どころか血痕すら残ってなかったのはお前達が綺麗さっぱり食い尽くしたからか」


 頭の中のもやもやが解消されてリコは白い歯を出して笑みを零す。


「D級魔族、人喰い植物だな?ただ己の食欲を満たす為だけに生きてるような出来損ないに、俺は少しお高いよ?」


 地を踏みしめ、パニッシャーの矛先を人喰い植物の花弁に向ける。

 同時に人喰い植物の蔓の動きが急変した。うねうねとした不気味な動きを止め、その先端の全てがリコに目掛けられる。

 獲物から対等と認められた証か、それとも他の何かか。どちらにせよ意思の疎通が叶わない以上、二人の間に和解の文字はなかった。

先手を切って人喰い植物の蔓がリコに襲い掛かった。四方八方から飛びかかる蔓の一本一本には常人に致命傷を与える威力がある。そこら辺はD級でも魔族か、とリコにも感嘆させるものがあるが、それはリコがただのか弱い少年ならの話だ。

 リコが無造作に振りかざした斧槍、パニッシャーはまるで斬撃のバリアを張った如く向かい来る蔓を迎撃し、細切れにしていく。

 人喰い植物はギィギィと悲鳴を上げ蔓をうねらせる。

 間合いに入った自分の体の一部は全て切り刻まれてしまう以上、戦法を変えざるをえなかった。蔓に混じらせてリコの死角から一本の管状の触手を紛れ込ませると、水を汲み上げたホースのように触手の先がぶっくりと膨れ上がっていき、次の瞬間、青緑色の液体が噴射される。

 刹那、パニッシャーの刃を溶かし、持ち主のリコの頭部を溶かし尽くす――――そんな結末はリコのパニッシャーによって裏切られた。

 人喰い植物の噴射した溶解液とパニッシャーが接触した際に発生した事象は、パニッシャーの溶解ではなく、溶解液の消滅、そして触手の消失。

 わけのわからない状況に人喰い植物は一時動きを止めてしまう。

 リコは嘲笑うように花の目玉にパニッシャーを突きつける。


「この臭い、消化液か何か?残念だけど魔王のコレクションってのは表面に魔力を纏ってるから生半可な攻撃じゃ傷一つ付けられないんだ。まぁD級にそんなこと言っても理解出来ないかな」


 気付いた時には人喰い植物の目玉にパニッシャーの槍先が突き刺さっていた。

 毒々しい色の体液を垂れ流し、最期の断末魔を響かせながら一匹の魔族はその生命に終わりを迎える。


「まったく無駄な魔力使わせてくれたもんだ」


 パニッシャーを引き抜き、背に納めて壁に垂れ下がる人喰い植物を見下ろす。


「悪いけど仕掛けてきたのはそっちなんだ。恨まないでおくれよ」


 さて、と小さく呟き改めて進路を見直す。この不気味なまでに綺麗な通路がこの人喰い植物の所為だとわかり、胸のもやもやは晴れた。


「早速大変なこった」


 下級魔族というものはその力の弱いことから集団で行動するものが多い。どうやらこの人喰い植物もそうらしい。

 同族の一匹が殺された事によって集団は警戒態勢に入っていた。

 通路をびっしりと覆う蔓はその魔族の数の多さを物語っている。

 次から次へと石の壁を削り色とりどりの花がずるりと這い出てくる。

 同族の敵討ちか、それともただの食べ応えのある人間が来たことへの歓喜か。どちらにしても戦いは避けられないか、とリコは嘆息を洩らす。

 気怠そうに首の骨を鳴らし、再度パニッシャーを抜く。


「やっぱり一人じゃ大変だね。ダンジョン攻略ってのはさッ」


 体の奥から魔力を引き出す。火が点いたように体が熱くなる。同時に湧き出る高揚感。

 口の端を吊り上げ、リコは地を蹴った。

 パニッシャーを振る度に紫色の体液が舞い散る。人喰い植物達も負けじと応戦するがまるで相手にならない。

 魔力を開放したリコからすればD級魔族がいくら集まろうとそれは赤子の群れを相手にするに等しい行為となる。

 斬っては断末魔が響き、斬ってはまた断末魔の悲鳴が響き渡る。


「……キリがない」


 とはいえ進路にはまだ数え切れない程の人喰い植物が待ち構えている。このままでは悪戯に魔力を消耗させられた挙げ句に最悪、死が待っている。

 しょうがない、と呟きリコは更なる魔力をパニッシャーに充填する。


「蹴散らせ……パニッシャー!」


 パニッシャーが一層輝きを帯びていき、青白い燐光を纏ったそれをリコは力の限りで地面に叩き付けた。

 大地がひび割れ、隆起する。魔力がひび割れから溢れ出し、辺り一面の魔族を根っこごと消し去っていく。魔力の波動は止まることなく道行く先々の魔族を次々と飲み込んでいく。断末魔すら掻き消し、魔力の波動は青白い燐光を放ち無慈悲に一直線に突き進む。

 やがて、充填された魔力が切れ、魔力の波動もその姿を縮め、間もなくして消えていった。


「もう少し理性が働けばこうなることもなかったと思うんだけどなあ」


 パニッシャーを地面から引き抜きながらリコは目を細める。

 リコの内にあった感情は悦楽というよりは虚しさ、憐憫に近いものだった。

 その根源が何処から来るものなのかは本人ですら知り得ない。ただ己の使う力が元は魔族のものからくる負い目か、素直に喜ぶことが出来ないことだけは確かだった。


 ふっと息を吐き捨て、パニッシャーを背のホルダーに掛けると、リコはまたダンジョンを歩いていく。まだ下層、無駄な体力を使ってしまった上時間までも無駄にしてしまった為か、リコの歩調は少し速かった。

 目的はあくまでもダンジョンの攻略だ。他者に先を越されてしまっては元も子もない。

 特にあの男、ロメオ・スプラットにだけは魔王のコレクションをみすみす渡すのだけは避けたいところだ。


 背嚢から魔石の入った小瓶を取り出し、中の魔石を一つ取り出し、胸に押し当てる。消費し切った魔力を補充しながらリコは脚を進める。

 魔石の慰撫に心地よさを覚えながらも周囲には最低限の注意を払う。もし此処にいた魔族を先行する冒険者達が倒してくれていたなら助かる話だが、先程の人喰い植物のような少数や死骸に群がってくるような連中がいる為、おちおち気も緩めることも許されない。


 まったく、と溜め息を吐きながらリコは緩く首を振った。この調子で果たしてダンジョン制覇が出来るのか、少しながら不安を抱いていた。


 ダンジョンの中というのは外の世界と違って空気中に漂う魔力の濃度が桁違いに濃い。その恩恵は魔族だけでなく、魔術、魔王のコレクションを扱う者にも与えられる。

 いつもより大規模な術式を展開することが可能でもあれば、魔王のコレクションの所有者に与える効果もまた大きく変わってくる。

 それが吉と出るか凶と出るかは魔王のコレクションの性質にもよる話だが。

 ふと、リコは自分のお腹をさすった。


「お腹空いたな……」


 魔力は既に充分な位に回復していたがそれは空腹までも満たしてくれはしない。

 まだ先は長い。この先、上の層に行く度に魔族の量も強さも上がってくるだろう。そうなるといつ魔族が襲ってくるかも分からない状況の時、そう気楽に休憩も出来なくなる。

 そう考えると、寧ろ今休憩するのは得策であった。


 周囲を見回すと丁度良い所にぽっかりと壁に穴が空いていた。万が一に備え、パニッシャーの柄に手を置きながら、その洞穴に近付き中を覗き込んだ。

 人間の気配も無ければ魔族の気配もなし。一安心して身を屈めて洞穴の中に入り込むと、リコは背嚢から照明ランプを取り出して灯りを灯した。

 薄暗かった洞穴に仄かな灯りが広がり、洞穴の中の形を鮮明に表した。壁には図太い根がびっしりと張っていて、どうやら先程のような人喰い植物が朽ちた後に残った根によって出来た偶然の産物のようだ。

 自分を襲った魔族によって休憩の場を得られるというのは何とも皮肉なものだった。

 何にせよ、休息の取れそうな場所が確保出来た事にリコは少なからず心に安心感を持てていた。


 パニッシャーを壁に立てかけると、どっかりと座って、背嚢を漁るとビニールで包装された直方体の物体を取り出した。パッケージにプリントされた絵でそれが冒険者の為の携帯食料であると認識するのは容易だった。

 すぐさまリコは包紙を破り捨て中身を取り出す。中身は小麦色のエネルギーバーと、そこらに販売されているバランス栄養食となんら変わりはない。

 それは否定しない。今リコが手にしているものも、それらと同様の手軽に必要な栄養を補給するためのものでしかない。

 だが、高位の冒険者や聖騎士団員になると携帯食一つにしてもその中身は変わってくる。

 食べたことはないがそれは摂取した者の体機能を向上させ、生きてさえいればどんな重傷からだろうと回復に向かうと聞く。ただ、値が異常なまでに張る為、余程金に余裕が無ければ買えるようなものでもないが。


 そうしている内に一本、二本と携帯食を食べ終え一時至福の時を過ごしながらリコはこれからの動向を考えていた。

 最終的な目標はダンジョン制覇だ。これは変わらない。もしこの先、冒険者達と遭遇したとき、自分はどうするべきか。

 その中には恐らく聖騎士団の者も混じっているだろう。リコの頭の中でグラン聖騎士団長の顔が浮かび上がる。

 一度、冷たく突き放したにも関わらず彼は自分を受け入れてくれようとしていた。

 もう一度会ってグランは何と言ってくれるか。自分はその時何と答えるか。

 考えるだけで嫌になってくる。いっそのこと会わずにダンジョン攻略してしまった方がリコにとって楽なのかもしれない。でもそれは逃げだ。

 グランと会うことが怖いから逃げてるだけだ。自分の中で定まっていた価値観が崩れてしまうことが怖いんだ。


「聖騎士団は悪。そうじゃないのかな……師匠」


 天井を仰ぎ思い出に浸る。とはいえ殆どが苦い記憶ばかりで思い出したところで良い事は少ない。

 それは戒め。自分の道を決定付けるもの。そこにあるのは自らの意志だ。それが揺らごうとしている。


 リコはゆっくりと目を瞑り横になって体を丸めた。

 やがて意識が深い眠りに攫われていく。


 思い出した方がいい。あの時の記憶を。


 まるで自分の負の人格が語りかけてくるような、そんな錯覚に見舞われながらリコは意識を手放した。







 十年前、魔族と人類の戦争は魔王の死によって人類の勝利で幕を降ろした。

 だが魔王の残していったダンジョンは一時、人類に混乱を招く事態となった。

 不用意にダンジョンに入り帰って来ない者は跡を断たず、各国の政府や聖騎士団はその対応に心力を注ぐことになったのだ。

 その結果、聖騎士団の手の回らなくなった所での犯罪は飛躍的に急増した。戦争の勝利から来る余韻もあったのかもしれない。

 誰もが有頂天になっていた。

 リコの家庭は言わば孤児の集まりだった。廃屋を自分達で建て直し、最低限の生活を送っていた。


 幸せだった。

 お金こそ日々の微かな稼ぎで繋いでいたが、皆が笑顔で心の底からの幸福感がそこには確かにあったのだ。

 だがそれは無情にも踏み荒らされた。


「いけないなぁガキ共がこんなとこに居座ってちゃあよォ?」


 響く忌まわしい声。下劣で品性の欠片もない男達は土足でリコの居所を奪っていき、抵抗も虚しく麻袋に放り込まれ何が起きたかも分からずリコは恐怖の余り涙した。

 まだ純粋で絶望というものを知らない少年だったリコには自身に起きた出来事に理解が追いつかず、暗闇に包まれどこに行くかも、これから何をされるのかもリコには予想も出来なかった。


 記憶が飛ぶ。

 待っていたのは地獄のような生活だった。鎖に繋がれ、まともな衣服も与えられず、主人である男には事ある毎に殴られてはその箇所が痣になって痛みで眠れない日々が続いた。

 幼く、顔も中では可愛げのあるという理由で主人の娘達に玩具のように弄ばれるときもあった。

 過剰なストレスで吐きそうになっても腹の中には何もない。

 最悪だった。


「もうやだ……こんな生活」


 寝床もまるで牢屋みたいで隙間風が入りたい放題な上コンクリートの床は冷たく、リコの体温をみるみるうちに奪っていく。


「ほら、俺の服貸してやんよ。これで我慢しな」


 その時期にランスとも知り合った。ランスがいたからこそこの地獄も耐えれたのかもしれない。


「ありがとう、ランス」


 枯れた小枝のような腕は少し前までの自分からしたら信じられない程に痩せてしまっていた。

 当たり前のように食事が抜かれることもあり、少しでも主人に口答えすれば鞭で背を打たれ、そこが蚯蚓腫れになって、時には肉が裂けた。


「なんだまた飯抜かれたのかよ?仕方ねぇな。俺の少し分けてやんよ。ありがたく食えよ」


 ランスはリコにとって精神的支柱だった。彼さえいてくれればどんな困難でも前を向ける。そんな気さえした。ランスがいたからリコは人という種に絶望しなかったのかもしれない。

 だがそんな淡い希望を嘲笑うかのように事態は起こった。


「巡回だ。お前達何をしている?」


 純白の鎧を身に纏うのは今も昔も民衆から絶大な信頼を受けていた聖騎士団の者だ。

 先頭を切って、他の者を統率しているような者は白いマントをはためかせており、後で知ることになったが聖騎士団の分隊長を任される者の証らしい。

 リコの顔に希望の色が灯った。聖騎士団は正義の味方。その思想は精神的にも幼かったリコの中でも浸透していた。

 助かる。この生活から抜け出せるのだと思うだけで目頭が熱くなった。

 しかし、聖騎士団の言葉はリコの思うものより大きくかけ離れていた。


「困るな…もっと上手くやってくれないと」


 聖騎士団の分隊長は至って冷静な様子でリコやランス達の方に目を向ける。

 その瞳に潜むのは正義というには程遠い、もっと汚い欲望の塊のようで、リコのよく知る下劣で非情な者のそれだ。


「出来る限りの隠蔽はするがあまり表立ったことはするなよ」

「おいおいお前達が管理に困ったゴミ共を俺が見てやってんだぜ?少しは大目に見てくれよ」

「……そうだな」


 主人と聖騎士団の男の会話はしっかりとリコの耳に届いていた。


「何……それ……?」


 ふと、配下の聖騎士団達と目が合う。。ただただ冷淡にゴミを見るような目をしている。中には唾を吐き捨てる者もいた。


「何で……だよぉ……!」


 同じ人間だろう。どうしてそんな目でこっちを見る。聖騎士団は正義じゃなかったのか。

 信じられない。信じたくない。


「ふざけんなよ……」


 力無く地に倒れ込むリコを優しくランスは介抱する。


「挫けるな。何れ機会は来る」


 その日からか、人間という種族に嫌気が差したのは。聖騎士団に深い憎悪が生まれたのは。

 それでもランスだけは特別だった。ランスがいなかったら当に自分の心は挫けてしまっていたのだとリコは痛感している。

 だからランスにはまるで実の親のように懐いていた。時に、将来の理想を語り合っては笑いあい、魔力の教養があるランスに密かに魔力の引き出し方を教わったりした。

 苦痛の生活の唯一の至福の時だった。


 そして、月日は流れ、リコ達はダンジョン攻略に駆り出された。

 盛者必衰とはいったものか、あれだけ偉ぶってた主人も時が流れるに連れ、その威厳を亡くしていった。

 嘗ての栄光を取り戻そうと主人はダンジョン攻略に挑んだのだ。はした金で雇った傭兵達、そしてリコやランス達を連れて。

 そこがどのような所かも知らされずにリコ達は弾避け同然の扱いで先頭を歩かされた。

 疲労も限界で記憶が途切れている。ただ過酷な余り何度もランスの名を呼んでいたことだけは覚えている。その度にランスの力強い声が耳朶を打ち、励みになっていた。


 そして気が付けばあの洞窟の中にたどり着いていた。それまで生きてこれたこと自体が奇跡に近かった。何度も死を覚悟した。それでも自分は最後まで生きることを諦めなかった。


 記憶が飛ぶ。

 それは終点。その場景も当時の心境もあまり覚えてはいない。


「なぁリコ、人間は嫌いか?」


 小さく首を縦に振る自分がいた。顔は泥と涙でいっぱいで、衣服には大量の赤黒い血が付着していた。


「お前は、悪いとこばっか見過ぎなんだよ。人………そんなに悪いもんじゃないさ。まあ、今はわかんなくても…………何れわかる時が……来る、さ」


 記憶の世界が崩壊する。想像力で作った景色が闇に呑まれ、現実に引き戻された。

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