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リコの頭の奥で大きな衝撃が駆け抜けた。
「正気?」
「至って私は正気だが?」
本来ならきっぱりと断って終いにするリコだが相手が相手だ。何か考えがあっての事だと踏んだ上で一旦落ち着き、慎重に話を進めることにする。
「お前程の腕前なら一人でもダンジョン攻略は苦にならないように見えるけど?」
「如何にも、一度は中層まで辿り着いたものだがこうして追い返されてしまってね。そうなると煩わしくなるのはあの間抜けな正義気取り共さ」
「聖騎士団のこと?なら尚更お前の力ならどうにかなる話だろう?」
「確かに、末端の者なら蟻を潰すに等しい。だが障害となるのはその上に立つ男、グラン・ヴァルキリーだ」
一瞬、忌々しそうな表情を作りロメオは固く拳を握った。
「聖騎士団にも六人しかいない騎士団長を務める男さ。何度か対峙したことがあるが結局は勝敗着かずでね。正面からぶつかるのは避けたいところなんだよ」
「だからお前は早くにダンジョンに入った」
「飲み込みが早くて助かるよ。そう、私は聖騎士団より先にダンジョンを攻略するつもりだったのだが先の一件で足並みを揃えさせられてしまった。つまること聖騎士団と対峙する確率は比較的高いのだよ。それに加え冒険者共。中には『魔王のコレクション』を持つ者もいる。圧倒的不利なのは言わずもがな此方側だ。そこでだ。あちら側に属していない且つ、戦力として申し分ない君を探していたのだよ」
筋は通っている。だがリコからしたらロメオと組むには不安な要素が尽きなかった。
「お前と組んだとして、こっちに何のメリットがある?」
「私とリリスの支援が得られる。単独でダンジョンに挑もうならその道のりがどれほど苦難なものかは分かっている筈だ。そうだろうリコ君?」
まるで見透かされているかのようにリコの頭の中では当時の記憶が蘇った。
一人でダンジョン攻略に挑み、己の力を過信した結果、魔族に囲まれ、二、三度生死の境をさまよった上でダンジョンをクリアしたことがある。
今でも苦い記憶の一つだ。
ダンジョンを攻略する上で一人と二人ではその優位性は格段に違ってくる。三人ならば更に上だ。
「何なら私達の『魔王のコレクション』を見せてもいい。これから仲間になる者への自己紹介も兼ねてのね」
刹那、リリスが眉間に皺を寄せる。
目で「それはやりすぎではないか」と訴えかけているようだったがロメオは片腕をリリスの前に出してそれを制した。
「随分と高く買われたもんじゃないか」
「それで優秀な人材が得られるのなら安いものさ」
「成る程ね。それで分け前は?」
ほぼ承諾の意となるその言葉にロメオは笑みを深めた。
「そうだな……道中や最深部で手に入る宝は全て君に渡そう。私が欲しいのは魔王のコレクションだけだ」
差し出された条件はこの上ないものだ。このまま契約を交わせば、ダンジョン攻略は容易いものとなる。
だがリコの心のどこかでもどかしい違和感が滞留して仕方なかった。
相手が凶悪犯罪者だからとかそんなものではない。言ってしまえば自分もある種の犯罪者であるし、そこにあまり抵抗はない。
問題はその違和感が何なのかだ。
「どうかしたかい?」
ふと目がロメオと合わさる。そこでリコは違和感の正体に気がついた。
ロメオの瞳の奥深くに潜むドロドロとした欲望、悪意に満ちた醜悪な意思、隠そうとしても隠しきれず表に滲み出てきているそれらは意識することで初めて気づくことが出来るものだ。
自分を蔑んできた人間とロメオのそれが重なり、リコは
「今のお前の言葉を偽りがないと確証出来るものがあるか?」
「おいおい急にどうしたんだい?」
「こちとら背中を預けた時に後ろから刺されるのは御免なんだ」
「そんなこと……あるわけが」
「あんた、下衆の臭いが隠しきれてないんだよ」
「ああ」とロメオもリコの意図を理解したようでつまんなさそうに数回頷いてみせる。
何も反論がない辺り図星と見ていいようだ。
「やっぱり君は理解が早いなぁ」
リコは一歩退き、臨戦態勢に入った。
「君一人でダンジョン攻略に挑むつもりかい?」
「少し前から一人さ、そしてこれからもね」
ロメオは不気味に笑い、その目に殺気を巡らせる。
「私も考えてはいたんだよ。ライバルに成りうる脅威を消す為にはどうすべきかをね」
冷たい風が肌を撫でる。月に照らされロメオの笑みがより鮮明に映し出された。
「簡単なことさ、取り込んでしまえばいい」
ギラギラとした醜悪な笑みはロメオの真の人柄を物語っていた。
「だがそれも叶わないのならどうするか?それも簡単だ。消してしまえばいいのさ」
今にも襲いかかってきそうなロメオだったがそれに先んじてリリスがロメオの前に出る。
「主の手を煩わせるまでもありません。私が殺りましょう」
ロメオは暫く考えるとやれやれと首を横に振った。
「五分で片付けなさい。待たされるのは嫌いだ」
「承知しました」
先刻から敵意の視線を送られ続けていただけにいざ戦うのなら率先して出て来たのも頷ける。
リコはコートをはためかせ、両手に魔力を込めると腰を落として構えた。
「魔王のコレクションは使わなくて?」
「魔力は温存したいでしょ?ダンジョン攻略に備えてね」
「成る程、では此方は遠慮なく」
リリスの魔力が解放される。ロメオが暫し離れると、同時に魔力が形を作り始めた。
「主に仇なす輩に裁きを『ハウンドドッグ』」
眩い燐光を放ちリリスの手に金属質の篭手が現出する。
篭手はしなやかなラインを描くようで全体的に光沢の無い黒色をしている。指先にはそれぞれ刃状の爪が伸びており、それにより目の前の獲物を無惨に引き裂く。
「御容赦を」
「ご冗談を」
先に仕掛けたのはリリスだった。
ゆらりと身体を揺らせた次の瞬間リリスの姿が消える。
リコは反射的に屈むとつい先程までリコの頭のあった所をリリスの蹴りが通り過ぎるところだった。
すかさず足払いを掛けると咄嗟にリリスが跳躍。ふわりと宙に浮き上がり篭手の装着された右腕が振りかざされた。
回避は間に合わないと判断するや両腕に魔力を集中させ交差し防御の体制を取る。
打ち込まれた掌打は対象に余すことなくその威力を伝え、防御の腕を弾き上げた。
防御の上がったリコは次の手を繰り出す術は無く、リリスの前蹴りが鳩尾に叩き込まれると紙屑のようにリコを吹き飛ばした。
ホッと一息着き、リリスは笑顔で主に振り返る。
「終わりましたロメオ様」
だがロメオの表情は冷たく虚空を見つめるだけで、リリスは疑問符を浮かべた。
「詰めが甘い」
その意図に気付きリリスは慌ててリコの吹き飛ばされた方角に向き直った。
「……しまったッ」
土煙を上げる家屋から円弧を描くようにして投げナイフが飛来。寸でのところでそれをかわし、続く二本目の投擲されたナイフを篭手でなぎ払う。
短く舌打ちし、リリスは再度魔力を身体全体に漲らせる。
すると家屋の中から青白い光が発生するのを目にしてリリスは歯噛みし、ロメオは大袈裟に首を横に振る。
家屋に提げられた盾と剣の看板が冒険者支援店だと気付いた時には全てが遅かった。
吹き飛ばされた先でリコは苦痛に暫く身悶えていた。
腹部から受けた衝撃は全身を駆け巡り、一瞬息が出来ない程の激痛が走り、それに加えて背に衝撃。けたたましい破砕音と伴った事から何かに叩き付けられたのだと直感する。
頭に星が散っている。木板に寝そべるような形で投げ出されただけにこのまま眠ってしまえれば気分的には最高なものだがそう悠長にしてはいられない。
即座に身を起こし周囲を確認する。どうやら室内らしいがその催しや外観から此処が冒険者支援店であることを理解した。
「……ラッキー」
ポツリと呟きリコは店の戸棚を漁りだす。
幸いそれが目立つ所に配置していただけに探すのに時間は取られなかった。
リコが手に取ったのは仄かな紫の灯りを放つ石の入った小瓶で、リコは小瓶の栓を抜くと大きく息を吸い込んだ。
すると、小瓶の中の石から光が外気に解き放たれ、光は煙のように宙を漂い、やがてリコの中へと吸い込まれていく。
リコは身体に流れ込んだそれを馴染んでいくのを感じとると、拳をグーパーしてその具合を確かめる。
「んっ!魔力最大、気分快調!」
小瓶の正体は『魔石』と呼ばれるダンジョンアイテムの一つだ。
魔精石は魔力を溜め込む性質を持ち所有者は一時魔石に魔力を預けることが可能で好きな時にその魔力を引き出すことが出来る。
冒険者にはありがたい品だが何分値が張るわけで中々手が出せないのが現実だ。
それがこうして置かれているのはリコにとって幸運というしかなかった。
リコは店に並べられた投げナイフを二本投擲すると同時に魔力を行使。
手に集う魔力の塊を手に取り、その力を解放する。
「咎人を罰し蹂躙せよ!『パニッシャー』」
魔力の余波で土煙が吹き飛ばされる。視界が開けてリリスとロメオの姿を視認する。ロメオは粛然としているがリリスはやや動揺を隠せていないようでいるようだった。
「ほぉ、あれがリコ君の魔王のコレクションか。中々……そそるな」
ロメオは恍惚とリコの手にするパニッシャーを眺める一方でリリスは脚に力を込め、臨戦態勢に入っていた。
脚のバネと脚に溜めた魔力を使い、その推進力で一気にリコに突進を掛ける。
リリスの姿が目の前から消え鋭く空を切る音に乗りリリスがリコの目前に出現し、渾身の突きを見舞う。常人なら肉体を貫通し、余力を以て絶命させることが可能な一撃だ。
鼓膜をつんざくばかりの炸裂音が響く。リリスの『ハウンドドッグ』とリコの『パニッシャー』、両者の刃が交わる。
「やっぱりそうか」
刹那、リコの口から余裕をもってその言葉が出てきた。
リリスの篭手を容易く弾き、返しの鎌刃をリリスの首元にあてがう。
「そんな……」
自身の渾身の一撃がまるで小技をあしらうように返されリリスは一瞬放心状態になる。
「お前の魔王のコレクションの能力は『装備者の強化』でしょ?単純で強い。消費魔力も低くて魔王のコレクションの中でも比較的扱いやすい」
「くっ!」
この時点ではリリスに勝ち目が無いのはリリス自身が痛い程わかっていた。
だが同時にリリスは自身の負けがないことも確信していた。
ごとりと音を立てリリスのメイド服のスカートから重い音を立てて球状の物体が床に転がる。
一瞬、リコの意識がそっちに向いたことでリリスはその隙にハウンドドッグのギミックを作動させた。
放たれた猟犬が標的の喉を食い破るように。篭手の手首部分から小刀の形を為した魔力が射出。
寸でのところでかわし、小刀がリコの頬を擦過していく。
鮮血が滴り落ちるが意に介さずリコはパニッシャーの柄を両手で握り締め、その白刃を振りかざす。
だがリコがパニッシャーを振り下ろす前にリリスは大きくバックステップをとり、大きく距離を取った。
回避というより避難に近く、その意図にリコが気付いたのはリリスのスカートから落とされた手榴弾が炸裂する直前だった。
凄まじい爆発音が轟き、爆炎がリコを飲み込んだ。建物が吹き飛び、その木片がリリスに降りかかった。
「どうだ!」
思わず大声をあげるリリス、しかし煙の中から人影が現れたことでリリスの顔が真っ青になった。
見た目からして殆ど無傷と言っていいだろう。余裕綽々の表情でリコはパニッシャーの一振りで爆炎を吹き飛ばす。
「うん、まぁ人一人吹き飛ばすなら今ので足りるだろうけど生憎コレクションを出した僕には少しぬるいかな」
コートに付いた煤をはたき落としリコは悠然とパニッシャーを構える。
「ほら続きだよ。ぼさっとしてないでかかってきなよ」
流れは完全にリコにあった。リリスのハウンドドッグは安定した火力が出せる一方でここ一番の突破力に欠ける欠点がある。
だがリリスに後退の文字はない。それはリリスの後ろで主が見守っているからだ。
大きく息を吐き出しリリスは脚のバネを使い、一気にリコに肉薄する。
薙ぎ払うような跳び蹴りを見舞われるがすんでのところで屈み、リコはそれをかわす。
「速いね」
リコの右手がリリスの首根っこを捕らえ地面に組み伏せる。
衝撃でリリスの肺の中の空気が全て押し出される。
「でも遅い」
リコはにっこりと人懐っこい笑みを浮かべパニッシャーを振りかざした。
拘束されたリリスにとってパニッシャーは断頭台の刃に映ってたかもしれない。
「ギロチンってところかな?」
パニッシャーに魔力が充填され、ギラリと斧刃が妖しく光った。
魔力を斧刃に纏い、刃のように形を変えることで、あたかも刃が巨大化したかのように見える。
「くっ!やめろ!」
「やだ、やめない」
リリスの胸を踏みつけ、リコは殺意の眼光を光らせる。
―――死刑執行
心の中でそんな言葉が流れた気がした。
同時にリコはパニッシャーを振り下ろした。凄まじい衝撃と炸裂音が響き渡る。
大地は一文字に割れ、辺り一面に血の華を咲かせる。
砂煙が盛大に立ち上がり、夜の暗闇も相まって視覚は一時的に機能を果たさなかった。
やがて砂煙が晴れ、視界がひらけてくる時には、既にリコの姿もロメオ達の姿もなかった。