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ワームテールの甲高い咆哮に呼応するようにリコは自身の魔力を解放した。
いつになっても心地良い。聖騎士団の追っ手を避ける為とはいえ身に溢れる魔力を内に押し込めておくのはなにぶん息苦しくて仕方ないものだ。
だが魔力を解放したことによって聖騎士団にリコの所在地は知られてしまっただろう
そうなった以上はものの数十分で聖騎士団が到着するだろう。それまでにこのワームテールを片付け、姿を隠さなければリコはたちまち聖騎士団の連中を敵に回すことになってしまう。
リコは意を決した。息を深く吸い込み丹田に力を込める。
同時に襲いかかるワームテールの尾を紙一重でかわすと同時に魔力を乗せた左の掌打を叩き込んだ。
蛇の頭が一瞬風船のように膨れ上がり飛沫を上げて破裂し、肉片が飛散する。
続く二撃目を叩き込もうとした直後、ワームテールが無茶苦茶に暴れまわり、否応なしに距離を取らされた。
ただ敵の攻めの主軸を序盤から潰せたのは大きい。そう判断しただけにリコは警戒を緩めてしまった。
次の瞬間、リコの横っ腹を吹き飛ばした筈の蛇の頭が襲いかかった。完全に虚を突かれ、上下に羅列した牙がリコの横腹に噛み付き、そのままリコを中空に引き上げた。
無茶苦茶に振り回され何度も地面や家屋に叩きつけられる。木片が身体中に突き刺さり、鋭い痛みが走る。身体が悲鳴を上げている。バラバラになりそうな痛みが続くも尚もワームテールは攻撃の手を緩めない。
ボロボロのリコを目前まで持ってくると収納していた大顎を展開させる。毒液をどっぷりと滴らせ、今まさにとどめの一撃を打ち込もうとした刹那、無造作にのばされた左腕がワームテールの尾に触れた。
「……調子に乗るな」
突如としてワームテールの尾が消し飛び、残った蛇の頭と一緒にリコは地に落ちた。
即座にワームテールの間合いから外れるとリコは呼吸を落ち着かせ不適に笑って見せる。
「超速再生能力か、便利でいい能力だよね」
既にワームテールの尾の切断面からは血肉が隆起し、新たな頭が形成されようとしていた。
「だけどそれはこっちも同じさ」
散々叩きつけられボロボロだったリコももう出血は止まり身体中に出来た傷も塞がり始めている。だがその反面リコの中で焦燥感が芽生え始めていた。
結局は振り出しに戻っただけだ。このままでは決着が着くまでに聖騎士団が到着してしまう。今はそれだけは絶対に避けたい展開であった。リコは血を含んだ唾を吐き捨て、その瞳に刃の如き剣呑さを持たせた。
「出来ればこっちじゃあ使いたくなかったんだけどこのままじゃあジリ貧でしかないんだ」
仕方ないと一つ大きく息を吐き、魔王のコレクションの使用を決意する。
ワームテールも異変に気付きキィキィと金切り声を上げる。リコの周辺を覆う魔力の濃度が異常なまでに上昇していっているのだ。
目に見える程の魔力はやがて青白い燐光を放ち形を成してリコの手に収まる。
リコの身の丈を越えそうな長さの金属質の柄、先端には槍が付いており、刃の部分が平な斧刃と、その逆側からは鎌状の刃がスラリと伸びている。
何よりその異彩を放つ禍々しい装飾品の数々と紋様は目にするものを圧倒する毒々しさと神々しさを兼ね備えていた。
魔王のコレクション『魔王の斧シリーズ』
「咎人を罰し蹂躙せよ『パニッシャー』」
ピュンと風を切り久しく手にする得物の感触を確かめる。
「うん、よく手に馴染む」
針の山に刺されるようなプレッシャーがワームテールに降りかかる。ワームテールはそれを振り切るようにリコ目掛けて真っ直ぐに突進を仕掛けた。
スラリと伸びた多脚は地面を抉り、鋏を唸らせ、顎からは毒液を垂れ流している。
尻尾も既に再生していた。
自身の強さに絶対なる自信を持っていたワームテールにとって目の前の小さな人間に負ける要素などある筈がなかった。
だがそれはリコがただの人間なら、の話だ。
鋏を振りかざしリコに飛びかかった時には既にリコの得物はワームテールの両腕の鋏を切り落とした後だった。
得物を手にしたリコの動きは最早別人のそれだ。鋼鉄を誇る甲殻をバターのように切り落とし、対象を瞬時に無力化させる。
戦斧の一撃を以て両の鋏を切り落とすと瞬時に肉薄し、魔力を纏った手で大顎を力任せに引っこ抜く。赤黒い血液が飛び散るもリコの追撃は止むことはない。
ワームテールの真下に滑り込み横薙の一振りで脚を全て切り落とすと背後に回り込み尾を両断、一瞬の内にワームテールの反撃の根を摘み取ってしまう。
ワームテールに残された手は超速再生能力のみとなってしまったがリコはそれすらも許さない。
再生しかけた鋏を再度刈り取ると頭部目掛けて刃を振り下ろす。
バツンとはちきれるような快音と共にワームテールの頭部が両断。だが完全に生命活動を絶つにはそれでもまだ足りない。
返しの鎌刃で二枚に卸すと巧みに斧を操り、目にも留まらぬ乱撃を繰り出す。
宙を舞う肉塊が細切れに切り刻まれ、鮮血を撒き散らし、落ちていく。
リコの手が動きを止めたのはワームテールの生命活動の停止を確認した後だった。
「戦闘終了だ」
『パニッシャー』を消してリコは大きく息を着いた。首を巡らせ周囲を見回し聖騎士団の馬を駆る音が迫ってきているのを聞き取ると回れ右でそそくさとその場を後にした。
数分後、聖騎士団の騎乗する馬が到着するや一同は驚愕の表情を浮かべた。
まるで怪獣が通った跡のように目の前の魔族の死体はぐちゃぐちゃにされ、通り一帯に赤黒い水溜まりが形成されていたからだ。
一帯に散漫しているむせかえるような血臭が鼻を突きながらも騎士団長のグランは馬を降り死体の前で屈みこむ。
「魔力の残滓からするに……間違いない。ダンジョン攻略者だ」
「お言葉ですがグラン殿」
部下の一人が前に出るとその旨を伝えるべくして言葉を続ける。
「この地域一帯のダンジョン攻略者は二人しかおりません。絞り込むのは容易かと思われます」
「トリートとマルコか。残念だがそれは考えられんな。トリートもマルコも今の時間帯の所在は知れている。それに対象を無力化するのなら二人ならもっと賢く立ち回るだろう。これをやった者はまるで獣のようだ。殺すことのみを目標にしておる」
ふむ、と呟きグランは暫く考え込むと立ち上がり部下へ指示をくだす。
「ロッツォ、解析班を呼んで死体の検分を始めてくれ。ジョーン、君は冒険者の召集を頼む。ロンは残りの部下を連れダンジョン周辺の警護を。警戒を怠るな、私の勘が正しいならまた魔族が出現するだろう。私は……心当たりを当たってみよう」
「護衛の程は?」
「無用だ、私一人で行く。なに心配はいらぬ。戦いに行くのではないからな」
暖かく笑って見せるとグランは騎乗し、馬を走らせた。
その一方、目的地までざっと一キロを切ったあたりでリコは足を止めた。
路上に自分以外の人間はいなかったが念の為、路地裏に隠れるとレンガ造りの壁に寄りかかり肩で大きく呼吸を繰り返す。
「あぁクソ、あの蠍野郎……無茶苦茶に暴れて……」
中規模の破壊魔法に超速再生を使わされあまつさえ『魔王のコレクション』まで使わされたのは完全に想定外の事態だった。
普段から魔力を押さえていた上、急な大規模の魔力の発現をしたからだろう。外傷は無いとはいえ見た目以上に今のリコの体力は消耗していた。
「まったく、後方支援がないとこのざまか……」
短く息を吐き出し、自身の情けなさに思わず苦笑が洩れ出す。いっそこのまま眠ってしまえれば楽だったかもしれないがリコの中の自制心が勝りそれを許さなかった。
路地裏からそっと顔を出し周囲に聖騎士の気配がないことを確認すると残りの体力を絞り出し、力の限り地を蹴った。
目を開けてられないぐらいの風圧が体全体を覆い、みるみるうちに景色が入れ替わっていく。一度地に足を着きインターバルを挟むと残りの僅かな距離を一気に零にまで縮めた。
一度見ただけであったがその木材を継ぎ接ぎにした貧相な小屋のような家は記憶に鮮明に残っている。
足を踏ん張らせブレーキを掛けると、足に瞬間的な熱さを感じ思わず表情をしかめるが同時に聖騎士に見つからずに帰り着けたことに胸をなで下ろした。
幸いこの地域までにはワームテールの被害は及んでいないが、住人は身を潜めているようで町は静けさに満ちていた。
周囲に目を配らせながらリコは何気なくドアに手を掛けたのだった。
手に力を込めドアを開く。刹那、ぞわりとリコの背筋を悪寒が駆け抜けた。
悪寒の正体が殺気であると気付くや否やギラリと鋭い光を放つ物体が風を切り飛来する。
「わっ!」
紙一重でそれをかわすが体勢を崩し、リコはその場に情けなく転げ落ちてしまった。
体を起こすと既に殺気はなくそこにはきょとんとした表情を浮かべるアイサが手に調理用の包丁を持ち、今まさに投擲のモーションに入ったような状態でリコを見下ろしていた。
「なんだ、君か」
つまらなそうに吐き捨てアイサはぷいとそっぽを向き、包丁を所定の棚に片付ける。
リコは起き上がり、ドアの方に目を向けるとつい先程まで自分の頭部のあったところに同じような包丁が木製のドアに深々と突き刺さっていた。
「殺す気?!」
「殺す気で投げたからね。でも避けられた」
「避けなかったらどうするんだよ!?僕死んでたよこれ」
「そのときは、そうだね…………君の遺体を担いで山まで歩かされる羽目になるね」
「今更だけど君が僕を助けたことが信じられなくなってきたよ?」
「冗談だよ。でもかわされるとは思わなかったな。タイミングも完璧だと思ったのに…」
少し悔しそうに鼻を鳴らしアイサは備え付けのソファに腰掛ける。
「まぁダンジョンの魔族が外に出てくるなんて聞いたこともないからね。警戒も強くなるよ。それで、ダンジョンの下見は出来たの?」
「あぁそうだね。色々とあったよ」
これまでの経緯をかいつまんで話した。
ダンジョンの前で犯罪者ロメオ・スプラットと出会ったこと。聖騎士団に捕まって取り調べを受けたこと。そしてワームテールと交戦したこと。
アイサは不思議そうに首を傾げ顎に手を当てる。
「じゃあそのロメオ・スプラットがダンジョンの中で何かやったってことだよね?」
リコが首肯するとアイサはそれに付け加えるように言葉を続ける。
「でも疑問なんだ。ダンジョンから魔族を出すことなんてはたして可能なのかな?」
リコは「そうだね」と呟き、伸びをすると、一つ大きく頷いた。
「その前にご飯にしない?」
丁度リコの腹が空腹を訴えるように唸りをあげた。
アイサは呆れた風に首を振り腰を上げる。
「待ってて」
藍色の髪を結って留め、エプロンを着るとアイサはフライパンを取り出し油を引き火にかける。頃合いを見て卵を二つ取り出すと器用に片手殻を割り、フライパンの中へ落としていく。
たちまち油の弾ける音と一緒に香ばしい匂いがリビングいっぱいに広がる。
「やっぱアイサって料理上手なんだね」
「最低限だよ。一人暮らしで勝手に身についただけのこと」
「家族はいないの?」
「今頃はダンジョンの土になってるんじゃないかな?」
あまりにさらっと言うものだからリコは面食らってしまった。
「冒険者だったんだ」
「そうだよ。夫婦揃って仲良しこよしの冒険家。広大なジャングルも嵐の海も切り抜けた冒険家もダンジョンでは力尽きちゃったの」
塩胡椒を振り、フライパンに蓋をするとアイサは向き直り自嘲気味に笑って見せた。
「でもあまり悲しくなかった。いつも冒険に出てばっかりでいつ死んでもおかしくなかったし」
「じゃあアイサはどうなの?」
「何が?」
「ダンジョン攻略。するつもりなんでしょ?」
アイサは目をぱちぱちと瞬かせた。
「どうしてわかったの?」
リコは得意気に鼻を鳴らし、ピンと二本の指を立てると口を開いた。
「まず一つはアイサが僕に聞くことは大概ダンジョン関連だから。二つ目はさっきのスローイング。並の腕前じゃあこう上手くはいかない」
ドアに突き刺さった包丁を指先でなぞりながらそれを引き抜くと手先で器用にくるくると回すと、いかにも様になったフォームでそれを投擲するような振りをして見せた。
「アイサは冒険者なの?」
アイサは素っ気なく「そうだよ」と小さく頷き、フライパンの火を止めた。
「冒険者になっとけば色々と便利だから。ダンジョン関連に限らずね」
冒険者とはなにもダンジョン攻略に限られた者の集まりではない。
時に未踏査地区の調査にあたったり、嘗て人間が残した遺産の隠された遺跡に潜ったり、人によって様々な仕事を請け負っている。
冒険者のライセンスを取得していれば立ち入り禁止区域にも足を踏み入れることも場合によっては可能である。
それ故、今の世の中一部の例外を除けばライセンスを持っていない冒険者は少ない部類なのだ。
その中でも最も困難を極める仕事こそがダンジョン攻略である。
魔王が封印される直前に放った力によってダンジョンは姿を現した。
調査団、軍隊、冒険者、数ある強者達が挑み、帰ってくる者はいなく、初めにダンジョンをクリアしたのはダンジョン出現から二年が経った頃であり、聖騎士団の総帥自ら攻略に挑んだらしい。
山ほどある財宝とダンジョンの情景、情報を世界中に伝え、ダンジョン攻略は再度、奮起したのだ。
中でも魔王の叡智と力の塊ともいえる財宝、『魔王のコレクション』は冒険者だけでなく、数多い愛好家を唸らせ、多額の金を出し、冒険者を雇う者や、出回る品を血眼で買い求める者も出ている。
だが一度入ってしまえばダンジョンをクリアするまでは外に出ることは不可能な事も同時に知れ渡り、ダンジョン攻略はいわば命懸けのギャンブルとも言われている。
出来た目玉焼きを皿に移し、水気の多いレタスを添えてテーブルまで運んだ。茶碗に白米を盛るとそれだけでありふれた食事の完成だ。
アイサは顔をあげ、上目遣いで見てみるとそこには目の前の食事に目を輝かせる年相応の反応を見せる少年の姿があった。
端から見てこんな少年がダンジョン攻略を果たしたと言うなら笑い話もいいとこだ。
アイサも実際にリコがダンジョンを攻略する様を見たわけでもないし、その腕前を拝見したわけでもない。
だがアイサは自身でも不思議なくらいにリコに疑惑の色を抱いてなかった。ダンジョン攻略者特有の風格というものを少なからず感じたのからかもしれない。
「どうしたの?食べなよ」
じっとテーブルに突っ伏すようにして目の前の皿を穴が空きそうなくらいに見つめるリコを見てアイサは首を傾げる。
「いいの?」
「君の為に作ったんだよ。お食べ」
するとリコは「待て」を解かれた犬のように皿に飛び付き大口を開けて目玉焼きを頬張った。
「アイサは食べないの?」
口をもごもごと動かしながらリコはちらとアイサに視線を向ける。
「いいの、あまりお腹空いてないんだ」
そう言いながらアイサはリコの向かいの椅子に腰掛けた。
「食べながらでいいから聞かせてくれる?ダンジョンのお話」
リコは一度口の中の食べ物を喉の奥に飲み込んだ。そして、箸を置くと二人の視線が絡み合った。
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