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ロメオの合図で形を様々な凶器に変え影は輪を一気に狭める。
左手に力を込め絡みついた鞭を消滅させると、続け様に魔力を放出。薙ぎ払うように振った腕から打ち出された魔力が波状に広がり、迫りくる影を掻き消していく。しかし、また新たな影が湧いて出ては同じように輪を縮めてくる。
リコは堪らず舌を打った。ロメオの狙いは自分の魔力切れだ。いくら魔王の左腕を解放して魔力の総量が跳ね上がったとはいえ無尽蔵ではない。魔力が底を着いたとき、それがロメオの勝利の時だ。
もう一度だけリコは魔力を振るった。風に吹かれた葉のように散っていく影が再生してしまう前に、この包囲網を抜け出そうとしたとき、自分の目測がとんだ誤算であったと気付かされた。
狙いは魔力切れなどではなく、攻撃後に一瞬隙の出来るこの瞬間だったのだ。
「やぁリコ君」
目の前に映る美男子の笑みに怖気さを覚えた。破壊の左腕を持っている以上、ロメオが接近戦を仕掛けてくることはないと踏んでいた自分の浅はかさを呪った。
反射的に身を捩るも遅かった。トリックスターによってレイピアに変化させた魔力の剣先が肩口から突き刺さり、肉を貫き骨を断つ。
「ぐあっ……!」
脳を焼くような痛みに喘ぐリコを見てロメオは笑みを深め、追撃の一手を繰り出す。
トリックスターに込められた魔力が形を変え、レイピアの先端が幾重にも枝分かれし何本ものワイヤーと化しリコの動きを束縛、完全に動きを封じた。
すぐに左手の力で束縛を解こうとした時には既にロメオはリコの命を摘む一歩手前まできていた。
地面から影を結集させ、見上げる程大きな巨鎚を生成し鷹揚に両手を広げる。
「これでも再生するかい?」
パチンと指を鳴らしたのを合図に巨鎚が振り下ろされた。迫りくる影の鎚に為す術もなく、リコはただ立ち尽くすことしかできなかった。間に合わない。目を瞑り来るだろう痛みに備える。
しかし、痛みはいつまでもやってこなかった。ゆっくりと目を開けると、まさに寸止めの状態で影の巨鎚が静止しているのだ。何のつもりかとロメオを見やるも彼自身、不思議そうに自分の影を眺めている。
どちらにせよこの機を逃す手はない。左手の力で拘束しているワイヤーを融解し、同時にパニッシャーに左手の魔力を注ぐ。
「はあああぁぁッ!!」
燃え盛るような赤く煌めく刃を返し、一筋の赤い軌道を描き振るわれた斧刃がロメオの肩先から腰に掛けて一文字に切り裂いた。純白のコートから吹き出す鮮血が地面に毒々しい色の水溜りを作り出す。
千鳥足で後退するロメオに追撃の二の刃を加えんばかりにリコはパニッシャーを振り上げた。一撃目は浅かった。必殺の一撃だろうと直撃しなければ意味を為さない。確実に目の前の命を摘むべくして、大きく踏み込み間合いを詰める。
「これで終わりだ、ロメオ・スプラット!!!」
体勢を立て直す暇も与えない。気勢に殺気を乗せてパニッシャーを振り下ろした瞬間、全身を揺さぶられるような衝撃に見舞われ、パニッシャーが宙を舞った。痺れる右腕を押さえながら何が起きたかすぐに理解する。
ロメオを庇うように立ち塞がるリリスがパニッシャーを吹き飛ばしたのだ。驚くべきは彼女の回復力だ。確実に胸骨は砕けている。それなのに技の威力に衰えを感じさせない。『ハウンドドッグ』による治癒力の強化もあるだろうが、何よりも主人を守ろうとする意志の強さが彼女を突き動かすのだろう。
リリスは劣勢と見るや、ロメオを抱えて大きく後退し距離を取った。
「……よくやったリリス」
ロメオに褒められるとリリスは心の底から嬉しそうに目を見開いてこくこくと頭を下げた。余程嬉しいのだろう。三日月の形に開いた口から艶めかしい息を吐いては真っ赤になった頬を両手で押さえている。
血を含んだ唾を吐き捨てロメオは何かのカプセルを取り出して、それを口に放り込む。恐らく止血剤の類だろう。気怠そうに息を吐き、静止したままの鎚の影に目を向けた。
「あぁ、彼女のナイフの所為だったか……」
リコも釣られてロメオの視線の先を見る。ロメオの言う通り、柄の白いナイフが巨鎚の側面に突き立っている。いつの間にやら倒れていたアイサがいない。慌てて彼女を探そうと辺りを見回すと背後から背をノックされ、リコは弾かれたように振り返った。
見れば何食わぬ顔で佇むアイサに驚きながらも安心感を覚える。
「無事でよかったアイサ。それに助けてくれたんだね。ありがとう!」
「君こそ無事でよかった。……あのナイフ、取って置きだったんだ。特別に支給された聖水入りのナイフ。だから彼の影を止めることが出来たみたいだけど……次はもう助けられないよ」
道理であんな小さなナイフにそこまでの力があるわけだ。聖水の効果で一時的に魔力の効果を打ち消しロメオの影を止めたのだろう。おかげで助かった。
聖水を纏ったナイフはやがて効力を失うと、影の鎚が形を変えると共に虚しく地に落ち乾いた音を立てた。
ロメオは一度影を自らの足下に収納すると呼吸を整え、不思議そうな様子で呟いた。
「あぁ不思議だ……まったくもって不思議だ」
揺さぶりかと疑うもどうにもそんな様子ではない。するとロメオは「なぁ?」とリコに向き直って尋ねかける。
「私達の持つこの力、元は全て嘗ての魔王が持っていたものだ。その左手の力を使ってて不思議に思わないか?何故これ程までの力を有しながら魔王率いる魔族達は脆弱な人間達に負けたのか、とね」
「さぁね。僕は自分の事で精一杯なんだ。そんなこと、一度たりとも考えたことないよ」
ばっさりと切り捨てるような返答にロメオは大袈裟に肩を落とす。しかし、どこか嬉しそうに身を震わせていた。
「そうか……だが魔王の敗北は私にとって……いや、力を求める全ての者に好機を招いた。この魔王のコレクション、そして君のその左腕、魔王そのものの力が今も世界中に散らばっているんだ。これ程胸躍るものはあるまい!今日君に出会えたことに私は心からの喜びを感じるよリコ君。感謝の意を表して全力を以てお相手しよう」
ロメオの足下でボコリと影が湧き上がる。土色の床を侵食していく影の黒色が不気味に蠢く。彼の両脇に立ち上がった影が形を作り変え等身大の人形が二つ姿を現した。前の戦いでマルコを相手して互角に渡り合った影の人形が二体だ。全力という言葉に偽りはないだろう。
「四対二だが、卑怯とは言うまい?」
ロメオの言葉に呼応するかのように影の人形の両手が瞬く間にその両手の形を変形させ、鋭利な刃物へと姿を変えた。
リコはそっとアイサに耳打ちする。
「影は任せて。アイサはロメオ本体をお願い。リリスには気をつけてね」
「わかった。君こそ気をつけてね」
「うん!」と大きな返事と共にリコは、左手の魔力を後方に放ち、爆発するように突進する。一瞬の内にロメオ達の目前に躍り出ると、ロメオの驚愕の表情がありありと網膜に焼き付く。
影の強さは尋常ならざるものでもロメオ自身の身体能力はコレクション所有者から見れば並程度だ。今までの戦闘の中でそれははっきりとしている。トリックスターにも身体能力強化の能力は小さいと思われる。
影の強度を破るリコの左腕なら直撃してしまえば人間のロメオに耐えられる道理はない。
左手の魔力をパニッシャーに充填。パニッシャーの持つ特性と左腕の持つ特性が合わさり、赤紫色の輝きを放つ魔力を刀身に纏わせる。
渾身の力で振り下ろされる斬撃に寸でのところで割って入ったリリスの篭手に阻まれる。反応速度はリリスに軍配が上がり、パニッシャーの柄を弾かれ、またも機を逃した。
そこに襲い掛かるのがロメオの二体の影だ。挟み撃ちにされ、それぞれが片腕を巨大な壁のように変形させ万力よろしくリリス諸共押し潰さんと迫ってくる。
一瞬だけ影を横目で見て、即座に身を翻し体を投げ出すように前転し、辛うじて回避すると、後方でバシャッと液体が弾ける音が耳に入った。
衝撃の瞬間、影が液状化し、リリスへのダメージを最小限に抑えたのだ。同時に漆黒の影を突き破って眩しい程の青白い燐光が無数の矢となって飛来する。ロメオのトリックスターによる援護射撃だ。
怒涛の連撃にも怯まずリコは地に足を踏ん張らせ、左腕をピンと前に伸ばし掌に魔力を集中させる。敵は姿こそ影に阻まれ視認出来ないが恐らく射程圏内だ。
ーーーーーー吹き飛べ!!
心の中で叫び破壊の魔力を発射する。容易く魔力の矢を掻き消し、地獄の業火のような黒みを帯びた赤い魔力の光線が視界一杯に広がり、前に立つ生物は跡形もなく消し飛ばす。視界の端で人影を捉えた。尋常ならざる速度で滑るそれは形容するならホバーといったとこだ。リリスを抱え猛烈な勢いで肉薄してくる。
ロメオの影の形態変化のバリエーションには恐れ入る。これ程までに魔王の影を使いこなしている人間はそういない。だからといって負けるわけにはいかない。
三本のナイフが投擲される。同時にリコを横切ってアイサが二人を迎え撃った。疾風の如し速度で突っ込むアイサにリコは悲鳴をあげる。
「駄目だアイサ!!」
余りに多勢に無勢だ。コレクション未所持のアイサでは影を対処することが出来ない。リコが飛び出そうとした矢先、ロメオ達に向かっていったナイフが手前で爆発。爆炎で互いに視界を遮られる中、アイサだけが何の迷いも無しに行動を起こした。
腰から一本の柄の黒いナイフを抜き、逆手に持って胸の前で構える。走りながら姿勢を低くすると、爆炎の中へ飛び込んでいった。
リコも後に続く。爆炎の奥から聞こえる戦闘音を頼りにアイサの居所を予測し、最短距離で突っ込んでいく。肌を焼く熱に目を顰めながらも焼けた跡から直ぐに再生が始まる。
視界の先の光景にリコは思わず足を止めた。肩から鮮血を流し膝を着くロメオと、主を守るように両腕を広げて唸るリリスがいた。
その周囲を尋常ならざる速度、残像すら残るそれで徘徊する姿はまるで亡霊のようで、ゆらりと影が揺らいでは、ロメオを庇うリリスにナイフによる一撃を加えていく。じわりと獲物を嬲るようなその姿に戦慄を覚えながらも、リリスの背後で怪しい動きを見せるロメオにハッとして声を張り上げた。
「下だ!!」
直後、ロメオの口元に笑みが浮かぶのを見て怖気が走った。アイサの足元の地面が罅割れる。大人しくしていたのは大規模な技の準備だったというわけだ。
理解するより体が動いていた。罅割れから巨大な剣山が何本も突き上がり、アイサを襲った。
リコは体当たりするようにアイサにぶつかり、無理矢理に彼女を退かすと、刹那爆発でも起きたようにフロア全体が震撼する。
ここにいてはいけない。そういう勘が働き即座にアイサを抱きかかえ駆け出すと、フロアの天井が瓦礫となって降り注ぎ、地面を抉った。驚く間もなく視界の端で黒く蠢く物体を捉え、弾かれたように振り向くとすぐ目の前にロメオの顔が迫ってきており、喉の奥で鳴った。咄嗟にアイサを手放し左手に魔力を放つが横から割り込んできた影の人形に出鼻を挫かれ不発に終わる。その隙にロメオの手の平がリコの腹に置かれていた。
次の瞬間、リコの体が大きく浮き上がり凄まじい衝撃が腹から走り抜けた。
「え…………う、そ……?」
ゆっくりと視線を下に落としていくに連れ痛みがやってくる。脳が状況に追いつき、神経が焼き切れそうになるほどの激痛が襲い掛かってきた。
ロメオの左腕は影を纏い、巨大な剣と化しリコを貫いていた。すぐにアイサが助けに入ろうとしたが、リリスの横槍が入り否応なしに距離を取らされてしまう。
勝ち誇った笑みを浮かべ、ロメオはリコの耳に口を寄せた。
「あの時と同じだな。結局、君は何も変えられない。その大層な力も私達の前では無意味なものだ」
大剣が更に深く突き刺されリコは喀血し、パニッシャーを落とした。カランと乾いた音を立ててパニッシャーが虚しく地に転がり、パニッシャーは色を失う。
「どうやらあちらも終わったようだな」
虚ろに開いた瞳でロメオの視線を追っていくと力なく倒れ伏すアイサの姿があり、その背を踏みつけ、荒々しい呼吸を繰り返すリリスがいた。リコは信じられないように瞳を瞬かせた。
「それでは名残惜しいが、お別れの時間だ」
左手の大剣でリコを刺したまま、ロメオは右手に持ったトリックスターに魔力を込め、大剣とはまた違った、すらりと伸びる長剣を作り出す。
「二人仲良く逝くといい」
――――――終わり?こんなところで……?
かろうじて繋がっている意識が敗北を認識し、意識を闇に委ねようとする。暗転しだした視界に最後に見えたのは奇しくも此処までダンジョン攻略を共にしたアイサの姿だった。もう意識もはっきりとしていない彼女の眼が合った。最期に何を思っているのか、最早表情からもそれを読み取ることは出来なかった。悔いはあるだろう。震える手を此方へと伸ばし必死に何か伝えようと喘いでいる。微かに耳元に届く声はとても弱々しく、震えていた。
「……いや、だ………………生き……たい…………リコ、と……もっと…………生きたい……よ」
カッと意識が急激に覚醒する。心臓の鼓動が一度大きく跳ね上がり、無意識の内にロメオの放った剣を左手が止めていた。
「何?」
瞳にはっきりとした生気が宿り、同時に左手の魔力が放出。魔力によって形成された剣が粉々に砕け散り、その余波によってロメオを吹き飛ばした。
ロメオは地面をを何度もバウンドして無様に這いつくばり、リリスはそれを見て驚愕に目を剥いた。すぐさま目の前に倒れ伏す敵を始末しようとハウンドドッグを振りかざした。
刹那、バチンと何かが弾ける音が轟き、リリスは肩から血が噴き上がらせ、その場に膝を着いた。寸分狂わぬ精度で放たれた破壊の魔力の弾丸がリリスの肩を貫いたのだ。
「ガッ…………ぐゥうううう……」
皮だけで繋がっている右腕を押さえ、激痛に悶え苦しむリリスを傍目に、リコは自らの腹部に手を当てた。ロメオの影が引き抜かれ、大きな風穴となった腹部からは夥しい量の血と、臓器がこぼれていた。
だからどうしたと言わんばかりにリコは深く息を吐き、体の奥底から引き出した魔力を腹部に集中させる。
内臓が損傷しているからどうした。一度出来たんだ。二度目も出来るはずだ。
超速再生能力を行使。めきりと体の根幹が軋むように唸り、次の瞬間猛烈な速度で肉体が再生を始める。
再生に伴い、体に火が着いたように熱くなって、蹲るようにリコは体を丸めた。
「もう嫌なんだ……!」
それは自分に叱咤するような戒めのような言葉だった。粗い呼吸を繰り返し、完全に体が再生するのを確かめると、体を起こし固く拳を握りしめた。
「奪われるだけの人生なんて嫌なんだ。だから強くなった。もう何も失わない…………奪わせない。この左手は何かを壊す為に在るんじゃない。何かを守る為にあるんだ。その為の…………力だ!」
必死にこっちに体を引き摺ってくるアイサにリコは手を差し伸べて引き寄せた。背に手を回して彼女を抱き留めると、アイサは辛そうに顔を歪める。黒装束を袈裟懸けに切り裂かれ、隙間から見える肌からは痛々しい傷が見え隠れしていた。
「すぐに……良くなるよ。私も、君みたいな能力が……あればなぁ…………」
「大丈夫だよアイサ、後は僕に任せて。僕、アイサがいて本当に良かったと思ってる。だから……勝つよ」
そっとアイサを横にし、立ち上がり体に力を漲らせる。
体中を左腕の赤い魔力が覆い尽くす。ロメオはまだ生きている。余波とはいえ破壊の魔力を直に受けたのだ。無事ではないにしろ既に体勢を立て直しつつあった。彼は生かしてはおけない。彼が生きていてはこの先また多くの命が奪われるだろう。
ロメオは立ち上がり、地に蹲るリリスとアイサを交互に見て静かに笑った。
「よくやったリリス。あとは私に任せて傷の手当てに励みなさい」
静かにリリスは頷き、重そうに体を引き摺って出来るだけ距離を取った。
気怠そうにロメオは首をもたげた。体力は互いにそう残ってはいないだろう。それはリコも同じだ。いくら再生しようと体に蓄積した疲労は残ったままだ。それに超速再生を使わされ魔力も大きく持っていかれた。持って二発、多くても三発が限界か。
パニッシャーを拾い、魔力を込める。赤い魔力が禍々しく光り、パニッシャーの刃を染め上げる。
影が立ち昇る。全てを呑み込まんとばかりに闇が立ち込め、その中心にロメオが立つ。罅割れたトリックスターは腰に納め、右手に影を纏わせていた。
ふとロメオが顔を上げ、口を開いた。それが最後の会話になるだろうと共に感じていたからだ。
「なぁリコ君、今の世界に不満を持ったことはないかい?」
「何?」
「どんな理不尽を受けようと誰も手を差し伸べてくれない。弱者が強者にただただ虐げられている今の世の中を変えたいと思ったことはないかい?」
一瞬過去の自分が脳裏に浮かび、リコは苦い表情をする。
「あぁ……あるさ。今でも変えたいと思ってる。だからこそまずはお前を此処で止める!それが僕の第一歩だ!!」
「やはり、君はとてもいい。ならば君のその想い、全力で踏みにじってあげよう」
影が蠢き形を作る。右腕の関節から先を影が覆い尽くし、巨大な槍を作り出した。そしてその背後にもう一体の巨大な分身が両腕を強大な剣に変え共に腰を落として構えた。
「終わらせよう……私達の戦いを!」
二人が、ほぼ同時に地を蹴った。
体が張り裂けてしまいそうな速度のまま、リコは先陣を切る影の巨人目掛けて突っ込んだ。
「ハアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
影の巨人の両腕の剣がパニッシャーとぶつかり、凄まじい衝撃を放つ。衝撃の瞬間、リコの左腕が閃き魔力を放出。破壊の魔力が刃に伝導し、影の巨人の腕を粉微塵に破壊してのけた。
体を翻し、返しの鎌刃が影の巨人の胴体を瞬く間に斬り裂き、影の巨人は形を保てなくなり、ドロリと溶け落ちていく。転瞬崩れかけの影の巨人の腹が張り裂け、中から狂気の笑みを貼り付けたロメオが姿を出した。
腕を引き絞り今まさに槍を撃ち放つ構え、それに対し独楽のように体を回転させ、爆発的に加速。力の限りを絞り出し、断罪の斧を漆黒の重槍に捻じ込む。
直後に爆発でも起きたかのような轟音がフロアを中心にダンジョン全体を掻き鳴らした。
嘗て、全てを無に還すと言わしめた魔王の左腕の魔力と、万物の代用品と称された魔王の影が衝突する。明らかに破壊力で勝る筈の左腕の力に劣らない影の力に感心さえした。
だからこそその力をもっと別の事に活用出来なかったのか。湧き上がる感情は憐れみと激しい怒りだった。
体全体がバラバラになってしまいそうな衝撃の波に歯を食いしばる。歯茎から血が滲み、パニッシャーを持つ両手の皮膚が剥がれ、血の火花が弾け飛ぶ。
それでも、決して手に込める力を緩めはしなかった。力の限りを尽くし、ありったけの魔力をパニッシャーに乗せる。
ピンッ、と鈴の鳴るような音が鳴り、ロメオの影の槍が一太刀のもと両断された。数瞬時がゆっくりと流れるようだった。驚愕し相貌を見開くロメオと視線が重なると、ロメオは悟ったように目を細めた。
掬い上げるような斬撃が、ロメオの腰から肩までを切り裂き、鮮血を撒き散らしながら、アーチを描いて吹き飛ばした。着地もまともに出来ずロメオは地面に叩き付けられ血の線を引いて地を転がり、
仰向けになり動きを止めた。浅く短い呼吸を何度も繰り返し、もう虫の息だ。
せめてもの情けだ。左手を遠くのロメオに照準し、残り少ない破壊の魔力を放った。
赤い閃光が迫ってきてもロメオは身動ぎ一つしなかった。幸か不幸か閃光が陰となって、ロメオの最期を目にすることはなかった。破滅的な破壊音が周囲を包み込む。
終わりを告げるその音にリコはがくりと膝を折った。
「終わった……勝った……勝ったんだ」
急に力が抜け落ちてしまって上手く立ち上がれなかった。今でも信じがたい。自分があの怪人に勝てたという事実を呑み込めないでいた。
「そう、君が勝ったんだよ。正確には私達の勝利かな?」
気付けば目の前にアイサが立っていた。
「怪我はもう大丈夫なのアイサ?」
「うん、まぁね。立てる?」
差し出された右手を弱々しくも握り返すとグンと引っ張られ力一杯に抱きしめられた。心臓の鼓動が聞こえるぐらいに胸を押し付けられ、どぎまぎしながらもそれに応えるようにリコもアイサの背に手を回した。
「やっと終わったんだ。僕達、勝ったんだね」
「私も信じられないよ。フフフ、変な気分。珍しく興奮してるみたい。とっても体が熱くて、ドキドキしてる」
本当に彼女らしくない言動にリコはきょとんとした。アイサの体は言う通り熱く、心なしか頬に赤みを帯びていた。ふと彼女と目が合った。今まで見せたことのない喜びに満ちたアイサの笑顔にリコは暫く心を奪われてしまったように釘付けとなった。
すぐに我に返るとリコはアイサの肩を掴み、彼女を引き剥がした。
先程からフロア全体が震えるように揺れている。いつ崩れるかもわからない所に長居するのは得策ではない。
「ダンジョン攻略はまだ終わってないし、先を急ごう。さっきの衝撃でこのフロアも長くはもたないみたいだし」
まるでアイサの熱が伝ってきたかのようにリコの体も火照ったように熱くなっていた。生きてきた中で感じたことのない昂ぶりを不思議に思いながらも、それを隠すように澄ました顔を作ってアイサと向かい合った。
「行こうアイサ、ゴールはもうすぐさ」
「うん…………ねぇ、リコ」
ずっと気になっていた。彼女は自分の事を『君』としか呼んでくれない。いつになったら名前で呼んでくれるのか。
だからこのタイミングで来られたのはとても嬉しく、同時にとても困った。
「な、何?」
堪らず上擦った声が出てしまう。
彼女が自分を名前で呼んでくれる声がとても心地よくて、今にも爆発してしまいそうな心臓を宥めることに精一杯だった。
「ありがとう。私の事信じてくれて……」
「当たり前だよ。だって僕達、仲間でしょ?」
「そうだよね」と呟き、アイサは視線を下げた。そして何か決心するかのように一度頷き、顔を上げた。
「私もね、ずっと黙ってたことがあったんだ。あのねリコ、私ね――――」
――――その言葉の続きを聞くことは出来なかった。急に血相を変えたアイサが覆い被さるようにリコを押し倒したからだ。
何がどうしたのか解らないままリコは頭を打ってしまい、視界が大きく揺れる。軽い脳震盪を起こしたようだ。感覚が麻痺した上、アイサの表情もよく見えない。
「…………大丈夫だった……?」
暫くして、アイサの声が耳に入ってきた。その声はとても弱々しく、今にも消え入りそうだった。
「アイサ……?」
感覚が戻ってくる。まず感じたのは温かさだった。まるで湯船にでも浸るような心地よい温かさだが、肌を伝うそれはぬるりとしていて、気持ちが悪い。
視界が回復する。微かに頬を緩めてアイサが微笑んでいて、何処となく安堵を覚える。しかし、口の端から垂れている血を目にし、途端に顔が青ざめた。
黒装束の胸部にシミを作っていて、そこからまた赤い液体が止め処なく滴り落ちてくる。
「うん、どこも怪我はないみたい。良か……った……」
糸の切れた人形のようにアイサの体から力が抜け落ちリコにのしかかる。彼女の体はとても軽く、冷たかった。




