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 ズシンと大きな地響きを伴って合成獣の魔族が地に臥す。突風が巻き起こり、帽子を押さえながらその様を愉しげに眺め見た後、ロメオは二人に向き直ると、わざとらしい動作で二人を見回し、顎先を(さす)る。


「はて、盾の男がいないな?途中でくたばったかい?」


 安い挑発だ。答える義理もない。リコは得物に手を掛けたまま殺意ぎりぎりの三白眼を向ける。

 釣れないリコにロメオは芝居がかった調子で肩を竦める。


「すっかり嫌われたものだ。まぁいいとしよう。それはそうと本題に入ろう」


 まるで交渉に出るかのように両手の指を合わせて、ロメオは話を切り出した。


「このダンジョンだが……どうか私に譲ってはくれないか?」

「何だって?」


 表情を険しいものにして憤激の声を上げる。

 やっと口を開いてくれたリコに対し機嫌を良くしたようで、口角を吊り上げて言葉を続ける。


「まぁそう怒らないでくれ。よく考えてくれ。私は君達より先にこの広場に辿り着き、この魔族と戦って勝った。恐らくこのダンジョンの最後のボスだ。それはもう凄まじい戦いだったよ。私も多少手こずらされた。そして最後の敵は私が倒したんだ。このダンジョンをクリアする権利は私にあると思わないかい?」


 沸騰しかけていた頭に冷水が下りたようにリコの頭が急激に冷静さを取り戻す。

 確かに筋は通っている。ダンジョン攻略は既に佳境まで来ている。此処で戦ってどちらが倒れたとして一方がダンジョンをクリアしたとして、それが果たして最善かと問われれば、どうだろうか。

 戦いを避ければこのままロメオ・スプラットがダンジョンをクリアする。

 間違っている。そんなこと誰も望みはしない。冷えかけの脳内が再沸騰するように熱くなる。


「確かに、冒険者として最深部のボスを倒した者にはそのダンジョンをクリアする権利がある。だがお前は違う。冒険者の片隅にも置けないただの快楽殺人者だ。ここでお前を止める。それが僕の……僕達の答えだ!!」


 ロメオはつまらなそうに笑みを消し、対極的にアイサは静かに笑い、リコの背中を優しく叩いた。


「その通り、今度は勝つ。そのために此処まで来た」


 アイサの励みが後押しとなってリコも覚悟を決める。以前の戦いの記憶が心臓の鼓動を高める。それでも自分たちの選択に悔いはない。


「勝つよアイサ!僕も今度は負けない」


 二人の光景を見ていたロメオは心底がっかりしたようにため息を吐き散らした。帽子を深く被り直し、瞳の奥に伏せていた殺意を剥き出しにする。

 一瞬気圧されて、怯みそうになりながらもどうにか持ちこたえる。


「君には期待していたんだリコ君。私と同じ道を往く才が君にはあったんだ。初めて会ったとき、君は暗く淀んだ、絶望を知った目をしていた。魅力に溢れていたんだ。残念だよ……こんな結末になってしまうのがね」


 ロメオの背後でゆらりと影が蔓のように伸びてくる。完全に臨戦態勢となったロメオを合図としてリコとアイサの後ろから微かな殺気が流れ込んだ。


「アイサッ」


 その殺気を察知するやリコは、超人的な反応速度で瞬時にアイサの頭に手を当て強引に伏せた。刹那、さっきまでアイサの首のあったところを刃状の爪が通過する。敵の初撃が外したと同時に反撃の回し蹴りが敵の横腹に炸裂、その衝撃でロメオの足元まで吹き飛ぶと素早く起き上がり獣のように唸り声を上げる。


「またしくじったなリリス」

「申し訳ありません。次こそは……!」


 煤に(まみ)れた金髪を振り乱してロメオの従者、リリスは右腕に装着された魔王の篭手『ハウンドドッグ』を構える。


「そう、今回は逃がさない。殺してあげるよ、あの男のように」

「あの男……だと……?」


 大きく心臓が跳ね上がり、嫌な予感がリコの胸を過る。その一瞬の変化を見逃さずロメオは邪悪な笑みを貼り付け、続ける。


「名前も聞けなかったな。君達を逃がすために囮になった男の事さ。あっけないものだったよ」


 懐から何かを取り出して地面へと放り投げる。乾いた音を立てて転がってきたものにリコは狼狽の色を隠せなかった。

 罅割れた飴色のサングラスは他でもない、トリートのものだ。


「なに、悲しむことはない。すぐに会えるさ。地獄でね」


 愉悦に浸るロメオの言葉なんてほとんど入ってはこなかった。目の前に突き付けられた現実に気が動転して、頭が悩乱する。心臓が激しく波打つ。呼吸が苦しくて胸が張り裂けそうになる。


「トリート……約束したんだ…………なのに……」


 目の端から零れ落ちる涙を噛み締め、崩れ落ちそうになるリコにそっと手が差し出された。


「大丈夫、あんな奴にトリートは殺されたりしない。きっと彼は生きてる。だから……彼を信じて戦おう」


 ふと、トリートの言葉を思い出した。


『そいつすぐへこたれそうなんだ。そんときゃ頼んだぜ』


 いつもくじけそうなとき何度も彼女に救われてきた。そして今回もそうなんだと実感した。


「駄目だなぁ僕は……トリートの言ったとおりだ。誰かに支えてもらわないと駄目なんだ」


 涙を拭き取り差し出された手を取る。息を整えアイサと視線を絡ませる。


「助けられてばっかだね僕は……ありがとうアイサ」

「ん?そうだったかな?そんなことより、勝つよ」

「うん!」


 大きく頷くと、二人揃ってロメオ達に向き直る。


「お話は終わったかい?」

「わざわざ待ってたの?意外と優しいんだ」


 心に乱れはない。戦って勝つ。その一つの目標に向けて全力をぶつけるべく覚悟を決める。


「アイサ、ずっと隠してたことがあるんだ。どうしても言い出せなかったけど……やっと踏ん切りがついた」


 静かに左腕を掲げる。目を閉じ、長く息を吸い、止める。精神をギリギリまで研ぎ澄まし、体の奥底に眠っていた魔力を解き放つ。

 一筋の禍々しいほどに赤い稲妻がリコの周辺を駆け巡り、弾けてリコの左腕に吸い込まれ、それに共鳴するようにリコを覆う魔力が赤く変色する。


「初めてのダンジョン攻略で僕は片腕を魔族に食い千切られた。でも僕の親友が……ランスが僕に魔王のコレクションを与えてくれた」


 稲妻が左腕を(ほとばし)り、弾ける。黒いリコの髪の毛先が赤い魔力に浸食されるようにように染め上がり、赤と黒のグラデーションを作り上げる。


「魔王がダンジョンを世界に放ったとき、魔王も一緒にダンジョンに入ったんだ。自分の身体をコレクションとしてダンジョンに眠らせ、再起の時を誓ったんだ」


 リコの言葉に呼応するように、同時に乾いた真紅の血でコーティングされたような左腕が現出する。


「魔王のコレクション、『魔王の左腕』。お前を殺すぞ、ロメオ・スプラット!」


 掲げた左手に力が籠る。手の甲に幾何学的な模様が浮かび上がりバチリと魔力の稲光が走った。

 その言葉にロメオは馬鹿にしたように鼻で笑う。


「魔王の左腕……?魔王の左腕だって?おいおいリコ君、冗談にしては少々度が過ぎるんじゃないかいリコ君?」

「ならその身ではったりかどうか確かめてみるといい」


 低く唸るような声で返し、掲げた左腕をそのまま振りかぶる。

 小さな腕からは想像も出来ないほど莫大な量の魔力が吹き上がり、ロメオは表情を一変させた。目の前の脅威を直感で感じ取るや、魔王の影を総動員させ堅牢な盾を創り上げる。


「私の後ろに隠れろリリス!!」


 無造作に振った左腕から放たれた魔力の衝撃波がロメオの盾に直撃。転瞬、万物を嘲笑うような暴力的な破壊のエネルギーが襲った。


「ぐっ……がはァ!!」

「ご主人様!!」


 喀血して膝を折るロメオに従者のリリスが寄り添う。


「馬鹿な……私の影が衝撃を殺しきれなかっただと?」


 自らの口から零れ落ちる夥しい量の血液を手に取り、目の前の現実を信じれないようにロメオは目を見開く。


「ククク、ハハッ!ハハハッ!成程どうやら本当のようだ。魔王の左腕、又の名を破壊の左腕。それが今私に牙を剥いているというわけだ!」


 狂ったように哄笑をし、口元の血を拭い取るとロメオはいつもの調子でリコに問いかける。


「その左腕の恩恵で魔族の能力である筈の超速再生や爆破魔法が仕えたというわけだ。だが解せないな。これ程の力を持ちながら君は何故最初からこの力を使わなかったんだい?」

「魔王のコレクションを持つなら分かる筈だ。僕の中には魔王がいる。少しでも弱みを見せれば逆にこの力に呑まれて僕の精神は魔王の左腕に食らいつくされる。僕は自分でいたい。だからこの力は使いたくないんだ」

「そのせいで君は新しく出来た友を見殺しにした。君の所為であの男は死んだのではないかな?」

「お前の挑発にはうんざりだ。トリートの意志を継いで、お前を倒す。ロメオ・スプラット!」


 心底つまらなそうに首を振り、ロメオは視線を凍てつかせる。魔王の杖『トリックスター』に魔力を込め完全に臨戦態勢に入った。


「派手にいこうか」


 戦いの火蓋は切って落とされた。

 銃口のように空いた杖の先端から青白い魔力の弾丸が発射される。流星の如く迫りくる弾丸を前にリコとアイサは最後に言葉を交わしあった。


「リコ、君のそれ……」


 リコの左腕と赤く染まった毛先を交互に指差し、アイサは色のない表情を浮かべる。


「ごめんねアイサ……今まで黙ってて。こんな姿――――――」

「とても似合ってるよ」

「えっ?」


 それ以上の言葉はなかった。微かな笑みを残すとアイサは両手にそれぞれ柄の色の違うナイフを持ち、弾幕の隙間を縫うように掻い潜っていく。


「……あーもう!」


 ずっと気にしていた自分が恥ずかしくなってリコは顔を赤らめた。今更アイサに何を明かしても彼女はきっと同じような反応を返してくれるのだろう。自分は彼女のことを理解しているようでまるで解っていなかった。

 パニッシャーを抜き、左手を添える。赤い魔力が伝導し、パニッシャーの刀身を赤く染め上げた。


「突っ込んでアイサ!援護するから!」


 自分に迫り来る弾丸を容易に弾きながら、左手で鉄砲の形を作り、人差し指に魔力を集中させる。


「ほら!避けないと危ないよ!」


 左手をロメオに照準。禍々しい程に赤黒く変色した魔力の弾丸が真っ直ぐな弾道で放たれる。ピンと張った空気を切り裂くように突き進む弾丸がロメオの弾幕を打ち消しながら凄まじい速度を以てして飛来する。


「……癪に障る」


 リコの思惑を理解した上でロメオは不快げに舌を鳴らす。最大限の防御でもその破壊力を殺しきれない以上回避に回る他手段はない。その間、一時的に薄くなる弾丸の嵐を先頭を行く少女に一気に距離を詰められてしまう。


「仕方ない。出なさいリリス。リコ君の左手に気をつけなさい」

「承知しました!」


 ロメオの隣を擦り抜け、一陣の風を巻き上げ一瞬のうちにリリスはアイサの目の前に躍り出た。右腕に装着された魔王の篭手『ハウンドドッグ』の能力、身体能力の単純強化だからこそ出来る芸当だろう。

 犬歯を剥き出しに襲い掛かるリリスにアイサは冷静にその動きを観察するように目を細める。


「なんだ……また君か」

「シャアァァァァァァ!!!」


 激昂した獣のような咆哮と共に振り下ろされた右腕が地面を叩き、爆風を巻き起こした。

 火薬の臭いに気付くのが遅れ、アイサは爆炎によって巻き上がった砂煙に飲まれ視界を封じられてしまう。しかし、焦りはなかった。動きを完全に止め必要以上に砂埃が舞うのを防ぎつつ五感を研ぎ澄まし、相手の一挙一動を砂煙の変化によって見極める。

 そのとき、視界の端で不自然な砂塵が巻き起こるのを捕え、反射的にナイフを振るった。

 感触はない。嵌められたと理解するや足先に魔力を集中させ、その場から飛び退く。

 ほぼ同時に連続的な爆発が起こり、砂煙諸共アイサを吹き飛ばした。


「アイサ!」


 砂煙が晴れると既に目の前にまで迫ってきていたリリスをリコは迎え撃った。始めから狙いはアイサではなく自分であると気付くや、一瞬だけ地に転がるアイサに目を配らせ、パニッシャーを両手持ちにして構える。


「今度は怪我じゃ済まないよ!」

「消え失せろォ!」


 猛然と繰り出される蹴りと手刀のコンビネーションを紙一重で躱していき、ここ一番で大振りとなった一撃をいなし、反撃へと転じる。

 棒術さながらパニッシャーの柄をリリスの足に引っ掛けると、完全に意表を突いた小技にバランスを崩し転倒させる。地に倒れたリリスの胸にストンピングを叩きこむ。


「ガハッ!!!」


 骨が砕ける感触が靴越しにでも伝わってくる。肺から全て空気を押し出されたように喘ぐリリスに憐れみを覚えつつもトドメの一撃を加えんとばかりに左手をかざす。


 破滅的な赤い魔力が空気を震わす。閃光が瞬き目前の命を摘み取る一撃が放たれた。

 しかし、その一撃は明後日の方向へと向けられる。


「おいおい、仲間外れは良くないだろう!」


 左腕に絡み付いた鞭の形を取った青白い魔力が、巧みにリコの腕を操り、破壊の魔弾の軌道を逸らしたのだ。その隙を見てリリスが拘束を解き、大きく距離を取る。

 フロアの壁に吸い込まれるようにめり込んでいった魔力の弾丸は一度、収縮し、直後静かにフロアの壁の一部を無に変貌させた。


「あれが直撃したらひとたまりもないな」


 消し去られた壁の先に広がる無窮の闇を見てロメオが呟く。リリスに気を取られすぎてロメオへの注意が散漫になっていた。頭の中で警鐘が鳴り響く。


「だが、この間合いは私の領域だ」


 ロメオの足下に大きな闇の渦が巻き上がる。魔王のコレクション『魔王の影』の解放。川の氾濫さながら溢れだした影の激流が一帯を覆い尽くす。完全に囲まれた。挑発的に両腕を広げ、ロメオは勝ち誇ったように笑みを見せた。


「闇に堕ちろリコ君」

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