19
大理石のような石柱が立ち並ぶ廊下をリコ達は走っていた。時折背後を振り返っては途方もない数のウィッチの群れにうんざりさせられた。
到底諦めはしないだろう。そのぐらいで諦めてくれるなら下級魔族のウィッチが上層まで追ってくる筈がない。鬼気迫る勢いのウィッチ達にリコも思わず固唾を飲んだ。
無数の熱魔法や、雷魔法が飛び交い、その一発がリコの足元を抉ると堪らずリコは隣を走るマルコに助けを求めた。
「何か作戦とかないの!?」
「作戦といえるものではないがある。だが……」
「何だっていうの!?」
マルコは一度考え込むように俯き、そして、覚悟を決めたように表情を引き締め、リコと顔を見合わせた。
「リコ、君は素晴らしい冒険者だ。始めは私も不安だった。こんな子供がダンジョンでやっていけるのか、ってな」
「急にどうしたのマルコ?」
「だがそんな私の不安を打ち払うように君は此処まで来た。一度は敗れ、生死の境を彷徨っても君は自分の力で生を掴んだ。君が魔族の力を使う理由は知り得ないがそれは君の力だ。誇っていい」
「マルコ……?」
「今の君になら任せていい筈だ。リコ、生きてダンジョンを攻略するんだ。決して無茶はするなよ。アイサ、君もだ。リコを助けてやってくれ」
マルコの言動と雰囲気から次に彼が何をしようとしているのか、リコとアイサにははっきりとわかった。その上でリコは納得いかないようにかぶりを振る。
「なんでだよマルコ!!せっかくまた会えたのに……そんなこと」
「私が今決めたことだ。気にすることはない。私も片付いたら後を追う」
「片付いたらって……あんなにいるんだよ!?」
リコは振り返ると目を見開いた。その勢力は衰えるどころか、上層の魔族を巻き込んで更に勢力を増していっていたのだ。ウィッチを始めとして巨大な鎧を纏った魔族や、先程の巨人を更に上回る巨体を持つ巨人の魔族。上層の魔族となるとその強さも桁違いのものだろう。その軍勢に一人で立ち向かうものならどうなるか、想像するに難くない。
「考え直してマルコ!僕等も一緒に戦うよ!」
「君達は少しでも体力残しておいた方がいい。先の戦い、より激しさを増す筈だ。何よりあのロメオ・スプラットとまた戦うことになるなら尚のことだ」
納得いかないと、尚も食い下がろうとするリコだったが、それをアイサが引き止めた。静かに顔を横に振って見せ、アイサはマルコと顔を合わせる。
「貴方がそう言うなら私は止めない。だけど一つ約束して欲しい」
「約束しよう。言ってくれ」
「死なないで」
「……ははは、これはまた優しい言葉だな。言われなくともそうするさ」
最後にマルコは笑った。これから闘いに挑む者とは思えないような朗らかな笑みで、マルコは別れを告げた。
三人の内の一人が急ブレーキを掛ける。同時に魔族の軍勢に振り返り、左手に持った円盤型の盾を振りかざした。
先頭を走る数体のウィッチを抉った地面と共に一撃のもと吹き飛ばし、集団の足を止めるには十分なインパクトを残して、マルコは立ち塞がった。
マルコは一度だけ二人を振り返った。既に小さく影となって映る二人の姿を見てホッと息を着くと、すぐにその眼差しを鋭く尖らせ、短く空気を吸い込む。
「さて……私も仕事に取り掛かろう」
ズンと重厚な音を立てて盾が地面に突き立てられ、横一文字に線を引く。
「悪いが、此処から先一人も通すわけにはいかないんだ。退けとは言わない。だが、向かってくるなら、容赦はしない」
此方の言葉が通じるかもわからない相手への最後警告、当然の如くウィッチ達は退きはしなかった。ウィッチの数匹が宙に浮き上がる。浮遊魔法によって自分の身を浮かせ、上空からウィッチは更に魔法を行使した。単純な魔力の弾を無数に生成すると同時にそれを一斉にマルコ目掛けて撃ち出す。
流星のように煌びやかな魔力の弾丸がマルコへ降り注ぎ、砂塵を巻き上げた。そこへ一体の紅い巨人の魔族が突っ込んだ。ギョロリとした双眸が砂塵の中のマルコを捉えると、ウィッチの攻撃を生温いと言わんばかりに、その丸太のような右腕を振り上げ、力任せに打ち下ろした。
ウィッチの弾丸とは比べ物にならない程の粉塵が間欠泉のような勢いで噴き上がった。標的の完全破壊を確信するウィッチ達だったが、ただ一体、拳を振り下ろした巨人の魔族だけは目の前の敵が五体満足であることを手に残る感触から痛感していた。
「どうした?こんなものか?」
砂煙が晴れる。巨人の拳をマルコの盾が受け止めており、マルコの足下の地面は陥没しているにも関わらずマルコ本人には傷一つ付いていない。
「そうるァ!!」
四肢に力が込められ、マルコの筋肉が隆起する。メキリと骨が砕ける音が響き、巨人の魔族の拳を力任せに押し返す。一瞬、無重力にでも攫われたように巨人の巨体が浮き上がり、数十メートル飛んだ辺りでぴたりと止まり、上空のウィッチを巻き込んで重力に従うように地に落ちていった。
下敷きとなったウィッチは白目を剥いて息絶えていた。巨人は右手を庇うような素振りを見せながら起き上がる。その瞳には未だ燃え滾るような闘志が宿っており、一向に退く気はないとみれる。
「成る程、一筋縄ではいかないようだな」
感心するようにマルコは頷く。
巨人の怒号が響いた。戦いの狼煙としては丁度いい。マルコは心の中で静かに笑い、また盾を構えた。
胸がむかむかする。胸の中で不快な塊が蠢いているようだ。自分は何をそんなに苛々しているのか、マルコの判断は決して悪いものではない。彼の実力は底知れないものがある。彼がそう簡単に死ぬわけがない。それならば何故こうも後ろ髪引かれるのか。
「アイサはどう思う……?」
隣を走るアイサにリコはか細い声で尋ね掛けた。
「何が?」
「マルコはどうして自分を囮にしたんだろうってこと」
ああ、とアイサは頷き、少し考えて答えた。
「それはきっと、彼がそういう人だからじゃないかな?」
「それって?」
「マルコはね、ダンジョンを攻略するのは別に魔王のコレクションが欲しいわけじゃないの。ただ彼は少しでも多くの仲間を助けたいから誰かとダンジョンに入るんだって。だから今回はマルコも辛いんだよ。グランもトリートも、他の仲間も失ってきてるから、もう誰も失いたくないんだと思う」
「そうか……」
苛々の理由がわかった。自分は今守られている。力の無かった昔も力を得た今も自分は変わっていない。誰かに守られてここにいる。トリートにマルコに、そしてアイサに。
そんな自分に憤りを感じながらも、それに気づけなかったことに苛立っていたのだ。
「あのとき、僕が囮になるなんて考え、思いつきもしなかった。情けない話だよね。みんなで協力してダンジョンにいるのにさ、僕は助けられっぱなしだ。だから……僕はマルコに任されたことをやり遂げるよ!それが今僕がやるべきこと」
こっそりと隣を走るアイサが微笑を漏らした。今ここにいるのは人嫌いの元奴隷などではない。列記とした冒険者の一人なのだと、改めて確信したからだ。
「その意気だよ」
リコの肩に手が置かれ、同時にアイサは笑みを仕舞い込むようにフェイススカーフを持ち上げた。
「でも悠長にはしてられないみたい」
アイサが視線を送る先を追うように見やると、隊列を成して待ち構える魔族の集団の影があった。
距離が縮まるごとにその姿が鮮明に映る。鈍色の素朴な西洋鎧を纏い、その手にはそれぞれ異なる得物を構えており、片手剣や両手剣、槍に鈍器と選り取り見取りだ。
「作戦は?」
「正面突破で!」
パニッシャーを構え、先陣を切らんとばかりにリコが一歩前に出る。アイサはそれに従うようにナイフを一本手に取りリコの後ろに付いた。
ガシャガシャと騒がしい音を立てて、鎧が動き出した。此方に気づいたようだ。
左手から魔力をパニッシャーに送る。鮮やかな赤色の魔力が刃に宿り、同時にリコは地を蹴り、集団の前に躍り出た。
目の前に二体、それぞれ細剣と両手剣を持ち、統率の取れた動きでリコ立ちふさがった。
「邪魔だよ」
ヒュンと風を切って棒術よろしくパニッシャーの柄が細剣を絡み取り弾き飛ばすと、流れるような体捌きで鎧の脚に斧の曲部を引っ掛けて振り切る。魔王のコレクションの魔力で強化されたリコの腕力に敵わず、下半身からバランスを崩され、けたたましい音を立てて地に落ちる。そこにすかさずパニッシャーの斧刃が振り下ろされた。
鋼鉄すらバターのように切り落とすパニッシャーの一撃は鎧の首を断ち切り、ごとりと頭部が床に転がった。
そこでリコは違和感を覚えた。感触が軽すぎる。脚を引っ掛けたときもそうだ。まるで抜け殻のような感触のなさだ。
答えはすぐに返ってきた。もう一体の鎧と対峙した直後、リコの足首を何かが掴んだ。ぎょっとして振り向くと、そこには頭部を失くして尚も活動を続ける鎧の姿があった。太い鋼鉄の腕がリコの脚を掴んで離そうとしない。
そこに畳みかけるように後続が仕掛けてきた。鬱陶しげにリコは舌打ちし鎧達の初撃を交わしざまに屈んで左手を必死に脚にしがみつく鎧に向ける。
「邪魔だって言ってるだろ!」
一瞬赤色の魔力がリコの左手を覆いつくし、放たれた魔力の衝撃波が足元の鎧を破砕音もなしに跡形もなく消し飛ばした。
「アイサ!こいつら空っぽだ。どこかで誰かが遠隔操作してるんだ」
ここで体力を消費させて消衰したところを叩く算段なのだろう。その手に乗るつもりもなければ引き返すつもりも更々ない。
「じゃあどうする?」
「一気に突っ切る!」
目の前の四体の鎧を薙ぎ払うように吹き飛ばす。やはり感触が軽い。自分の立てた目途に間違いはなかったと確信しリコは開けた視界の先の敵を眺め見た。
空の鎧なだけあってその数は廊下の見えなくなった先にも続いている。これを馬鹿正直に相手どるのはそれこそ愚の骨頂だろう。
「僕の肩に掴まって」
「どうして?」
「突っ切るから!」
言われるがままにアイサはリコの肩に両手を置くと、刹那、爆発的な推進力に見舞われ反射的にリコの体にしがみついていた。
何が起きたか確認する暇もなく目も開けてられないような風圧の中、定期的に爆音が轟いてはその速度を増していく。まるで濁流の中に投げ込まれたような激しさに前後不覚に陥りそうになりながらもアイサはただ必死にリコの細い腰に腕を回して、切り離されないように抱きしめた。
体が引き裂かれてしまいそうだと思った直後、久方ぶりとすら思える平静が戻ってきた。
「苦しいよ……アイサ。そんなに怖かった?」
「…………いきなりこんなことされたら誰でもこうなる」
力一杯リコの体を抱きしめていたアイサは素っ気なく手を離す。まださっきの浮遊感が残っている。地に足を降ろした後も暫くは落着けなかった。
「鎧は?」
「撒いたよ。何回か分かれ道もあったし、僕の速さには着いてこれなかったみたい」
振り返ると、鎧達の姿は影も形もない。どうやら本当に撒けたようだ。
「まっ、本当は陰でこそこそ操ってる本体を叩きたかったけどそんな余裕はないからね」
「さっきのはどうやったの?」
「あぁあれ?ちょっと左手から魔力を放射して飛んだだけだよ。面白かった?」
そう簡単に言ってくれる。
アイサ自身、自分の速さには自信を持っていた。それはリコ一人抱えても人間離れした速度を発揮する事が出来る。要領は彼と同じ、足先に魔力を集め一気に加速するものだ。
その上で彼は自身より遥か上の力を発揮して見せた。内心悔しい。羨望と嫉妬の入り混じった感情が渦を巻いて胸の中を這い回る。
同時に魔王のコレクションを手に入れれば自分にもこんな力が手に入るのかと考えてしまう。
どうにかプラスに思考を切り替え、アイサはリコに瞳を合わせた。
「とても刺激的だったよ。でも少し酔ったかも」
眉尻を掻きながら答え、一旦気持ちを落ち着かせるとアイサは一度リコの肩に手を置く。
「だから次やる時はもっと優しくね?」
顔をリコの顔の高さに合わせ、瞳でリコに微笑み掛けた。
急なアイサの対応に困ったようにリコは目を泳がせる。異性に顔を近づけられるというのはどうにも小恥ずかしいものがある。特にアイサはやたら顔を近づけてくる仕草がある。熱を帯びつつある頬を押さえて、リコは無言のままに頷いた。
『わかればよろしい』とでも言うようにアイサはこくりと相槌を打って肩に掛かった手をリコの肩から離し、アイサはリコに背を向けた。
ホッと一息つくと、リコは辺りを見回した。通路の外観は上層の入口の時から変わらず、左右を囲むような純白の柱が立ち並び、通路中央を冒険者を誘うように血のように赤いレッドカーペットが遥か先まで敷かれている。
景色に変化がないというのはどうも不気味だ。自分達が本当に先を進んでいるのか不明瞭で、本当は同じ廊下をグルグルと回っているのかもしれないという錯覚を覚えそうだ。
「だいぶ進んだと思うけど……どうしようかアイサ?」
「先を進もう。鎧達が来たら困るし、それに、他の誰かに先を越されたくないから」
アイサは敢えてその人物の名前を出さなかった。信じたいのだろう。その人物が既に倒れていることを。トリートが勝利を納め、無事に生き延びていることを。
リコだって同じだ。彼の無事を祈っている。また会って約束を果たして、今度こそ彼に打ち明けるんだ。自分の全てを。
だからこそ今は一刻も早くダンジョン攻略を優先すべきなのだ。
一度振り返り、後方から追ってくる者がいないか確認を取ると、リコはパニッシャーを背負い、前を向いた。
「行こう」
荷もロメオとの戦いの時に紛失したため、体力を消耗しすぎるとダンジョン攻略の可能性は難しなってくる。体力を温存しながら、しかし決して遅くない速さでリコとアイサはダンジョンを進む。
変わりばえしない景色に不安を抱きながらも二人は弱音一つ漏らしはしない。ただ無言のままダンジョンの廊下を走り抜け、時折ひょこと壁の穴から顔を覗かせる魔族を目にしては速度を上げて通り抜ける。
無駄な戦闘は避け、来るべき最終決戦にその力は取っておく必要がある。
暫く行くと、二つの扉が見えてきた。二人は足を止めて交互にその扉に目をやった。
「どっちに行く?」
アイサが問い掛ける。
リコは困ったように苦笑し、後ろ髪を掻き回した。こんなときにマルコやトリートがいてくれればズバッと決めてくれるのだろう。二人は揃って高度な魔力探知能力を備えていた。そのおかげで一行は迷わず、そして罠にも掛からずここまで来れたのだ。その二人の穴は大きな痛手だった。
「一応聞くけどアイサって魔力の探知とか出来る?」
「残念だけど私の魔力は人並みしかないの。魔力探知みたいな難しいことは無理だよ」
だからといってこのまま立ち往生して時間を無駄にするのは愚かなことだ。
冒険者である以上、直感に頼ることはそう珍しくない。たとえそれが罠を踏むことになっても、自力で切り抜ける他ないのだ。しかし、今回はアイサがいる。迂闊に罠を踏んで彼女に何かあったとすれば、最悪の結末を迎えることになってしまうだろう。それがリコの判断を鈍らせる。
それでも決断を下さなければならない。確率は二分の一。運を天に任せ、扉を選ぼうとしたそのとき、アイサがリコの前に腕を出してそれを制した。
「待って……………臭いがする」
「臭い?」
鼻先に魔力を集め嗅覚の神経を尖らせるアイサに倣ってリコも同じことをすると、その発生源に目を向けた。
二人から見て右の扉の奥先、ハッキリとは伝わってこないが生々しく、鼻にツンとくるような酢酸臭に揃って眉間に皺を寄せる。
「これって血の臭いだよね?」
「魔族のね。それも新しい」
たまらず鼻を摘むアイサの問いに付け加えるとリコは右の扉に体を向けた。
「魔族は基本的にダンジョンの罠を作動させることはない。だからこれは多分誰かがこの先で魔族と戦ってるんだ」
最早選択に迷いはない。一度アイサと顔を見合わせ、共に頷くと、扉に手を掛けた。
「じゃあ……行くよ」
一息おいて、勢いよく扉を押し開いた。
同時にアイサが中に入り込み周囲を警戒。一頻り辺りを見回すと手で合図を送りリコも続く。
「急ごう!先に誰かいる!」
扉を通って一層濃くなった血臭にむせ返りそうになりながらも、二人は駆け出した。
相変わらず景色に変化はない。一応罠を警戒しながら、進んでいくと、何体かの魔族の死体が見えてきて、通り過ぎ様に目を落とした。
先程も見たような粗雑な鎧、しかし中にはオークのような緑色の肌を持って筋骨隆々とした体躯を持った魔族が自らの紫色の血液で水溜りを作っていた。何か鋭利な刃物に切り刻まれたかのような傷口に嫌な予感がリコの胸を過った。
「見て、光が」
アイサに促されるまま目線を上げると、廊下の終点を差すように照らし出す青白い光が二人を迎え入れるように近まってくる。短いようで長かった道のりが終わりを告げる。それがダンジョンの終わりでなくとも大きな進歩に変わりはない。残り僅かな距離をリコは力一杯に地面を蹴り締め一気に零にする。
その先に待っていたのは、更なる試練だった。
光の先は広く開けていた。円形に象られたその広場はあたかも闘技場のような雰囲気を孕んでいて、ずらりと並んだ壁掛け式のランプから放たれる青白い仄かな光が、広場を照らし出している。空気に染みついていた血生臭さが消え失せ、代わりにひんやりとした冷たさが二人を包み込む。
その広場中央に聳え立つ巨大な魔族に二人は目を奪われた。
体躯十メートルはくだらない巨人型の魔族、その両手にはそれぞれ右手に獅子の頭と左手に竜の頭と、まるで三つの生命を無理矢理合成したかのような風貌をしており、見た目から推測するだけでもA級上位以上は間違いないだろう。恐らくこのフロアの、否このダンジョンのボスだろう。この魔族を倒せばダンジョンはクリアしたも同然のようなものだ。
リコは手振りでアイサを待機するよう指示すると、そっと息を潜め、歩を進めていく。先程から身動き一つない。どうやらまだ此方に気付いていないようだ。
うまくいけば機先を制して必殺の一撃を加えることが出来るかもしれない。
更に距離が縮まる。まだ合成獣の魔族は動かない。イケる、と確信しパニッシャーに手を掛け地を蹴ろうと力を込めた瞬間、リコは驚愕に呑まれた。
魔族は気付かなかったのではない。気付ける筈もなかったのだ。
「そんな……」
寸でのところで踏みとどまり、リコは目の前に聳え立つ巨木のような魔族の顔を見上げた。
事切れている。その眼には生気の欠片もなく、立ってさえいるが、生命活動の一切を根絶していた。死体の具合から見るにまだ時間は経っていない。まさに今死んだ状態だ。
すると、合成獣の陰で一つの人影が蠢き、リコは警戒心を強め、その方向に立ち直った。
「誰だ!?」
暫しの静寂、異変に気付いたアイサが合流するのを流し目で確認し、リコはパニッシャーに手を掛ける。柄を握る手が汗ばんでいる。目の前の相手に異様な緊張感を抱いているのは自身でもわかることだった。
すると、静寂を破り、魔族の陰から躍り出た人影から若々しい声が響いた。
「おやおや、また会ったねえ」
薄明かりに照らし出され、姿を現した男にリコ、アイサ揃って敵意を剥き出しにする。
純白のハーフコートは長く続くダンジョン攻略で汚れており、ボーラーハットも埃を被っているが当の本人の美麗な顔には汚れ一つ付いていない。魔王の杖『トリックスター』を地に付け、男は飄々とした笑みを浮かべ二人と相対する。
「まさか生きてるとは思わなかったよ。リコ君」
ロメオ・スプラット。最悪の怪人が再びリコ達の前に立ち塞がった。




