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ロメオの傍らに畏まって立ち尽くしていた金髪のメイド服姿の少女、リリスが戦闘態勢に入る。獣を想わせるような重心の極端に低い構えだ。
「彼女がリコ君の話に聞いたリリスか。話通り近接戦闘の魔王のコレクションのようだな」
一度大きく距離を取った四人はロメオの仕掛けてくる瞬間まで大まかな作戦を立てていた。数で圧倒しているとはいえ、万全の者は少ない。正面からの戦闘は出来るだけ避けたいのが本音だ。同時にグランの遺体からロメオを遠ざけることにも成功する。
「ったく、次から次にしんどいこった」
トリートは懐から魔石の入った小瓶を取り出し二、三粒手に取ると口の中に放り込む。
リコは目を剥いた。
「トリート、それ食べ物じゃないよ!?」
「こうした方が魔力の吸収がいいんだよ」
仏頂面になってトリートは空になった魔石を吐き出すと、マルコに目を向ける。
「そんでマルコ!作戦はあんのか?」
リコもトリートに倣うようにマルコに目を向けた。
ロメオを警戒しながらもマルコは一呼吸置き、横目で仲間達を見やる。
「あるにはある。だがそう上手くいく相手ではない。それに……」
「今更ごたごたすんな!てめえの作戦なんざ朝飯前なんだよ」
「すまないトリート、ありがとう。君と……いや君達と共に戦えて光栄に思うよ」
それが友としてのマルコの最後の言葉だ。そしてそこからは戦士としての言葉が送られる。
「私とリコで敵を強襲する。魔力の消費の激しいトリートと魔王のコレクションを持たないアイサはサポートに回ってくれ」
不服そうにするアイサとトリート。対照的にリコは表情を引き締め、パニッシャーを握る手に力を込める。
不満そうにしててもそれを口にする者はいなかった。自分達が判断をマルコに委ねたのだから不平を漏らすのは筋違いだとわかっていたからだ。
決定に従い、リコとマルコは一歩前に踏み出し、その背をアイサ、最後部にトリートがウォーマシンの援護射撃の態勢を整える。
「作戦会議は終わったかい?」
待ちくたびれたロメオはわざとらしく欠伸を掻き、役者掛かった調子でステッキを叩く。
「あぁ万全だよ」
皆を代表してリコが答え、パニッシャーを構えた。同じくマルコもリコに肩を並べるようにして魔王の盾『ザ・ジャスティス』を構える。
ロメオはにっこりと、でも狂気を孕んだ笑みを浮かべ、魔王の杖『トリックスター』の先を先頭に出る二人に向ける。赤黒い、血を乾かしたような不気味な色彩のステッキの先端には拳銃のような穴が拵えられており、そこから魔力を放出することは容易に予測出来ることだ。
「饗宴の幕開けだ」
賽は投げられた。
膨大な魔力がフロア一帯を埋め尽くし、直後、ロメオのステッキに青白い燐光が充填される。
マルコとリコ、二人が地を蹴ると同時にそれは弾丸となり降り注いだ。
「リコ!」
「了解!」
具体的な指示の一つもない声掛け。それでも不思議とマルコの意思が頭の中に鮮明に響くようだった。
幾つにも分散し襲い掛かる光弾を鋼にも勝る黒銀の盾が次々に弾き飛ばしていく。
嵐のような弾幕の中を先陣を切ってマルコが突き進み、その後ろにリコが付く。マルコという巨大な盾がリコを護衛しているような図だ。マルコの動きが、次に何をするか、どうしたいかをリコに伝えてくれる。その結果、短い付き合いの二人でも抜群の連携を可能とさせた。
盾の死角を突く弾丸をリコが薙ぎ払っていく。
「クハハ、凄いな」
目を見開き感服したようにロメオは笑みを深める。その余裕すらある表情にぞわりと背筋に悪寒が走った。
「少し本気を出すか……?」
ステッキ先端の燐光が膨張し、人一人大の球体を作り出す。先程とは比べ物にならない魔力の濃度と量だ。
降り懸かる弾丸の衝撃は抑えても押し返され一進一退の攻防が続く。
「いけるかリコ?」
「任せて!」
頃合いを見てマルコが合図を出すと、リコが彼の前に躍り出た。
手に持つ戦斧が目の前の咎人に舌なめずりするようだ。
魔王の斧『パニッシャー』
それは敵対する者の罪の大きさによって威力を増す魔王のコレクション。
ロメオ・スプラット、強盗、殺人、数えればキリがない程の罪を重ねてきた彼だ。リコが軽くパニッシャーを振るうだけで光弾が弾け飛び、余波がロメオにまで届く。
天秤が有利に傾くや、一気に畳み掛けるような猛攻がロメオを襲った。
「お待ちかねの援護射撃だぜぇ!!!」
トリートのウォーマシンが火を噴いた。
ロメオに負けず劣らずの弾幕が飛び交う。援護射撃と呼ぶには余りに盛大な弾丸の雨だ。ロメオの放つ光弾とぶつかり合ってはけたたましい爆発音を上げフロアを震撼させる。
弾が相殺されることでリコ達もまたロメオへの距離を縮めていく。威力の上がった光弾だろうとパニッシャーはその上をいく。
ロメオは歯を噛み締めた。
「……やっかいだな」
短い舌打ちを鳴らし考える暇もなく彼はパチンと指を鳴らした。
「出なさい。リリス」
「お任せを!」
いつでも飛び出せるよう構えてたリリスは主の合図が出たことで一瞬にしてリコ達の目の前へと現れた。
驚愕する間もなくリコは身を屈め、首のあったところを小振りの片手剣が通過する。
体勢を崩したリコに次なる一撃を加え入れんとした時、目の前から猛烈な勢いで盾が迫ってきて、リリスはたまらず回避に転じた。
「すまないが邪魔しないでもらえるか?」
「お前が邪魔だァ!!」
魔王の篭手『ハウンドドッグ』の力を最大限に解放。身体能力の単純強化は少女であるリリスでさえ人間並外れた力を発揮させた。
渾身の右拳が打ち込まれ、轟音と共に盾ごとマルコを後退させた。
すかさずリリスはリコへの追撃を加えようとする。リコも体勢を崩しながら受けて立った。
刹那、光弾を縫うように避けながら迫り来る影がリリスの目に映った。優先順位が変更され、逆手に持った片手剣を振りかざすも影はぬらりと片手剣をかわすとリリスの腕を取り、彼女を連れ去っていってしまった。
反撃の暇すら与えられずリリスは放り投げられ、戦線から外される。怒り狂った視線を飛ばすと、影と思っていた黒装束の少女、アイサが顔を見せた。
「そこを退け……今すぐにッ」
「悪いけど彼等の代わりに私が相手してあげる」
腰のホルダーから二本の投げナイフを抜き、アイサは冷淡な瞳でリリスを見据える。
爆発的加速で一気にアイサとの距離を零まで縮め、篭手による掌打を放つ。魔王のコレクションも持たないアイサがまともに食らおうものなら一溜まりもないものだ。
だからまともには受けはしない。体を捻り紙一重で避け、かわしざまにリリスの頸にナイフを振るう。
リリスも寸でのところでナイフをかわしていた。認識を改めリリスは一度大きく距離を取る。
その一連のやり取りを傍観していたロメオはリリスの援護は望めないだろうと割り切った。
トリートの弾丸で光弾を遮られ、接近してくる二人にも光弾は弾かれるか掻き消されるかだ。
焦燥感すら覚えたその時、一発の光弾がマルコの盾によって反射されロメオを襲った。
咄嗟に回避したのが仇となった。弾幕が途切れ、トリートのウォーマシンによる掃射が降りかかる。
並外れた運動神経で鉛玉の嵐をまるでダンスでも踊るかのような軽やかな足取りで掻い潜っていく。その間にリコとマルコの二人が一気に肉薄。誤射を避ける為トリートの援護射撃も止み、いよいよ直接対決へともつれ込んだ。
「愉しいなぁリコ君!!こんな胸躍る日はそうそう無いぞ!」
「あぁそうかい!」
ステッキの先端の燐光が形を変え細剣状となり、パニッシャーと打ち合わされた。空気が震撼する。強化されたパニッシャーとも互角に張り合うロメオの魔力総量には頭が下がる。それでも僅かに此方が優勢だ。膂力に任せてパニッシャーを振り抜くとロメオの足は地を擦り否応なしに体勢を崩される。リコの上を跳び越し盾を振りかぶったマルコが追撃をかける。叩きつけるようなシールドバッシュが防御に差し込まれた右腕の骨を軋ませ、背中から地に叩き付けた。胸骨を二、三本叩き折るマルコの一撃。それでもロメオの笑みは潰えない。右手に握ったステッキ『トリックスター』を振るいマルコを退かせる。
起き上がるも苦しそうに呼吸を繰り返す彼の不敵な笑みは消えていなかった。
「……成る程、見るからに即席でありながら見事な連携。どうやら君達を見縊っていたようだ」
「なら投降したらどうだ?」
リコの言葉にロメオは面白くなさそうに息を吐く。
「そうしてどうなる?縄に縛って私を捕まえるか?違うだろうリコ君?君は私の死を望んでいる。グラン・ヴァルキリーを殺した私が憎くて堪らない。その大斧で私を切り裂き、血の海に沈め彼の無念を晴らしたい。そうだろう?」
そこでロメオは閃いたように指先をピンと突っ立てた。
「そうだ!君のお仲間も殺すか?手始めに隣の彼を。次にあのサングラスの男を。最後にあそこの少女を。そうすれば多少は君もその気に――――」
ロメオが言葉を遮るようにリコのパニッシャーがロメオのトリックスターと打ち合わさった。魔王のコレクション同士が重なり激しく火花を散らした。
「お喋りが過ぎるぞロメオ・スプラット!!」
「そういう顔が見たかったんだよリコ君!それでこそ闘争はより甘美なものとなる!」
この状況を楽しんですらいるこの男に増悪を感じる。何よりこんな男に殺されたグランのことを思うと悼まれない気持ちが胸を覆い尽くした。
想いに駆られるように魔力をパニッシャーへ注ぐ。魔力が斧の刃を象り、手に持った斧槍の刃が巨大なものとなる。ロメオもそれをみて喜んで受けて立った。トリックスターの先端の燐光が肥大化し巨大なハンマーへと形を変える。
共に負けん気の強い視線が噛み合い、次の瞬間、二人を中心に凄まじい衝撃が波のようにフロアを駆けた。
最大限の魔力を乗せたパニッシャーとトリックスターは共に持ち主の手を離れ宙に舞い、大きく仰け反った二人は機先を制しまいと即座に体勢を立て直し次なる一手を打つ。僅かにロメオの方が速く、地に足を踏ん張らせ右手の掌打を放った。
勝利の女神は自分に微笑んだ。そう思っていたロメオはすぐに自分の考えの浅はかさを呪うこととなった。
リコの取ったアクションは攻撃でも防御でも回避ですらなく、ただ必死に手を伸ばし宙を舞うパニッシャーを回収することだった。
「……ッ!しまっ…」
その意図に気づく頃には手遅れ。視界の奥に映るマルコにより抜群のコントロールで投擲された円盤状の盾がフリスビーのようにリコの脇腹をすり抜け、吸い込まれるようにロメオの胸にめり込んだ。
「がはぁッ!」
ロメオが地に転がると同時にパニッシャーを大きく振りかぶる。罪人を裁く断頭台の刃が天を差す如し構えられ、形成は完全に逆転し、哀れむような目線がロメオを見下ろした。
「終わりだよロメオ・スプラット……お前の負けだ」
「負けだと……何を言っている?こんなところで私が死ぬものか……私はいずれ世界を統べる者だ。こんなとことで死ぬなどあってたまるか」
いくら喚こうがこの状況がひっくり返ることはない。ロメオも薄々気付いているのか表情に絶望の色が見え隠れする。
「嫌だ……やめろ、頼む!私はまだ………死にたくないッ」
一瞬必死に生にすがろうとする目の前の男が大量殺人犯であることを忘れてしまっていた。情に流されそうになり手の力が抜け落ちそうになった刹那、彼によって殺された者達の凄惨な姿が脳裏に蘇りまた手に力が込められる。
「死んでグラン達に詫びてこい!!」
怒号。そしてパニッシャーの刃は真っ直ぐとロメオの首へと振り下ろされた。
ズブリと刃が肉に食い込む音がする。ただその感触は己の手にはやって来なかった。
戦術は上々だった筈だ。隙を作るマルコの一撃も理想的なものだ。パニッシャーの威力もこの上ない。
失策は一瞬の情に流されたこと。そしてロメオの戦力を測り損ねたことだった。
「………………あれ?」
視界が明滅する。
手に握られたパニッシャーは遥か後方へと弾き飛ばされ、どす黒い塊が腹を突き破り滝のように鮮血を溢れさせていた。
脳が理解に遅れる。一体あの一瞬で何が起きたのか、黒い塊の伸びる先を目線で辿って漸く理解した。
ロメオの足下から形成された黒い水溜りのようなものから蔓のように伸びる触手が幾つにも枝分かれしており、パニッシャーを弾くと同時にその一本が自分の腹を突き破っていた。
「くそ……こんなので……」
手を伸ばし黒い蔓を引き剥がそうと必死にもがくも触手はびくともしないどころか拘束を強めていく。ロメオは先程とは打って変わって余裕綽々の表情で口を開く。
「くはは、偶には危機を演出するのも悪くないものだな。なかなか楽しめたよ」
嵌められたと気付いたときには全てが遅く、形勢は完全に逆転していた。激しい憤りを感じ左手に魔力を込め腹部の触手に撃ち込むも、それも想定内と言わんばかりにロメオは哄笑を漏らし興味深そうに此方の左手の魔力に目を向けた。
「珍しい魔術を使うな……爆破魔法か?いやもっと単純な破壊系のものか?どちらにしても無駄だ。私の影は決して壊れはしない」
影、それが自分を貫いたものの正体。影を武器にする魔術など見たことも聞いたこともない。
ロメオは戸惑う自分を見ると上機嫌に語りだす。
「君達の知らない魔王のコレクションは山ほどある。これがその一つだ」
うねうねと生物のように動く影を撫でながらロメオは言葉を続ける。
「魔王のコレクションが何も物に限ったものとはかぎらない。例えば影。そう、これは『魔王の影』だ」
驚愕する間もなくリコを救出しようとしたマルコの目の前に影で出来た等身大の人形が地面から現れた。
「君の相手はもう一人の私がしよう。心置きなく遊んでやってくれ」
ロメオの言葉と連動するように影の人形はぐにゃりと肢体をしならせた。およそ人間ではありえない動きでマルコに襲い掛かった。
両手を獣のような鋭利な爪に変え、影という特性を活かした掴みどころの無い変則的な動きは人間の形をしていながら魔族を相手取るに近い。マルコでも容易ではなく、片手間で倒せる相手ではけっしてなさそうだ。
魔力の消耗の激しいトリートはその場で動けないでいる。アイサも魔王のコレクション持たない身でありながらリリスに善戦しているが、助けは期待できないだろう。
それらの様子を見てロメオはくるりとリコに向き直った。その顔にはどこか落胆の色が見え隠れしており、ロメオは溜め息交じりに言葉を出した。
「それにしても、がっかりさせてくれる。あんな三文芝居で手を止めるとはね。殺し合いにおいて最も大切な事が何か知っているかい?」
答えは出ない。血を失いすぎてまともに思考も働かなくなってきているのは傍から見ても明らかだった。
ロメオは憐れみすら含んだ視線でリコを見つめる。
「それはな、殺しへの躊躇の無さだ。確かに敵を一撃で沈める威力も、迅速に敵を葬る速さもある。だが所詮は子供、殺す相手への情が完全に捨てきれなかったと見える」
更に影が奥深くへ突き刺さり、今にも意識を持っていかれそうになるも歯を食いしばって必死に耐える。
「リリスを容赦なく殺そうとしていた君はなかなか魅力的だった。だがそれも魔王のコレクションに呑まれかけていただけのはなしだったようだ」
言いながらステッキを拾い上げ、魔力を充填する。再び青白い燐光が現れ、まるで死神を想起させるような大鎌へとその姿を変貌させた。
「それでは名残惜しいが、お別れの時間だ」
ひたひたと冷たい感触が首筋に触れた。ぞわりと背筋に氷解が入れられたような感覚が全身を覆い尽くす。幾度と無く味わってきたその感覚にリコはよく覚えがあった。これは死だ。全てが終末がに向かうような絶望感と恐怖の混合物のようなものだ。
断頭台よろしく大鎌が振り上げられ、そして――――刹那としてロメオの顔面を金属の拳が穿った。
「ヒーローは遅れてやってくるってなぁリコよぉ!!」
ゴム毬同然にロメオを吹き飛ばされたことでリコは影から解放され、力無く地に落ちるところを逞しい腕が受け止める。
「………………トリート……?」
魔力も底を尽きかけて尚、ウォーマシンを起動して助けに来てくれたのだ。
「ごめん……トリート……僕」
「今はいいから掴まれや!」
トリートの言うとおり弱々しくも彼の袖を掴むと突如、ウォーマシンに着いたアフターバーナーによって爆発的推進力を得ると、ロメオとの距離を取ることに成功する。
「まったく私も詰めが甘いな……」
咄嗟に影の防壁を挟み衝撃を殆ど遮断し何食わぬ顔で立ち上がった。しかしそれでもダメージは多少なりあったようで血を含んだ唾を吐き捨てていた。
ロメオの負傷に伴い影の人形の動きも大きく鈍り、その隙を突いてマルコは盾による殴打を加え同じく距離を取りトリートと合流する。
「すまん、私が傍にいながらこの様とは……」
「気に病む前に手当てが先だ」
重態のリコをゆっくりと床に寝かせると、服を脱がせようとした。が、そうするまでも無く彼の傷が致命傷なのだと判断できてしまった。思わず目を背けてしまいたくなる傷口にマルコもトリートもいよいよ覚悟を決めた。
ぽっかりと腹部に空いた大穴から止め処なく溢れ出る血液は黒のコートに赤いシミを広げていく。
焦点も合わない瞳を瞬かせながらリコは鉛のように重くなった右手を持ち上げ、そっと腹部に這わせた。まるで機械のように冷え切っていて痛みすら感じない。感覚が麻痺しているのだ。
「大丈夫……だよ。どうにか……して……みるから」
魔力はまだある。しかし、内臓は中から掻き回されまるでスクランブルエッグのようだ。内臓の一部を損傷するだけで人間の魔力のコントロールはお粗末なものになる。それでもやらなければ死ぬ。途切れそうな意識を必死に繋ぎ止め、絞り出した魔力を右手に集中させる。
大丈夫、自分なら出来る
挫けそうな自分に何度も言い聞かせ右手の魔力を徐々に腹部に移していく。すると、すっと体が浮き上がるような浮遊感に包まれ、多少呼吸が楽になる。やるなら今だと直感し一気に魔力を解放、能力を発動させた。
『超速再生』
多量の魔力が腹部に吸い込まれていく。ドクンと大きく心臓が脈打ち、感覚が帰ってきて途端に痛みが全身を貫いた。
「がっ……あああああぁあああぁ………………!!」
恐ろしいまでの速度で傷口が修復を開始する。血肉が盛り上がり、皮膚が端から伸びてきて癒着していく。
その一部始終を見守っていたマルコとトリートは双眸を見開いた。
「おったまげたぜこりゃあ」
「あぁ、だがこれは……」
神妙な顔付きになってマルコはリコを見つめ、言葉を紡いだ。
「魔族の力だ。それも一部の上位の者に限られるものの」
サングラスの下からでもトリートが驚愕の眼差しを向けてきているのがわかった。その瞳の奥で何を思っているのか。疑惑かそれとも侮蔑だろうか、ぼんやりとした意識では判断も出来なかった。
もう魔力が尽きたようだ。立つことすらままならない。
リコを覆うようにする二人の背を青白い光が覆った。転瞬、飛来した光弾が地面を抉りつけ病葉同然に三人を吹き飛ばす。
「……狙いが甘かったか」
拳銃のように杖を構えているロメオは遠方で小首を傾げた。今の一発で三人は散り散りとなったが決定的なダメージは与えられてない。だが都合のいいことに一人身じろぎ一つしない者がいる。リコだ。
片眉を吊り上げステッキの先端部を彼に照準し弾代わりの魔力を装填。青白い弾丸が彼に撃ち放たれようとした。
ひゅんと一陣の風がロメオの髪を撫でた。死角より現れた腕が蛇のようにステッキを持つロメオの腕に絡みつき、寸でのところで弾道がリコから逸れ、放たれた光弾はその遥か上方を通過していった。
そのまま関節を極められそうになるところ、蛸の脚のように形作られた八本の影が腕の持ち主を襲う。それは敵を倒す為に放たれたというより鬱陶しい羽虫を払い除けるような動作に近く、払い除けるや追撃の意思は見せなかった。
改めて対峙するとロメオは「おや?」と疑念の声をあげた。
「君はリリスの相手をしてたのでは?」
腕の持ち主、アイサは衣服に付いた埃を払い除けながらロメオに目を向ける。
「片付けてきた」
アイサの目配りする方角では地に大の字で横たわるリリスの姿があった。外傷といったものは一切無く顎への打撃痕から脳震盪を起こしたものと窺える。
おもむろに手を叩きロメオは目の前の敵に賛辞を贈った。
「エクセレント!なかなかの腕とお見受けする。名を伺いたい」
本来なら名乗る義理も無し今すぐにでも斬って掛かりたいところであったが、ほんの少しの時間稼ぎにでもとアイサはその申し出に買って出た。
「アイサ……アイサ・ハイロウン」
「そうかアイサか。見たところ魔王のコレクションは持ってないように見えるが、どのようにして彼女を倒すことが出来たのか、是非とも知りたいものだが」
ロメオが気になるのも無理がない。本来魔王のコレクションを持つ者と持たない者では天と地の差があると言っていい。故にロメオは従者の勝利は約束されたものと確信していただけに現実に驚愕し、感心を抱いていた。
「あの子の攻撃に合わせて顎にこう……」
右手の掌で打ち付けるような動作を見せる。治癒能力を高める魔王のコレクションでも窒息や失神といった状態は回復されない。脳震盪もそうだ。
そうしてみるとアイサの戦法は非常に理に適っている。ただそれを実行するには類稀なる動体視力や反射神経を要するわけで、身体能力が飛躍的に伸びるリリスのハウンドドッグを相手取るならそれこそ人間の限界近くの能力を要求されるものだ。もし彼女が魔王のコレクションを持つことになるならそれはロメオにとっても大きな脅威となるだろう。
「成る程、では時間稼ぎはこれぐらいにしよう」
「…………バレバレだった?」
ロメオは笑みを深め肯定の意を示した。同時にロメオの足下の影が渦を描くように広がっていく。時間稼ぎをしていたのはロメオも同じだったのだ。大規模の能力の発現に伴っての準備がたった今完了した。
ゾッとするような悪寒を感じ取り即座にアイサは後ろに跳んだ。同時にロメオの影が解放、フロアを埋め尽くすような大質量の影の棘が津波のように押し寄せた。
「天井が崩れる……!」
アイサも他の三人と合流する。時間稼ぎの甲斐もあって態勢は立て直したがこちらの不利に変わりは無い。
尚も意識の無いリコをトリートが肩に担ぎ、マルコもまた撤退の容易を完了させる。
「みんな走るんだ!」
マルコの合図で三人は一斉に駆け出した。だがマルコもトリートもバルポイからの連戦で消耗している。いつもどおりの速さでは決してない。
アイサが背後を振り返るとそこには脇にリリスを抱えながら悠然と歩を進めるロメオと、その周囲を取り囲う暴君のような影の棘が通った跡を破壊し尽くしていく様子が目に映った。あれに巻き込まれたら最後、人間としての形は影も残らないだろう。
無茶苦茶だ。敵う相手ではない。
ちらとフロア奥の通路に目をやる。逃げ込むならあそこしかないと確信するがロメオはそれを許してくれはしない。四人を割くような影の一撃が後列に回っていたマルコを巻き込んだ。一人残されたマルコにアイサが駆け寄ろうとした。
「マルコ!」
「私はいい!君達は逃げるんだ!」
その直後崩れた天井の瓦礫がマルコを押し潰すように呑み込み、コンクリートに似た灰色の粉塵を撒き散らした。山のように積み重なった瓦礫は人一人殺すには有り余る質量をしていた。
「マルコ…………」
仲間の死に嘆く暇も、呆然と立ち尽くす暇もなかった。すぐ後ろにロメオの影は迫っているのだ。反射的に答えを導き出し三人は通路へと逃げ込んだ。
「鬼ごっこかい?あまり好きではないが付き合ってあげようではないか」
心からこの状況を楽しむようにロメオ・スプラットは哄笑を浮かべ後に続いて通路へと脚を踏み込んでいった。




